「こうして戦えることが幸せだとは思わないか?」
「幸せ? どこがだ。戦えないアクターに存在価値など無い。死ぬだけだ」
「戦えない奴がいるんだ。文字通りの最強完璧で無敵。強すぎて敵が一人もいない。勝負にならない。だから負けない。負けることができない」
「強いのならばそれでいいじゃ…」
「誰が相手になっても話しにならない。‘お話し’にならないんだよ」
「…」
「可哀相だろ」
四ページ目-極ヶ原強也
春の穏やかな風が吹き抜ける中、3人が振り返る。そこに極ヶ原強也が佇んでいた。その姿は歴戦の傭兵の様にも見える。他に生徒会員の姿は見られない。一人か。というか、選挙の真っ最中だというのにこんなところに会長候補が2人もいていいのだろうか。
「俺が何を知らんのだ? その前に、…ふむ。君達3人が集まれば世界を相手に戦っても勝てそうだな」
口調は非常に穏やか。逆にそれが怖い。私達が世界を相手に戦って勝てる?
最強にして最凶、完全無敵の絶対規律、蓬世円。
全能力者の天敵、問答無用の浄玻璃鏡、七五三野空海。
三千世界をあまねく見通す天網の魔眼、六道太平。
おぉ、なんかよく分からんが、こうやって書くとカッコイイ。確かに勝てそうだ。というか、魔眼て。私はそんなぶっそうなものを装備した覚えはない。
「選挙の最中に相談事か? 皆、選挙権は無かろうに」
極ヶ原強也は極めて友好的な態度のまま一歩、また一歩と歩を進めてくる。威圧感とでも言うのだろうか。私には見えない壁が迫ってくるようだった。
「その前にだ。極ヶ原」
「うん?」
先陣を切ったのはヒゲ眼鏡。一歩、前へ出る。初めてこの人を頼もしいと思ったかもしれない。
「いつから、いた?」
「今、来たところだ」
「と…、いうことは今来たところだな?」
「そう言っているだろう」
七五三野先輩から緊張が解ける。蓬世円もピリピリとした感じが幾分、和らいだように見える。だが、極ヶ原強也は言葉を続けた。
「聞こえていた、という点ではその前からとなるが…」
瞬間、場の緊張は最高に達した。冷や汗というものが流れるのを私は確かに頬に感じた。それよりも右隣に浮いている蓬世円からの殺気が凄まじい。隣にいる私など殺気だけで絶命しそうだ。何を聞かれた? 私と蓬世円の能力について聞かれているならば、はっきりいって洒落にならない。極ヶ原強也に関しては理由が無い。もし、そうだったとしたら蓬世円が極ヶ原強也を殺しにかかるのを私は止めるべきだろうか、黙認するべきだろうか。蓬世円が殺さなかったにしても特級保持の露呈は最悪、特殊能力者対策局の誇る対特殊能力者専門鎮圧部隊こと特別行動部隊の出動も有り得る。元凶は国家機密レベルの特秘をベラベラと喋り倒したヒゲなんだから舌を引き抜いた上でヒゲが死ぬべきではなかろうか。
心臓はお前こんなに早く動けたのか、というくらいのスピードで鼓動を打ち続けており、脳内の警鐘は叩きすぎで既に壊れている。
「よもやこの選挙が裏で仕組まれていたとはな…。私にも危機感が足りなかったようだ」
そこかよ。気の抜けたような、安心したような、なんとも形容し難い感情が駆け抜けた。まぁ、選挙について理解してもらえたのは僥倖とも言える。これで狂った運命の歯車を元に戻すことも可能かもしれない。極ヶ原強也を騙す形にはなるだろうが一度この選挙戦を白紙に戻して、蓬世円の立候補を取り消し穏健派とした上で再度、別の対立候補を出し執り行えば結果は目に見えている。生徒会長選挙の途中で結果も出ていないのにやり直しなど、おそらく環凪学園始まって以来の珍事となるが状況が状況なだけに仕方ないだろう。
私が黙々と今後の計画を組み上げている中、極ヶ原強也もしばし顎に右手を添え、一人、考えるような仕草を見せていた。
