セレスティア・ドナという名の少年、その父親を私がこの手にかけた事実を聞かされたことで、少年の削られてしまった命に責任を感じてしまったという訳ではけっしてないものの、ふと視線があの少年を探してしまっている自分に気付く。
敷地内に四棟屹立した塔を住処とする子供たちは、皆一様に日が昇れば揃って別の建物の中へと入り、日が中天を過ぎ傾きに向かい始めた頃になると、ぞろぞろと住処である塔や敷地内に溢れかえる毎日を繰り返している。
午後に再び子供達が溢れかえる合図となる鐘が鳴ると、中庭の奥まった一隅に顔を出し、あの少年が一心に呪詛の編み目をほどく様を眺めた。
少年が母から受けたという呪詛。
それを形づくる無意識に編みこまれた一つ一つの糸は、それ一つが嘆き。
それ一つが悲しみ。それ一つが憎しみ。それ一つが悔やみ。
毟れば毟るほど、編み目を解けば解くほどに、それが形づくられた瞬間の母親の感情……それは衝撃となって彼の心にも届いている筈なのだ。ほどいた衝撃によろめき、ときに地面に手をつき、肩で息をついてはまたそれに立ち向かう、か細い少年。
こんなことを始めさえしなければ、それは漠然とした母の心の病がもたらした悲しいすれ違いと思っていられた筈なのに。
それはきっと悲しくて、それはとても痛くて、胸にいくつも鋭い破片を突き刺すかのような、小さく身じろぐ心の臓を鷲掴みにされ圧迫されるかのように身を削る行為の筈なのに……
どうして耐えられるのだろう……
目を背けていればよいのに。
母親がそうしたように、もう忘れて生きればいいじゃないか。
まして少年は……
それを知るか否かは知る由も無いが、魔術士の言を信じれば、余命いくばくもないというのだから……
それでも少年はただ一心に、母の呪いと向かい合うことをやめない。
その先に何を望んでいるのかが私にはわからない。
けれど、少年にとって確かに望む何かがあるはずだと信じている……
その一念が少年を生かしているというのだろうか。
その為だけに残り少ない命を燃やしているのだろうか。
編み目を解くほどに、何枚も重ねられた包み紙を開くほどに、少年に返る衝撃は強いものになっている筈だ……
雑多な編み目もあれば、時に一際深く太く重いものが混じり、その負荷は少年はよろめかせ、その一本を解くので精一杯となる日が続くようになった。
地面に膝をつき、喘ぎながら空中に留まる構成を見上げる少年。
怨嗟を閉じ込めた黒い繭。それでも手を伸ばそうとする少年。
どうして……もうやめればいいのに……もう諦めればいいのに。
そうまでして……ったら?
……やっぱり繭の中には何も無かったら?
-確かに負荷のかかる行為だ。でもセレス自身がそれを望んでいるから。……それにね、僕もセレスの信じるものを信じているんだ。きっと意味があることの筈なんだ、彼にとっては-
魔術士の言葉の意味はやはりわからない……でも………
「闇雲に解いてもダメだ」
少年を眺める為に姿を隠して腰掛けていた梢から衝動とともに身体を押し出す。
空中から湧くように姿を現し、ふわりと大地を踏んで少年へと近付く。
……私は何をしている。
「……あなたはこの前の--い、今どこから?」
突然現れた私を見て、息を荒げたまま目を瞬かせる少年--セレス。
投げかけられた問いは黙殺しながら少年の傍らに立ち、浮かんだ構成、黒い繭の一点を指し示す。
「抜きやすいところから抜いてもダメだ。こういう編み目の要を抜いて負担を軽くしないと……身体がいくつあっても足りん。それに……お前は無防備すぎる」
「む、むぼう……び?」
喘ぐ小さな声に無言で頷く。
「構成を解く反動--相当な苦痛の筈だ。防御壁も作らずに全部まともに受けるなどもっての外だ」
なぜこんなことを話しているのか判らなかった。
ただ一つ確かな感情--腹立ちだ。
なぜ痛いと言わない、なぜ自らを楽にするやり方をあの魔術士に教わらない。
「あ……ごめんなさい。ぼ、僕その……自分でも思いついたままにやってて……何をどうやったらいいかなんてわからなくて……ごめんなさい」
セレスの応答に何かが腑に落ちる。
そうか--自分が何をしたいかはあるけれど、その為の方法が判らないのか。
自分がしてることが判然しないから、訊ねることも定まらない。
思わず馬鹿めと呟きそうになってそれを飲み込む。別に少年を罵りたいわけではない。
「……ふん、そうは言っても今のお前に編み目の解きと障壁の両方は無理だろうな」
か細い身体をじとりと眺めれば、視線に怯えたようにうな垂れる少年。
「壁は私が作ってやるから、お前は編み目をよく見て抜くべき点を探せ。……もしも違ったら私が教えてやる」
どうしてそんな言葉が出たのか……自分でも良くわからない。
けれど今の少年にはそれが必要なように思えた、ただそれだけのこと。
「……え? で、でも……どうして」
別にそれは私でなくたっていい筈なのだけれど、たまたま私には無限とも言える時間があり、魔術構成を細部まで見る瞳があり、少年に返る呪詛の反動を遮蔽する壁を作ることができる。
あの魔術士とて同じようにできるのかもしれないけれど……
「知るか、私の目の届くところで飽きもせず毎日毎日消耗しおって……」
どうしての答えを私自身が持たないからそんな言葉しか思いつかない。
少年が口癖のようにしている『ごめんなさい』を封殺するように言葉を続ける。
「しかしお前にとってコレはやらねばならんことなのだろう?……ならさっさと始めるぞ。謝罪など口にする間があるなら、まず黙って息を整えろ。続きはそれからだ」
この日からセレスと私は、奇妙な共同作業で夕暮れ時までの時間を共に過ごすようになった……
最終更新:2012年06月22日 02:48