意中の女性に花冠を贈るという春の祭りに沸く大路を横目に見つつ、人ごみを縫って歩く。
十年以上も続いたカージナル大公領との内乱に続いて、その後の若き女帝の即位を巡って繰り広げられた新たな内戦によって国土を著しく疲弊させたというのに、花で飾られた輿を担ぐ人々とそれを見物する人々の顔は明るい。
宮廷とは隔絶されて育ったという出自ゆえなのか、気取ったところのない、それでいて大陸史に響き渡る高祖皇帝の血流をひしひしと感じさせる聡明さで、ひた向きに女帝が推し進める政策は、国と民の生活を建て直すことに主眼が置かれ、貴族の受けは悪くとも民からの支持は高い。
その膝元であるからだろうか、帝都に暮らす人々は、日に日に安定を取り戻す国を……自らの生活に未来を感じることのできる毎日を体感として受け取って、地方にあっては未だ不穏分子の種が埋伏する女帝を支えるかのごとく、活気で応えているかのようにも感じる。
私が生まれた高地王国にも祝祭はあったけれど、こんな風に町人も神職も武官も文官も……最高主権者である皇帝本人すらも楽しもうとしている祭りなどは存在しなかった。
より身分制度の厳しい私の祖国で最も重要とされる祭典は、古き格式を重んじる王家がかつて王冠を得た日を祝うもの。
祖父によれば、それは本来別の土地に起居した遥かな祖先が争いを忌み、放浪の末にたどり着いた断崖に囲われた土地で、それを哀れに思った竜神によって飛竜を預けられ、国を築くことを許された感謝を忘れぬ為の祭りであったという。
けれど、いつしかそれは大陸史上最古に記録を遡る王家の存続と、その血筋の繁栄とを祝うだけのものへと変わり果てたという。
貴族たちにとっては何をどれだけ貢いだかによって己の家の繁栄を占う為のものであり、その為に国民の財は搾取される。
民にとっては、多くを奪って行く貴族と王家とに平伏し、祝うことを強要されるそれは国事であっても祭りというには、ほど遠い。
彼ら自身の息抜きとなる祭りといえば、少ない収穫を喜び、太陽に感謝を捧げる収穫祭程度。
言うまでも無いが、それらを支配者階級が共に楽しむことなど有る筈も無かった。
ここは何もかもが故郷とは異なる……どうしてだろう。
確かにここは疲弊したとはいえ、高地王国とは比較にならぬほどに肥沃で広大な版図を持ち、海にも面して大陸の主要商路をいくつも押さえた豊かな国家だ。
けれど、それが全てだろうか。
祖国の人々の暗く俯いた顔を思い出す。
生活が困窮し、日々を食い繋ぐのもやっとであれば、気持ちにゆとりは無くなってしまう。
けれど帝国民とて、ほんの少し前まではそのように逼塞した生活を強いられていたと聞き及んでいる。
急峻を擁した山々に囲まれ、農耕地といえば岩地の合間の小さな土地を棚田にした場所がほとんどの故郷。
それでも補えない分は、山から産出される鉱石を売って外から求めるより他にない、産出力に乏しい高地の小さな王国。
いかに格式高く古い血を継いだ民族であろうと、飛竜とそれを乗りこなす技を伝え、他国の侵略を許さぬ強力な防衛力を有していようとも、それが民を富ませることはない。
竜神が残した加護の力は、この帝国に比すれば小さな領土の内にのみ働いており、かの力をもって国土を増やすことは望めない。
けれど、それでも良かった。
飛竜の存在は高地王国にとって堅固な盾であり、帝国と東部列強双方に版図を接しようとも、迂闊に併呑など狙えば手痛いしっぺ返しを受ける国として一目置かれてきた。
矛としての力では無く、帝国に対する北端の守りの要として期待され、列強三国に比する待遇で同盟に招かれたことは軍事面よりも通商面において高地王国を利することとなった。
そうやって築かれた祖先たちの努力により、領土は戦火に見舞われることも無く、人々は短い農耕期を勤勉に働き、長い長い時間をかけて少しずつ蓄えを増やし、慎ましいながら飢える事も無く、家族と笑って過ごす事が出来ていた筈なのに……。
