ユメをみた。

それは遠く遥かに過ぎ去った夢、それは暗闇の世界の中で最初に視た夢……




液体に満たされた玻璃の槽に抱かれ、微睡みを繰り返す。

瞳を閉じる間、脳裏に映るあの少女は誰だろう。

哀しそうな眼をして何か言おうとしているのに聴こえない。

いや、雑音のように囁き声のように何かは聴こえるけれど、聞き取ることをぼやける思考が邪魔をする。

眠りの中のはずなのに、混濁する意識を揺り醒ますように落ちそうな瞼をひそめて、少女の唇を読む。

……タスケテ?

……わたしたちの…ムスメを、タスケテ。

そう言っているのだろうか、でも意味が解らない……

わたしたち? 娘? あなたは誰? 時間が無いってどういうこと?

重い……液体に満たされた槽の中でたゆたっているはずなのに、身体が重い。
いや意識が重いのか、また薄く開いた瞳の先で光の加減だろうか、玻璃の壁が膝を抱える私の姿を映す。
そこにはあの少女とどこか似た面差しが私を見つめている。

あぁ……そうか、あの少女は……私か。

いや、私を造るために生贄にされた奴隷。

力を持たないゆえに家畜のように扱われ、狂った魔導師たちの実験に使われた少女。
異界の門の向こうから喚ばれ、還ろうと暴れる幾つもの存在に差し出されて、喰い破られた私。

……私? 私と呼んでいいのかな??

だって、この意識は誰のもの?
私はいつから私なのだろう?
私を構成する何かの一部なのか、私の中の多数の何か一つが他を制した意識なのだろうか……。

わからない……わからない……。

ごめんね、でももう呼ばないで、何も考えたくないの。

こうして眠っていればそれでいいんだから。


暗転し、ぐるぐると移り変わる景色、燃える魔導師の都、沈む空を行く船、大地に散り拡がりつつましく暮す人々、数を増やし人を襲い始めた人狼、自ら滅びの道を選んだ夜魔たち……
裏切り者と呼ばれながら、争いあっては増えていく人と世界を眺める永い永い時間。

魔力とそれを操る術を持ち始めた人と世界、加速する争いと憎しみの歴史。
それみた事かと罵られながら人を狩る毎日……

ちっぽけで哀れな命を奪うたびに音を立てながら折れてゆく、信じたい気持ち、希望を支える心の柱。

ささくれた心と荒れ果てた大地で出会った『このままでいいの?』と問う金色の髪の魔術士……

夢の中の幻が形を結び、懐かしい金の髪に変わる……

『いつまでこうしているんだい?このまま眠り続けていれば幸せかい、君の娘たちのように』

……あの娘たちのことをそんな風に言うな、あの娘たちが夢を視られる存在なのかかどうかなんて……ただの私の願望でしかない。

そうあってくれたら私は救われる気がして……
私の中に居たあの少女に申し開きができるような気がして……
そんなのただの我侭だって、言われなくたって知っている。

人が短い生の中で数えるほどでも幸せを感じて死んで行けたら、そうしたらあの少女が最期に願った"タスケテ"の願いに報いることができるんじゃないかって……
私と陵辱された少女から生みだされたあの娘たちが、もしも幸せな夢に包まれていられるのなら、あの少女は私を許してくれるんじゃないかって……
ただの我侭で勝手な願い。

『だったら、ここにいてはいけないよ。きみが夢にみた少女はもういない……彼女はもういいんだって君に伝えられない。でも君の願いが叶ったかどうかを教えてくれる存在がいるじゃないか。彼女が助けてと願った"人"が繋いだ子供達から、君はそれを教わらなきゃ。いいや、もう気付いてもいい頃じゃないかな』

金の魔術士の幻が笑いながら首を傾げる。

『君が借りてもいないものを、自分を罰しながら返そうとするのを少女のせいにしちゃ可哀想だ。……もう気付いていいはずだよ、ステラ。さぁもう戻らなきゃ、耳を澄ましてごらん、君の願いがもう叶っているかどうかが聴こえてくるはずだよ』

……待って、ルクス。
お前はまた私を置いていくのか……

『そうだよ。僕は生徒たちに恨まれるのはごめんだからね。それに君にはまだすべきことがあるだろう、君を映す鏡みたいなあの生徒を……彼を君は置いていくのかい』

僕みたいに?
ふわりと笑い、夢の中で伸ばした腕をすり抜けてかき消える金の幻。

そうだ、あの子……まだ置いていけない……

誰もいなくなった真っ暗な闇の中でどこからか声が聴こえる……

いや、これは………歌だ。

高く、低く、大きく、時に熱っぽく、時に控え目に重なる幾人もの歌声。

そう思った瞬間、一陣の風が立ち込めた闇色の夢を吹き払い、失いかけていた意識は突然歯車が咬み合ったように廻りだす。



…………夕焼けの差し込む医務室の見慣れた風景。

柔らかい風がカーテンを揺らす窓の向こうから今も聴こえる夢の中と同じ歌声。

身体を起こせなくたって、窓から見下ろさなくたってその光景が見える。

中庭に並んで医務室を見上げて歌ってくれる生徒たち。

『待ってるよ 信じてるよ』って詞をのせて奏でる旋律と、『おかえりなさい』と告げてくる不機嫌そうな寝不足の顔の愛弟子の声。

湧き上がる目頭の熱さで、ぐしゃぐしゃに歪んだ顔を右手で覆う。

許してくれてありがとう、助けてあげられなくってごめんね。

夢の少女にはもう伝えられないけれど、まだ間に合う相手が今のあたしには沢山いる。

そうだ、それをあの子にも伝えなければ……

あたしが答えを見つけたように、伸ばし続ける君の手だっていつかは必ず望むものに届くって……
最終更新:2012年06月23日 02:47