書籍紹介「分身トゥルパをつくって次元を超える」
著者:松村 潔
発売日: 2018/5/15
ISBN: 978-4864512695
発売日: 2018/5/15
ISBN: 978-4864512695
概要/レビュー
チベット密教における応身としての「トゥルパ」について扱った書籍。
この著書において"タルパ"と"トゥルパ"は別のものだという立場であり、主に仙道における陽神などを交えて、多角的な視点から分身としての"トゥルパ"の解説を行う。
この著書において"タルパ"と"トゥルパ"は別のものだという立場であり、主に仙道における陽神などを交えて、多角的な視点から分身としての"トゥルパ"の解説を行う。
トゥルパは作るものではなく、宇宙的意思のもと、向こうからやってくるものであるが、自らイメージを練ることで、それを呼び水にアストラル体が埋め込まれることがあるとしている。
キーワード
密教、仏教、トゥルパ、陽神、ヨーガ、体外離脱、タロット、占星術、神智学、スピリチュアル、ユング
目次
- トゥルパとは何か
- 分身を作る
- コーヌコピアの形になる窓
- サビアンシンボルとアカシックレコード
- 主客と二極化
- 皮膚の牢獄
- トゥルパとは何か
- イマジナリーフレンド
- 天を覆う無数の身体
- 縦波と二極化
- クンダリニ
- 両方にまたがって知覚する
- 陰陽化することで意識は働く
- 縦波の存在
- 松果腺は単性的性質
- 六つの方向圧力
- 二つのうちの一つになりきる
- この世界に何一つ期待しないということ
- 柔らかい壁と固い壁
- 達磨、空海、即身仏
- 達磨大師の陽神づくり
- 体内トゥルパ
- 内のものが外に、外のものが内に
- 妄想は真実のビジョンに乗っ取られる
- 小周天から大周天へ
- 少しずつ死んでいくということ
- わたしの父親のこと
- 杖としてのミイラ
- エーテルの網
- 分身を作り息を吹き込む体外離脱の方法
- 体外離脱用分身からトゥルパへ
- 宇宙の植物網
- 宇宙ステーションのリリス
- 天国の網をつたう
- エーテル体につながるのは奈落に落ちるような感覚
- 物質世界に関心を抱いたアストラル体
- トゥルパとしてのかぐや姫
- 十五夜とは何か
- 地球の記憶と構成の記憶
- エーテル体をちぎって餅にする
- カフナのバイロケーション
- タロットとトゥルパ
- 三種類の暗闇
- 教科書としてのタロットカード
- 一方的に流れる時間を止める
- ザリガニと吠える犬
- 時間を越える審判のカード
- 成長するザリガニ
- 回転しながら上昇するということ
- 魂と魄
- 赤い靴
- 異物を混ぜる
- 春夏秋冬と朔望月
- 部屋をあらためて作る
- 樽に漬けられた母親
- マカバ
- アニムスとアニマ
- 黒い男とアニムス
- 異人さんとしてのトゥルパ
販売元紹介文
死を超克するための究極のメソッド!
分身トゥルパの秘密、
即身仏の謎がいま解かれる!
分身トゥルパの秘密、
即身仏の謎がいま解かれる!
達磨大師と空海はほんとうは何をしていたのか?
人間は別次元に不死の身体をつくることはできるのか?
21世紀の「死者の書」とも言える、死を乗りこえるための方法論と存在の神秘。
人間は別次元に不死の身体をつくることはできるのか?
21世紀の「死者の書」とも言える、死を乗りこえるための方法論と存在の神秘。
多次元にわたる人間存在の神秘を、ここまで明らかにした書はかつてありません。
チベット死者の書は、死後49日間について語っていますが、
本書では、死の前に死後の準備をすることの重要さを、
モダン神秘主義というべき観点から語っています。
チベット死者の書は、死後49日間について語っていますが、
本書では、死の前に死後の準備をすることの重要さを、
モダン神秘主義というべき観点から語っています。
チベットでは分身のことを「トゥルパ」と呼びます。
それはエーテル体の身体のことであり、肉体と異なり何百年も生き続ける身体。
この分身を作るには、強烈な感情体の力が必要ですが、
いったい、どうすればそれは可能なのでしょうか?
ここに神秘哲学研究の第一人者、松村潔が辿りついた究極のメソッドがあります。
それはエーテル体の身体のことであり、肉体と異なり何百年も生き続ける身体。
この分身を作るには、強烈な感情体の力が必要ですが、
いったい、どうすればそれは可能なのでしょうか?
ここに神秘哲学研究の第一人者、松村潔が辿りついた究極のメソッドがあります。
「死後、仏陀はもう転生することができなくなった。
しかし応身としては顕現することができた。
これは、仏陀の肉体を持たない、エーテル体としてのもので、
千人の人がいれば、千の仏陀があらわれる。
(中略)お遍路さんをすると、現代でも、空海の応身が一緒に歩いてくれる。
応身からすると、はっきり自分は物質的実感がある。
しかし肉体を持つ、この地球世界に住む人間からすると、
それはある程度霊的な視覚がないと見えてこないし、 理念でしかないと思ったりもする」
しかし応身としては顕現することができた。
これは、仏陀の肉体を持たない、エーテル体としてのもので、
千人の人がいれば、千の仏陀があらわれる。
(中略)お遍路さんをすると、現代でも、空海の応身が一緒に歩いてくれる。
応身からすると、はっきり自分は物質的実感がある。
しかし肉体を持つ、この地球世界に住む人間からすると、
それはある程度霊的な視覚がないと見えてこないし、 理念でしかないと思ったりもする」