ここには、やがて奉仕者として人狩りとなるべく集められた子供たちが定期的に連れてこられる。

私に薬草と劇物の扱いを教えた師母は、そのようにして連れられてきた子供たちが"選別"期間を経る間、身体と心に治療という名の調整を施す役をも負っていた。

肉体は、いずれ道具として用いる、その為に。
精神は、その肉体を道具として機能させるのに必要最低限を保つ、その為に……"選別"という訓練を生き残った子供たちの傷を癒し、まだ年端もいかぬ子供たちに、投薬を行う。

師母は、私に生まれついての毒劇物への耐性があることを知ると、将来"屠殺者"となるか、あるいは自らの職責を継ぐか、いずれが選ばれてもよいようにと、私にもそれらの仕事を手伝わせるようになった。


それからの毎日、陽がオレンジに染まる刻限になると、師母は私を訓練場を見下ろす櫓へと導き、私はその隣で日中の訓練を終えた子供たちが、限られた数のパンを奪い合い、口にできなかった者が日に日に衰弱していくさまを観察し、栄養を補給できない人体が、どのように身体機能を低下させていくのか、精神がどのように衰えていくのかについて、記録をつけるよう命じた。

私は命じられるがまま、衰弱が限界に達して"選別"に適わずと判じられた、骨と皮ばかりとなった子らが杭に縛りつけられ、師父の号令一下、今日という日を杭から逃れ得た別の子供たちによって石撃ちにされて息絶えていく……かつて自らも経験したその光景を、ただただ見つめていた。

それは私たちがこの世界から与えられた、この世の悲しみを拭う使命を果たす力があるか否かを判ずる単純な選別作業。

それを越え続けることは私たちにとって栄誉であるはずであるのに、師母は私に"選別"を潜り抜けた者たちに薬を飲ませるように命じた。

思考の混濁を誘い、記憶を曖昧にする秘薬……それを投与するよう命じられた私の元に次々と連れてこられる子供たち。
この場所へ連れてこられたばかりには、使命と行き場所を与えられて輝いていたはずの子供たちの瞳は、いま改めて間近に覗き込めば、それは様々な形で失われていることに私は気付いた。

ぎらぎらと獣のように血走って狂気を孕んだ瞳、ぶつぶつと何事か呟きながら一点に決して留まろうとしない瞳、語りかけても一向に返事もなく、微動だにせず虚ろな瞳……そのように変じた瞳となった子供たちに薬を与えると、それらの症状はゆっくりと治まっていく。
そうやって精神を治療するのだと、師母は私に教えてくれた。

けれど、冷静さと肉体を機能させる最低限の魂を引き戻すのと引き換えに、子供たちは本来寿命として一生かけて消費する生命力を大幅に前借りすることとなり、その瞳もまた一様に、ある色を映すようになっていく。

いや、むしろ何色をも映さぬ瞳へと変わっていく。

そう……それはまるで、人体構造を把握する教材として再利用する為に杭ごと運び込まれた、石撃ちに遭った子供の躯。原型を失った、あの躯の瞼を押し開いたときに見たのと同じ、死人の瞳……その色へと。

私の問いに、選別を越え、使命を果たす器となるには、そのような瞳の色であることこそ肝要だと師母は答えてくれた。
私は子供たちが選別を越えていけるよう願い、投薬を来る日来る日も続けた。

治療と投薬を続けても、甲斐なく精神を癒すことが追いつかず、何人もの子供たちがまた"選別"から漏れ、その補充がどこからか連れて来られる。

そんな毎日を過ごし、私はやがて師母から認められ、洗礼名を『ウルスラ』と改めることを許された。それは聖人伝にある霊薬によって人々を癒した聖女の名に由来すると教わった……。


新たな名と共に、私は連れてこられた子供たちの初期の身体状態を確認するという、師母の仕事の一部をも任されることとなった。



新たに連れてこられた子供の中に、ある日私は一人の少年を見つけ、ひどく興味をそそられた。
その少年は、まだ"選別"が始まってもいないというのに、私がここ最近すっかり見慣れてしまった色の瞳をしていた。

共に連れてこられた子供たちとパンを奪い合うことも、その生存競争に破れて杭に縛られた者に向けて石を投げることも、まだこれからだというのに……私が与える薬で癒されることも、まだだというのに、少年の瞳は既にあの死体と同じ暝い色をしていたから……。


