「……え?」
「あぁ、もういいから閉じてなさい、すぐだから」
キョトンとした声で眉根を寄せ一向に瞳を閉じる気配の無い青年に、目潰しの型に構えた指を見せつけて自発的に閉じるか否かを無言で問うと、やはり根の素直な青年は両拳を握るやギュッと両目を瞑る。
「素直でよろしい♪--顎、も少し上げて」
緊張でもしているのか、少しだけ赤みが戻って健康さの片鱗を覗かせる青年の顔に満足すると、渡された包みをそっと小脇に抱え直す。
両手の中指と人差し指を揃え、指先に意識を集めると精気を熱に変えて灯す。
そのまま閉じられた瞼と眼窩に指を触れようとして、少し鎌首をもたげた悪戯心。
熱を灯したままの指先でそっと己の唇をなぞると、大きな身体の小動物宜しく膝を抱えたままの青年の眼窩へとそれを触れる。
「わわっ……あ、熱いです先生」
一瞬みじろいで肩を竦ませた青年だったが、心地良いのかすぐに肩から力が抜け、ふぅとついた吐息が手首をくすぐる。
「ちょっとは血行もよくなるでしょ。今更だから毎晩三刻きっちり眠れなんて言わないけど、半刻でいいから瞳くらいは休めなさい……」
「でも先生、寝ちゃうと今日が終わっちゃうんですよ」
瞳を閉じたまま、ぽつりと漏らす青年。
頑ななまでに眠ることを避け続け、体力の限界その瞬間まで走り続ける彼は、眠っている時間に何かを失ってしまわないか、誰かの悲しみに気付けないかもしれないことを怖れる、優しい呪いに縛られている。
「……結構なことじゃないの、明日が来るんだから」
「明日が必ず来るかなんて分からないじゃないですか。ねぇ、先生。今日できることがまだ残っているかもしれないのに明日に行ってしまったら、今日に残されたものはどうしたらいいかわからないって思ったりするのはおかしいのかな……」
閉じた瞼の裏で瞳が揺れ、睫を震わせるのが分かる。
以前訥々と語って聞かせてくれた昔話を思い出す……。
まだ少年だった青年には訪れ、彼が大切にしていた誰かには訪れなかった彼の中では不公平な『明日』という存在。
「おかしくなんてないよ」
でもね、そう静かに呟く。
「今日手が届かないかもしれないものに近付いて、掴みたいから明日へ行くんだよ。確かに限りある時間を生きていれば明日は誰にも必ず訪れないかも知れないけれど、今日届かなかったものを掴みたいなら、今日に居続けちゃますます届かない場所に行ってしまうものもあるんじゃないかしら」
何事か考えるように押し黙ってしまった青年がとても愛おしくて、湧き上がる衝動に手が塞がっていて良かったなと内心ほっとする。
「昨日の自分は恥ずかしくて、今日こそはと過ごした一日だけど、やっぱり何かを足りなく思うから……」
唐突に謳うように言葉を紡ぎだしたあたしに、青年が「せ、先生?」と何事かと声音で問いかけるのには答えず言葉を継ぐ。
「だから僕は貪欲に明日を求める。けれどもきっと明日には今日の自分が恥ずかしいんだろう。だから僕はずっと明日を追いかける……小っ恥ずかしいままはツライから……ってね♪」
「……なんです、それは?」
「アンタと逆で、永遠に訪れる明日は、未来や進化なんかじゃなくただただ円の縁を歩くだけの終わらない今日でしかない。明日に価値なんて無いんだ……そう言った誰かが聞かされた、乱暴だけど素敵な明日論よ」
明日論?口中で呟いて、しばし反芻するようにしていた青年がくすりと吹き出す。
「ホントに、乱暴でなんだか無茶苦茶ですね」
「でしょ……でもなんだか」
「素敵ですね…」
「素敵でしょ♪」
重なった声に、二人で同時に吹き出して笑い合えば、丁度眼窩に押し当てていた指先の熱が失われてそっと手を離す。
「さ、もういいわ。ちょっとは疲れが取れるはずよ」
二歩、三歩と後ずさると自らの手で眼窩を押さえながら瞳をパチパチと開けて閉じてしながら青年が立ち上がる。
「あ、ホントだ。ちょっと視界がすっきりしましたよ、先生」
ありがとうございますと礼を述べる青年ににこりと笑んで頷くと、小脇にしていたプレゼントの包みを抱えなおす。
「じゃあ、行くね。--あ、でもただの血行促進なんだからちゃんと休みなさいよっ!……でないと」
踵を返してトトトッと進んでから、もう一度くるりと振り返る。
「パンダになっちゃうんだから♪」
包みを抱えない方の手、親指と人差し指で作った輪っか越しにウインクを投げる。
はいはいと降参するように両手を挙げた青年に笑顔で頷く。
「そうだ、ねぇニール!」
なんです、と首を傾げた青年に貰った包みを掲げて見せれば、またリボンで結んだ場所から甘い香りがふわりと拡がる。
「これは昨日までのアタシのお世話に対しての"お礼"よね?」
「へ?……え、ええそうですけど、なんというかお礼というのはその口実みたいなもので、お礼というかもっとこう……」
問いかけた先でなにやらぶつぶつと反応する青年。
良く聞き取れないけれど、つまりはYESということのようだ。
「じゃあ、明日からの分ってことで、また来年アタシにコレ……造ってくれない?」
肩をすくめるようにして笑った青年が、さっきよりは明瞭な声で返事をくれる「喜んで」
それは些細でちっぽけだけど、続いていく明日への約束。
また来年になったら同じ約束をしよう。
そう、ニールが卒業を迎える、あたしとニールが同じ"明日"迎えられるその年までは……
最終更新:2012年06月23日 01:14