「よし」
極ヶ原強也は何かを決めたように小さく頷くと私の予想を大きく外し、斜め60°をいく言葉を発した。
「君達の戦略は見事だった」
何が。
「だが、私も負けてやるつもりは一切無い」
ほう。
「そして、裏で露呈してしまった君達も、これ以上その舞台で戦う気は無いだろう」
ちょっと待て。
「決着を付けようじゃないか。ここで」
極ヶ原強也という人物の事をよく知っているわけではないが、あぁ、この人は馬鹿なんだ。と思った。
「待て。極ヶ原」
「なんだ。書記長」
威風堂々と拳を握り締めた極ヶ原強也に七五三野先輩が食って掛かる。
「落ち着け。俺達にお前と戦う気は無い。それとこれ以上、事をややこしくするな」
「私は落ち着いているぞ。君達の会話を聞き、全ての謎が解けた時点でな。まぁ、結果として盗み聞きをしてしまった点については申し訳ないとは思っているが」
「そうじゃない。俺の話しを聞け。極ヶ原」
「これ以上、何を話すというのだ。あとは拳で語り合えばいいだろう」
「一体、何を聞いていたんだお前は…」
七五三野先輩はがっくりと肩を落とす。ここまで話しが通じない相手もそういないだろう。
極ヶ原強也は私達3人が共謀して、この選挙に臨んでいると思っている。そして、極ヶ原強也的には策略が露呈した時点でそのまま戦いたくはないだろう、という気遣いらしい。勝負といえば正々堂々なのだろうか。まぁ、単純に強い極ヶ原強也らしいといえばらしいが。ここからどういう風に論理展開したのか意味不明なのだが、なのでここでガチンコのバトルで決着を付けようというのだ。これが戦闘狂。またの名をアクター脳。恐ろしい。極ヶ原強也も私とヒゲだけならば、こうはいかなかっただろうが、こちら側にも(不幸にも)Sランクのアクターがいる。正々堂々フェアに、ね。というか、この人戦いたいだけなんじゃないだろうか。
蓬世円が空を滑りスッと私達の前に出た。
「蓬世!」
七五三野先輩が声で制止しようと試みるが蓬世円は止まらない。極ヶ原強也をよく知っているらしく、その上での結論。
「馬鹿は力で黙らせたほうが話しが早いわ」
終わった。なんというか私の運命というか。いろんなものが。極ヶ原強也は蓬世円を確認すると不敵に笑い、高等部の制服、そのジャケットを脱ぐと私に投げて寄こした。
「持っていてくれ。汚れるだろうから」
それだけ言うと、極ヶ原強也は親指で林の奥をくい、と指し蓬世円を誘導する。一々、言動が様になるな、この人。そういえば選挙はどうなっているんだろう。立候補者が消えた大講堂は大丈夫だろうか。
「不味い、不味い、不味い!Sランク同士のケンカなんて洒落にならん。下手すりゃ局の「方舟」が動くぞ!」
「特行まで動くとなると退学は確定ですね」
慌てる七五三野先輩に対し、私は自分でも意外なほど落ち着いていた。少し考えれば分かると思うが、この戦いはむしろ望むところなのかもしれない。
「ちょっとお前の能力で未来覗いて、解決法でも探して来い」
「すいません。自分、猫型ロボットじゃないんで。っていうか解決法が分かったところで止めるの無理でしょ。蓬世さんですよ?」
しばらく七五三野先輩は目を瞑って考えると「それもそうか」と納得した。
「観戦でもしましょ。七五三野先輩の大好きなアクターのしかもSランクが二人もいますよ」
「たしかに…。こんなチャンスは二度とないかもしれん…」
そうこうしているうちに2人は私達から50mほど離れた木々の開けた位置で止まった。極ヶ原強也は左半身を前に出し、身体の前方で両腕を交差した独特の構え。一方の蓬世円は直立不動のまま極ヶ原強也対し正面を向いている。
「構えないのか」
「意味が無いから」
