PART 1-A Takuya Side
「たぁっ!」
気合とともに、少女の細いたおやかな脚が繰り出される。
優雅に、踊るような動作で繰り出された蹴りは、その見た目とは裏腹に、凄まじい威力を持っていた。たった一撃で、大男が着用していた強化スーツを破砕し、吹き飛ばしてビルの壁にたたきつけたのだ。
「やったぁ!」
「いえい!」
少女の戦いを見守っていた野次馬たちから歓声があがった。少女の周囲には強化服を着た数人の男たちが、無様に伸びて転がっている。この純白のレオタードスーツと黒いゴーグルを着けた少女が、たった一人で倒してのけたのだ。
「いいぞ、ホワイトエンジェル!」
野次馬の一人がそう叫ぶ。ホワイトエンジェルと呼ばれた少女はあたりを取り巻く野次馬たちに見向きもせず、ひらりとジャンプする。すると、少女の身体は、虚空に吸い込まれるように消えていった。
※
ブレザーを着た高校生らしい少年と少女が、肩をならべて道を歩いていく。ふたりともなかなかの美形だったが、彼らの間にただよう雰囲気には、恋人同士のような色気がない。兄妹か、あるいは幼なじみという感じだ。
「美里。昨日のホワイトエンジェルの活躍すごかったよな」
少年……神野卓哉はおもむろに口を開くと傍らの少女……加賀見美里にたずねた。
「すごかったって? 実際見たわけじゃないでしょ? どうして解るのよ」
美里はあまり興味がないといった感じでそっけなく返事する。
「おまえ、昨日のニュース見なかったのか? 居合わせた通行人がデジタルビデオカメラを持ってて、戦闘の様子を一部始終撮影してたんだ。これまで、写真撮影されたことはあったけど、ビデオに撮影されたのは初めてだからな」
「ビデオ撮影されてたの!?」
美里は驚いたように声をあげた。
「ああ、見逃したんなら録画してあるから、今日、帰った後で見せてやるぜ」
「お願いするわ……」
「しかし美里。ビデオを見てて思ったけど、ホワイトエンジェルの正体。やっぱりサイボーグみたいだぜ」
卓哉が決めつけるようにそう言うと、美里がまなじりを上げて反論する。
「どうしてそんなことわかるのよ?」
「蹴り一撃で強化服を粉砕して、190センチ近い大男を5メートルも吹き飛ばしたんだぜ。それだけのパワーを発揮するには、骨格の強度からして人間の数倍はなければならない。全身をサイボーグ化しないかぎり、そんなことは不可能だ」
「でも、戦闘が終わるとテレポートして去っていくんでしょ? やっぱりエスパーじゃないの?」
「エスパーなんて実在しないさ。おまえの姉貴は、テレポートみたいな効果を生み出す空間跳躍装置の実現も可能だって言ってたぜ。ホワイトエンジェルには、その空間跳躍装置が内臓されているに違いない」
卓哉の推論に、美里は少し慌てたような口調で同意する。
「まあ確かに、可能性がないとはいえないわね。確証があるわけじゃないけど」
「しかし、宇宙人説やエスパー説なんかよりはずっと現実的だ。以前話したら耀子さんだって俺の意見に同意してくれたんだぜ。今の技術でもじゅうぶんサイボーグの製造は可能だって。実際どこぞの国では軍事用に研究しているそうだ」
「姉さんがそんなこと言ってたの!」
「ああ。世界的に有名な工学者である、おまえの姉貴がそう言ってるんだ。ホワイトエンジェルの正体はサイボーグできまりさ」
卓哉がそう断定すると、美里はなにか考え込むようにおし黙ってしまった。
「なあ美里?」
「なあに?」
「昨日ビデオ見てて思ったんだけど、ホワイトエンジェルっておまえに似てないか?」
どこか真剣な表情で卓哉は美里にたずねる。
「なによ。まさか私がホワイトエンジェルだなんて思ってるんじゃないでしょうね?」
茶化すような口調で美里は卓哉にたずね返した
「いや……昨日のビデオを見て思ったんだが、背格好も、顔の輪郭も、髪の長さも、スタイルも、おまえと驚くほど似てたんだ……」
「まあ、天下の美少女戦士ホワイトエンジェルに似てるって言われるのはまんざらでもないけど……。あなたの説が正しければホワイトエンジェルってサイボーグなんでしょ? 私の身体、機械仕掛けに見える?」
そう言って美里は豊満なバストを誇示するように胸を突き出して見せる。
「そうだよな……。おまえがホワイトエンジェルなワケないか。おまえみたいな性格悪い女が、正義の味方なんてするわけないし」
「誰が性格悪いのよ! あんたみたいな極悪人といっしょにしないでよ。聞いてるわよ、また女の子振ったんですってね」
「別に振ったワケじゃない。俺の方はただの友人だと思っていたのを、向こうが誤解していただけだ」
慌てたような口調でそう言う卓哉に、美里は皮肉げな口調で告げる。
「へえ……卓哉って、ただのお友達とブティックホテルへ行ったりするんだ?」
「ブティックホテルって、おまえ!」
さらにあせって声を上ずらせる卓哉に、美里は追い討ちをかける。
「この美里さんの情報網を甘く見るんじゃないわよ。あんたのご乱行なんか筒抜けなんだから」
思わず言葉に詰まった卓哉を見て、美里は意地悪く笑った。
※
今日は終業式なので午前中のうちに学校が終わった。明日からの春休みを控え、生徒たちは開放感あふれる表情で家路に向かっていく。
卓哉と美里も、足早に家路を急いだ。
卓哉と美里の家は、この東京湾に浮かぶ海上都市『シーパレス』でも高級住宅街にあたる地区にあった。
ふたりの家は隣りどうしだったので、こうして一緒に登下校するのは、幼いころからの習慣だった。
ふたりは小等部から大学まで一貫したカリキュラムを持つ『シーパレス中央総合学院』に通っていたので、高等部に進級した現在まで、こうしてその習慣は続いている。
卓哉と美里にとって、ふたりが一緒にいることは空気のように自然なことだった。
「卓哉……」
「なんだよ」
卓哉がたずねかえすと美里は少しほほを赤らめて告げる。
「おトイレ行きたくなっちゃた。そこの公園によってもいいかな?」
「家まで、もう少しじゃないか。我慢できないのかよ」
「我慢できるんなら言わないって。あぁ、もう漏れちゃう……」
慌てて駆け出す美里を追って、卓哉も公園へ向かう。
ったく。デリカシーもクソもない女だな、こいつは。男の前で『もう漏れちゃう』はないだろ!
