「あら、リッセ。小難しい顔して、どしたのよ?」
午後の二限は受け持ち授業が無いので中庭で昼寝でもしようかと適当な木陰を探していると、同じく空き時間なのだろう、触媒教室に籍を置くリッセがトレードマークの三つ編みを揺らしつつ歩いてくるのに出くわした。
「あ……先生。やっぱり極東とこっちじゃ存在する種族とかに隔たりって結構あるのかな。時々みんなと会話が噛み合わない気がして……」
遥か東に位置する帝国の同盟国である
極東王朝。
世界地図を竜に見立てると尾にあたる巨大な半島、その中央部に位置する鉱山をいただく里の生まれであるリッセであるから、同じものについて語っていても、その捉え方、考え方の違いによる祖語が時折付きまとうのは少し気の毒なのだが、そういった溝をあきらめず日々埋めていくこの生徒がアタシは大好きだ。
「ふむん、今日は何の話をみんなとしてたの?」
にこりと問いかけると、リッセは応じようとして唇を開きかけるけれど、すぐに自身の無さ気な表情でうなだれてしまう。
「どしたのよ、いいから言ってみなさいってば」
「……うん。先生、塩の妖精がいるから海は海なんですよね?」
……しおの……ようせい??
海、海って言ったわよね。……てことは潮の精霊のことかしらね。
確かに潮の精霊は海か、海に流れ込む河口にしか存在しない。
多分そのことを言ってるのだろう。
「うん。間違ってなんかないわよ。というより海だからいるってのが、より正確かもね♪」
満面の笑みで頷くと、にわかにリッセの表情も明るいものになってこっちまで嬉しくなる。
「ですよね!よかった、俺また変なこと言っちゃったのかと思って。そうですよね、塩の妖精がいるから海は海なんですよね。湖との違いがそこにあるんですよね(塩辛さ的に)」
喜色満面でアタシの両手を取ってぶんぶんと振り回すリッセ。
その後ろに控えているリッセの使い魔でもある子鬼の少女が複雑な面持ちなのが気にはなるけど……。
「そうね、彼らはとても高位の存在で、海を海たらしめるものね。海への敬意を忘れて、彼らの機嫌を損ねると大変なことになるしね」
「……(塩の妖精の機嫌を損ねる → 『もう海をしょっぱくしてやんねーよ!べー』 → 海、真水に → 塩が取れない! → 食卓から塩が消えてしまう!?)……それは食卓の危機ですね。なんて恐ろしいんだ」
やにわに顔色を落とすリッセ。
食卓の……危機??
……潮の精霊の中でも気の荒い連中は渦潮の精霊とも呼ばれる。
海の精霊たちの怒りを買えば、いの一番にしっぺ返しをしてくるのは彼らと高波の精霊だ。
怒れる精霊の前には漁師たちが操る漁船など、ひとたまりもないだろう。リッセの言うとおりだ……沿岸の危機は即ち食卓に並ぶ魚介類の危機に違いない。
「……ほんとうにね。荒ぶる自然と精霊たちの前に人はあまりに無力ね。……感謝を忘れないようにしたいわね」
深く頷けば、リッセも真摯な瞳で見つめ返してくる。
二人して無言で頷き合う。
なぜか困ったように渋い表情の鬼子……。
「とにかく、リッセ。なんだかよくは分かんないけど、アンタの勘違いなんかじゃないわ、しおの精霊、つまるとこあんたの地元で言う【しおのようせい】は存在するわ!胸を張っていいのよ♪」
「ありがとうございます!相談して良かった……俺もう一回みんなに塩の妖精を敬わなきゃダメだって言ってきます!」
ぐっ、と拳を握りしめるリッセを頼もしく見上げる。
こんなに力強く世界を守っていく意思を見せる子供たちがいる。
……それは素晴らしいことだ。
「ん、がんばって。応援してるからね♪」
傾きかけた夕日に向かって走りながら、時折振り向きつつ駆けていくリッセの背を幸せな気持ちで見送る。
なぜかリッセの後を追わずにその場に残った子鬼の少女が、クイとあたしの服の裾を引く。
「ん、どしたの鬼子ちゃん」
「……センセ……おしお……たぶん、ちがう……」
あうあうと唇をぱくぱくさせる子鬼の少女に小首を傾げる。
「へ?おしお?……だから潮流の高位精霊でしょ?」
中庭を黄昏色の遮光が横切る中、子鬼の少女のあうあうが止まらない……
最終更新:2012年06月21日 12:43