夏期休暇に入ったことで学生の大半は帰省や旅行に出かけ、今は俺同様に残留する連中と次週より始まるとかいう休暇中の学外実習とやらに

参加する生徒が居残っているばかりだ。

このところ滞っていた"仕事"を進める絶好の機会ではあるが、生徒数が減り動きやすい反面、目立ちやすいというリスクも孕む。


教導師も休暇を取るようだが、生徒と同時に休みに入るというわけにはいかないようだ。
せめてもう少し監視の目が緩むのを待つべきだろう。

そういえば先日の行事の際にも声を掛けてきた、あの鼻の利く教導師は休暇中残留するらしい……厄介な。

帰省や実習を目前に、いつもより浮かれた雰囲気の生徒達の間を縫って歩きながらふと、あれも帰る場所を持たぬ者なのかなどと思考がよぎるが、否と頭の中で首を振る。
あれにとっての家は……いや、どうだっていいことだ。


そろそろ繋ぎを付けておくべきか……報告できるほどの収穫も無く己の無能を告げるようなものだが、前回の繋ぎから随分経っている。
ここが魔道学院という特殊な場所でなければ、あちらから矢のような催促が届いて然るべき時間を無為に過してしまった。
離反を疑われ執行人を送られてもおかしくないほどに……。

すべきことが見つかると少し気が晴れた気がする。
他者の命を積む為に飼われた道具に過ぎない自分が、気が晴れるなんて表現はお笑い種だが、このところどうもおかしい。
ここで怪しまれること無く仕事を遂行するには、道具でないふりをしなければならないから……きっとそれが理由に違いない。
そうでなければ、この自分がこうまで無防備に夜の中庭で倒れていたあの厄介な教導師を消すことに逡巡したりなどするはずが無いのだから……。



まさか娼館に行くなどと書くわけにも行かず、"休暇を無為に過ごさぬ為に……"、いかにも学生らしい理由を添えて1週間程度の外出を届け出ると(面倒なことだが残留する場合、門限はともかく領外へ行くには普段と同様、届けが必要だそうだ)あっさりと受理される。

学院としても休暇中の生徒を拘束する必要はなく、帝国のどこででも成人と認定される年齢の俺を学院が世話を焼く必要も無いのだから、当然と言えば当然だ。


寮に戻ると手早く荷造りする。
元々大したものは持ち込んでいないし抱えるほどのものにはならない。
そのまま出かけようとして、何か書き残すべきかと思ったが、軽く頭を振って扉を後ろ手に閉じる。……屠殺人が書き置きなどと、笑えない冗談だ。

本当に……最近どうかしている……。




外出に際して学院や付属の厩獣舎から乗用馬や騎獣を借り受けることもできるが、曲がりなりにもこの学院の所有物であるから一体どんな呪を与えられているかもしれず、暗殺教団から派遣されたこの身が任務報告の為に乗っていくなどもっての外だ。
学院領と外を隔てる南の関所で、学院から借りた馬を降りて返す。

谷間と湖を天然の堀とした地形を利用して築かれた、さながら要塞の趣の城壁に設けられた門を潜り、警備部隊に身分証と外出許可の書類を提示する。

休暇に入ってこちら、すっかり学生の通過に慣れた受付係はあっけなく外出許可証に押印し『よい休暇を』などと微笑む。
適当に頷いて反対側の門から足を踏み出せば、大陸公路への合流距離と最寄りの都市を指し示す案内板を右手にして、連なる小路。
勘の狂うこの土地とも少しのおさらばだ。


学院領から近い直轄領の街は避け、一地方を間に挟んだ郡国の首府が連絡用の場所として指定されている。
念の入ったことだと思いつつ、その西街区、遊楽街に建つ一軒の娼館の扉を押し開ける。
安酒場と兼用しているようなところと違い、扉の向こうはちょっとした商館の佇まいを宿し、吹き抜けとなったホールにどこから見ていたものか、仕立ての良い服に身を包んだ女将役の女性が奥から姿を現すと、にこやかに出迎える。