その姿は自信に満ちて――いや、自信などではない。環凪島で最強の能力者に自信など必要ない。自信など無くても誰かを、何かを恐れたりすることはない。そんな概念すら飛び越えた先で、ただ己の最強だけを受け入れている。
超然。この言葉が相応しいだろう。この小柄な少女には。
「そうか」
極ヶ原強也はフッ、と笑うと「いくぞぉ!」と声量を跳ね上げた。
覇気が炸裂する。
極ヶ原強也は一歩、前へ動くと、まるでボーリングの投擲のようにその場で大きく腕を下方へ振るう。前方地面への強烈な打撃。一体、どれほど力で腕を振るえばそうなるのか、打撃の衝撃波により大きく抉られた地面が飛び、散弾のように高速で蓬世円に向かう。飛んだ地面は蓬世の目の前で不自然に停止をした。
「念力(テレキネシス)!? いや、重力無視か!?」
「おぉ~」
極ヶ原強也の目が見開かれる。蓬世円が両腕を広げると、大小様々な大きさの地面の欠片が一つにまとまり、極ヶ原強也へと送り返された。
蓬世円が送り返した巨大な石と土の塊を極ヶ原強也は、避けるでもなく正面から普通に殴った。砕け散る地面の塊。それを見届けた蓬世円は、広げた両腕を前方で合わせる。砕け散り、空を飛んでいた地面が極ヶ原強也に向かって集約する。それを極ヶ原強也は打撃だけで次々と撃ち落としていく。濛々と立ち上がるは土煙。全ての地面の欠片を撃ち落とすと、その土煙の中から瞬時に飛び出した。
速い。私が瞬きをしている間に極ヶ原強也は蓬世円に肉薄していた。ふっと、その姿が消える。いや、消えたわけではない。消えたように錯覚を起こしただけだ。極ヶ原強也は蓬世円の上。空中で縦にくるりと回り、その足を振り下ろした。ドゴン!、と素手の人間同士では絶対に聞くことの出来ない落雷のような轟音が響く。
しかし、極ヶ原強也が叩き割ったのは蓬世円ではなく地面。蓬世円は、どこだ。こちらは極ヶ原強也のような錯覚ではない。本当に消えている。「時間」と「空間」という密接に関係し、切り離す事が出来ないはずの時空間連結の法則を覆して行う「無時間移動」。蓬世円の十八番だ。
現れたのは極ヶ原強也の右斜め後ろの空中。しかも、既に右足を振り、蹴りの体勢に入っている。狙いは後頭部。瞬時に反応する極ヶ原強也。その幾百、幾千もの戦闘経験が先見ともいえるレベルで相手の行動を読んだ。極ヶ原強也は額の前で腕を十字に組む。と同時に蓬世円は再び消え極ヶ原強也の眼前に出現し額目掛けて右足がハンマーを振るうかのように弧を描いた。極ヶ原強也の身体が後方へ飛ぶ。吹き飛ばされたわけではない。攻撃の威力を殺す為、自ら跳んだのだ。蓬世円がその隙を見逃すはずも無い。極ヶ原強也は既に迎撃態勢。
そこからのお互いの打撃の連打と応酬。
1秒間に何フレームで撮影すれば、この2人の動きを捉えられるのだろうか。早すぎて極ヶ原強也の両腕が消えているように見える、それを避ける蓬世円の姿も前後左右にブレて見える。と思えば、蓬世円が消え、死角からの一撃を放つ。それをまたしても極ヶ原強也が受け止め、いなして攻勢に回る。その度に小さな衝撃波が生まれ、爆風となって辺りの木々を揺らす。なんかこういうの昔に漫画とかで見たことあるなぁ、と思った。極ヶ原強也の圧倒的なスピードと破壊力。対する蓬世円も法則を無視した動きで対応する。
彼女の動き方は、こういう言い方はどうかと思うが‘奇妙’だ。彼女の動きには慣性が無い。いきなり最高速まで加速し、そのままの速度でブレずに方向転換し、反転し、飛び上がる。それは、あたかも空中をを自由自在に泳ぎ回る魚のような動き方だった。さらには、そこに無時間移動も組み合わせてくる。
なるほど。並みの能力者では手も足も出ないはずだ。こんな奇妙奇天烈な格闘術は見たことが無い。
