「はいはい、まぁなんか言い返したいんなら、そのちんちくりんの身長をせめて街の噴水広場の像並みに伸ばしたらにしてくださいよね。なに言ってるか聞こえてこないもんで~」
明後日の方角をみやりながら、小指の先を片方の耳に差し入れつつ、こ憎たらしげに口元を歪めた長身が、ばいならなどとうそぶきながら背を向ける。
話はまだ終わってないと言い募りかけて、外郭街の噴水広場の像?と思考が寄り道をしてしまう。
学院を要に置いて扇状に主要路を広げる外郭街の中央通り、学院と街の外門を繋ぐ丁度なかほどに設けられた円形の広場には噴水泉が置かれ、休日ともなれば街の人々や生徒たちの待ち合い場所として賑わい、出店も立ち並ぶ。
噴水の中央にはランドマークよろしく水盆が層となって塔のように屹立し、水のカーテンを作り出している。その頂上……には白い陶製の像が据えられており、小振りな羽を生やし、愛嬌のある丸みを帯びた小さな身体で体現する行為から、人々に愛されているその像は……。
「……小便小僧じゃないのよっっっ!?」
靴を踏み鳴らしながら怒鳴りたてて思考をとけば、翻した背中はもう視界にはなかった。憎たらしくにまにまと笑う顔だけは、はっきりと想像できるのがまた一段と腹立たしいこと、この上ないではないか。
「ああぁぁぁぁっっっもぅ腹が立つぅぁぁぁぁっ」
教導師詰所の扉を荒々しく開け放つが、慣れた雰囲気の教導師の面々が涼しい風で各々執務机に向かうのもまたよくある風景だ。
どうしたんですか?を待つことも無く、つかつかと目当ての机に歩み寄ると、生徒のレポートを机に積み上げて捲る教導師にビシリと指を突きつける。
「ちょっとツァンフェイ!!アンタんとこのアイツの態度!少しはなんとか言ったらどうなの!アンタほど無愛想になれとは言わないけど、目上のレディに対するカタイ仁義ってもんを教育すべきだわっ」
極東王朝から赴任している教導師、ツァンフェイがレポートの束から目を上げると、いかにも迷惑そうな視線を投げて寄こす。
「そんな仁義は知らんし、一体誰のことを言っている?それに後半何かあしざまに言われた気がしたが……傷つくだろうが」
欠片も傷ついた様子のない表情で、浅黒く日焼けした顔に嵌まった金色の瞳でねめつけられる。
「アンタんとこの導師課程の二年生よ、こーーーんな目してんのに、くぉーーーんな感じに唇吊り上げて笑いながら慇懃無礼困ったちゃんよ!」
両手の人差し指で目尻を、小指で口の端を引っ掛けて持ち上げて見せながら、あのどこか冷めたニタニタ笑いを再現して見せるが、ツァンフェイには伝わらないらしく、ヒクッと頬を歪めるとレポートを机に置き、片手間に引き出しを開くと中から名簿らしきものを取り出してぺらぺらとページを捲る。
「……導師の二年……慇懃無礼の困ったちゃん………あぁ、この生徒か。別段授業では無礼なことなどないが……なんだ、風の塔の生徒ではないか。なら生活態度についてはお前の管轄だろうが。ほら、こいつだろう、ジャ……」
「ダ、だめっっ!名前をいわないでっっ!!」
とあるページで止まったツァンフェイの指、名簿の記載面をひっくり返してコチラに向け、読み上げようとしたものを遮るように声を発して、両手で氏名欄を押さえて覆い隠す。
氏名欄の隣に貼られた四角い転写画像に写る顔は、あの憎たらしいにやにや笑いとは正反対の無機質で、無感情な表情。
でも、間違いなくアイツ。……アイツが"用いている姿"に相違なかった。
あんぐりと口を開け、遮られた言葉を続ける気も失せたのかツァンフェイが片手で眉間を揉み解す。
「……全く訳が分からん。これでもお前の無茶ぶりには随分慣れたが、自分の監督寮の生徒の名を把握していないのはいくらなんでも問題だろうが」
「いいの!細かいことは寮母に任せてるんだから。アタシは本人に名前を訊ねてる途中なのよっ、教えてくれないのでも随分と負けてる感があるってのに、名簿なんか見たら完敗確定じゃないのよ!」
ぐいと押し付けてくる名簿を両手で押し返すという静かなる攻防を繰り広げつつ、万が一にも見えてしまわないように顔を背けながら言い訳を訴えれば、ツァンフェイがまた面倒くさそうに嘆息を漏らすのが聞こえる。
「と・に・か・く!!これはしまって頂戴っ!……って、あれ。今日って……」
渾身の力でツァンフェイの胸へと押し返した名簿。もう安心かと戻した視線が名簿に記載されたある箇所の上を今日という日になぞったのは偶然だったのか……。
腰痛で施療院暮らしを続ける教導師に代わって、先年から土の寮の代理監督者となったツァンフェイのお説教を軽くかわして詰所を再び飛び出す。軽快に階段を駆け下り中庭を抜けて別棟の歌唱魔術教室に連なる準備室へと立ち寄り、棚を物色して目当てのものを探す。