「まぁ、これはご無沙汰ですこと」

さすがは客商売といったところか、紹介の無い一見では摘み出す運営を敷いているとはいえ、客達の顔はしっかりと覚えているようだ。
商売人としては結構なことだが、そういった特技は時に命を危険にさらすことをこの女は判っているだろうか。
特にこのような商いであるなら尚更……。

「リューナを頼む」

言葉少なくそう告げ、懐から小さな巾着を取り出して女将に手渡す。
中には5ギア銀貨が2枚、相場の倍の額が収めてある。

巾着の口は開かず、重みと手触りだけで中を察した女将は艶やかに『まぁ、熱心ですこと。リューナが羨ましいですわ』などと嘯くや、暖炉の上に置かれた呼び鈴を鳴らして小間使いを呼び、何事か囁く。

「リューナの用意がございますから、しばしこちらでお茶でも」

小間使いが一礼して退くと女将は一室を指し示す。
誘われるままに進んだ室内のソファに腰を降ろすと程なく先程とは別の小間使いが銀盆にポットとカップを載せて現れる。
無言で注がれた茶の湯気に目をやりながら、ここ最近湯気の向こうにいつも居た穏やかな顔をふと思い出した。

「……不味い」
取り上げて口をつけたカップを興味なく卓に戻しながらぽつりと呟いたのは安物の茶葉のせいか、一人でカップを傾ける時間のせいなのか……。

「お待たせいたしました。用意が整いましたので、ご案内いたします」

控え目なノックの後に少し扉を開いて先程の小間使いが現れる。
頷いて立ち上がると、その背に付き従って二階へと羅紗張りの階段を踏み進む。
最も奥まった扉の前で振り返った小間使いは無言で深々と腰を折る。

「下がっていい」

本来は必要ないが気遣いは無用ゆえ近付くなと、早く立ち去って貰いたい意を込めてそっと銅貨を握らせると、小間使いは少し微笑んで会釈すると廊下を音も無く戻っていく。小間使いが階段に消えた姿を確認すると、ノックもせず扉を開け入る。

「ようやっと顔をお見せだね」

部屋の中央に置かれた大振りな寝台の上で、肩も露に薄衣を着崩して水煙草を燻らせる部屋の主が笑うのが聴こえた。

「"渡り"の奴は随分と腹立ちの様子だったけど……あんた大丈夫なの?」

寝台でしなだれる娼婦の名はリューナ。
情報収集と連絡係として教団の手引きでこの娼館に送り込まれている女だが、女将はその素性など知る由も無く、儲けを出しそうな娘を破格の安値で仕入れた程度にしか思っていまい。

教団によって無作為に全土国から集められた子供達は成長段階においてその頭数を淘汰される。
適性によって使いどころがありそうなら生かされ、そうでなければ廃棄される。
身体能力を認められ適時屠殺人として任務に出される者、中央の役人や神官として平凡な人生を演じながら、ただ情報を集めて送るだけの者など、道具として最適と判断された場所に送られ、使われてやがては捨てられる。

リューナはその外見的長所と生来の社交性を認められ、裏の情報の集まりやすい娼館に送りこまれた道具、その一人だ。
屠殺人が、その目標に近付く為に長期の潜伏任務などを要する際、教団との連絡は場合にもよるが、ほぼ直接に行われることはない。
教団から進捗確認の為派遣される"渡り"の役目を担う者と屠殺人、それぞれを客に取る形で彼女のような者が連絡係として間に入る。

「問題ない」

何を大丈夫かと問われたのか今ひとつ理解できた訳ではなかったが、面倒気に応えると鏡台の前に置かれた椅子の背もたれを無造作に掴み、寝台前に運んで腰掛ける。

「ふぅん……あっちはそう思ってないみたいだったけどねぇ……ま、いいわ。成果は?」

ふっと脇へ向けて煙を吐き出す彼女に向け、懐から折りたたんだ紙を取り出して放り投げる。
手にしたパイプをフラスコに引っ掛け、彼女が紙を開くのを待ってから言葉を継ぐ。

