~眠れる炎の隼~

「ばあちゃん!ばあちゃん、今日ヴァラク山で遊んでたら変な場所を見つけたんだ」

「おや、また崩れた城壁を乗り越えてお山へ行ったのかえ。崩れた場所を乗り越えるのはともかく、下を潜り抜けてはいけないよ、危ないか

らね。で、何を見つけたって?」

東部列強連合との国境線に程近い城砦都市カルーナ、伏流水や地下水道に頼らねば農作物も育てられぬ赤く渇いた周辺の土壌は、けっして生産力の高い肥沃な大地ではないものの、そこは地図上に引かれる線を争う上で帝国にとっては防御拠点、列強にとっては橋頭保となりうる場所に位置することから、何百年も連綿と続く闘争の舞台として、戦史に名を刻む土地である。

幾度もの戦役の度、積み上げられては攻め崩されを繰り返しては拡張を続けた城壁は、ここ数十年の穏やかな日々の下、ゆるゆると補修されながらも、所々崩れ落ちた箇所に戦の爪痕をそのままに晒しており、戦を知らぬ世代の子供たちにとってそこは門衛の誰何を受けること無く城壁外へと遊びに出るのに格好の抜け口と化していた。

息子の長男、つまり孫のアルナールと三つ下の妹リュキアは幸運にもそんな世代として生を受け、すくすくと育った。
夕食を終えた一時、間もなく五歳の誕生日を迎える孫が揺り椅子に腰掛けた膝にのしかかる様にして語る今日の大冒険に耳を傾けることが、長い争乱の時代をこの荒野で生き抜き、人よりも多く隣人やその子らを見送ってきた老い先短い老婆の唯一の楽しみとなっていた。

「今日はいつもより上の岩場まで登ったんだ、こないだ話した秘密の尾根に繋がってる獣道のずっと先だよ」

憶えてるでしょうと語りかけるように深い瑠璃色の瞳をくるくると輝かせながら話す孫の黒髪を撫でつつ、もちろん憶えているよと頷いて応えると、それ以外の答えは想定していなかったように、それでねと続ける小さな孫。

「途中で道は崩れてたから、俺両手で岩棚を登ったんだ。そしたら山肌をくり抜いたみたいな場所があってね、そこになんか石で作った小さな家みたいなのを見つけたんだ。すごいでしょ!?」

岩を登る場面を身振り手振りで一生懸命伝える孫の姿に喉の奥で笑いながら、あぁそれで今日は指先も膝小僧も擦り傷だらけなのかと得心する。とっぷりと陽が落ちようとする頃ようやく家に戻ってきた息子の姿を見て、息子の嫁はまたぞろどこかの子と喧嘩でもしたのではなかろうねと首根っこを引っつかんでいた訳か。

「それはすごいね。でもアルや、危なくはないのかい?落っこちでもしたら大変な高さじゃないのかい?」

擦り傷や圧痕で赤黒くなった孫の両手を取って瞳を覗き込むと、孫は少し照れたように瞳を逸らす。

「う、うん。大丈夫だったよ、それに……実は帰りに気がついたんだけど、少し回り道をしたら岩は登らなくても良かったんだけどね……」

冒険譚として岩肌をよじ登った場面は必要不可欠と思ったのだろう、結果的に作らなくて良い傷をこさえた事が露見して恥ずかしかったのか、ごにょごにょと耳元で囁く孫にくすりと微笑む。

「そうかい、それはいい勉強になったね。次からは岩によじ登る前にちょっと周りを見回したら、危なくない道を見つけられそうだね。聖人エレハザルさまも言ってるよ、"危うきを自ら欲するは……」

「勇気ジャナイ"でしょっ!知ってるし、そんなんじゃないもん!」

冒険譚が危うくお説教へと変わりそうな気配を察して、言葉の先を続けながら頬を膨らませた孫の頬を優しくつねりながら、だと思ったよと頷くと少しホッとしたように破顔する小さな冒険者。

「でね、そのちっちゃな家みたいなのの中に鳥みたいな絵が彫ってあってね、こんなのがいっぱいあったんだよ」

ごそごそと下穿きの隠しを探って孫が取り出したそれに目を見開く。
小さな掌に乗せられたそれは、コインを一回り大きくした大きさの陶製のメダル。
内部には広げた一翼が円を描く模様が浮かび上がり、その羽は色褪せた青で彩色されていた。

自らの祖母に昔語りで聞かされたことはあったが目にしたのは初めてとなるそれは、かつて祖母が自分に話してくれたものそのものの形で、小さな孫の掌に鎮座していた。

「アルや、これは持って来てはいけないものだよ。明日ちゃんと元のところへ返しておいで」

小さな掌ごとメダルをそっと包みながら首を振り、優しく告げる。
戦利品を見せ、今日の冒険譚の最高潮に達しようとしていた孫は、突然祖母が話を遮ったのを少し悲しそうに仰ぎ見ながら、どうしてと聞き返す。