以前に使われたのは随分と前なのだろう、うっすらと張り付いた埃を払って抱えると、一路外郭街へと足を向ける。
扇状の外郭街にあってその縁に程近い、七つある主要路と主要路を結ぶ路地の奥。
十字路の面してひっそりと立つ冷たい石造りながら、どこか温かな空気を纏った建物。
人の祈りが向かう先、どこかなのか誰かなのかも明らかにはしないそれを神として奉る人々によって建てられた家。
新たなる神々を祀る神殿や聖廟とは異なる趣を持ったそこは、信仰を広める為でもなく、信者を募る為でもなく、向かう先の知れぬ祈りを捧げたい人々の為に建てられた、家。
何度か訪れ、馴染みつつある木戸を押し開くと、並んだ木造りのベンチの奥、祭壇のように一段高くなった場所に並んだ火を灯した幾本もの蝋燭と、柔らかに色づく光を降らせるステンドグラスが目に入る。
祭壇の前で例のごとく周囲を拭き清めていた僧服の男が振り返ると破顔する。
「やぁ、またいらっしゃいましたね」
屈めていた腰を伸ばして僧服の膝を払いながら、男……この家に集まる人々からは牧士と呼ばれる彼はいかにも人の良さそうな柔和な笑みで語りかけてくる。
「こんにちは、牧士さま。少し座っていていいかしら」
いつものように、ぺこりとお辞儀をして訊ねれば、男はもちろんとやはりいつものように返すと、身振りであたしにベンチを勧める。
飴色につやをもった木造りのベンチに腰を下ろして、祭壇で揺らめく大小の蝋燭の火を眺める。
新たな年明けから数えて6の月、第6の日。今日の日付。
この世界において、7は完了・完成を表す数だと言われる。
それは一週間を7日で成すからとも、この世界を造り出す為に、神々が一体の獣の身体を七つに裂いて柱としたからとも言われる、だれが言い始めたのかもわからぬ、古い古い慣習。
7に完了という意味を与えたが為に、いつしか6は7に一つ満たぬ、不完全を表すものとなった。
6という数字にそのような呪いめいた力は無いけれど、古い慣習は無意識に人々の中に染み込んでいるのか、6という数字単体にはそれほど感じることのない意識も、それを並べて用いることを無自覚に忌避する風変わりな因習となっている。
特に誕生した日付にそれがあたった場合は、戸籍に記す我が子の生まれ日を一日ずらして記載する親が今だに多いことも、それを顕著に表していると言えるだろう。
それを避けることに意味は無い。
ただ、なんとなく、なのだ。
生まれてきた我が子が、もしもその日付にがっかりすることが、もしもそれに意味を感じる人々から忌避されるようなことがあって欲しくないと思う、ただの親心。ただそれだけのこと。
ゆえにこの世界では第6の月、第6の日を生まれ日として記す者はとても少なく、その日に誕生を祝おうと思う者はさらに少ない。
ツァンフェイが開いて見せた名簿。
無表情な転写画像のアイツの下に記されたその日付には、四つの大陸暦に続いて並んだ二つの6。
それが真実アイツの生まれた年、月日を表わすものなのかどうかは分からない。
少なくとも大陸暦が、それとは異なることをあたしは薄々知っている。
月日は、もしかすると本当なのかもしれないけれど、あえて日をずらさず記したのは、あいつ一流の皮肉なのかもしれない。
その真意を測ることができないけれど、なんとなく……アイツは誰かから生まれ日を祝われるのが嫌で、世界が無意識に忌避するその日を選んで記したのではないのか、そんな気になってしまう。
考えすぎだろうけれど……誰もがその日からずらして祝おうとする日を選ぶことで、世界から切り離されていたいなんてアイツらしくもない感傷がそこにあるような気がして……そう、長居のできそうにない世界に、長居する意味が無いことを見つけたくて仕方の無いアイツの意思がそこにあるような……。
わかってる。きっとそれはただの考えすぎ。
第一、真実世界の異物であるアタシにはそんな数字、全く慮外の理に他ならない。
完全に一つ足りないから不完全だなんて、あまりに単純で理不尽じゃないか。
完全足りえないから、完全を望むのだ。不完全を経ずして完全になるものなどない。
1枚のコインを置いて周囲を6枚のコインで囲めば、なるほど円になる。
7枚のコインで真円を描くさまは過不足が無いようで完全に見えなくも無い。
でも、さらにコインを並べて層を成すには6枚の2倍のコインで覆わねば円を成さず、それは層を重ねるごとに6枚を足してゆくのだ。
そうやって一層ずつ大きな円を描くように、不完全を積み重ねて成せるものがあるはずだ……。