「防備用の結界を支える柱の場所を追加した。構造は比較的一般的なもので破壊自体は困難ではない。これで街の外壁と学院の内壁に設置された物は全て網羅できているはずだ」

紙は学院の見取り図、手製ではあるが専門の訓練を受けているので縮尺精度は高い。
記された印を目で追いながらリューナは首を傾げる。

「前回から追加されてる数の方が少ないじゃない、これだけ?秘匿されてる地下の情報は?」

「依頼が不明確すぎて的を絞れない。地下と言える場所はいくつか捜索したが、今のところ取水口や排水路でしかない。流路を描いて洗い出してみたが不審な空間があるようにも思えない。さらに深部があるのかも知れないが入り口が見つけられない……探してはいるが、いつも邪魔が入って………」

そこまで言葉を継いで違和感を覚える。

そう、これはと目星をつけた場所に近づくと決まって邪魔が入る……入るのだが……誰に、だ?
封印書庫と呼ばれている場所の開錠に失敗し、手を変えて近づこうとした次の夜……、間取り上どう考えても必要でない廊下の奥を調べようとしたあの日……、気配も見せず現れたあれは一体誰だったのか……。

手繰らなければならないほど過去のことでもないのに、それを思い出そうとするほどに記憶に靄が掛かるような感覚……なんだ、これは。

「邪魔ぁ?あんたの動きを気付いてる奴がいるってこと?学院での顔見知りかい?」

不意に口をつぐみ、額に手をあてた俺を不審に思ったのか、リューナが先を促すが、返すべき答えが浮んでこない。

「……いや……わからない」

搾り出す言葉に、はァ?と呆れ声が被さる。

「ふざけてるの?それとも噂どおり凶鳥・百舌鳥はもう使い物にならない屑以下になっちゃったって訳?」

理解の範疇を超える事態に我知らず汗が滲み、蔑む言葉さえ遠く聞こえる。
どうなっている……。

「……全く、あんたほどの腕利きが一人離反者を狩ったくらいで何を揺らいでるってのよ、なんか訳ありの相手だったりした……わけ」

ぐるぐる廻る思考の渦の中、鼓膜を突き破ってきた言葉に瞬時に我に還るや、眼球だけを上げて見据える。『黙れ』と。
スッと細めた瞳から伝わる殺意を察して口をつぐんだリューナは両手を挙げ、はいはいと肩をすくめて見せる。

「口が過ぎたわ。で、どういうことなのよその邪魔が入るってのは?名前はいいからなんか肩書きとかあるでしょ。教導師とか警備隊員とか生徒とか」

紙を寝台に放り出し、再び水煙草のパイプに手を伸ばしながら髪をかき上げた彼女から煙草と香水の入り混じった甘い香りがふわりと拡がる。

「……確か教導師……のはずだ。だがよくは知らん」

不確実な情報は混乱を増すだけなので"思い出せない"とは伝えなかった。

「ふぅん……教師ねぇ。確かにあそこの教師は一流の魔術士だとは聞くけれど……あんたの仕事の邪魔ができるようなのがいるとはね。消せないの?」

カンバスを前にして、映り込んだ景色から邪魔なものをただ視界から排除するかのように軽い言葉。
この世界では当たり前の、命などただの"物"に過ぎない認識から来る言葉。
自分とて同じように使ってきたその言葉に引っ掛かりを感じるのは何故だろう。いつからだろう……。

「可能だろうが、あんな場所だ。騒ぎになれば後が動き難くなる」

返した言葉に偽りは無いが……それだけだろうか。
『あの子供たちを殺すはずじゃなかったのに!殺したくなんてなかったのに!!』そう叫んで哀しく歪んだ碧の瞳の記憶が脳裏をよぎる……。

