「はい……軽率でした。以後気をつけます……失礼しました」
儀礼上折り曲げた上体、俯いた顔に、べーっと舌を出しながら寮母室の扉を閉じた。
久々に生徒と揉め事を起こしたのを見つかって、こってりと絞られたのだ。
夕方、やけに口の悪い生徒と出くわしたのだが、たまには先生らしく注意しようなんて気になったのがいけなかった……。
「あ?好き勝手生きてる不良教師じゃね?つるぺたは仕方ねーけど、せめてもちっと身長伸ばしてから言ってくんねーと声、届かねぇんすよね」
耳に小指を差し込みながら言いのけた生徒に思わず言葉を失ったのも束の間、次々と降り注ぐ、ありとあらゆる悪態にアタシの短めの堪忍袋が保つはずもなく……
悪態の応酬……というよりはアタシの若干下品な表現も混じった悪口による反撃(そう、今考えれば悪態というよりあれは、子供の悪口レベルの語彙の乏しさだった……)を、アイツがさらに揚げ足をとりつつ挑発を加えるという図式で進行したやりとりに、次第に周囲には人だかりが増える。
面倒になったのだろう、適当にあしらって帰ろうとしたアイツに、もはや語彙で太刀打ちが難しくなっていたアタシは自慢の脚力で飛び上がって実力行使とばかりに掴みかかったのだけれど……。
掴んだ身体の、あの感触……。微小だけど感じた特異な呪波……。
なにより、間近で覗き込んだ深い瞳の表情……。
荒っぽい言葉越しには気付かなかった、あの感情はなんだろう。何かを諦めているような、試しているような……。
それでいて、来ないことを知っている何かをただ静かに待ち続けているかのような……。
もっと奥を覗こうとした所で、駆けつけた警備部員に引き離された(なぜかアイツが被害者扱いだった)けど、なんだろう、すごく引っ掛かる。
妙な感触の身体のこともだけれど、何よりあの目……。
ふむ、なんか面白いやつだ。
言葉の一つ一つを思い出すと腹は立つが、何か憎めない感じもした。
頭の後ろで手を組んで廊下を歩きながら、確か襟章は導師課程の一年だったなーなどと思い出す。
とりあえず次に見かけたら、なんて悪態で声をかけてやるか……図書室で辞書でも閲覧しよう。
あと名前を訊ねる悪口なんてあったかな??
ほとんどの学生が食堂にいるはずのこの時間、食堂に隣接し寮四塔に囲まれた中庭で軽食を摂る風でもなく、人気の無い木陰にふらりと分け入る、のっぽを見かけて猛然と後を追う。
「見つけたわよ、昨日はよくも……」
生け垣を払うと、日陰に長い手足をだらりと伸ばし大の字になっていたのは紛れもなく昨夜の生徒だが、何だか様子がおかしい。
荒い息、上下する胸元。全身を覆う乱れた呪波を感じる。
どうやら不調らしいにも関わらず、こちらを見やると盛大に舌打ちをする程度には相変わらずの可愛げの無さだった。
「……まったく」
呆れたように呟くと、そのまま生け垣を押しわけて進み、元のように誰かの進入路を塞いで振り返れば、擦れた息の向こうから拒絶一択で投げかけられる視線は無視して近付く。
頭の隣にしゃがみ込んで、そっと手をあてた額は氷のように冷たいけれど、汗は無い。
「触ん……じゃ、ねぇ……」
ヒューヒューと空気の漏れるような声、獣のような目つきで睨み上げてくるが、黙殺する。
共鳴か……、やはり昨日の違和感は間違いで無かったようだけれど、それは今はどうでもいい。
「アンタたちの繋がりを保護するために覆ってるパスが乱れて収縮してる。縮んだパスの中で、通した魔力が暴れて"コッチ"まで圧迫してるのよ。痛みは消せないけど"コッチ"の乱れが戻らないようにパスを少しだけ拡げるから……抵抗すんじゃないわよ」
返事は察しが付くから待たない。
「余……計な…んだよ。…や……めろ」
はいはいとあしらい、額と胸の上に片方ずつ手を差し伸べて細く練った呪をコイツの身体に差しこむ。
目の前で横たわる身体と別の場所とを繋ぐ為に施された、言うなれば動力パイプを編んだ念で拡張させながら、操作が向こうに影響を与えないよう、細心の注意で最低限にとどめる。
しばらくすると"コッチ"の息は徐々に整ってきたのを見届け、慎重に侵入させた念を引き上げる。
「……今日は授業休んでもう寝てなさい。決着はまた今度よ」
芝を払いながら立ち上がり、睨みつけてくる余裕もない、よく見れば体格と年齢にしては白すぎる生徒に告げたが、当然返事などない。
予想通りの反応に満足しつつ、生け垣を再度押し分けてそっと外へと抜け、遅刻確定の午後の授業へと向かった。
授業が終わり、幾人かの生徒の質問に答えた後、手持ち無沙汰になったので息抜きに食堂で冷えた果汁片手にのんびりすることにした。
グラスに刺さった麦ワラをくわえて揺らしながら、背もたれに深く寄りかかって、何の気なしに天井を見上げる。
そういえばアイツ、まだあそこで寝てるのかしら?