他国に比べて貧しかろうと、私たちはそれで満足だった。
しかし、同盟国の王宮へ招かれるたびに自国には無い華やかさと富とを見続けた王は、いつしかそれを羨望し、本来自らが享受できた筈のものを不当に失っているのではないか、そう蒙昧するようになってしまった。
王は飛竜がもたらす加護の外たる土地を求め、軍を度々国外へと……帝国の領土へと派兵し始めた……。
度重なる戦費を賄う為、長い時をかけて蓄えられた民の富は削られ、次の年に撒く種にさえ困るようになるまで、そう何年をも必要としなかった。
そんなことを繰り返し、故郷の民からは徐々に笑顔は消えていってしまった……。
こんな風に、息抜きであった祭りを心から楽しむことも忘れてしまった。
内戦で疲弊した帝国から、火事場泥棒よろしく僅かばかりの土地を得ようとも、それを維持することは難しく、本国から険しい山をまたいで離れた土地に基盤を築くだけの余力も時間も無いまま、また奪い返される。
そんな不毛な争いを繰り返すのに業を煮やした王は……とうとう、飛竜に遥かな昔に約定によって引かれた境である霊峰を越えさせることを思いついてしまった。
思い留まるよう、幾人もの道を知りたる重臣が反対をしたが、王は聞く耳を持たなかった……。
平伏しつつ、道理を説いて諫言する祖父と父の後姿と、それに降り注いだ王の言葉を今も覚えている。
『彼の地に我が国の新しき礎となる土地を得てしまえば、もはやこのような貧しき土地に閉じこもっておらずとも良いのだ。竜神の約定とて真か否かも知れぬ、たとえ真であろうとも、彼の地を得て国力を倍することになれば、もはや飛竜の加護は無用の物となり、ひいては民も富めるのだ』
国を富ませるという観点に立ったとき、王が国を導く一つの政策としてあれが正しかったのか否か、実のところ今も私にはよく分からない。
けれど、諫言の過ぎた祖父は王に疎まれ、謹慎を言いつけられた自邸にて自ら命を絶ってまで王の企てに意を唱えた。
祖父の死は、さらに王の不興を買い、一軍を預かる身でありながら祖父と同じく王の唱える飛竜の派遣とその後の展望に懐疑的であった父は、飛竜騎士団に籍を置いていた私を呼び戻し、苦渋に満ちた顔で私に軍の脱走と帝国への亡命を命じた。
高地王国の侵攻計画を帝国に明らかにし、防備を固めるよう通じよ……。
いかに飛竜をもってしても、第一撃を加えて確保すべき橋頭堡が得られなくば、派遣しようが無い。
奇襲さえ防ぐことができる体制を事前に帝国が備えることができれば、王とて虎の子の飛竜を分の悪い賭けに出すことを思い留まらざるを得ない……と。
軍人にとって、いや高地王国に生を受けた者として、これ以上の無い売国行為である。
けれど父は、王の野望は遠謀あらず、現国力によって例え一時、飛竜の力をもってして帝国領土を奪うことができても、これまで同様それを維持し自国に組み入れることは不可能だと私に説いた。
飛竜を失うことになれば、高地王国が東部列強の中で独立国として存在を許されることも無くなる。
父はそう語って、私に"祖国の未来を守れ"そう命じた……。
幼少時から断崖峡谷を縫って自在に飛翔する飛竜と、それに跨る父にただただ憧れ、女だてらに竜騎士となった私には、父が語る国の在り方など半分も理解できなかったように思うが、飛竜のいない空を想像することができなくて、尊敬した父の命に背を押されるようにして軍を脱走した……。
事が露見し、父を処刑した王は竜騎士の部隊に私を追わせ、名実ともに故郷には私の帰る場所は無くなった。
追手に囲まれた私を守ろうと、檻を破り飛んできた騎竜の最期の鳴き声が耳の奥で聴こえたような気がして、ふと物思いの淵から我へと返る。
いつの間に三の郭まで抜けたのだろうか、眼前には城外の農耕地が広がり、まだ青い苗を揺らす畑は遠目にも畝の土色を覗かせていた。