「そうね……まずはその相手のことを探って見て頂戴。それと、あんたが言うように依頼内容が曖昧すぎるのは確かね。手を増やす?それだけ地下の探索は進むでしょ?」

寝台に投げていた見取り図を手に取り、折り目を元通りに辿ってたたみながら投げられた提案に、もう一度殺意を放って答えを返す。

「余計なことはするな、狩場に別の手が入ればやりにくい。勝手に送り込んだりしてみろ……見つけ次第……」

殺すぞ、と言外に告げる。

「……騒ぎが起これば動き難くなるんじゃなかったの?……別に刈り手を増やそうってんじゃないわよ、探し物に特化した奴もいるんだし……はいはい、わかったわ。もう少しは様子をみましょう」

おっかないんだからと肩を竦めて呟きを漏らす彼女に一瞥をくれると、用は済んだと立ち上がる。

「……あら、帰っちゃうの?」

もう用は無い、そう返すと水煙草をフラスコごと脇机に押しやったリューナは妖艶な笑みで顎を反らし、紅い唇を薄く開く。

「いくらなんでも、まだ早いんじゃないかしら?女将さんに変に思われるわ。ね……楽しんで帰ればいいじゃない」

それに……と呟いたリューナが羽織った薄衣を留める結び目を引くと、シュルリと布が象牙色の肌を滑り落ちる。

「ねぇ、もう一度さっきの目のままで抱いてよ。あれ、ゾクゾクする……」

伸ばされた白い指先が胸元をなぞるのをそのままに、反らされたリューナの頤に右手を添えるように触れる。
期待の眼差しで服を掴んで引き寄せられるままに寝台に覆いかぶさると首を抱きすくめようとした腕を掴んで耳元へと唇を寄せる。

「お前の屍を見透かした目で……か?」

そ、と鼻に掛かった声が耳元でくすくすと笑う。

「………やめておこう。女将に申し訳ないからな」

けれど、そう呟きむせ返る香水の香りが纏わりつくリューナの身体を不快気に押し離すと寝台から身体を起こす。

「……何言ってんの、ちゃんと払ってるんだから何の問題があるのよ、焦らすのはまだいいから……」

ほら、と悩ましげに己の乳房に手を這わし、もう一方の手で手招きする。
むせ返る造られた不自然に甘い匂い……ここは空気が悪い。

「俺と肌を交わした者がこれまで辿った先を知っているか?……そいつらと同じように、お前の血と臓物を撒き散らして汚した寝台と部屋を改装するには銀貨2枚ではとても足りないだろうからな……」


冷えた視線を投げて踵を返し、呼び止める声を無視して部屋を出る。
そのまま階段を降りると、やはり時間が早かったか女将に何事か声を掛けられたが、また来るとだけ言い置いて表に飛び出す。

なぜだろう、慣れきった筈の本来俺が居るべき世界。それがここであり、本来交わるべき連中、それがリューナたちであるのに気分が悪い。



なぜだろう、なぜこんな気分になるのかがわからなくて夏の日差しの下で立ち尽くす。

俺はどこにいればいい?
またあの哀しい碧の瞳が、その声と共に脳裏にこだまする。

『ラニウス……ううん、アル。このままじゃいけない、心を取り戻しなさい。それは失くしちゃいけないものだったのよ、あなたはまだきっと間に合う……』

ウルスラ……ラティア姉さん、どうして俺にあんなことを言ったんだ。
キミの言葉が俺を苦しめる。どうして俺に"考える"ことを思い出させようとする。

教えてくれ、どうしてなんだ。道具に心なんて必要ない、俺にどうしろと言うんだ。

どうしてあの日、俺にキミを殺させたりしたんだ……。

でも薄々気付いている、その答えが分かる日、それはきっと自分が死ぬ日だろう、と……。
使い途のなくなった道具は処分する、それが唯一俺が知る世界だ。
最終更新:2012年06月21日 12:48