宵闇を割って突如現れた二つの人影。
いかにも人のよさそうな巨漢とまだ幼さの残る顔立ちをしながらも、どこか世慣れた雰囲気を醸す童子。
人里で出くわしたのであれば親子に見えないこともないが、ここは鉱山妖精の里。
実習に赴いてこの方、こんな二人連れは目にしたことがない。
まして、この二人が身に纏う自分と近しくさらに強大な気は……
「……え、炎竜に………ひょ、氷竜??」
いっそ不遜ではあるが思わず巨漢を指差した後、ルチルよりも小さな背丈の童子に突きつけた指が僅かに戦慄く。
確かに人に近しい姿を取ることのできる幻獣は多く、義父も伯父もそれを可能としていたのだから、かれらの頂点とも言うべき古竜にそれが不可能であるはずもない、ないのだが……。
「いかにも。さすがにあの姿では門衛の目をすり抜けることは適わぬからの。そなたらがもう間ものう帰途につくと聞き及んでな、別れ前に眷属と水入らず、酌み交わしに参ったというわけよ」
戦慄いた僕の指を不思議そうに見上げながら、にこりと童子……の姿を纏った氷竜が笑むと、背後に控えた筋骨逞しい巨漢……炎竜がうなずいて早くも草地に腰を下ろす。
「会いにきたって……な、なんでまた……。というか、炎竜はともかくとしてなんでその姿……?」
確か双子竜は人の理で言うところの兄弟や双子という繋がりを持っているわけではないけれど、氷竜は兄貴分であり、炎竜は彼をまさしく兄のように慕っていると聞いたことがある。……あれは誰に教わったんだったっけ?
先日の晩餐会とその前後に見た双子竜のやり取りから見ても、手のかかる弟を御する落ち着いた兄の雰囲気が感じられたというのになんだってまた……このちぐはぐ感は……
古竜が門衛の目を盗んでまで、自分に逢いにきてくれた驚きすら忘れるほどの可笑しさで、さっきまでのもやもやした奇妙な違和感も忘れて、思わず噴き出してしまう。
「仕方なかろう。我らにとって人の姿に化けるというのは言ってみれば、人の子らが衣服を纏うようなもの。それぞれに着心地の良い寸法、仕立てというものがあるのだ。炎竜はコレ、我はこの姿でなくば窮屈でかなわぬ。それだけのこと、そのように笑わずともよかろう」
僕の問いと漏れ出た笑いに意図するところを察したのか、氷竜は少し憮然とした表情で腰に手をあて、肩をすくめて見せるのだけれど、それがまた小さな子が子供扱いされたことに拗ねて見せるような仕草で、微笑ましくて笑ってしまう。
そうかもしれないけれどと内心で漏らしつつも、口の端が緩んでしまうのを拳をあてて誤魔化しながら出来るだけ神妙な表情を取り繕って頷いて見せると、幾分納得した面持ちの氷竜は頷き、先に座り込んで早くも酒甕の封を取り外し始めた弟竜の隣に腰を下ろす。
油紙と蝋で施された封を解かれた甕からは夜風に乗って芳醇な香りが鼻腔をくすぐってくる。
同じく持参してきたらしい人間サイズの木椀を懐から取り出した炎竜は、椀で直接甕の中味を掬うと自らの口許に運んで一口美味そうに啜ると、それを脇において新たな椀で掬ったものを氷竜に差し出し、笑いの混じった声音で口を挟む。
「そうじゃぞ、あまり笑うてやるものではない。儂は人の姿で里に降りるのは好きなのじゃが、兄者は如何せんコレじゃによってな、なかなか人前に出ようとせぬのじゃ。人の世で申す"れっとうかん"というやつじゃ。このような顔つきをしておるが以前は随分気にしておったものよ。兄者自ら人の姿を借りるなど何百年ぶりかのう」
椀を受け取りながら、渋そうな表情で氷竜がやんわりと弟の戯れ口を嗜めるさまは竜の姿のときはしっくりきていたのだけれど、今となっては喜劇のようだな、などと口中でまた含み笑いつつ、雰囲気に呑まれた形で、双子竜に倣って再び僕も草地に腰を下ろして向かい合う。
肩に止まったままのライデンは先刻から一言も無い、そういえばさっき双子竜はライデンに話しかけたように思ったけれど……ええと、なんて言ってたっけ?