数週間後、新たに杭に括られた子供の躯が、いまや私の管理下となった理学室へと運び込まれた夜、他の子供たちと同じように医務室へと通されたその少年は、酷く顔面を腫らしていた。
投げ撃った石が、ことごとく"的"を外れてしまった為に、師父から強く叱責を受けた者がいると姉弟子から伝え聞いていた私は、この少年こそが、そうだったのかとすぐに気付いた。
けれども、同時に訝しさをも覚えた。
日中、櫓から見下ろしながら横目に観察した少年の身体能力には、どうにもそぐわない話だと内心首を傾げ、ある一つの可能性を疑いながら、今日は間近にその瞳を覗き込んだ。

やはり、初めて連れてこられた日と同じ、何も映さない、深い深い……けれども濁った瑠璃色の瞳。

「あなたね、師父から叱責を受けたって子は。……ねぇ、どうしてあなたの礫は当たらなかったのかしら」

向かいの丸椅子に腰掛けた少年の瞳が僅かに揺らぎ、私にぼんやりと焦点を合わせて生きていることだけは伝えるけれど言葉はない。
相変わらず死人のように濁った瞳に、私はふとあることを思いついた。

薬を与えなくても、既にこの瞳の色であるのならば、投薬は不要ではないのか……と。
なぜそんなことを思いついたのか、自分でも分からない。

けれどその夜、私は師母の教えを破って、少年に与えるよう指示された薬の量を大幅に減じ、別のものを与えた。
秘薬投与後の症状である、眠りだけをもたらす薬を少年に飲ませて医務室から返したのだった。


私は知っていた。
今夜、理学室へ杭とともに運び込まれた、選ばれることのなかった少年は、この濁りくすんだ瑠璃色の瞳の少年と密かにパンを分け合っていたことを……。
だからこの少年は故意か無意識にかは判ずることができないが、礫を当てる力があるのに、当てることができなかったのだ……。

この少年は弱い。

師父や師母たちが言う、私たちの使命を果たす為に必要な力、その素質とされるのは、誰をも掻き分けて這い上がる"強さ"だ。
それを備えるようには見えないにも関わらず、なぜこの少年は"選ばれた"のか。
それは、ただ突出した身体能力ゆえなのか?
ではなぜ、この少年はその機能を、もはや動かない身となってしまったパンを分け合った理学室に横たわる躯と同じ、死んだ色の瞳でありながら投薬もなく引き出せているのか。

私はひどくそれに興味を惹かれてしまい、この少年の瞳が薬を与えるべき揺らぎを見せる日が訪れるまで、内密に最低限の量にそれを留めることにした。


その秘密は、私が師母の職責を継がずに屠殺人の道を選び、この少年が"選別"期間を越えて『ラニウス』という名を与えられる日に至っても、変わることは無かった。

少年に規定量の投与を初めて行ったのは、私よりも早い年齢で屠殺人となった少年が、初めてその任につき、帰還を果たした夜だった。

魔力素養を有し、炎への激しい憎悪で編み上げた魔術構成によって、その左手に生み出す氷の嘴を獲物へと叩き込むその姿から『百舌鳥』の洗礼名を受けた少年は、初任務として与えられた地方貴族を問題なく屠って帰還した夜、私の前で初めてその瞳を揺らしながらこう言ったのだった。

「……ウルスラ、俺には殺せなかった。殺すべきだったのに、殺せなかった」

標的を屠り、任務を果たしたはずの少年が口走ったその言葉の意味は分からなかったけれど、少年の瞳に私がその夜見たのは、紛れもない恐怖だった。

それが一体誰に、何に向けた恐怖であったのか。
少年はそれ以上、何も言葉にしなかったけれど、私はこの弱い弟弟子が初めて瞳に揺らぎを見せたこの瞬間に、あの理学室に運び込まれ杭に繋がれた幾つもの子たちと同じように壊れてしまう気がして、とうとう少年に薬を与えたのだった。

その夜を境に、少年……ラニウスは任務に赴くたび、薬を必要以上に欲するようになり、私だけが知っていた"弱さ"を失った。
他のどの屠殺者よりも、奉仕という名の任務をこなし、その左手を朱に染めていくのと引き換えに、投薬によって残りの生命を擦り減らし、深かった瑠璃色の瞳を淀ませ濁していく姿に、なぜだか私はひどく後悔を感じることとなったのだった......。

数年後、私はあの夜にラニウスが見せた恐怖の正体を自らも思い知ることとなり、この狂った園を飛び出したのだった。

きっと、もうすぐあの子が私を屠りにやってくるだろう。
けれどその前に、あの夜の私の過ちだけは正さなければ......。

早く来なさい、ラニウス......。
最終更新:2020年10月12日 23:21