蓬世円が地面に着地した瞬間を狙い、極ヶ原強也が一瞬しゃがみ足払いを仕掛ける。後方へ跳ぶ蓬世円。しかし蹴りはフェイントであり、極ヶ原強也は体制を戻し前方へ跳躍しながら蓬世円の顔面に向かって拳を打ち出す。
「「上手い!」」
おっと。つい口から感嘆が漏れてしまった。しかもヒゲと被ってしまった。
決まったと思ったが、そのまま空中で上体を後ろへ倒しながら首を僅かに傾け拳をかわす蓬世円。左手で極ヶ原強也の伸びた左手首を掴むと、左に捻る。右手を肘に添え、両腕を振りかぶりつつ背転し、思いきり極ヶ原強也を投げ飛ばした。
「四方投げ…!?」
「特殊な変形なので断言は出来ませんが、おそらく元は四方投げかと」
隣では成人した男が少年のように目を輝かせ、観戦している。極ヶ原強也と蓬世円の身長差は実に35cm近い。身体の大きな相手と戦うのだから、合気道という選択肢は間違いではないのだろう。彼女に必要かどうかは別として。
蓬世円の追撃がくる。おそらく極ヶ原強也もそう感じているのか投げ飛ばされながらも顔だけはしっかりと蓬世円に向いている。蓬世円は斬り下した右腕ではなく、左手を正面に突き出し掌を広げている。一時休戦? 「待て」というジェスチャーにも見える。何かがくる。そう判断したのだろう。投げ飛ばされた極ヶ原強也は両手で着地すると、体制を立て直す時間も無いのか、逆立ちの体勢から両腕だけで3mほど飛び上がった。直後。擬音を付けるのならば、バクン!。といったところか。蓬世円が突き出した左手を握り締めると同時に、先ほどまで極ヶ原強也の両手を付けていた地面が抉り取られた。
「拘束不可からの遠近無視…!」
ヒゲが驚愕の表情でそれだけ呟く。これがこの男の能力。見た能力を理解する能力。
「あれが…?」
私の目では何かが変わったようには見えないが、いつ能力を発動していたのだろうか。
「そうだ。…何故、この場面で能力を?」
「それだけ極ヶ原さんが強いってことじゃないんですか?」
「…」
答えは無い。うーん。何だか、また流れが変わってきているような気がするのは私だけだろうか。やはり、事象操作を行ってしまう彼女の傍にいると良くないのだろうか。この戦いは蓬世円が勝つ。蓬世円の能力を持ってして、勝てない敵はいないのだ。今しがた、私が視た未来においても蓬世円の勝利はほぼ確定といっていい。先の選挙で外れたので、一応、今回は1兆6653億、飛んで1608通りの未来を視ての結論である。因みに決め技は飛び膝蹴りだ。まぁ、分母がそもそも無限に近いので大量に数を重ねたからといって確実性が上がることは無い。普段の予測ならば先述の通り、70万109通りで十分である。一応。一応だ。1兆6653億回という数に特に意味は無い。先ほど、私とヒゲの会話のなかで、七五三野先輩が目を瞑っていた一瞬の隙をついて能力を発動し、七五三野先輩が再び目を開けるまでの間で視ることの出来た未来の数だ。実時間でいえば2秒弱か。短時間で多くを視るという訓練はしたことが無かったが、いいトレーニングになるかもしれない。これ以上、自分の能力をヒゲに見せびらかすつもりもないし。とりあえず、当面の目標は1秒以内で100兆通りにでもしておこう。最終的な目標はこの男が瞬きをする間、瞼が完全に閉じ、再び開くまでの間での完璧な能力制御だ。
「極ヶ原はまだ本気は出していない」
「出されても困りますが」
その会話の合間も、バクン、バクンと地面が抉り取られている。それを極ヶ原強也は縦横無尽に跳ね回り避け続けている。的確に極ヶ原強也の着地を狙い握りつぶそうとする蓬世円。しかし、当たらない。完璧なタイミングであるはずなのにその攻撃は極ヶ原強也にかすりもしない。まるでそういう遊びのようにも見えた。
