ん?帝国が住籍の作成を行ってるのは、別に民の生活を抑圧する為じゃないわよ。
確かに、有事における各領地の夫役や軍役拠出の根拠にはなるけれど、本来は国民が無体な領主の元で苛刑や課税に晒されたり、飢えたりする事が無いように作られたものね。
カージナル大公国が独立した際の乱と、それに続く帝国内乱の後、義倉の整備や、荒れた農地の回復までの食糧援助、退役負傷兵や戦災孤児、戦火で働き手を失った民たちを支えることを目的として整備が始まったものよ。
一口でいえば帝国籍は個人を把握する為に出生時に帝国民として申請・登録されるもののことで、住籍とは居住地を把握する為のものよ。
住籍があるから国は民の増減を把握・管理しつつ義倉の増設を指示したり、領地経営が帝国法に反する苛烈な徴税や夫役によって、民から安心して過ごせる生活と、その生命を奪ったりしていないかを監視することができるわけ。
領地運営に問題があって領民に大量の餓死者や、予想された天災に手を打たなかった領主などはよくて俸禄・爵位剥奪、場合によっては流刑・獄刑に処されるし、大規模な住民の蜂起なんかがあれば、施法院の査察に遭うわね。
まぁ、だからといって住民側が権利を履き違えて、不満があるからって好き勝手するのが許されるわけじゃないけどね。
もちろん外国籍を持って帝国に滞在という形で住む事も、望んで戸籍を得ないことも可能ではあるけれど、その場合は前者の滞在申請を行っていなければ住居を得ることができないから、それなりに課税された借家を借りる形になるみたいね。
ちなみにうちの学院では、外国籍もちや国籍を有しなくても『学生』の身分であれば、学院領預かりとして学院領の滞在籍と身分証明票が発行されるわ。
つまりは書類上は学生の間だけ、ここの住人ということになって、他領に出掛けたければ郡国や関の通過時に提示して越境許可が受けられるし、色んな公共機関を帝国民と同様の費用負担で利用できるわね。
万が一何かトラブルに見舞われても護法官や軍に保護を求めることも可能だし、義倉からの配給を受けることだってできるわ。
そうねぇ……確かにアンタのお国とは何かと制度が違うし戸惑いもあるだろうけど、それは外国籍であろうと学生を受け入れたいって願いと、受け入れるからには気持ちよくここでの生活を送って貰いたくて用意したものなんだから、あんまり難しく考えずに堂々と使えばイイのよ。
休みに他領を見てくるのもいいんじゃないかな。
いずれ故郷に戻ったときに活かせるかもしれないものは学院領の外にだって沢山あるはずよ。きっと善い部分も、そうでない部分も。
それを見極める為にも、外国籍であることを引け目に思ったりすること無いわ。
今のアンタは学院領が身分を証立てする立派な生徒なんだから。
そうそう、ソレ見せれば学生免除……いわゆる学割が効く施設だってあるんだから、使わなきゃ損ソン♪
ガンガン出かけて、ばんばんアタシにお土産持って返ってきてくれればいいのよ、ネ。
自らの故郷に枯渇した力を取り戻す為、この国に存在すると伝わるある『物』を持ち帰るよう言い含められ、送り出されたこの身。
故郷を救いたい気持ちに変わりは無いけれど、今は命じられたソレとは違う何かを持ち帰りたくて、でもそれが何かはまだ掴めなくて……
時折、鬱々となりながらも考えたり悩んだり……残された時間を思っては焦る日々。
けれど掴めたものだってあるんだ。
溜め息が出そうな日に、背中を温かく撫でさすって笑ってくれる友人たち。
それに……
休日を利用して足を延ばした、学院領から南に下った港町。
東から内海を経由して運ばれてくる荷が、途中どのような国や島で需要があり、再び何に変わってこの帝国まで運ばれてくるのかをこの目で見聞きする。
すぐに答えは出ないけれど、それを知っているということも、きっと何かの役に立つはずだと……今は信じている。
西の水平線へと近付いていく太陽を、船着場を見下ろす石壁に腰掛けて眺める。
しつこい質問にも笑いながら答えてくれた、親切な航路船の乗組員がくれたオレンジをナイフで半分に割ると、傍らに同じく腰掛ける少女の姿を纏った小さな幼馴染みに手渡せば、カサリと懐から木片を削った札が膝へと零れ落ちる。
「……おっと……いけない」
失くしちゃ大変だ。
慌てて拾い上げ、懐の奥へとしまおうとして、ソレ--学院領の生徒であり、仮の帝国民として、正規の民と同等の待遇を約束する手形にふと視線を留める。
隣で、どうしたのかと小首を傾げて見上げてくる少女がオレンジを抱える小さな手と、自ら手にした札をちらと見比べれば、なんだろう……この胸をよぎる違和感は。
- ガンガン出かけて必要だと思うことを見てくればいいのよ、ネ……
友人たちと同じように、この背を叩いてくれた小さな手と、でも大きく感じる声……
あれは誰だったっけ、なんか記憶がごっちゃになってるのかな。
「なぁ、俺なにか忘れてることがあるような気がするんだけど……そっか、お前もかぁ。あぁー……なんだかほんの数日なのに、早く帰りたくなってきたな」
不思議な違和感と一緒に懐の奥へと大切にしまった手形の札。
コクリと頷いた少女の後頭部をふわと軽く撫で、半分以上沈んでしまった金色の夕日に視線を転じる。
「明日もっかい港の市場に行こうな。みんなにお土産、二人で選ばなきゃな」
最終更新:2012年06月23日 01:07