むぁ!?
んく……ひょっ、ひょっと待ってれ……もきゅむきゅ……ごっくん

次弾装填よろしく次に頬張るつもりで手にしていた焼き菓子と、どうやらこの部屋へ質問に訪れたらしき生徒の顔とを交互に見やってから、しおしおと応接机に据え付けのクッキージャーに焼き菓子をしまい、ニコリと笑いかける。

「どしたの?とりあえず廊下は暑いから中に入んなさいな」

手招きすると、女生徒は少し困ったような顔で部屋の中のあたしに「はぁ」と告げると扉に打ちつけられた黄銅板のネームプレートを指さす。

「あの、ステラ師……ここミリアム師のお部屋……ですよね」

「そうよ」

なにをモジモジしているのだろう。
開かれたままとなったミリアムの執務室の扉から初夏の蒸すような熱気が滑り込んでくる。
腰掛けていたソファからぴょんと飛び下りると、毛足の長い絨毯を横切って扉で立ち往生している女生徒二人組に歩み寄る。

確か片方は触媒教室の生徒でそれなりの帝国貴族の娘だったかしらんと記憶を辿る。

「あの、私たちミリアム師に各地の婚姻についてちょっとお訊ねしたいことがあったんですけど、お留守のようなので……また」

曖昧に微笑んで扉を閉めようとする女生徒が引き始めるのと、扉と柱の隙間に疾風と化したアタシのつま先が挟み込まれるのとは、ほぼ同時だった。

「折角来たんだし中で待ってればいーじゃない。それに簡単なことならアタシでもわかるかもよ」

ドアノブを握った女生徒の手首をがっしと掴み、にこにこと笑みを向ける。
育ちが良いのか、引っ込み思案なのか、やけに謙虚な娘たちだ。

「せ、せんせいっ、つま先の使い方が完全に内外逆です!いえ、その……さすがにお留守のお部屋に上がり込むのはちょっとどおかなーなんて思いまして……あ、あはは……」

「あら、そんなの気にすること無いのよ?ミリアムだってしょっちゅうアタシの部屋に上がり込むし、こないだなんて画像記録の魔晶を隠して設置したりしてたんだから、お互い深く気を許しあう中なのよ?」

何が何でも引きずり込みたいわけでも無かったのだけれど、恐らく引かれれば引き返したくなる性分がむくむくと湧き上がって、身を捻って抵抗する娘を掴んで離さない。

「ホントに出直しますしっ!ていうかさっきなんか後半聞きたくないこと聞かされて既に私はっっ!!ってドコいくのっ!?」

良家の子女にしては元気の良い娘が、何事か喚いてますます身を捩るのを見て、背後に控えたもう一人の女生徒がそろりと身を翻そうとするや、ドア越しにあたしに手首を掴まれたままの娘は見事としか言いようの無い稲妻のような動きで背後の生徒の肩をガッシと掴むさまは、さながら猛禽類が得物を捕えるかのようだった。


たっぷり五分近く続いた攻防に終止符を打ったのは、丁度戻ってきたミリアムだった。
部屋の主に招かれては、そもそも彼女に質問にやってきた生徒二人が断る理由もなく、ほっとしたようにしておずおずと執務室に入り、薦められるままにソファに腰を下ろす。

ミリアムがお茶を沸かすのを待ちつつ、再びクッキージャー殲滅の任務に当たりながら生徒たちの質問に耳を傾ける。






あぁそうそう、婚姻を司る神殿の話だっけ?

婚姻を司ると言われている新教の、つまり現在一般的な若き神々は法と契約の神リヴルムね。
律法・契約・商売なんかを司ってて、婚姻も一種の契約って考え方ね。
でも別に法と契約の神殿で式を挙げなきゃ夫婦になれないってわけじゃないわ。


一般的には土地によって別の神殿がそういった式を取り持つところもあるし、神殿を介さずに集落主催で行われる場合も多いわね。
ま、一神教義を国教としてるアインジード聖教国なんかは一の神の祭壇前で夫婦になるものは互いに宣誓するらしいけれどね。

特に帝国は元々はいくつもの国が集まったものだからね、結婚式なんかは土地土地でその方法は様々なのよ。

婚姻する双方の出身が大きく異なって、風習も違う場合はそれなりにすり合わせもあるみたいだけど、当事者にとってはそれもまた楽しい準備の一つなんでしょうね。

あーでも、帝国・郡国の王侯貴族の場合は法と契約の神殿を借りるか、然るべき契約神の大司祭を招いて結婚式を大々的に行うけれど、それは宗教上の理由というよりは権威的な問題ね。
政治と神殿権力を分離した帝国としては、せめて儀礼に関する部分で聖臨山に本拠を置く新教派の機嫌も取らないといけないわけよ、まぁアンタも貴族だし気持ちはわからないでもないけど、そう嫌そうな顔をすることはないわ。
たとえ権威的なものでも式を幸せにするかどうかなんてのは当人たち次第なんだから。

そうやって式を挙げたからって、新教徒にならないといけないわけでも、リヴルムに帰依しなきゃいけない、なんてこともないしね。

帝国の場合、婚姻の認定は式ではなくて、それが正式であるか否かの判断基準は戸籍への登録よ。
一方が帝国籍を持たない場合は持ってる側にその記載を行って証にすることも出来るし、無記載で事実婚によって済ませる場合もあるけど、共有資産がある場合には、これは稀ね。

獣人や有翼人、妖精族なんかは帝国では望めば個人籍を取ることもできるけど、彼らの集落地で暮らすほとんどは部族として登録されていて個人籍を持たないわ。彼らの集落に人が混じって暮らすことはほぼないので種族間婚の場合は、大抵彼らが人の世界で暮らすことになるわね。


前に使い魔と結婚できるかって質問した子にも言ったけれど、人の世界で言う婚姻の対象の中に幻獣や精霊は含まれないから書類に記すことはできないけれど、当人同士がそう望めば、それは二人にとって婚姻なんじゃないかなぁ。


へ?アタシ?……あたしはあまり実感ないな。
でも誰かの幸せを祝うのは大好きだよ。昔も今も
最終更新:2012年06月23日 00:59