「なんか2人とも遊んでるみたいですね」
「蓬世が攻撃位置を完璧に制御しているからな。本来なら遠近無視の攻撃範囲は直線上全てになる」
蓬世円の右腕が動く。右から左に薙がれる。木々が刈り取られていく。今までよりも高く跳ぶ極ヶ原強也。上空の極ヶ原強也を見据え、蓬世円が掌を合わせた。それは私たちが羽虫を殺す動作とそっくりだった。背後には大講堂。逃げ場が無い。蓬世円の左手と右手の隙間に極ヶ原強也の姿が重なる。両掌が叩きつけられると同時に蓬世円の両腕が左右、外側に向かって弾けた。
極ヶ原強也が遠近無視の攻撃を受けると同時に、打ち返したのだ。確かに、遠近を無視し攻撃をするのだから理論上それを相手側が受け止めたり打ち返すことは可能である。出来るかどうかは別として。驚くべきは極ヶ原強也の状況判断の速さと的確さだろうか。並みの相手ならば一撃で潰されていただろう。概念法則を無視しだした彼女と戦って、戦いになっている時点で極ヶ原強也もまた異常である。
蓬世円の眉が一瞬、ピクリと動いた。彼女なりの驚愕のサインなのだろうか。それとも苛立ちだろうか。即座に左腕を突き出す。極ヶ原強也はあろうことかそれをも殴った。遠近を無視し正面からぶつかり合う拳と拳。弾けたのは蓬世円の左腕。その衝撃で彼女の華奢な身体がぐらつき、足が地面に触れるとそのまま一歩、二歩と後退した。蓬世円の左手から鮮血が散る。
「お!」
「え?」
感嘆符と疑問符が混じる。
勝機。大講堂の側面を蹴り、極ヶ原強也が高速で空を駆けると蓬世円に再度、肉薄する。
直後。何が起こったのかはよく分からなかったが轟音と地響きが我々を襲った。個人的に、超速の攻防は実況が出来ないので止めてほしい。ぐらつく地面に全身でしがみつき、辺りを確認する。
目の前が巨大な滑り台になっていた。構図としては上から振り下ろされた蓬世円の右拳を極ヶ原強也が左手で受け止めていた。私の10mほど下方で。極ヶ原強也を中心にして半径数十mの地面がクレーターのように大きく抉れている。強大な力で押し潰された岩盤の片側が持ち上がり、離れていた私を持ち上げていた。中心の2人は固まったまま。お互いの表情は無い。
「ハハッ、見ろよ。六道。アレさ。極ヶ原が受け止めてなかったら環凪島が真っ二つになってたんだぜ」
引きつった笑いで青い顔の七五三野先輩が言う。どんな威力だ。というかそんなことを言っている場合ではない。
「しかし、質量を無視した一撃を生身で受け止めるとは…。極ヶ原、お前も…?」
違う。そんなものではない。極ヶ原強也はそれではない。極ヶ原強也は――刹那。私は確かに見た。彼女の顔が愉悦に歪むのを。
「逃げるぞ!」
極ヶ原強也の口元が動き、それに呼応するように彼女の口角が微かに持ち上がり、白い歯が覗いた瞬間、七五三野先輩が弾けるように駆け出す。クソ、足がいうことを利かない。腰が抜ける一歩手前だ。縺れる足を何とかギクシャクと動かす。降りられる場所を選び、跳ぶ。転ぶ。立ち上がる。必死だ。生まれて初めて必死に逃げている。なんだあの顔は。あんなに残酷で冷酷で非情で無情で無慈悲で他人に絶望を与えるような笑顔が人間にできるのか。あの男は何を言ったんだ。誰だ。蓬世円の心が壊れているなんて言った奴は。彼女の心は生きている。感情もある。ただ、ただ。クソッ、言葉が見つからない。とにかく非常事態だ。緊急事態だ。エマージェンシーコールだ。知らせなくては。誰でもいい。このままでは。
なんとか平地に辿り着く。走る。走る。
「っ!」