そんな中、土地を休ませているのか耕し返されておらず、緑の下草に覆われた中に、白と黄色の小さな花を一杯に咲かせた土地の一角に寝転ぶ見知った人影を見つけ、柵の切れ目から自らも閑地へと入り込む。
「お前は……またこんなところで油を売って……。仮にも侍従衛士がこんなところで寝転がっていてどうする。陛下が探しておいでだぞ」
「ただでさえ騒がしいのは苦手なんだ。もう帝都であいつを狙って事を起こすような輩もいないだろう。元々アマリーズとは内乱を収めるまでって契約だしな」
見下ろした人影は、鮮やかな赤い髪を緑の絨毯に埋め、日よけに顔を覆った腕を払おうともせずに眠たげな声で応じてくる。
あの日、騎竜の亡骸を埋葬することもできぬまま、傷だらけで命からがら国境を越えようとしていた私を助けた男。
いかなる巡り合わせか、彼は新たに即位したものの継承権の正当性を巡って内乱の最中にあった現皇帝と面識を持ち、高地王国の動きを探る為に皇帝アマリーズが派した人物であった。
私の持ち込んだ情報は彼を通じて女帝へと伝わるだけに留まらず、直に口上を許された上、彼女は私の手を取り、父が下した決断に敬意と謝辞、その死に哀惜を表した上で、高地王国と防衛以上に争うつもりも、余裕もないと明け透けに語って聞かせた挙句、国を裏切った亡命者にこう告げた。
『新たに跨る竜を用意してはやれぬが、安月給でよければ雇われる気はないか?』……と。
帰る国も無い身の上、紆余曲折の末に彼女の一兵卒として内乱の鎮定に協力することとなったのだが……。
命の恩を返した後は、どこかに身を退こうと思っていたというのに、目の前の男の姦計に嵌められて何の因果か、今や帝国の第四軍を預かる将だなどと、笑い話もいいところだ。
人手不足とは言いつつも、内乱の鎮圧を進める中、賢帝の兆しを見せ始めた若き女帝の周りには人が集まり始めている。
そんな中、よりにもよって敵国生まれの者に軍を預けるなど、他の幕僚が異論を唱えるよりも早く私自身が反駁したというのに……。
『そんなに気になるなら出身地など黙っていればいい』
異口同音に言い放った女帝と、この男のせいで私の異論は黙殺され現在に至っている。
一方で、私をこんな立場に担ぎ上げた張本人は、まだ貴族・反乱郡国に対して劣勢を強いられていた時期の女帝に従い、その兵を率いて上将軍にも匹敵する働きを遂げたというにも関わらず、未だ女帝の私的な警護武官の地位に留まっており、この国の中枢において蔓延る唯一にして最大の不公正の象徴と、私は常々感じている。
『黒衣の竜槍将軍アイナ=フォリウス、なかなかどうして立派な響きじゃないか』
そう私に嘯く男は、女帝の名を気安く...こう言ってはなんだが、ぶっきらぼうに呼び捨てることで、自分は帝国皇帝ではなく、アマリーズ・アランシアという人物と個人的に協力関係にある、そう頑なに己を定義することをやめない。
男が女帝に協力するに至る以前の半生を、人伝てに聞いてしまった今となっては、それも無理からぬ仕儀と思えなくも無いのだが……。
この男もまた、私と同じく……いや、帝国にとってはより深い意味を持つ、"裏切り者"と"英雄"という、あまりに簡単で都合よく、残酷な言葉の狭間で身をすり減らしてきたに違いなく、名をどこにも刻まずにいたいという願いを褒賞代わりとして女帝が報いたい気持ちも理解できる。
それほどに、現帝国にとって重い十字架であるのだろう。
カージナルという名は……。
じっと立ち尽くして見下ろしていると、顔を覆った腕を少しずらし、うろんげに見上げてくる瞳を一瞥して別にと首を振る。
実のところ、まだ己が他国人だという僻み根性が抜けきらない身にとって、やはり祭りの日というのは少しばかり居心地が悪い。
私自身も思考に逃げるようにして、郊外に出てきてしまった感は否めず、内心で逃亡仲間を見つけたようなホッとした気持ちもあって、すとんと男の隣に腰を下ろす。
