里の中心に位置する宿舎の集会場から表に出れば、放射状に伸びる無数の通り。
脳裏に地図を広げ、その内の一本。郊外の丘へと続くそれを選び出すと、目の前をニ三度見回して風景を照合して歩き出す。
仕事場から戻ってくる鉱山妖精たちとすれ違いながら郊外の方向へと歩を進め、この夏を思い起こす。
友人たちと連れ立って往く初めての旅。
かつて一人で見て回った時には決して覚える事のなかった感情を彼らと分け合った。
それは"喜び"といって良いものだと今の自分には理解できる。
僕は誰かと喜びを分かち合えるようになった……それはほんの少し気恥ずかしいけれど、かけがえなく大切で嬉しい変化……いや、きっと成長なんだろう。
そんな自分を感じ取れるのに……。
さっきのように時折この胸に吹き込む隙間風はなんなのだろう。
わからない……。
そう、それにこの里では竜と出逢うことだってできたのに……。
口にすることはできないが、竜とまみえたのは初めてではない。
人の営みから隔絶された森の奥、霧の向こうに潜み、自らの存在すら曖昧に感じる世界の狭間。
揺らぎの谷間で暮らす数少ない獣たちと、彼らを統べて存在する、時に漆黒に時として紫紺に煌く鱗の主、幻獣たちの魂が新たなる生命と成長の為の眠りにつく世界と、現世とをつなぐ扉の守護者にして、天空と大地を繋ぐ偉大なる王、雷竜。
自分を育ててくれた彼らが言うには、この身に流れる血潮を辿れば、遥か古に辿りつく先には彼が守護した眷属があると告げられた遠い遠い親族にして、一族の護り神。
この世界に生まれ、この世界で大地へと還る竜種は遥か以前にこの世界を去り、今は古き偉大な竜のうち数体が残るだけのこの世界。
魔術で呼べる力ある幻獣の中には竜種と似通った姿をとるものも存在するが、彼らとかつてこの大地に広く繁栄した竜種とはまた異なった存在。
ゆえに、自分にとって近しい存在としてまみえた事があった『真なる竜』は雷竜のみであったけれど、この里で雷竜同様、氷と炎の名を持つ古き竜と出逢えた。
彼らは人に笑いかけてくれた……。
彼らにとって家族とも言うべき、守護を与えた眷族を滅ぼした魔法の技を習う『人』に笑顔を向け、言祝いでくれた。
それは驚きを越えた衝撃を僕に与えると共に、あのとき感じたのは……友人を認めてもらったような、そんな誇らしさと、嬉しさ……だったように思う。
すごい発見だった。
自由に翼を操る力があったなら、この谷から飛び上がり、あの狭間の世界で人に溜息を漏らす老いた獣たちに教えてやりたかった……。
悲しい記憶に倦み、俯いて溜め息を吐き、足元を見つめるばかりではいつまでたっても進めない。
双子の古竜は前を向いていたよ、と。
義父さん、叔父さん、僕は友達と呼べる人たちに出逢えたよ。
双子の竜たちのように少し前を向けるようになったよ、そう伝えたい。
そう思わずにはいられないほどに僕の胸は嬉しさで満たされたはずなのに。
けれど義父や叔父、老いた獣たちに思いを馳せた直後、もう一人伝えたい誰かがいる気がしてならなかった。
友人たちと並んで双子竜と過ごした夜、竜たちは僕の血に混ざる遠い遠い、けれど近しい存在を感じ取っていたようだった。
帰り際に尋ねられた『人と過ごす、魔術を教える学院の生活は楽しいか?』の問い。
疑いではなく、慈愛に満ちた瞳の色で見つめられ、深くうなずいて返した心からの肯定に満足気にうなずき返してくれた双子竜。
その優しげな瞳の向こうでもう一人、誰かがとても嬉しそうに笑ったような気がしたのは……どうしてなんだろう。
無意識に進めてきた足を止めて振り返れば、もうそこは里の明かりと立ち昇る煙を見下ろす丘の頂。
柔らかな下草に腰を下ろして見上げれば、断崖によって切り取られた空は茜色から紺色へと宵のヴェールを下ろし、星の瞬きがそれを彩る。
こんなにもこの夏は嬉しいことが一杯なのに……。
どうして何か大切なことを忘れているかのような、ここじゃないどこかを、ここにはいない誰かを求めるように鳴る心の鐘は、僕に何を知らせたがっているのだろう……。
「炎竜、日も暮れたことであるしそろそろ出掛けるぞ」
一日の仕事を終え、微睡む弟竜の腰を自らの尾で軽く触れて氷竜が声をかけると、弟竜は寝そべった首をもたげ、キョトンとした表情で瞳を瞬かせる。
どこへじゃ?と口に仕掛けた炎竜は珍しい兄竜の悪戯気な表情に驚く。
「子供らが里におるのもあと僅かであるそうな。もう一度逢って積もる話もしておきたいであろう?」
で、あれば……と、氷竜は自らの身体を見回しながら呟く。
「ここを隠れて抜け出すに、このナリでは何かと不都合よの……」
最終更新:2012年07月03日 23:49