「婆は怒ってるんじゃないよ。アルが見つけたその小さな家はね、ヴァルカンさまの祠だよ」
「ばるかんさま?」

そう、と頷いてちょっと顔を曇らせてしまった孫に皺だらけの頬いっぱいで微笑む。

「そう、ずぅっとずーっと古い古い、ヴァラク山の守り神さま。炎の隼ヴァルカンさまだよ。祠というのは神さまに感謝を捧げる為の窓みたいなものだね」

「お家なのに窓?」

首を傾げる孫に頷くと、おいでと膝をぽんぽんと叩いてみせる。
寸暇、気恥ずかしそうな表情を浮かべたものの、怒られるのではないと安堵して嬉しそうに笑うと、痩せこけた老婆の膝によじ登ってきた孫をショールを開いて抱きしめると、最近すっかり重くなった体重を受けてゆり椅子がギシリと軋んで揺れる。この元気一杯の孫を膝の上に乗せられる機会ももうあまりなさそうだ。

「そう、窓みたいなものだね。神さまはあたし達とは違う場所においでだからね。だからあたし達のいる場所と、神さまのおわす場所とを繋いで、お話しをする場所を祠と言うんだよ」

「ふぅん、でも鳥の像以外誰も居なかったよ。それにすごくボロボロだったし、ぼくばるかんさまなんて聞いたこと無いよ?これなんていっぱい落ちてたんだから」

一つくらいいいでしょと振り仰いだ小さな顔に、いいやと首を振る。

「ヴァルカンさまはすごく古くからヴァラク山におわす神さまだよ。あのお山はね、昔は火山といって頂上からはいつも煙が出て、時おり火柱を上げる山だったんだよ。婆のまた婆のそのまた婆さまの時代はね。あんまり火柱ばかり立つものだからみんなは怖くて、何とかしてくださいってお祈りをしたのさ。そしたら火柱の中から一羽のそれはそれは美しい、青色の翼をした隼が飛び出して山を二度、三度と回るともう一度火柱の引き上げる山のてっぺんに飛び込んだのだよ。それ以来、ヴァラクのお山は火柱も煙も上げることなく静かになったのだと。それがヴァルカンさまだよ。古い古い神様に仕えた神鳥とも、精霊の王さまとも言われているねぇ。お山が静かになったことに感謝した人々がヴァルカンさまに感謝して、火柱が収まった日や、新年にお供え物と一緒にヴァルカンさまの青い翼を描いたメダルを作って、ありがとうの気持ちを忘れていませんよと、アルが見つけた場所に置いたのだよ」

だからこれはヴァルカンさまのものだから、持ってきてはいけないんだよと語ると孫は不思議そうな顔をしてふぅんと一つ唸る。

「でも新年にそんなことしたことないよ?聖堂でもそんなお話しは聞いたこと無いもん、ほんとにばるかんさまなんているの?」

そう、遥か昔に火山がこの土地にもたらした肥料分によって、水気が少ないなりにも細々と農作物を育てることができる事実はいつしか古い精霊の昔話とは切り話され、より人に近しい姿と逸話で語られる新しき神々が精霊信仰に取って代わられてからもう何世代も立つこの土地では、子供たちは新しき神々の一角である大地母神の聖堂で読み書きを習い、教わる神話も彼ら新しき神々のものばかりとなってしまった。

自分ですら祖母がやはり昔語りに夕餉の後にこうして話してくれたものを聞いただけで、孫が持ち帰ったメダルを目にしたこともなければ、そんな場所に祠があったことすら知らずにいた。

けれど、まだ少女であった日に祖母が語ってくれた青い炎の翼を持つ隼の昔話は、絵を描くのが好きだった己に鮮烈なイメージを抱かせたものだった。だから、今日孫が持ち帰ったメダルに彩色された青い翼を見て、それがヴァルカンさまを奉る古い祠だとすぐに察しがついた。

「そうだね、今はヴァルカンさまを知る者はとてもとても少なくなってしまったねぇ。ヴァルカンさまが山の火柱を沈めてくれたお陰であたし達は安心して暮らせるのだけれど、いつしかみんなそのことを忘れて感謝を捧げることもやめてしまったのだよ。だからヴァルカンさまはずーっとお山の中で眠っておられるのだそうだよ」