「雷翁殿もいける口であろうな?」
炎竜が僕に椀を差し出しながら肩の上で凍りついたままのライデンに向けて言葉をかけると、僕の使い魔は肩口に引っ掛けた脚をビクリと震わせる。
そうだ、さっきも氷竜が同じ言葉を口にしていた。
ライオウ??ライデンに向けて言っているようだけれど一体なんのことだろう。
「ねぇ、ライデン。君もしかして氷竜と炎竜と知り合いだったりするの?」
ふとした疑問を口にするや否や、固まっていたライデンが灰褐色の翼をおもむろに広げて飛び立とうとしたので思わず脚を掴んで引き止める。何といっても相手は王たる獣、古の竜だ。いかに気さくでも、格下の幻獣が無言のまま飛び立つ失礼をして機嫌を損ねないとも限らないし……。
「はうわっ!?なにすんねん!? あー!あー!あー!ワイはぼんの使い魔に収まっとるに過ぎひん一介の低級幻獣やからやな、こないにでっかい気の前におったらあかんねん、ちびってまう、粗相してまう!医者にも竜の前に出たら心の臓がもたんからあかんてキツぅ言われとるんや、堪忍や、堪忍やで~っぼんっ!!失礼はじゅーじゅー承知やけど後生や、行かせてんか~っ!」
バッサバッサと翼を打ち振り、何やら喚き声を散らすライデン……。風切羽根がこめかみを叩いて髪がぐしゃぐしゃになるのもかまわずに片手でしっかと脚を押さえつける。
僕だっていくら気さくに話してくれるとはいえ、竜たる存在の前に一人で置き去りにされては心細いじゃないか。
なんたる薄情、主人と使い魔は一心同体ではなかったのか。
「何を訳のわからないことを言ってるのさ。何が低級幻獣だよ、いつも自分は高貴高貴ってあんなに言ってるじゃないか、第一医者って……もうちょっとマシな言い訳無かったのかい?」
置き去りにされてなるものかと、さらに強く体重をかけて引き戻す。
そんな主従のやり取りをぽかんと眺めていた双子竜だったが、やおら氷竜が小さく「あぁ、そういう……」と呟くと炎竜に視線をチラリと投げて小さく頷く。炎竜がぱちぱちと瞬いて首を傾げると、苦笑いしたかのような表情で氷竜が己の口許に指をあてる仕草をし、炎竜は不可解ながらも従順に頷いてみせるのだが、予想外に強力な使い魔の羽ばたきを押さえ込むニールにそれは見えない。
「いや、どうやら我の思い違いであったようだ。許されよ雷鳥の眷属殿、遥か古にそなたと近しき気を纏った、それは美しい幻獣に出遭ったことがあっての、てっきりそのお方かと思うてしもうたのだ。いかぬの、気配にのみ頼っては、何分もう歳での……いやはや目の力がすっかり衰えてしまったようだ」
突然言葉を投げた齢5,6歳にしか見えない童児姿の氷竜が目頭を摘む仕草はあまりに不似合いで、思わず主従は「はぁ…」と声を漏らしてせめぎ合いの手を止め、年寄り臭い子供に訝しげな視線で応える。
「雷翁というのは尊称だの、いくつかの名を持っておったが鳳雷凰などとも呼ばれておったか……。遥か昔、雷の名を冠する我らが竜の長兄の傍近く仕えた翼持つ幻獣がおってな……ひとたび飛び立てば広げた翼の内は極彩色の稲妻を爆ぜ、碧玉の輝きを散らす長き尾羽を揺らして天空を翔ける様はまさに優美さの代名詞たる偉大な竜に次ぐ格を持ちたる鳥の王、雷竜が夜の雷鳴とすれば雷翁は昼日中の稲妻、などと申してのぅ。そこなライデン殿が良く似た貴き気配を持ちたるゆえ、つい懐かしく重ねてしまったようだ。存在を見誤るなど非礼の極み、氷竜心より詫びようゆえ、どうか許されて杯を受けられよ」
にこりと微笑むと、人間のようにぺこりと頭を垂れた氷竜とその後ろでなにやら「おぉ、なるほどそういうことかや」などと一人ごちる炎竜。
「な、なんや。勘違いてわこうてくれたんやったらえーねん、えーねん!ワイそないなどえらいモンと間違われたら居た堪れへんよって……。せやかて、なんやん。ら、雷翁はん?そないに素敵やったんかいな、優美の化身とか照れるわー、恥ずかしわー///」
幻獣の王たる竜に頭を下げられて、文字通り粗相するほど恐縮しているのかと思いきや、何やらくねくねと器用に体躯をよじるライデン……。
いや、確かに貴き気配とは言ってくれたけど、多分それは僕が言ったから気を遣ってくれたのであって……なんで君が照れてるのさ。いっそ少しは心の臓がキュっとなるくらい殊勝になってもいいのに(幻獣に心臓という概念があるのかは知らないけれど)などと思いつつ、飛び立つ気が失せたらしいライデンの脚から手を放し、乱れに乱れた髪を恨めしげに撫で付ける。
兎にも角にも氷竜の紳士的な態度に落ち着きを取り戻したのか、ファサっと僕の肩から地面へと飛び降りるや、炎竜が差し出した酒を満たした木椀の前にちょこんと佇むライデン。
「おおきにおおきに、誤解やてわかってくれはったんやったら、ぼんが失礼せぇへんか使い魔として心配やし、お相伴に預かるわ。あ、ワイのことはライデンって呼んでくれてえーで、人呼んでイケメンホーク・ライデンたんや」
思わず右手で顔を覆う……。
我が使い魔ながら大した度胸の持ち主というか……みんなの使い魔も実の所こんな感じなのか、そういえばファウストもよく溜め息を漏らしていたような……。
今度ゆっくり彼と使い魔の行儀について語り合ってみようなどと思いつつ、炎竜が差し出す木椀を恐る恐る受け取る。
「なるほど、ライデン。颯爽たるお姿に違わぬ名をお持ちよな、ではライデンたんと……」
「いえ、調子に乗るから"たん"はやめて下さい、"たん"は!!」
気さくすぎて威厳もへったくれも消え去る古竜相手に、即座に突っ込みを入れることができたのは、やはり学院に来て友人に恵まれたからだなぁ、ありがたいなぁなどと思いを馳せながら、勢い良くこの夜一杯目の椀を僕は飲み干した……。
最終更新:2012年07月03日 23:53