幽閉となった身を置く土地を検分しておこうと、手始めにあの面白げの無い庭師とやらが切り盛りするという孤児院を訪れてみたのだが……。
困った……
うむ、困った……
予想に反して静まり返った敷地に拍子抜けしたのも束の間、折角来たのだからと人気の無い小さな馬場程の庭先を横切って無遠慮に戸を押し開けると、キョトンとした表情で出迎えの視線を投げて寄こしたのは机に大量の衣服を積み上げて繕い物をしていた一人の少女。
印象的な大きな瞳で私の頭の先から足元まで視線を数往復させたかと思うと、あの庭師から話しにでも聞いていたのか、こちらの素性に思い至ったらしく驚くべき速さで繕い物を放り投げて床に額づくなり固まってしまい、今とても困ったことになっている。
「…………ふむ、ちと尋ねたいが、そなたと私は初見で間違いないの?」
はっ!と平伏する少女に困ったように腰に手を当て、おおきく首を傾げる。
「ではそなた、一体何に平伏しておる。確かに私は女神もかくやの美貌ではあるが、初対面の娘にかしずかれる謂れもなし…」
「お隠しになられずとも存じ上げております!こ、こ、皇女殿下の御前にこのような見苦しき姿で侍り、ご、ご無礼は平にご容赦を!」
肩の力でも抜かせようとかけた言葉を遮る、間髪いれぬ口上は彼女がそれなりの環境で育ったことが窺い知れる。
「なんじゃ、私と所見でありながら、かつての肩書きに畏まって平伏しておるのか? こんな場所まで飛ばされてきて、ようやっと自由を得たというのに、なんとも馬鹿馬鹿しいことよな」
はぁと溜め息をつくと、折角の美しい金の髪を地面に散らせたまま平伏する少女の隣にしゃがみこむ。
「よいか、娘。私は確かに父に皇帝を持つ身ではあったが、今は地位剥奪の上この領地に幽閉の身じゃ。なんぞ額ずかれることがあろうか」
綺麗に渦巻くつむじを見つめながら「まずは顔を上げよ」と少女の肩に触れると、恐る恐るといった感じに面を上げる。
かつてはこのような応対をされることなどうんざりするほどあったが、皇女の名を失った今となっては滑稽に過ぎる。
「ふむ、私ほどではないが、そなたなかなかに将来が楽しみじゃな」
困惑に揺れる瞳に、ニッと笑みで応える。
「そなたがどこの娘か、一体何をそれほど恐縮しておるのかは私には知る由も無いがの、そなたとて知るまい。……人となりも知らず、知られぬ相手から、ただ肩書きをもって平伏されるのは寂しいものぞ?」
顔を上げたものの小刻みに震えながら固まってしまった娘に苦笑いすると、そのまま地面にぺたりと腰をかけ、胡坐をかいて座り込んで目線を合わせる。
娘が喉の奥でヒッと息を呑むのが聞こえる。
まぁ無理も無いか……。
「そなたが私の溢れんばかりの才と美貌に腰が抜けるほど恐縮するというのであれば、よかろう。平伏も許してつかわす。なれど、の……私を知らずしてそのように平伏されては、私は皇女の名を捨ててきた甲斐が無いというもの」
皇女という身にできぬことを託す為、その支えとなる為に籠から飛び出してきたというのに、それは……つまらぬ。
「殿下がいかなる理由をもってこの地にお下りになられたかは私めには知る由もございません。け、けれど!わ、私は貴族にありながら国と民に対して罪を働きたる一族に名を連ねる者です、私はっ!?」
なにやら必死の形相で言い募る娘、この娘も何か、背負うものに苦しんでいるのがすぐにわかった……。
自ら招いた責任は辛いが分かりやすい。
けれど身に流れる血や、一族、当時の本人には正すべき力が無かったことに起因する責任や、罪の意識。
そういった抽象的でありながら、のしかかる重みは……やはり辛く、もがいても明確な答えは与えられない。
自分で答えを求め、ただ己という道を切り開いていくしかないのだ……私もそうだった……
「わ、私はっ!私の一族はっ!………ふゅっみゅっ!?」
なおも何事か言い募ろうとする娘の鼻を、突然摘み上げてやると面白い鳴き声を上げて目を白黒させる。
「にゃ、ひゃにを……ふぇっ!?」
あまりの事態に脳が追いついていない感の娘は、そのままの状態で喋り続けようとして息が切れたようだ。……面白い。
「つまらぬ話は良い。そなたの一族が何ぞ罪を犯したとして、今更それを聞いた所で私にはどうこうする力はもう無い。あったとしても、ただ訴えられて、おぉそうかと罰しようとも思わぬ。私の前におるのはそなたの一族ではなく、そなた自身だからじゃ」
ようやく静かになったので摘んだ鼻を離してやると、見事に赤らんだ鼻を涙目で押さえる娘。
「仮にそなたの一族に罪があったとして……じゃ。そなたを皇女の名をもって罰すれば、罪は贖われるのか?だとすれば迷惑な話じゃ、皇家はかように便利なものではない。そのようなこと、他ならぬそなた自身が何より理解しておるからこそ、ココにおるのではないのか?」
貴族として生まれ落ちた娘が、孤児院の屋根の下、子供達の服を繕う。
答えを探し、もがくからこそ、そのようにしてこの場所にいるのではないのか?
