「別に責めてるわけじゃないんだ。セレスの父親も、これまで君が狩った他の魔術士と同じく奪い、痛みを撒き散らす存在だった。正直なところ、僕は君に先を越されたに過ぎない」
拳を握り締めて無言で立ち尽くす私に、一つ息を吐いて魔術士はそう告げる。
「長話で疲れたろう、架けたら?」
私に椅子を勧めると、お茶でも淹れようと言って席を立った。
室内に備え付けのポットの底に指先で火を灯し、同じく備え付けの棚から茶器を取り出すと、静かな室内には蒸気を吐きながらコポコポと鳴るポットと陶器の触れ合う音が響く。
勧められた椅子に腰を下ろす気にはなれず、そのまま踵を返して入ってきたのとは逆の扉へと歩み寄り、取っ手へと手を架ける。
「おや、飲まないのかい?」
カップを両手にして執務机ではなく、その向かいに置かれた卓にそれを並べ、いい茶葉なのにと呟きながらソファへと腰掛けた魔術士の問いは黙殺し、背中越しに一つだけ疑問を口にする。
「なぜ責めない。私があの少年の父親を殺さなければ、もしかしたら死に至るまで身を呪詛に浸すことは無かったかもしれない。お前も狩りに来たというが、お前は少年を見つけた。--けれど、私は……見つけられなかった」
もしも魔術士よりも先に少年を見つけていたとしても、何が出来たかなどと自らに問うまでもない。
私はきっと……何もできない--いや、しなかったのではないだろうか。
「僕自身の目的の為、邪魔にしかならない存在に表舞台からご退場願おうと思って来てみれば、既に領主は急死したという。不自然に思って調べてみた結果、僕は彼を見つけられただけだし、彼を救うために特別何かできたわけでもない。もしも君がそうしようと望んだなら、もっと上手くセレスの身体から呪詛を剥がせたかもしれないじゃないか」
顔だけ振り返れば、魔術士は口許からカップを離し、立ち昇る香気を楽しむ風に瞳を伏せ、何が言いたいんだいと呟いた。
「愚かにも魔力を戯れとして再び用いるものが現れれば、それを狩る。それが私が私に課した誓いだ。けれど、それはいつも災厄がもたらされてより後にしか果たせない。私は人の災厄を退けたくてこんなことをしているわけではない。ないが……」
--災いが地に満ちてから狩るとて手遅れぞ--
--いつまで続けるのかえ?終わりはあらぬぞ--
遥か遠い日に投げられ、自分自身が退けた問いが脳裏に響き唇を咬む。
……やはり、間違いだったのか。
「何が最良だったかなんて、過ぎた今となってはわからない。ただ、今よりもマシな何かを期待して縋りつく妄想でしかないだろう。もしも、やり直すとしてどこまで遡ればいい?」
カップを卓上に戻し、ソファに深く身を沈めて足を組んだ魔術士の瞳が薄く開かれる。
「君がセレスの父親を手にかけず、彼に引き取られればセレスは幸せだったのかな」
それとも……と、魔術士は続ける。
セレスの母親が息子に行き場の無い呪詛を向けてしまう前に、彼女にお前は息子を殺す気なのかと、その無知を罵倒すればセレスは満足だったろうか。じゃあ母親は救われなくて良いのか。
いや、さらに遡ってセレスの母親が領主たる父親に奪われなければ良かったのか、その前に僕か君が父親を排除すれば、母親は幸せな人生を歩み、その他の領民たちに嘆きが降り注ぐことも無かったのか。
セレスは生まれてきたことが間違いだったのか。
もっと遡ろうか、と魔術士は言葉を継ぐ。
君が今抱えているその気持ちのままに、かつて選ばなかった選択肢を選んでいたら、世界に人は無く、悲しみもまた無かったのだろうか。
では人は、……セレスはやはり生まれて来るべきでは無かったのか。
チガウ……チガウ!
魔術士の言葉に、内心でそうじゃないと駄々を捏ねるように何かが否定を撒き散らすけれど、代わりに言葉とする適当なものが見当たらずに葛藤ごと喉の奥へと飲み込む。
「君も、かつての選択が間違っていたと、それを後悔するべきなんじゃないかっていう自分の中の声と、ずっと闘っているのかい、リリス」
肩越しに見つめてくる魔術士の視線。
問いには答えず、扉を押し開けながら、ふと名を告げてきた少年を思い出す。
「……名を訊かれたら何と答えればいいのだ。その呼び名は聞くのも呼ばれるのも好まぬ」
セレスティア・ドナ。
誰が少年に与えた名だろうか。
母親に腹の内に在るより呪われてしまった少年の名としては、それはあまりに残酷で、あまりに悲しいではないか。
『天からの贈り物』だなどとは。
同じく旧き言葉で『夜を歩くもの』という名を刻まれ、それを憎みながらも問われて他に応じる名のない身を自嘲して、思わずついてでたそんな言葉だったが、魔術士は事の他、間を置くでもなく返事を寄こしたのだった。
「あぁ、それなら--ステラっていうのはどうかな」
提案された仮初めの名に、小さく鼻を鳴らすと扉の隙間へ身を滑らせ、半身振り返った扉の向こうで何が楽しいのか笑顔を湛える魔術士へと冷ややかな視線を投げる。
「ステラ?……ふん、星か。夜にしか存在できず、月に劣る光しか持たぬ--私には似合いの名だな」
少し驚いたような表情をした魔術士はすぐに私の閉じた扉の向こうへと消え、踵を返した私は階下へと続く冷たい石段を何処へとも無く一歩二歩と進みながら、ふと魔術士が先刻口にした言葉を思い出す。
『後悔するべきなんじゃないかって声と--』
……私、も?
何か引っ掛かりのようなものを一瞬覚えたのだけれど、その時の私はそれ以上それを考えることなく、すぐに忘れてしまったのだけれど……
最終更新:2012年06月22日 02:42