金の魔術士の口車に乗り、魔術士を育てる場所とやらに連れて来られて数日経った頃。
『どんな場所か自分で見てみるといい』少し出かけてくるという魔術士が出掛けにそう告げたからという訳でもないが、姿を隠して人間の子らを眺めていると、人目につかぬ広場の片隅で魔術構成を練っては消しを繰り返すおかしな少年を見つけた。

恨みつらみを折り重ねた呪詛の類のようだが、不思議なことに少年が構成を浮かべては消す度、なぜか構成からは攻撃的な要素が失われ、呪詛の用を為さないものへと変貌していく……。

ここは魔力を宿す子供達にその扱い方を教える場所だと聞かされた。
けれど、件の少年が繰り返すその行為は、魔術を創り上げるのではなく……そう、例えて言えばそれは構成を崩すような……。

呪詛とは願いの力だ。
複雑に絡まりあった糸玉のようなそれを再現しては一つ解き、その反動を受けてはふらふらと座り込んで息をつく少年。
日が暮れるまで、来る日も来る日も繰り返される行為の意味が分からない……。






「お前は何がしたい?それでは呪詛になるまい」

呪詛から攻撃的要素を排除する行為を繰り返す少年を隠れて見守ること数日、とうとう私は人の姿を纏って少年へと声をかけた。

突然の呼びかけに振り向き、ぽかんとした表情のまま固まってしまった少年に言葉が通じないのかと眉根をひそめたのも束の間『み…見えるの?』と、か細い声が返った。

「見えているから訊いている。質問に答えろ」

そう言った私に、少年は何事か答えようとしては不明瞭な声で何度も言い淀む。
私の我慢が限界に差しかかった頃、ようやく一言ぽつりと漏らした。

「どうして呪詛なんかがあるのかを知りたいんです」

……言葉の意味が理解できず、ますます苛立ちが募る。

「学長が仰ったんです。呪詛は本来、人を傷つける力じゃないはずなんだって。だから僕、呪詛の本当の姿を見てみたくて、この呪詛から攻撃的な要素を抜いていけば、それが見つかるんじゃないかと思って……」

視線を絡めた両手の指に落とし、少年はたどたどしく続けたが、やはりその内容は要領を得ない。

確かに、呪詛に限らず魔法とは願いに形や力を与える術だ。
呪詛とて豊作や雨を願う人々の祈りが起源であることは私とて知っている。

しかし誰かを傷つける力として顕現した呪詛は、怨嗟の願いが力を持ったものに過ぎない。
嫉妬、羨望、怒り、嘆き、ありとあらゆる負の感情を腹に溜め続ければ妄念となり、意図して外へと吐き出せば呪いとなる。

構成から要素を抜いてもそれは変わるはずもない、ましてこの少年が習作として用いている構成は……

構成というにはあまりに粗雑で乱暴な、対象を憎みその存在を抹消することで己に解放を与えたいという願い・後悔・苦々しさ、そういった感情が凝縮され絡まりあった、禍々しいまでに黒く暗い呪詛だ。

とても原初の『願い』の力に回帰できる構成とは思えない。

「……その方法の先にお前が何を求めるのかは判らぬが、なぜそんな目にするも不快で毒々しく絡まり、乱暴で粗雑な構成を用いてそれを求めるのだ?」

投げた言葉の先で少年は少しだけ目を見開き眉を強張らせた。
けれど、押し黙ってしまうかと思った少年は大きくゴクリと一つ喉を鳴らし、その構成では、と続けようとした私を思わぬ強い語気で遮った。

「……っじゃないと、これじゃないと意味がないんです!!……ご、ごめんなさい。この呪詛が、ほんとは呪詛じゃなかったって、僕どうしても知りたいんです。だから他のじゃダメなんです……」

声の大きさに自分でも驚いたように、少年は困った顔でぎこちなく笑ってみせた。

呪詛を分解した先に何があるのかなど興味は無いが、ただ崩せば良いのならもっと簡単な構成を用いればよいではないか。
もっと負担の少ない--そう口にしようとしたのだが、少年はそれではダメだと言う。

呪詛を紐解いて原初の願いの力がどのような姿であるのかに辿りつけるのかどうかなど、私にはわからない。

けれど、少年が行う行為の先にそれがあるとして、より難度の高いものを持って行うなど不効率極まる。
そんな行為は限られた時間を生きる人にとっては時間の浪費でしかないだろう。
理解の範疇を越える。

好きにすればいい、言い置いて立ち去ろうとしたが--なぜだろう。
禍々しく胸の悪くなるような呪詛式と弱々しくて、か細げな少年との不釣り合いさがひどく気に掛かった。

「あ、あの……僕、セレスっていいます」

『セレスティア・ドナって言います。あ、あの…』突然名乗った少年を訝しく思いつつ歩を止めて振り返ったが、特に何か言い募る訳でもない様子に内心首を傾げて、思い当たる。

なんだ?私に名前を教えろと言っているのか、この子供は?

……勝手な通り名は幾つもあれど、自ら名乗りたいようなものは生憎と持ち合せが無く、本来持っていたかも知れぬ名にはまるで覚えが無い。

そもそも名乗ることに意味など無いと思ったのだが、仔犬を思わせる少年の視線に耐えきれなかったか、気まぐれに最も古い呼び名を答えた。

「リリス--そう呼んだ者もいる」

もういいだろうと、踵を返すと同時に鐘楼の鐘が日暮れを告げて鳴り響く。
少年がまた何か言ったような気がしたが、もはや構わずその場を後にした。
最終更新:2012年06月22日 02:38