攻城魔術教室所属の数人による、小隊術式展開の手順確認練習によって暴発した準制圧級対陣魔術暴発事故による被害報告書に目を通し、ノエイン主任教導師による顛末書に添付して、総寮母としてサインを記す。
細かな字の書類確認をようやくに終え、眼鏡を外すとトントンと肩を叩く。
正規の発動を行うための人数が揃っていなかったことや、そもそも発動を目的としない手順確認の偶発的発動による事故だったおかげで、発動範囲も威力も極小であり、人的にも物的にも大きな被害は報告されなかった。
進級や専攻教室の移動の伴う春には十数年に一度ではあるが、似たようなことが起きる。
もっとも、極小威力だろうと瞬間的にとはいえ稲妻を発動させたことに違いは無く、発動点が生徒が溢れる昼休みの校庭だったことを考えると、大きな怪我人が出なかったことは、本当に僥倖といっていいだろう。
後になって報告にノエイン教導師と共に訪れた当該の生徒達の青ざめた顔を見れば、教導師からの訓戒以上に眼前で制御を失った魔術がもたらした、無垢なる破壊の力にはそれぞれ感じるあったろうことが窺い知れた。
事故など無いに越したことはないが、それを目の当たりにしたことについては、魔術士を目指すものとしてこの際、是非とも糧にして欲しいものだと思いつつ、すっかり冷めてしまった紅茶のカップを乾すと、執務机に置かれた各部門からの報告書、その一部とともにクリップで挟まれた鮮やかに染めた紅と黄色の懸帯、その焼け焦げた切れ端に視線を向ける。
『おねえさんとぬいぐるみさんが壁を作って助けてくれた』
医務室に運び込まれた初等部生からの聞き取り報告書にあった内容。
すぐにピンと来るものはあったが、学院長への報告書にはそのような事実によって被害拡大を防いだ生徒もいたと記すに留めた。
直接本人と親しく話す機会はこれまでなかったが、"彼女"の人形は何度か目にしたことがある。
あれら機能美に特化させながらも、このヒレのようにアクセントの洒落っ気を子供たちに与えることを忘れないような人形師が、報告書の"おねえさん"であるならば恐らく、目の前の事態に咄嗟に対応したことを個人名で称揚されるなど野暮ったく、彼女にとっては煩わしかろう。
しかし生徒の安全を預かる総寮母としては、事実を知ったからには後日・非公式であろうと礼は告げなければ。
この焦げ具合からすると外装のみならず、人形の部品としては最も高価な魔晶靭帯繊維を損傷したのではないだろうか……。
「剛性と反応伝達を最大限両立させるようなピーキーな調整が好みなら、アラクニード社の靭帯繊維が一番だったけれど、あそこは倒産して随分立つし……倉庫に私のパーツストックで残っているかしらね……」
顎に手をやりつつ、妙にうきうきした気持ちで一人ごちると、明日は精錬実習所奥の倉庫にでも寄ってみるか、などと考えつつ魔晶灯を落とすと執務室を後にした。
規則正しく三度ノックすれば返る『開いてるよ、すまない今、手が離せないんだ』の声に苦笑いしつつ扉を開けば、予想に違わず、文字通り足の踏み場もない惨憺たる部屋の有り様と、解体中の四足獣に似た人形の腹の下に潜り込んで寝そべる部屋の主。
「いらっしゃい、お世辞じゃなくお構いできないけれど……ってあれ、寮…母…?……しかもカーラ総寮母?う、うわわわっ」
もこもことした外装材に埋もれたプラム色の頭に向けてまなじりを吊り上げて見せれば、180°仰向けの顔色はやにわに慌てふためいてもがきだす。
周囲の品がひっくり返って立てる騒音に息を吐きつつ部屋の中を見回せばパノラマに広がるそれはもう酷い有様はここ数日で築かれたものではなさそうだ。
「なんですか、ソレは。いいから落ち着いてそこから出たら、その椅子らしきモノにかけなさい……それと」
「こ、これはそのちょっと今日は間が悪かったといいますか、そ、それに?」
健気にも、いつもはもう少し汚れはマシですと崩落してきた人形の素体部品を掻き分けてようやく這い出し、書籍を積み上げていた椅子からそれらを取り払って腰掛けた部屋の主の弁解は黙殺して彼女に歩み寄る。
「ハサミはどこです?……まったく、人形の修理を始める前に鏡くらい見なかったのですか」
本来、艶やかであろう纏め上げられた髪は昨日の雷撃術式の暴発の余波で所々焼け縮れ、毛先という毛先が痛んでいるのが見てとれた。
「あと、ブラシはありますか?……人形用だけ?……しょうがないわ、手梳きますよ?まったく、どうやらあなたは根っから技師のようね、寝食を忘れるなとは言いませんが、せめて髪くらいは整えても人形たちは怒りませんよ」
"今"の貴女は女の子なのですから、と口中呟く。
とりあえず、本来の用件である初等部生を救った礼はこの難敵らしき髪を梳きながら伝えるとして……借りてきた猫よろしく大人しく目の前に腰を下ろした背中、耳許に少し近付いて囁く
「寮母としては部屋の使い方にもお小言すべきでしょうけれど………私の寮はもっと酷かったわ、手を伸ばせば必要な材料にも道具も届く、人形師の私室はこうでなくては……ね」
振り返ってキョトンとした瞳に内緒ですよと片目を瞑れば、艶やかな笑みに誘われて、互いに吹き出してしまった。
これが後に人形師として"も"名を刻むことになる"彼女"と、私の最初のやり取りである。
最終更新:2012年11月05日 23:11