私のすぐ横を何かが高速で飛んでいった。地面にぶつかり、跳ねる。木々をなぎ倒し、水切り石のように二度、三度跳ねると大講堂前の噴水に激突し、噴水は大破。煽られて倒れた私は、飛んでいったのが極ヶ原強也だったということを大破した噴水から即座に飛び出した影を見て理解する。私の眼球より速く極ヶ原強也は駆け抜けていった。直後、背後で轟音。もう完全に腰が抜けている。立てない。極ヶ原強也の激突で舞い上がった1tはありそうな岩がようやく地面にぶつかった。何故、こんなに激しい戦闘が起こっているのに誰も気付かない。
あぁそうだ。今日は生徒会長選挙だ。学園のどこで爆音が響こうとも誰も気にしない。今日だけは誰も気付かない。ましては一番の激戦区になる大学部は大講堂付近。腕自慢のアクターは自分の仕事で手一杯。戦闘能力の無いリフィターは怖がって外には出てこない。
最悪だ。何より一番、最悪なのは、また未来がずれていること。こんな展開は無かった。
本来ならば、私の視た未来ならば、極ヶ原強也と蓬世円の勝負は蓬世円が極ヶ原強也の顔面に飛び膝蹴りを喰らわせて極ヶ原強也が卒倒。私達が勝ったと思った直後、蓬世円が一瞬気を抜いた瞬間に極ヶ原強也が駆け「生徒会格闘術」を繰り出す。「四衝連撃」からの「鎌下双撃」それに繋いでの「三式奥義・乾坤塵墜砲(けんこんじんついほう)」が直撃。蓬世円が吹き飛び大講堂を破壊。そこで極ヶ原強也は気絶。蓬世円も能力発現後、初めての傷を負う。大講堂の破壊により生徒会員が駆けつけ、極ヶ原強也の姿と我々が目撃される。我々3名は選挙中に極ヶ原強也を陥れたあげく手を出した違反者と認識され、生徒会員VS蓬世円&七五三野空海&六道太平という事態に発展。しかしながら蓬世円の戦闘力と七五三野先輩の能力看破の相乗効果は凄まじく、次々と蹴散らされていく生徒会員。さらに他生徒を巻き込みながら肥大化していく生徒会戦争。そこで生徒会の『七つ道具』、さらに自警団は『十王』という戦闘能力に特化した2部隊が出動し、事態を収拾。復活した極ヶ原強也からも事情を聞き、こんがらがった糸は解かれる。結局は蓬世円の能力が皆にバレる(というか「善悪に関する因果」を説明し)蓬世円が選挙戦を辞退をする形で、未来は予定調和に収束し、極ヶ原強也が生徒会長になる。特級の露呈は蓬世円的には実はどうでもよく、お偉い方が後処理に走り回り、特級の能力を知っている事がバレた七五三野先輩まで本当に特級保持者になってしまった、というオチでこの生徒会戦争は幕を閉じる。
はずだったのだが、何だこの事態は。
ついに私の能力は壊れてしまったのだろうか。一度、能力者として目覚めた者の能力が使えなくなるなど聞いたことはないが、流石にここまでくると不安になる。
蓬世円が舞う。もう出し惜しみはしていない。『拘束不可』戦闘発動。
遠近を無視し、無限の射程を得た上に抗力無視を発動し、絶対貫通を得た全てを貫く「究極の矛」と化した両腕を振り回して。対物の抗う力を無視するその能力の前では、人も石も島も月も地球も豆腐を握りつぶすようなもの。この能力の前に「硬さ」や「厚さ」は無意味である。
極ヶ原強也が駆ける。遠近を無視して襲いかかる当たれば即死する攻撃を紙一重でかわして跳ぶ。一瞬で距離を詰め、右腕を振りかぶり放たれたのは手刀。本気の一撃。人間がまともに喰らえば首の骨が折れるどころか、その衝撃で上半身が吹き飛ぶだろう。極ヶ原強也の腕は蓬世円の首を正確に捉え、振るわれた。ドォンッ!と響く打撃音。蓬世円は微動だにしない。防御もせずに自分の一撃を生身でしかも急所で受け止められたのは初めてだったのか、流石に極ヶ原強也の顔色が変わる。即座に振るったのは左腕。顔面を狙った一撃は、当たらなかった。
