彼女が突然ふらりと姿を消すのは初めてのことじゃない。
でも必ず翌日には「二、三日骨休めしてくるから心配するな」なんて、ふざけた伝言だろうと私にだけは必ず報せを寄こす約束を交わしたのに……。
もう二日も連絡が無い、こんなことは初めてだ……少なくともあの日、私が彼女の教導師とは違う顔を見たあの日の夜以来……。

胸騒ぎが収まらず、彼女を探して丸一日……。
彼女を隠す為施された防御術が仇となり【探知】の術式では追うことができず、使い魔の嗅覚を頼りに心当たりを探し回って、ようやく嗅ぎ分けたヒトとは異なる、という血の匂い……。

下枝が頬や腕を乱暴に撫でて傷つけるのも構わず辿った森の奥。
沢縁に倒れこんだ小さな小さな影を見つけ全身が凍りついた、もしも触れてそこにあるのが抜けがらだけだったら……馬鹿な考えを振り払うように一つ息を吐き、駆け寄って抱き起こせば、あまりに軽く、恐ろしく冷え切った小さな身体。
確かめた脈は弱々しく、白を通り越して透けるように青い顔と力なく閉じ、濡れた睫毛が張り付く瞼。

沢を流れる水と同化したかのように冷え切った彼女を、どこにもいかせないようにときつく抱きしめる。
塞がって見えてもどんなに深い傷を負っていたのかなんて分かる。

これは……行き過ぎた願いに囚われた生徒と対峙したなんてものじゃない、今度は……今度は一体なにと戦ったんですか、貴女は……。

彼女を人の魔術で癒すことはできないけれど、せめてこれ以上熱を奪われないようにと己と、ぐったりと血の気も無い腕の中の彼女を包み込むように結界を展開する。


………いつまで

思わず噛みしめた唇、じわりと広がる鉄の味に破けたのだと気付く。
どうしようもなく、悔しくて悲しくて何かが込み上げてきて、瞬きすれば落ちてしまいそうで、冷たい身体を抱きしめながら胸中で先生……と語りかける。



……一体いつまでこんなことを続けるんですか

貴女はかつて貴女が下した決断を後悔していないんでしょう?

だったら……だったらもういいじゃないですか

貴女が何もしなくたって、人は生まれ、生きて、死んでいく

どんな道を選んでも、それは貴女のせいじゃない

誰もが自分の人生に責任がある

悲しい出来事や、立ち上がれない痛みを抱えても

自分の脚で立ち上がる者もいる、その勇気を持てずに周りを引きずり倒すことで自分は立っている気になる者もいる

でも、それを選ぶのは他ならぬ自分自身です

誰のせいでもない、自分で選んだものなんです

絶対に貴女の決断のせいなんかじゃない


人は自分で自分を導けるって貴女が私に教えてくれたのに、貴女は誰よりも人を信じてるのに

どうして人の過ちを自分の罪だなんて悲しい思い込みに溺れているんですか

貴女は人に自ら選ぶ道を開いたじゃないですか

それだけでもう、充分じゃないですか

道を違えた魔術士が冥魔たちに『それ見ろ』なんて思われることを可哀想だなんて、思わなくたっていいんです

んなにぼろぼろになってまで、背負わなくたっていいんです

自分を罰する必要なんてないんです、ただ信じ続けてくれるだけでいいんです

人の犯す過ちは人が世界に申し開きをします、それが生きるってことでしょう?

貴女が人を信じるように、私は貴女が開いてくれた『人』の未来を信じてる

貴女がいつか疲れて世界を滅ぼすものになんて絶対にならないことも信じています

だから気付いて欲しい

貴女が贖罪だと思っているこんな繰り返しが間違いだと

こんな事を繰り返して傷だらけな貴女を知れば

一体どれ程の者が悲しむかということに……






本当にバカなんだから……

家を捨て卒業を拒み、学院領から出ない対価を払ってこの記憶を保ち続ける契約を、聖人と呼ばれる思念となった開祖と交わしてからずっと、彼女のこの馬鹿げて独り善がりな贖罪の邪魔をせず、傷ついた姿を生徒に見られずにいたいという彼女の願いに手を貸してきた自分自身を呪った。

馬鹿は私だ……

唯一、彼女を『先生』と呼び続け、彼女の『生徒』で居続けるこの権利を、そんな下らない傍観をする為に開祖は私に許したんじゃ無いはずだ。

彼女を抱いたまま立ち上がる。

このまま学院の医務室にでも放り込んでやる。
理由なんて何だっていい、せいぜい言い訳に困ればいい。苦情なんて一言だって聞いてなんかやらない。

貴女が愛してやまない『人』たちがどんなに心を痛めるのかを知ったらいいんだ。

愛したいのなら、愛されることを受け入れて貰えなければ不公平だ、それが等しき対価だともういい加減知ってくれていい筈なのだから……。






「………ん」

器官が張り付いたような息苦しさで漂っていた意識が戻ってきて、あたしは久方ぶりに自分の意思で息を吸ったけれど、ズキリする胸の痛みに思わず視界が開ける。

………薄い緑に塗られた天井。

あたしなんで………そうか、見つかっちゃったのか……

今すぐ逃げ出したいけれど、全身は鉛のように重くて指先を動かすのすら……指……まだあるのかなと、ぼんやり思ったけれど確かめることもできそうにない。

まだよく見えない瞳で視線を廻らせば薄明かりの下、ベッドにもたれ掛かって眠る、艶やかなプラム色の頭が見えた。

手を伸ばして髪を撫でてやりたいけれどかなわない。

ごめん、ファム……。

擦れて声も出ず、胸中で大切な教え子に詫びる。


でも彼女以外に名を呼ばれ、倒れた身体を強く抱き締められたような気がするのに、あれは夢だったのだろうか……

……思考までぼやけてるみたいだ………

次に目が覚めたら、ちゃんとお説教きく……から

いまは……とても……眠た……くっ……て………
最終更新:2012年06月23日 02:45