「それにの……私とて罪人じゃ。皇女の名は否応無く背負うたものじゃが、それでも誰のせいにもできぬ責任というものは負わねばならぬ。なれど、私は己が信じることの為にそれを置いてきたからの」
けれど放り出したわけではないぞ、と笑って見せる
選んだ道がいずれ自分が求めたものに繋がると信じているし、その為に愛すべき者を支える覚悟もある。それでも答えはまだでないから、もがきながら生きて、この罪をいつか清算する方法を探し続ける。私の場合は二人で、だが……。
「よし、ではこうしようではないか。私とそなたとは罪人仲間じゃ」
あんぐりと口をあけた娘の口から、はぁ?と音が漏れる。
うむ、なかなか良い兆候じゃ、これまでも頭の固い連中を切り崩してきた私だ。
それらの者もはじめは、やはりそう声を漏らしたものだ。
「そなたが罪の意識を抱えることを否定はせぬ、けれど同じく罪を感じる私に、お前のは違うと否定するのはやめよ」
覗き込んで語れば、紫水晶のような深い瞳がはっとしたように見つめ返してくる。
「私のものは軽く、己のものはもっと罪深いなど勝手な思い込みじゃ。私にそなたの罪の意識が分からぬように、そなたも私が感じる重みは分からぬ。じゃが、互いにそれと戦っておると認め合うことはできよう。私にそなたの告白を聞いて裁くことはできんし、そなたは私の名によって許しを得ることはできぬ。じゃが戦友にはなれよう」
「どちらが答えにいたる道を早く見つけられるか、競争相手がおってもよかろう。私はルティーナじゃ。そなた名をなんと申す?」
ナイ……そう答えた娘に、にこやかに笑みを返す。
貴族に生まれた娘にしては短すぎる名、偽名かあるいは愛称であったのか。
しかしこの娘が今、名乗りたい名がそれであるならばそれがこの娘の名で差し支えなかろう。
「ふむ、今はそれでよかろう。呼びやすき名じゃし、思いのほか響きも良いしの」
そう言いながら娘の手を引き、立ち上がる。
思わず釣られて立ってしまい、まだ所在無げにする娘の手を握りなおしてぶんぶんと振る。
「ではナイよ、今日の所は堅い話はしまいじゃ。私は喉が渇いておってな。そなたの罪滅ぼしとやらの一環に、茶を所望してやってもよいぞ」
小一時間前には恐縮しか映っていなかった紫水晶のような瞳に徐々に呆れの色が混じる。
なかなかに適応性の高い娘じゃ、リカ並みかも知れぬ。面白い娘を見つけた……。
「何なら小腹も空いておるゆえ、昨夜の残りなど振る舞ってくれてもよいぞ。あぁ……そうそう、私のこの溢れんばかりの存在感に手元が狂うて食器を損なうわ気の毒ゆえ、そなた自信が無くば木椀を使うことも許してやろうぞ」
何やら複雑な表情で奥へと消えた娘を声で追うと、廊下の向こうから敢えて打ち鳴らされる陶器の音が盛大に主張の響きを届けてくる。
……どうやら、本性は気概に溢れた性格らしいナイという娘、この地で最初に見つけた友人が可愛らしくて、つい悪戯心が鎌首をもたげる。
「のぅ、ナイ!ときにそなたこの屋根の下で寝起きするには些か年嵩のようじゃが、あの庭師と良き仲であるのか?あれはそなたの良人か?」
使ってやるわいとばかりに存在を忙しく主張していた陶器の音が無残な破壊音へと変わり、「な、な、な、な!!」と何事か喚き散らす声とともにスカートの端をたくしあげ血相を変えて走ってくる娘を視界におさめながら、どうやら幽閉生活も退屈せずに済みそうだと感じた元皇女は、艶やかに笑んだ。
日が落ち、果樹園の手入れから戻った領主邸の庭師兼、孤児院長の肩書きを持った青年と子供たちの前には「南方風の盛り付け」という名目で大きめの葉の上に盛られた夕食が並び、後日第二皇女個人の紋章が加飾された豪奢な食器一式が届けられることになるのだが、それはまた別のおはなし。
最終更新:2012年06月21日 20:35