「一通り話には聞いたが、この祭りは男が花冠を編むそうではないか?私の生まれ育った場所では有り得ないことだが、もしかしてお前も編めたりするのか?」
どうやら無理やり自分を主君の元へ連れ戻すに派遣されて来たのではないと分かったのか、腰を下ろした私に何か言葉をかけるわけでも、そそくさと立ち去るわけでもなく昼寝を再開しようとする男の隣で、生い茂った緑の葉の間で咲く白い花を指先でつつきながら話しかけると、欠伸混じりの返事が返ってくる。
「……さぁ、義理の姉が居てな、子供の頃は半ば無理やり作らされたもんだけど、多分もう忘れたな」
戦、いくさの青春時代でな。
揶揄するように小さく笑ってそう続けた男に、青春時代ね……と相槌を打つ。
「なるほど、長い戦乱さえなければもう少し可愛げのある大人になれただろうに、残念だな」
「うるさい。お互いさまだ」
つまらない軽口を叩きあいながら、伸ばした手で花のついた茎を長めに数本摘み、束ねてはまた手近の花を摘んで束ね上げていく。
「手作業というものは案外と憶えているものだぞ。あれだけ慕われているのだ、日頃の怠け振りの詫びとして、陛下に一つ作って差し上げたらどうなのだ?」
それ見ろと言わんばかりに、一丁編み上げた花冠を指先に引っ掛け、男の鼻先に揺ら揺らと吊り下げてみせる。
瞳を見開いた男は、少し身を起こすと草の上で片肘をついて、即席の花冠を私の指から摘みあげると、出来を確かめるようにくるりと一周眺めると、ほぉと口の中で呟く。
「驚いたな。まさかお前が花冠を編めるとな」
「馬鹿にして貰っては困る。私とて少女の頃から槍だけ握っていたわけではないぞ。十年振り以上にしては上等な方だろう?」
心底真面目に感心して見せるので少しムッとして応酬すると、それは失礼と答えながら男は身を起こし、からかうように私の頭にぽんと冠をのせて返す。
「なんだ、良ければやっても良いのだぞ。なんならお前からだと陛下に手渡してやろうか?」
からかうように言い募ると、にやっと男が笑う。
「花冠祭で贈られる花冠には色々と意味があってな、最近ではいかに己の編んだものであるかを主張する飾りを一緒に編みこむのが流行りなのだぞ。野の花だけで編まれたものは逆に珍しいだろうな」
そうなのか?と問うと、男は胡坐をかきながら、そうなんだと鸚鵡返ししつつ言葉を続ける。
「そもそも花冠祭りってのは……まぁいいか。論より証拠というしな」
男はニヤッと笑うと、草叢に腰を下ろしたままの私に手を差し伸べる。
「よそもの同士とはいえ、幸いにして俺は帝国育ちだ。不案内な竜槍将軍殿に、花冠祭の楽しみ方を教示しようではないか」
少年のような眼差しで見下ろしてくる男の顔を見上げ、二度三度と瞬きすると、小さく息を吐いて応じる。
「......小銭しか持ち合わせはないぞ」
「なんだ、期待外れか。ま、それならそれなりの楽しみ方もある」
おずおずと差し出した私の手を取った男は、身を乗り出した為に私の頭から滑り落ちた花冠をもう一方の手でひょいと掬い取る。
手の中の花冠をもう一度くるりと一瞥した男は、己の肩口で布地を抑えていたブローチを無造作に引き抜くや、花冠の側面へとそれを手挟むと、私の頭頂へポンと載せなおした。
「お、おい...コレは、このままで行くのか?」
いい歳をして花冠を頭に載せて歩くのには抵抗がある、こっちは鎧姿なのだぞ、それになにより...
「花冠祭だからな。ソレ...失くすなよ」
小さく身じろぎした私の抵抗は意にも介さず、男は私の手を引き街へと続く道へと踵を返す。
主君にして大恩ある女帝が、眼前の男に対して抱く想いを知っている私は、その手を振りほどくべきであったのだけれど...引かれるままに男の後を追いながら、なぜかそうできずにいた。
花冠の甘い薫りに当てられでもしたのだろうか。
鎧を纏っていて良かった。
不覚にも胸当ての下で高鳴った鼓動は、鎧と近づいてきた街の喧騒とが隠してくれるだろうから。
最終更新:2019年05月06日 23:05