『お互いに、望まざる世界には飽き飽きしている。そうでしょう?』

洋上の船室で対面した、あの魔導師……ティモル=ハイラルはそう言った。
望まざる世界、なるほど、確かにビクトールにとってこの世界には望まざるものがあった。
それを、これだと一口に言い表すのは難しい。ビクトールにとって望まざるものとは……いや、ビクトールには望むものが常にあったといえば適当だろうか。
この世に生れ落ちたならば、一旗上げて己を試してみたい、城持ち・国持ちの子として生まれたのであらば、自分自身の腕と足でどこまでいけるのかを知りたい。
キシュフォルドの西部を領しているのなら東部をも、島の外があるのならいけるところまで。

ただ、それだけで別段血に飢えているわけでも、興じる為の戦を求めて民を苦しめたいわけでもない。

自らがこの島国から大陸内地へとその手を伸ばすのに、ほんの少し世界に変化が起こればいい。ビクトールが望むものはそれだけであり、それを阻害するものとして横たわる自国の地理、国家間のバランス、秩序、安寧そういった諸々の情勢を望まない、ただただそれに尽きるのであり、その後は自ら腕を振るうからこそ楽しいのだ。
魔導師ティモル=ハイラルの何かを欲してやまぬ暗い炎を宿した瞳に、ビクトールは自身が望む変化をハイラルが世界にもたらせるのではないかと見込み、事実それはもたらされたかのように見えた。しかし……

--天地ごとひっくり返されてしまったのでは話にもならん。

かの魔導師が求めたものは”世界の結合と再構成”ともいうべきもので、この世界で失ったものを、失わなかった異世界から掠め取り、望むものだけ継ぎ接いで取捨選択することを目的としていた。魔導師が望んだものは既にこの世界からは失われたもの、この世界では手に入らぬからこそ、写し鏡の世界の自分自身からそれを奪おうとした。いうなればそれは世界の破壊と再構築。けれど同時にそれは今”ある”世界の消失を意味する。
無論、魔術士ならざるビクトールは魔導師が真実求めたものが何であったのか、それがもたらす筈であったものがなんであったのかなど知るよしも無い。
けれど、あの夏の日。まるでこの世界を押し潰すかのように空を裂いて侵入してきた、あの黒い空の奥深く、閃く雷に照らされて垣間見えたそれは……大地だった。魔導師の張り裂けんばかりの世界への憎悪と、狂おしいまでに熱望する愛しさが呼び出した、異なる世界とそこに居るはずの誰か。
まるで湖面に映る月影を見るかのように、仰ぎ見た黒い空の奥で揺らめいて見えた幻の大地。あれが地上へと到達していたなら、恐らく……この世界は終わったのではないか。
魔術の素養を持たぬビクトールといえども、あの奇怪な光景がもたらすものが、変化などという生易しいものでは済まないということだけは理解できた。

それはビクトールの望みを越えた変化であり、辛くもあの不可思議な緑の光によってその到来を免れたのだが、同時にそれは訪れかけた変化の終息をも意味した。
その所属魔導師に占拠されるや、政治的に中立であるはずの魔道協会によって、声明も要求も無いまま突如もたらされたウィスタリア帝国やヴェルツヴァインをはじめとする東部列強への都市攻撃が与えた混乱と打撃は、不可解ゆえに覿面の効果を発揮し、中央部の諸国家は理由も判然としないまま暴れまわる古代の魔導兵器や生体兵器への対処に汲々とした。初手で指揮系統を持った都市部に壊滅的な打撃を受けた大陸中央の諸国家が、辺境の島国の動向に手を回せるようになるまでには相当な時間がかかると踏んだビクトールは、まずは火事場泥棒よろしく嬉々として兵を南洋諸島へと向けたのだが……。

ハイラル事件に端を発した争乱は、都市部への最初の攻撃からおよそ半年足らずで、あの異様な空を呼び寄せた魔術暴走事故と賢者の塔崩落、首謀者ハイラルの死亡という形であっけない結末を迎えた。
竜腹内海を東西に伸びて点在する南洋諸島群のおよそ西半分に上陸し、表向きは大陸中央支援の為の橋頭堡として拠点を設けることで、事実上の占領には成功したものの、以前より帝国への領海防衛を条件とした加盟を打診していた東半分に対しては、予想外に出張ってきた帝国内海軍に手をこまねいている間に、ハイラルは死亡し、中央部の混乱も急速に収まりを見せたことで、それ以上の東侵を断念。
現在は火事場泥棒の稼ぎを守るべく、自国の正当性を主張しつつ四方へ繋ぎをつける日々に追われている。

待ちに待った大波に乗り遅れたというよりは、大波と踏んだものが期待はずれだった感が拭えず、キシュフォルド王はここ数ヵ月を、取りあぐねた稼ぎの残りをいかにして回収するかを思案して悶々と過ごしているというわけである。



- 乱を待つ王 -(2)

最終更新:2013年07月11日 01:16