~帝立魔道学院の客員教導師と生徒の会話より~

不思議の力の総称を魔法というわけだけど、さらに大別すると自らの内に発生する魔力、一般的に内練魔力と呼ばれるエネルギーを変換して出力する技術を『魔術』と呼ぶのに対して、自らの外側のエネルギーを操ったり解放する不思議の技を『魔法』と称することはもう習ったわね。

一番分かりやすい例は……

内練魔力を変換して炎や風を起こす元素魔術などが前者
精霊を召喚使役することで炎を風を起こす精霊魔法などが後者……かしら

……ま、色々例外もあるし、精霊を召喚する過程などでやっぱり内錬魔力は消費されるし、精霊門を開くこと自体は技術だから、広義的にはどっちも魔術だ~って議論もあるんだけど、とりあえず今日のところはそういうことにしとくわね♪


で、神聖魔法は『魔法』とつくわけだから後者に含まれるんだけど、他の魔法魔術と大きく異なるのは、技術じゃないってことかしら。

奇跡ともいう不思議の技それ自体は、新しき神々と呼ばれる信仰の対象から、自らを請い慕う者に与えられる『恩寵』として顕現するわ。

傷を癒す奇跡、痛みを和らげる奇跡、敵対者を罰する奇跡、不浄なる存在を清める奇跡、聴く者に活力を与える呪歌などなど、各神殿共通した技から、信仰を捧げる神特有の奇跡なんかもあるそうね。

つまりは信者が祈って、神サマが応えるって図式ね。
ただし困ったときの神頼みじゃダメで、常日頃培った信仰心がその発動には求められるし、顕現時の威力も信仰心に比例するわ。

内錬魔力が豊富だとか、やり方を知っているから、過去に発現することができたからといって、再現できるわけじゃないところが他の魔法魔術との一番の相違点ね。

この発動のきっかけになる力のことを一般的には信仰心と呼んでいるわ。
敬い、慕い、自らの助けとなることを疑わない強い力が、どこかにあるという神々の庭から請い願った信徒へ向けて恩寵を送る呼び水になるというのが通説ね。

この信仰心と、顕現する奇跡の力=恩寵に相応した内錬魔力とを対価として、この世に呼ぶことの出来る不思議の技、それが神聖魔法よ。



もう一つ、魔法魔術と区別する大きな要素として忘れてならないのが『聖別』ね。

神聖魔法は奉仕を捧げる神からの『恩寵』『祝福』って形で具現化するって話をさっきしたけれど、願いに応えて奇跡を遣わすと、神様サイドは術者に『印』を付けるの、「こいつは俺のモノ」的な感じね。

印を『聖徴』や『聖刻』なんて呼ぶけれど、これを受けると祝福の一環として、他の魔法魔術への抵抗力を得るんだけれど、これが曲者でね……。
抵抗力は即ち他の魔術の行使を困難としちゃうのよね。

神聖魔法を修めながら、他の魔術を行使することができないことの理由がこの『聖別』ね。
聖別が進むと神聖魔法の使い手として類稀な術者となるし、他の魔法魔術に対する高い抵抗力を得るけれど、反面他の魔法魔術の行使はまず不可能となってしまうわ。

この特徴から、神聖魔法の使い手は自分たちのことを法術士と呼んで、魔術士と区別しているわ。
神官戦士などが己を魔法戦士と呼ばないのも同じ理由ね♪


本来神聖魔法を修めることを希望する子は、各地の神殿に所属して神官見習いの修行を行うから、うちの学院の守備範囲外なんだけれど、中には学院に来てから神官としての進路を目指す子もいるから、そういう子の為に学院の外郭に各神殿の出先機関ともいえる小規模な聖廟が存在するってわけよ♪

学院外郭の聖廟では神官として最低限の恩寵を呼ぶ方法は習得可能ね。
あとはその子の素質次第だけど、さらに上位の聖職者として神聖魔法の術者を極めようと思うと、各地の大神殿や、聖臨山にある総本山神殿で修行を行うことになるわね。

んー……信仰が無いのに勝手に付けられてしまう聖徴で苦労する魔術士なんて話もあるんだけど、今日のところはざっとこんなものかしら。
最終更新:2020年08月22日 21:48