様子を見に行こうかと思ったが、すぐに思考を払う。
見られたくないだろう……あたしだって自分があちこち傷を作った晩の翌日は、そんな姿を誰にも見せたくはない。
昼間の件だって充分お節介だったろうな……。
自尊心を傷付けたろうか……。
でも……あんなとこで一人痛みに耐えてるのを見てしまっては……。
「ほっとけないじゃないのよ……」
でも、あんなのが足しになったとも思えない……だってアイツは……あの身体は……。
触れ合った魔力が一瞬垣間見せた、あの光景……白いベッドで横たわった少年の姿……。
あれがアイツの……いや、何も知らないのに分かったようなきになるのはよそう。
先日、凌辱にも近いやり方で学院内と外とを繋ぐ魔力のパイプラインに触れた時の感覚を思い出しながら街を彷徨うが、痕跡を見失い、石畳の水溜まりで足が止まる。
カエルを模した合羽のフード越しに雨空を見上げ、一つ息を吐く。
"彼"を見つけてどうしようというのか……。
本来、移し身を用いたり、邪悪な企みだけで入学できるほど開祖が遺した学院の護りは甘くない。
いかな目的、思想、性癖、闇……そういったものを抱えようとも開祖、ルクスが入学を許したのなら、そこには意味があるはずなのだ。この学院に存在する意味が……アンタがここにいるのは諦めの境地から、生を何の不思議もなく享受する人間の姿を眺めて笑う為なんかじゃない、残った蝋燭の灯が消えるまでの時間潰しの為なんかじゃ絶対ない。
それを伝えたいけれど、その方法がわからない。
あたしがアイツと会ったのには意味がある……そうなんでしょ?
だからあたしを導いて、ルクス。
……伏せた瞳を開くと、視界の隅に寂れた教会が見えた。
新しき神々を奉る聖堂とは異なり、姿を持たないけれど世界の意思を、人の祈りの向かうどこかを"神"と呼ぶ人々が足を運ぶ祈りの館。
「これは可愛らしいお客さまですね」
質素だが重厚な扉を押し開けてフードを払うと、祭壇に並んだ蝋燭に火を足す、詰襟の僧服に身を包んだ初老に差し掛かった男が笑顔で出迎える。
「ごめんなさい、お邪魔だった?」
合羽から伝って床を濡らす滴に気まずく身じろぎしたが、男は笑って首を振る。
「ここは開かれた家、ましてこの雨です。さあ」
そう手招きされたので、礼を述べると合羽を脱ぎコート掛けに預けると、濡れないよう懐に抱えていた一束の白い花を手に、並んだ据え付け椅子に腰掛ける。
祭壇に目をやると、人々の祈りを灯した蝋燭が並び、上部にはそれを見守るようにステンドグラスを嵌めた窓が並ぶ。
雨の辻で導かれるように見つけた教会……。
奥へと続く脇の扉に視線を廻らすけれど、今は踏み込もうとは思わない。
ステンドグラスに視線を戻すと、描かれた内容を改めて眺める。
降り注ぐ陽光に祈りを捧げる人々、その隅にただ一人、木陰からそれを見つめる男がいる。
「あの人はどうしてあそこに居るの?」
雨音が屋根を打つ響きの中、祭壇周りを拭き清めていた男にステンドグラスの左隅を指差して尋ねると、男は指差す先とあたしを交互に見ると、よく見つけましたね。そう呟いて、また柔らかく微笑んだ。
「光は分け隔てなく降り注ぎ、誰もが身に浴びてよいものなのに、彼は自分がそれに相応しくないと思っているんです。誰よりも光を眩く、愛しく思いながら、自分が浴びることでそれを汚してしまうのではないかと思って、ああしてあそこで一人見ているんです」
神という言葉をあえて使わず光と言い替えて語る男の言葉は、それが信徒目当ての飾りではなく、本心からだとよく伝わる。
説明されて、あぁアイツもあたしと同じなんだろうかとふと思う。
「いつか彼は光を浴びれる?」
思わず問うと、男は少し驚いたように一つまばたきしたが、すぐまた柔和な笑みを浮かべて頷く。
「光の射し込む方向は変わりますから」
空を太陽が横切るように、いつかは木陰の彼を優しく照らす日がくると男は言う。
あぁ、それはすごく……眩しくて恥ずかしくて、優しい時間だ。
「……あたしは神を持たないけれど、祈ってもいいかしら?」
少女の言にしては変わった依頼に男は戸惑ったようだったけれど
「もちろん、あなたがそうしたいのなら」
頷いてあたしを祭壇へと誘った。人々の祈りから生まれた"神"なら他の神々よりは懐も深いだろう。
異界……選ばれることのなかった未来、幾つもの平行世界から喚ばれた魂に、人の身を喰わせることでこの世に繋がれたバケモノの祈りでも、聞き流すくらいはしてくれるだろう。
きっと火を喚んでは無粋だろうと、祭壇に並ぶ蝋燭に使い慣れないマッチから火を移すと、花束を床に置いて跪く。
どうか、あのステンドグラスの"彼"を太陽が見つけますように。
いつかほんの一時でも陽が射し込んで、優しく抱かれる時が訪れますように。
誰に言われるでもなく、その中に居てよいのだと気付きますように。
きっと、あたしが祈らなくても、その日はくるだろう。
自己満足な祈りを捧げて立ち上がると、拾い上げた花を、脇に立っていた男に差し出す。
「見舞いたい人がいたんだけど、場所がわからなかったから……。雨宿りのお礼に」
探すのを手伝おうかと申し出た男の提案を謝辞を添えて断ると、コート掛けから合羽を外して羽織って外に出た。
扉が閉まる瞬間、隙間からステンドグラスの隅が覗いて見えた。
まだ雨は降り続いているけれど、帰ろう。
あたしが見つけた"太陽"がいっぱいの場所へ。
※ "彼"は@neb9seta まるまる様のお子様から設定を大幅にお借りしたものです。
解釈が異なり本来の"彼"と異なる部分があるかもしれません。あしからずご了承くださいませ。
最終更新:2012年06月21日 00:44