誰が悪いわけでも何かを責めたいわけでもない、古い古いただの因習。
なんとか、『そんなことない』そう言いたくて頭の中で理屈を捏ね回す。
ぼんやりと眺めていた視界の先で、祭壇に並んだグラスの中、一本の蝋燭がその火を消すのが見えて立ち上がる。
祭壇へと歩み寄ると、手前に置かれたまだ火の灯されていない蜜蝋を流し込んだグラスを手に取る。
「一つ火が消えてしまったわ。ねぇこれを置いてもいいかしら」
小首を傾げて牧士に尋ねれば、またもちろんと笑んだ彼は火付け用の燐寸を納めた小箱を差し出してくれる。
取り出した燐寸を擦り、グラスの蝋燭芯へと火を移すと、先程火の落ちたグラスと置き場所を入れ替える。
ふと、そのグラスも誰かの祈りと共に置かれたものなのかもしれないと思うと、そのまま脇にやってはいけないような気がして、牧士にこれは?と問いかけると、ふわりと笑んだ彼はそれを両手で受け取ると、しゃがんで幼子にするようにアタシの瞳を覗き込む。
「このグラスに満たされていた祈りは、炎と共に向かうべき場所へと旅立ちましたから大丈夫。一つ祈りを届けてこのグラスはまた別の誰かの祈りを満たすのに用います」
だから貴女がいま灯したその炎はそこに置いていいですよ、彼がそう続けたのでホッとしたような面持ちで頷く。
なんとなくそうすべきな気がして、揺れる蝋燭の火に向き直ると瞳を閉じ、しばし瞑目する。
「……ねぇ、あれは使えるのかしら?」
瞳を開き、あたしの後ろで静かに見守っていた牧士に、祭壇の脇の壁際に据えつけられた年代物のオルガンを指差す。
「……ええ、牧会といってみんなで集まって一つの祈りを捧げるときに皆さんの気持ちをより合わせるのに使うんです」
音は見た目同様に古いくさいですけれどね。
そう言って笑う牧士はどこまでも柔和で、人の善さが滲み出ていて、アタシが何度もここに足を運ぶことに抵抗を感じない理由の一つでもある。
「少しだけ、使わせてもらっては……迷惑かしら」
そこにある目的を聴いた上では尋ねにくかったけれども、思い切って問いかければ、牧士は少しきょとんとした表情で弾きたいのですか、と問い返すので、コクリと頷いて抱えてきたものを彼に差し出す。
厚紙で裏張りされた、見開きだけの短いスコア(楽譜)
「あぁこれですか。今は他に誰もいませんし、灯された祈りを害するようなことに使うのでなければ構いませんよ。……でも、これを……今日、ですか?」
手渡されたそれを開いた牧士は少し戸惑うような表情を見せてアタシに首を傾げて見せた。
「ええ、今日がいいのだけれど、みんなの祈りの火の中では相応しくないかしら。どんな日にもお祝いがあって欲しいの」
数秒、じっとあたしの瞳を見つめていた牧士は、小さく吐息を漏らすように優しく微笑むと、大きくてごつごつとした手をあたしの頭に乗せた。まるで子供に言い聞かせるような仕草だけれど、不思議と嫌な気分ではなかった。
「……そうですね、どんな日にも希望があるのですから、お祝いは必要ですね」
そう頷いた牧士は、笑顔であたしにスコアを差し出した。
使い方は分かりますかの声に、ありがとうと頷いて大丈夫だと告げると、半円状に並ぶ鍵盤にかけられた覆い布を外して畳む。
腰掛けてしまってはペダルに足が届かないので、立ったまま鍵盤に向かい、確かめるように幹音の鍵を一つ軽く叩く。
破壊の為の歌声を与えられたあたしは、自分自身が怖くて歌うことができない。
そんなあたしに音を楽しむ方法を教えてくれた人がいた……。
自らの代わりに音を奏でるものを扱う術を教えてくれた人が、最初に教えてくれたソレに本当はスコアは必要ない。
けれど、自分が奏でたいものを確かめたいから、黄ばんでしまったスコアを譜面台にそっと置き……大きく息を吸いこんだ。
たった六小節のそれは、誰もが知っているありふれた曲。
誰かの誕生を祝う、なんでもない単調な音の羅列、けれど誰にも等しく優しい旋律。
産まれてきておめでとう。
たとえ、残された時間が一つ少なくなることと同義だとしても、一年の生を重ねたきみにおめでとう。
きみがこの世を去ることに理由付けがしたくって世界の醜さを探しているのだとしても、きみが見つけるものが両手いっぱいの未練ならいいと思う。
願わくは、その未練の一つ一つがきみに明日という未来と、生を重ねる力をどうか与えてくれますよう。
きみが望まないとしても、あたしがそれを望むから。
まだ名前を知らないきみに、お誕生日おめでとう。
たった六小節の旋律を六回、二階のきみに届けと祈りの代わりに鍵盤を叩く。
-誕生日のきみに-
最終更新:2012年06月21日 00:52