焼け焦げ崩れた石壁、炭化した建材、割れた焼き瓦がいらかのように突き出る荒れた大地……幸せだった幼い記憶とともに炎の中に幻と消えた故郷。
それでも、そこかしこにはまばらに生えた雑草。そこにあったものは一度は消えたけれど、今も無のままではないことを伝える緑の芽。
しゃがみこんで瓦礫を一つ持ち上げれば、糸のように細い茎に支えられた小さな小さな二つ花は、まるで太陽のように眩しかった。
瓦礫を掴みあげてはひとところへと放り投げる。
いくつもいくつも……いつまでも。
割れた何かの破片に触れた指先に痛みが走り、ゆっくりと手のひらを返してみると小さな赤い筋にぷくりと朱の珠が無数に浮かび上がって繋がるのをじっと見つめる。
じくじくとした痛みは、誰もいない荒野で自分がいまも生きていることを教えてくれる。
痛みも傷も生きていることの証だ、たとえ血が流れ出ても傷口を押さえさえすれば裂けたものは塞がり、再び肉を盛り上げる。その傷も痛みも……過ちですら自分自身を形づくる血肉となり、心を回すための血潮はまた作られる。進む意思でもって傷口を押さえさえすれば……。
自分自身の生を感じようとしなければ誰かの息吹など感じられるはずがなく、血潮の通った人の温もりを知ろうとつとめなければ命の……魂の存在など思いもかけない。
自分と誰か、互いの生を認められなければ価値観を見せあうこともできない、一人で積み上げるだけでは自分自身というものを作り育てあげることなどできるはずもなかったのに……。
遅きに過ぎたけれど、でもそれに気付かせてくれた沢山の者たちがいるから。
手遅れなことはある、取り戻せないこともある。償いきれない消せないものは今ものしかかるような重みとともにこの肩にかかる。
掬った手のひらからこぼれ落ちてしまった、あまりに多い水。
でもまだ全部じゃないと、こぼれ落ちたものの為にわずかに残された滴を捨てるかどうかを自分で決めろと言ってくれた者がいたから。
俺は自ら選ぶことをもう一度、はじめからは無理でもここからはじめよう。
だから……
だから、誰かを汚さないようになどという言い訳で、自らが傷付くことを、他者が温もりを持つ存在だと知ることを怖れたから身に付けた、あの手袋はもういらない。手袋の呪印が俺を咬まなくとも俺は俺の罪を忘れない。
そんな小さな購いで償いの溜飲を下げるより、傷も痛みも誰かの温もりも、怖いけれど自分の血肉にしていこう。
傷口を押さえていた指をそっと払えば、乾きかけた血と閉じようと生きる傷跡……。そう、だからもう手袋は必要ない。
胸の隠しを探れば、長い間そこに入れたまま水や汗を吸ってしわくちゃになった絆創膏の綴りに指が触れる。触れるたび何故か温かいそれに、まだ使うほどじゃないと、微かに笑えば記憶の中でオレンジの髪を揺らして笑う顔が朧に見える。
耳朶の奥では『だからって消毒しなくていいって訳じゃないんだから』の声も聴こえる。
いま、この見渡す荒野に人影は見えなくとも、世界も俺も一人じゃない。
「聖人エレハザルのように……ただ誰かの家を守りたかったけれど…」
それに失敗し、こぼれ落としてしまった沢山のかけがえのないものたちにこの呟きは届くだろうか。
「……俺はここに、いつか俺たちの家を建てるよ」
呟きは汗粒とともに荒野へと落ち、再び瓦礫を掴みあげてはひとところへと投げ打つ。
いくつもいくつも……いつまでも
「……その男は、来る日も来る日も瓦礫を拾い集めたそうだ。……戦火で焼け落ち放棄されていた、このカルーナ復興の為に軍が派遣されてくるまで、そしてその後もずっと。……復興を仰せつかった曾祖父がその晩年に俺の寝物語に語ってくれた話だ」
執務室の張り出し窓に腰を掛け、吹き込む風を受けながら広がる赤土と灌漑によって潤う緑の絨毯、その光景に瞳を細める。
その男の前後についての話はよく覚えていない。いや、もしかしたら曽祖父はそれを語らなかったようにも思う。
けれど曾祖父が、その話をカルーナの英雄という題目で語り始めたことと、自分が曾祖父にちっとも英雄の話じゃないと反駁したことはよく覚えている。
寝台に起き上がり、生涯色褪せることのなかった薄桃色の豊かな曾祖父の巻き毛が陽を受けて夕暮れの海のようだったことも。
戦場を駆ける騎士の話を期待していた私に曾祖父は笑い、私の髪を撫でてこう言った。
「その男は人として生きていくことを選びとったから……、私はその歩いた道を何度思い起こして見ても英雄だと思わずにはいられない」
それに、と。
--もし本人が聞いたら私が一番好きだった表情を浮かべるだろうしね。
そう言って、この国で今も英雄として語られる曾祖父が悪戯っぽく笑い語った英雄の話。子供だった頃の私には分からなかったが、今ならなんとなく分かる気がする。何を成したかで英雄と呼ばれる者もいよう。けれど本当はどのようにして歩いたか、歩くことを諦めなかったか、ただそれだけが英雄の条件ではないのか、と。
生まれ落ち、生という旅路を終えるその瞬間まで歩いたこと。
曽祖父が語った男が、語られた以前にどのような道を辿り、またその後どのようにその幕を閉じたのか。今となっては知る由もない。
けれど、確かに曽祖父には男をそのように思いたいだけの足跡が見えていたのだろう。今ならばそう思える。
なぜなら私もまた、英雄と呼ばれることを望まず、その名を煩わしく思っていたに違いない曽祖父を、彼が没して後に巷でうたわれるバラッドや、記された功績などではなく、彼の友人とその子孫が語り継ぐ必ずしも一直線とはいえない苦悩や迷い、選択や後悔。そういったものに彩られ、苦しみ抜きながら進んだその足跡をこそ見返したとき、やはり彼は英雄だったと信じて疑わないからだ。
最終更新:2012年10月03日 01:07