試験牧場の外れ、たまたま腰を降ろして手をついた場所、指先がシロツメクサの葉をかき分けただけの偶然。

つい古い記憶に捕らわれ、四つ葉のクローバーを探すなんて子供染みた行為に時間を費やしてしまった。
遠いあの日、一日中妹と二人で探しても見つからなかったそれは、思ったほどの時間をかけず二本も見つかってしまって……。
一本はどこにでも現れるあのお節介で、お人好しに手足をつけたような青年に残してやったが、思わず摘んでしまったもう一本の四つ葉。

どうしたものかと思い、ふと視線を投げた地面を横切った影に空を仰ぎ見れば、大空を優雅に舞い十字に陽光を遮る翼……。
そうか、一人いたな。
さっきのお節介でお人好しの青年にどこか通じる空気を持った、四つ葉に似合いの相手が……。





何気なく中庭を横切ったのがいけなかった。
目的地までの最短コース、無駄のない移動だったはずなのだが……。


炙るような陽射しの下でクロッキー帳を胸の前に掲げて立つ、白い翼が視界に映った。

帳面にコンテで描かれた(四つ葉の押花の枝折を拾いました、どなたかお探しじゃないですか?)の文字。

ご丁寧にもそれを読み取ってしまう己の視力に溜め息を漏らす。

木陰にも入らずにクロッキー帳を手に佇む少女へと歩み寄ると、陽を遮る位置で立ち止まる。
突然の陰りに気がついたのか、形の良い顎を跳ねて振り仰いだ真珠色の艶めきを孕んだ白い髪と、片翼を背担う彼女。

「四つ葉の意味を知っているか?」

突然で驚かせたか、わずかにびくりと上がる肩。



再び会う事などないはずだった。

この学院への編入手続きを終え、荷物を寮に運び込んだ日。
聞いていなかった同居人の存在に戸惑い、慣れぬ会話から逃れるように扉の外へと出た廊下で、三つ扉を挟んだ先の部屋から同じように出てきた白い人影に凍りついた……。

まさかそんな……と。

あの夜、真っ赤に汚れた俺の前で差し込む月明りを受け、青く白く輝いていた彼女。
どうして始末してしまわなかったのかは今もよく分からない。
けれど、この再開が教団に知られれば、確実に摘まれてしまう白い翼の彼女。



折角拾った命なのだ、今更関わるべきでないことは分かっているというのに……。
偶然見つけた四つ葉を預けるに足る対象を、他に見つけられなかった……ただそれだけのこと。
……連日の暑さに判断が鈍っただけ、そうに決まっている。
素人であるまいし、そんな言い訳が通じるはずもない……言い訳?一体誰に?


『リュキアはすぐ転んで心配だから、今日は四葉のクローバーを探そう』
『にーちゃ、四つ葉ってなぁにー?』

遠い遠い、まだ罪人となる前の最後の幸せな記憶の中、鮮明に残る声とぼんやりとしか思い出せない妹の顔。
手袋に包まれた指先で摘んだ四つ葉の先に浮かんだ小さな妹の幻。
思い出せない顔には、なぜかあの白い翼の娘の顔が重なって見えてしまったから……。

先日寮の階段へと続く談話室で(枝折を落とした)と、自らの羽根を一枚本に挟みながら、向かいに座った相手に向けて筆記で語らっていたのを目にしてしまったから。
捨ててしまおうかも思ったソレを手拭に包んで持ち帰り、同居人の目を盗みながら数日押して枝折に挟み込んだものを、彼女の本にそっと挟むような馬鹿げたことをしてしまった。

せいぜい代わりが見つかった程度に思ってくれるか、気味悪がって捨ててくれるだろうなんて期待していたのだが……。
まさか枝折一枚の持ち主を探す為に、めっきり厳しくなった陽射しの下で見つかるとも知れぬ相手を探そうとするなど想定外だった。

せめて帽子でも被ってくれていたら、素知らぬ振りで通り過ぎたものを……。


一瞬ビクリとした彼女だったが、コクリと小さく頷くと、俺の影の中でクロッキー帳を一枚めくり、取り出したコンテを帳面に滑らせる。

(幸運、ですか?)

そう記され、こちらを向けて差し出された帳面を、読んだと指でこつこつと叩く。

「そうらしいな……。一の葉は【誠実】、二の葉は【希望】、三の葉は【愛】を表すそうだ。四の葉が【幸運】……その枝折は偶然手に入れたものだが……持て余してな。お前が枝折を無くしたと書いた文字を偶然目にしたものだから、無礼を承知で勝手に本に挟んだ」

突然の話に首を傾げて眉根を寄せる彼女。
当然だ、むしろ怯えないのが不思議なくらいだ。

「三の葉まではお前には必要なさそうだが……」

そう、ここに潜り込んで彼女を見つけた日から、彼女が俺を覚えていないかが気になって遠くから窺い見ていたから知っている。

彼女の身の上の一部を知る俺の目には、なぜそのように平穏でいられるのか、人という種族に(ありがとう)と歪まぬ文字で描けるのか不思議でならなかったけれど……。
どのようにして見つけたのか、彼女はもう持っている気がした……三枚の葉はもう既に。

けれど、四の葉はあっても困らないだろう。
少なくとも、あの日血塗れた暗殺者の前に現れてしまうような彼女には。
瞳を患い、声を失い、血溜まりの中に倒れこんでしまいそうになる彼女には。

……俺と再会してしまうような、偶然の不幸に見舞われるような彼女には……。

この先、彼女が自ら見つけ身につけたのであろう三枚の葉を枯らすことなく咲き続けるのに、それはきっと必要だ。

「四つ目の葉を持つクローバーは、お前が持つのが似合いだ」

(でも、それは貴方が)

何か書きかけた彼女のコンテの端を、彼女の手に触れてしまわないよう注意しながらそっと摘んで押さえる。

「俺には必要のないものなんだ、本当に。もし邪魔なようなら捨ててくれ」

そう告げ、そっとコンテの先を離すとそのまま立ち去りかけ……ふと足を止めて振り向いた。

「それと、この先どんどん陽射しが強くなる。表で長時間立つつもりなら、帽子くらい被ったほうがいい」

彼女は急いで帳面にコンテを走らせているようだったけれど、もう見ずに歩き出す。
関わらず、関わられないことを願いながら、なんとも勝手なことだと自嘲気味に唇を歪めると、また耳鳴りが聴こえる。


『にーちゃ、よつば無いねぇ……』


……遠いあの日に反故となった約束を、彼女を利用して果たしたようなものだ。
なんだか、今日は少し喋りすぎたな……。

『会話というものは大切だぞ、ラニウス。何か話す事で己が見えることもあるのだ、無駄な時間と侮ってはいかん』

何がそんなに嬉しいのか、幸せそうな顔つきでスコーンを割りながら、そう嘯いていた同居人をふと思い出して軽く嘆息を吐く。
全く、随分と影響されたものだ……。

仕事のやる気を削がれてしまった。
今日は夏休みにしよう、誰も来ない場所で喋りすぎた分を沈黙で補わないといけないような気がした。



『にーちゃ、あしたは よつば 見つかゆ?』

あの日、妹に見つけてやれなかった四つ葉のクローバー。
きっと明日は見つかると茜空の下、手を繋いで約束した妹に明日は来なかったけれど……。

……ごめんな、随分と遅くなったけど見つけたぞ。

だから、あの娘にあげてもいいだろう?リュキア………
最終更新:2012年06月21日 01:16