学院を囲む外郭街の灯りを、遠く竜胆山脈の峰より見下ろす人狼の祖。
白銀の髪を風に揺らす横顔は、どこか悲しげな色を湛える。
「……リリス、なぜ人などに肩入れしやるのじゃ……。ヌシがそうまで信じたとて……彼奴らはヌシの期待に添うてはくれぬと分かっておろうに……」
あのような姿、あの程度の力……あれほど孤高高貴にして最強であったヌシが……。
いかほどのものを差し出してきたのじゃ。
……このようなこと、いかなヌシと言えどいつまでも続かぬ。
「……いずれ消えてしまうぞ、リリスよ」
我はそのような未来、見とうない……旧き友よ。
されど……と、一つ息を吐き、闇夜に煌めく紅の瞳が僅かに緩む。
「ヌシは『それでも』と笑うのであろうな……」
変わり果てた姿の代わりにあのように笑む力を得たか……。
強情なところだけは変わらぬのだな……。また逢うこともあろう、それまでは……
「逝くでないぞ、リリス」
「いい月ねぇ」
中天を駆け比べする三つの月が柔らかな光を注ぐ大地。
かつて憎しみとともに降り立った世界、全て燃えればよいと願った世界。
気が遠くなるような時間ずっと見てきた、世界と人の営み。
傷を覆う瘡蓋を剥がさずには居られぬ、愚かで弱い人の子が繰り返す争いと悲しみを嘆くのにさほど時間はかからなかった
あの日、『人を大地に放ってはならない!』そう叫ぶ同胞の怨嗟に首を横に振った己の選択を後悔したことがないのかと問われれば『何度もある』そう答える。
けれど、長い時間見たからこそ知ったこともある。
いつの時代、どこの国、どんな立場でいても、短い生の中の僅かな瞬間であっても、喜びを感じ、幸せそうに笑い、誰かのために涙することもできる『人』という存在を学んだ。
傷つける者も人、傷つけられる者も人。
誰かを傷つけながらも慈しみの笑みで子を抱き、誰も傷つけたくないと願いながらも守るべき何かと引き換えに誰かを傷つけてしまう、矛盾した『人』という存在。
彼らをずっとずっと見続けた私は、誓約のために人を狩ることにいつしか疲れてしまった。
でもそれは人を嘆いたからという訳ではない……
人を……魔法という力を憎む理由がわからなくなったからだ。
短い一生を、翳ったり輝いたり不安定に明滅しながらも生き、やがて等しく死に迎え入れられる人という存在は、永遠を孤独と誓約を果たすことだけを共に、ただ過ごす私にとっていつしか憧れとなった。
私は『生きる』という行為に憧れる。
人が永遠に憧れるように、私は限りある生を『生きる』ことに憧れる。
同胞の中には私を嘲笑し、人という存在を嘲笑う者もいる。
確かに人は……魔法の力を取り戻し、研ぎ澄まし、私たちが危惧したように、かつての狂った魔導師たちの業に近づこうとしている……そう為らんと願う者も存在する。
けれどそれは一部であって、そのような者にとってもそれは、ある一面に過ぎないのかも知れない。
一握りの人、いくつもの面を持つ心のただ一面だけで否定したくない。
人の生とはそういうものなのでは無いのだろうか……光ったり翳ったり、泣いたり笑ったり……私は人を、人の『生』を信じたい。
……だから……
『お前の導いた人の子は、それに値するのか』
そう問われれば、答えを示すことは私にはできない。
彼らが彼ら自身の為に進む歩みによってのみ示されるであろうそれは、別に私たち冥魔に何かを証明するために営まれる訳ではない。
ただ彼ら自身が必死に一日一日の未来を手繰り寄せることで記される足跡に過ぎず、私たちがそれを見て期待したり、落胆するのは人からすれば傍迷惑な話だろう。
それでも信じたい、彼らが彼ら自身の為に生きるその姿が、人を滅ぼす蛮行に及ばなかった自分たちを誇れる為の糧をくれると。
たとえ、そんな期待は勝手で無責任なことだと言われたとしても、信じていたい。
同胞(はらから)が私に、あの日の決断の償いを求めるのなら、受けよう。
これ以上、ここに居続ける対価を払いきれないのなら、あの私に似た娘達に幸せな夢を見続けさせてやりたい、その願いが叶わないとしても受け容れよう。
それ見ろ、やはり背負えぬ誓約だったではないか、嘘吐きめ。そう罵られても、ごめんねと詫びよう。
月明りの注ぐ静かな夜。
私はこの世界にとって異物だけれど、この世界と、そこに住む者たちが今は大好きだ。
人のように『生きて』みたい……
それは、いつしか私のもう一つの願いとなっていたけれど、あの少女が描いた絵の中の私が……。
愛すべき生徒に囲まれ、気に入りの菓子を頬張って、まるで人のように笑う姿を描いたあの姿が、真実私であるのなら、それはもうとっくに叶えられていたのかもしれない……。
だったら、夢の終わりも笑って迎えられる……。
それは私という存在が、確かに『生きた』という証なのだから。
最終更新:2012年06月23日 03:04