母親からその身にかけられた呪詛を紐解き、その根源に自分の誕生を祝福した母の想いと、呪詛そのものがその祝福のままに良い母親たりえなかった己を認められないがゆえに、潜在魔力を身に宿していた母親が無意識に紡いでしまった産物だったと知ることで、望んだ願い、己の存在理由に納得するに足る答えを得たセレスは、その翌日から高熱を発し床につくこととなった。
わたしは姿を消し、自身のねぐらである塔とは別棟の建物に収容され、看病を受けながら眠るセレスを窓の外の梢から見守った。
あの呪いを解いた日、確かにセレスは震える身体を私の腕に預けながら、そこに見たものに満足した顔で力尽きて瞳を閉じた。
けれど……セレスが何に満足できたのか、本当にこれで良かったのか、私にはまだわからない。
魔術士は私に"それ"が命を削ってでもセレスがしたいことだと言った。
人にとって、"したい"こととは何なのか、何に意義を見出して短き生を重ねるのか……。
私の理解が及ばないのは、きっとそれなのだろう。
それは私が、私自身の存在理由を知り得ないからであるのかもしれない。
己が造られた理由は知っている。
己が倦んだ精神を抱えながら眠りにもつかずにいるその理由も知っている。
眷属と交わしたる約束を果たすため……。
その約束は私を造り上げる過程で、異なる世界・時間・場所から喚びだした異形の力ある魂たちをこの世につなぐ為、与えられた贄。
その肉を器とする為、魂を蹂躙され、引き裂かれた娘の残滓が私の中で叫んだ願いに応えてやろうなどと思ってしまった為に交わした果てなき狩りを続ける誓い。
魔力を人が取り戻すことがあれば狂える魔導師どもの轍を踏ませぬ為に…
私たちをタスケテと叫んだ娘の魂の声に報いたくて…
私とあの娘から造られた棺で眠る"娘"たちをせめて穏やかな夢の中においておきたくて…
その為には魔力を痛みと苦しみ、自らの誇示と愚かな好奇心を満たすためだけに振るう者たち--かつての魔導師たちと同じものになりうると思った者たちをこの手で屠り続けてきた……。
あのセレスの父もその中の一人。
それは私がすべきことで、したいことだと……そう思っていた。
造られたその目的を否定し、創造者たる古の魔導師どもを灼き滅ぼした。
魔力を持つに至らなかった魔導師たちの家畜たるヒト、彼らを世に放つことを選んだ私にとって、今やそれだけが存在する理由……いや責務なのだ……そう思ってきた……。
でも、と私の中の誰かが囁く。
それは本当に私のネガイだったのだろうか。
生まれたのではなく、世界に迎え入れられたのでもなく、ただ道具として造られた存在であることを理解しながら、それに抗いたくて、別の誰かのネガイを自分のものとすりかえることで、自分自身に存在する価値を見出したかったのではないのか。
ヒトは魔導師たちのように悲しみを撒き散らすだけの存在ではない、それが証明できたら、私たち魔導師の遺産である冥魔も悲しいだけの存在ではないのではないだろうか……そう思わせて欲しくて。
自分では信じきれないから、誰かのネガイを肩代わりして誤魔化してきたに過ぎないのではないだろうか。
それはあの娘の…
それはあの弱き人々の…
それはヒトの精気を吸い、害することでしか存在を保てぬことを私の前で嘆き、自ら陽光に抱かれ消滅することを望んだ私の最も近しき眷属たちの…
痛みを撒く存在を狩り続ければいつかはその答えが見つかると……
でも、それは本当に正しくて、本当に私の求めるものだったのか。
もし私がそれを全うすることができていれば、もっと早くにセレスの父を狩り、魔術を痛みを撒く道具として用いることを許さなかっただろう。
きっとセレスの母が、無意識にあれほどの禍々しい呪詛を紡ぐほど心を病むことは無かったろう。
そして……セレスはこの世に存在しなかっただろう。
いつか魔術士が私に語った言葉が耳朶を打つ。
母から疎まれ、命を蝕むことは無かったかもしれない、でもそれはセレスにとって本当に幸せなことなのか。
……欺瞞だ、存在しないものの幸不幸を問うことなど誰にもできない。
この問答に答えなどない……それが私があの金の魔術士に返した言葉。
でも、セレスは答えを見つけた。
私には理解が及ばないけれど、セレスは自分が生まれてきたことに一つの答えを得たのだろう。
あんな一瞬の、ほんの一時の母親の祝福が、セレスの何を救えたのか、今も私にはわからない。
けれど間違いなくセレスは、あの魔術士の言葉を借りるならば、したいことの果てに望んだものを手にしたのだろう。
……でなければ、あんなに安らかな顔で眠れるとは思えなくて。
私は窓の向こう、青白く血の気の失せたまま瞳を閉じるセレスの顔を、ただずっと眺めていた。
私が狩るべきだった痛みの種、私が薙ぐ命を狩る爪から零れた痛みが生んだ子、セレス。
彼が痛みの向こうに一つのネガイを果たし、安らかに生を終わりへと向かって強く強く進む輝く姿を見てしまった私は、途方にくれているのかもしれない。
私は……これからどうすればいいのだろう、と。
この先も迷い無く、これまで振るってきた爪で狩りを続けていく揺ぎの無い自信は、今はもう無かった……。
……目を覚ませセレス。
お前が見つけたものを私にも教えてくれ……私は…どうしたらいい。
それから五つ夜を越え、六度目の朝陽が窓から差し込む中、セレスは目を覚ました。
さらに七つ夜を越えるとセレスは回復し、寝台から起き上がるまでになり、あの中庭で私の名を呼んで歩いたけれど、私はそれに応えることはしなかった。
窓の外から投げ続けた問いの答えを知りはしたかったけれど、セレスの前に姿を現せなかった。
あの中庭での二人の作業が終わった今、もうセレスに私がしてきたこと、私がセレスの身に振りかかった不幸に、いかに関わっているかを黙し続ける言い訳を失ってしまったから。
私はバケモノ、冥魔の頂点にして、魔術士を狩る災厄の夢幻の魔女リリスだ。
この先の身の振り方、それ以上に私は怖かった……あの鳶色の瞳が、私を映して歪むのを見つめることが。
最終更新:2012年06月23日 01:25