自分は美里に男として見られていないのであろうか?
去年から両親が海外で働いているので、現在、卓哉は一人暮らしだ。美里はその一人暮らしの卓哉の家に遊びに来て、平気で夜遅くまでビデオを見たりゲームをしたりする。
卓哉も男だ。思わず美里を押し倒してしまいたくなったこともある。それを思いとどまったのは、もし美里に拒否されたら……と思ったからだ。
美里にその気がなかったら、たとえ無理矢理思いをとげたとしても、2度と今のような関係には戻れない。その懸念が、卓哉に行動を踏み切らせなかったのだ。
(ま、恋愛っていうのは、惚れたほうの負けっていうからな)
卓哉は苦笑しつつもトイレに入っていった美里を待った。
※
あいつ、トイレに何分かけてるんだよ!
女のトイレが男のよりも時間がかかるっているのは、卓哉も理解している。しかし、すでに美里がトイレに入ってから20分以上も過ぎている。
まさかトイレのなかでぶっ倒れていたりしないだろうな?
そう、卓哉が思ったとき、あたりが騒がしいことに気づいた。
「ホワイトエンジェルが、向こうのビル街に現れたんだってよ」
「マジかよ」
「セイジに携帯で聞いたんだ。また例の環境保護団体が破壊活動してるらしいぜ」
卓哉と同い年くらいの少年たちが口々に言い合いながらビル街に向かう。
(ホワイトエンジェルが!)
卓哉も思わずビル街に向かいたくなるが、美里を置いて行くわけにもいかない。
(ん? まてよ)
美里がトイレに入っていったのが20分前。先ほどの少年たちの情報を信じるなら、ホワイトエンジェルが現れたのもそれくらいの時間だろう。
まさか……。
卓哉はある疑惑を感じて女子トイレに駆け込んだ。
公園のトイレにしては管理が行き届いているらしく、なかなか清潔だった。扉の閉じた大便所はひとつしかない。現在、トイレを使っているのは美里だけのようだ。
卓哉はトイレのドアをノックした。
…………。
返答はない。
卓哉は鞄から定規を取り出すと、ドアの隙間に差し込み、鍵をはね上げドアを開ける。
しかし……。パーテーションの中には美里の姿は影も形もなかった。
そして……。洋便器の蓋の上には学生鞄と折りたたまれたブレザーが置かれていた。
※
数分後。音もなく、純白のレオタードスーツと黒いゴーグルを着けた少女がトイレの中に突然現れた。
狭いトイレのパーティションの中に現れた少女を卓哉は抱き止めたような体勢になってしまっていた。慌てて少女の身体を下ろすとと、便器を間に挟んで向かいあう。
間違いない、現れた少女はホワイトエンジェルだ。
「美里!」
なんのためらいもなく、卓哉はホワイトエンジェルに向けてそう呼びかけた。
「卓哉? どうして!?」
ホワイトエンジェルはびっくりしたような口調で返答する。
卓哉はゴーグルに手をかけると、ホワイトエンジェルの素顔をさらす。
ゴーグルの下から現れたのは……、もちろん美里の顔だった。
「見損なったわ! 女子トイレに侵入するなんて、サイテーよ!」
美里は怒りも露わにそう言った。
「何度もノックしたし、呼びかけたさ。でも返事が無い。中でぶっ倒れてるんじゃないかって、心配するのはおかしいか?」
卓哉は真面目な顔でそう告げた。
「心配、してくれたの?」
「当たり前だろ? しかし、まさか本当におまえがホワイトエンジェルだったなんてな」
卓哉は皮肉気な口調で美里に告げた。気まずい沈黙が流れる。
「どうして俺に教えてくれなかったんだ? 正体を詮索して推理する俺を見て笑ってたのか?」
「違うの! 卓哉! わたし……」
気が強い美里が、怯えたような表情で卓哉から目をそらす。
「とりあえず、服、着替えるんだろ?」
詮索するのは後だ。そう考えて、卓哉はうなだれた美里を残して、女子トイレの個室を後にした。