抱えた腕の中でメダルの感触を確かめるように持ち替えたり、ひっくり返したりしながら、ふーんと鼻を鳴らす孫。

「ふーん……。でもなんで青いのに炎のハヤブサなの?火は赤でしょう?」

「良いところに気がついたね。ヴァルカンさまの炎は二つあって一つはアルが言うように赤く輝く炎で、敵がいたり、人々をお守りになる時にはこの炎でもって打ち倒されるそうだよ。でも本当のヴァルカンさまはとてもお優しくて、もう一つの青い炎を宿した翼で、疲れた大地や澱んだ毒の沼を撫でて綺麗にして人が住めるようにされるんだそうだよ」

理解できたのかどうかわからなかったが、へぇと相槌を打つ孫に、でもねと続ける。

「そんな風にヴァルカンさまは人を慈しんで、あたし達がお参りするのをやめてしまってもお怒りにならない、それはお優しい神さまだけどね。でもそれはずーっと昔にヴァルカンさまへありがとうと伝える為に置いてこられたものだから、ヴァルカンさまのものなんだよ。だから勝手に取ってきてはいけない。アルも自分の大事なものを持っていかれたらイヤだろう?」

もしかしたら、もう古い神さまのものだから一つくらい貰ってもいいと言われるのではないかと思っていたのか、無言のままの孫のつむじを見つめて言葉を継ぐ。

「知らなくて持って帰って来たのなら悪いことをしたんじゃないよ、でもそれが誰かの大切なものだと気付いたらちゃんと返さなきゃね。アルはできるかい?」

腕の中の小さな肩がビクッとして、しばしう"ーと唸り声を上げていたが、渋々といった感じで黒髪の頭がコクリと頷く。

「わかった。明日返してごめんなさいしてくる……」

「そうかい、アルならきっとそう言うと思ったよ。エライね、聖人エレハザルさまもきっと褒めてくださるねぇ」

膝の上から降り立って振り向いた孫に笑顔で頷くと、うんと答えた孫はちょっと鼻の下を擦るとニッと笑う。

「うん。俺はエレハザルさまみたいにみんなの大事なものを守る人になるんだから、これはちゃんと返すよ。ついでにばるかんさまに、みんながありがとう言いに来なくなってごめんねって言ってくるよ」

大事そうにメダルを両手で包みながら笑顔で告げる孫を眩しく眺めておやすみの口付けを交わすと、寝る時間だと迎えに来た母親に孫を託して見送る。


「にーちゃ、あしたリュキアもつれてってー」
「お前はまだちっちゃいからダメ」

間仕切りの向こうから妹とやり取りして早く寝なさいと母親に窘められる声を聞きつつゆり椅子をそっと動かす。
いつかあの孫が、またその子供にヴァルカンさまの話を伝えてくれるだろうか……そんな幸せな未来を思いながら老婆はうとうとと夢の淵へと誘われる。


昨夜はそのまま眠ってしまったのだろう。
翌朝目覚めると、元気一杯の孫はもう出かけたと聞かされた。






「これでよし……っと」

昨日見つけた祠の前に置かれた台の上に、持ち帰ってしまったメダルをそっと置く。
周囲を見回して地面に散らばった同じようなメダルを拾っては服の裾で磨き、一枚一枚台に積み上げて並べる。中には割れてしまったものもあったが、ちょっと首を捻って考えたが、大き目の欠片を拾い上げ、やはり同じようにごしごしと拭い、小一時間ほどかけて並べ直して誰にともなく一仕事終えたかのように、ぐいと額を拭ってみせる。

「えーと……。ばるかんさま、きのうはメダルを持って返ってごめんなさい。ばあちゃんが教えてくれたから俺ちゃんと返しに来ました。……あと、みんなばるかんさまのこと忘れちゃったんだって、知らないだけだから、ありがとうって言いにこなくても怒らないで上げてください。かわりに俺がときどきありがとうしに来るよ」

時おり言葉を考えつつ、一人ごにょごにょと翼を広げた鳥の像に話しかけ、やおら何か思いついたように背を向けて駆けると、しばらくしてまた台に戻ってくる小さな人影。
手には数本のシロツメクサを握り、それをそっと積み上げたメダルの前に横たえると、嬉しげににっこりと笑う。

「またくるよ、またね。ばるかんさま」

満足気に頷くと手をひらひらと振って背を向け、岩棚を下りて擦り傷をこさえずに済むルートで帰りだした男の子が気付くことは無かった。祠の奥に鎮座する翼を拡げた像の瞳がブゥゥンと唸って一瞬蒼白く輝いたことに……。

それは数百年忘れ去られ、名を呼ばれることも無かった孤独な眠りについていた精霊王が最期の信者を感じ取って目覚めた音だった。


少年が目覚めたヴァルカンの翼の中で精霊を罵り、誰かの大事なものを奪う暗殺者として百舌鳥・ラニウスの名を与えられるに至るより、ほんの少し前のまだ穏やかな日々のおはなしおはなし……。
最終更新:2012年06月20日 12:45