外れているわけではない。届かない。腕は全力で伸ばしているのに、進んでいるのに届かない。遠近無視による無限の間合いと質量無視により自己領域内のみを超硬密度化し、無限にまで高められた身体による「究極の盾」。無限の間合いは、文字通り敵の放つ攻撃からの距離を無限にしてしまうこと。これが発動した時点で蓬世円に触れることは不可能。質量を無視した状態では、自らの絶対値が変動しない。時の流れ以外の全ての無限を無限として扱う能力。無限に防御力を上げ、無限に攻撃力を増やし、体力も精神力も無限に高め続ける事が出来る。逆に言えば永遠に減ることがない。無限に力を増やす為、一点での力比べなら「効力無視」すら最終的には凌駕してしまう能力。
現在、蓬世円は『拘束不可』からの「遠近無視」「抗力無視」「質量無視」の3つを発動している。つまり。
蓬世円の攻撃力は無限。防ぐ手立ては無い。
蓬世円の防御力は無限。攻撃を通す手段は無い。
蓬世円の射程力は無限。逃げる事は叶わない。
蓬世円の間合いは無限。一切の攻撃は届かない。
蓬世円の身体力は無限。体力切れは望めず、制限時間は無い。
蓬世円の精神力は無限。永遠に戦い続ける事ができる。
これが最強。なるほど。確かに勝てる要素が浮かばない。数多の能力者の中で最強と謳われるだけはある。
振り上げたるは、右腕。振るわれたるは究極の矛。本能が忌避を促し、極ヶ原強也は跳ぶ。それは正拳やパンチと呼ぶには些か、強大すぎた。極ヶ原強也の後方、約57mの地点。大講堂。それが、その登頂部が抉り取られていた。何も無い。建物ごと、全てが丸く切り取られている。放たれた波動はまさに世界を抉り取る大砲。全てを無に返す、絶対攻撃。
しかも、この力は彼女の持つ能力の片方だけを使用しての力だ。そして、今、自分がこうして生きているのも皮肉にもロイヤリティーの流出による特級保持能力の露呈のおかげ。ロイヤリティーによれば『拘束不可』は『絶対規律』よりも1000億近く低い。彼女の本質はもう片方ということになる。ということは、ここで躓いているようなら彼女には届かない。そこを引き出させなければ、蓬世円には勝てない。
能力によってこの能力を動かすことは不可能。かと言って、蓬世円を動かすことも不可能。
さて、どうしたものか。と極ヶ原強也は一人ごちると、極ヶ原強也は掻き消える。風切り音と共に振るわれた右足は、遠近無視によってまたしても空を薙いだ。確実に当たる距離で放っても当たらない。奇妙な幻影を相手にしているようだ。確かにそこにはいるのだが。その証拠に相手の攻撃は確実に極ヶ原強也と環凪島から余裕を奪っていく。
手ごろな小石を掴むと蓬世円に向かって投げてみる。時速200kmを越え進む小石。蓬世円に一定まで近づくと、止まる。
違う。進んでは、いる。
進んでいるが届かない。小石と蓬世円の距離が伸ばされている。遠近が弄られている証拠。蓬円が手を伸ばす。小石との距離は目算で3m。小石に照準を合わせるように手を握ると同時に小石は潰れ、砕けた。ついでに、直線上に位置していた大学部の第13塔が潰れた。参ったな。あそこには歴代の生徒会長たちが使用してきた生徒会長室とかあるのに。まぁ、いい。石を砕いたのは、極ヶ原強也のような筋力ではなく抗力無視によるもの。そして、時速200kmで進んでいる石を素手で受けて無傷なのは質量無視による身体の変態。だろうか。
一つ、一つ。パズルのように組み上げていく。彼女の能力は複数の要因を併せ持つもの。そこが攻略の糸口になりそうな気がするのだ。全てを同時に相手には出来ない。それは正直、無理だ。だが一つならば、相手が出来る。例えば、先ほど極ヶ原強也は蓬世円の遠近無視による一撃を弾いている。つまり、自分が攻撃を行う瞬間ならば、その攻撃を行う部分には遠近無視による無限の間合いは創れないという事。当然の理屈だ。自分が攻撃を行うのに相手にそれが届かないのでは意味が無い。だが、現在はどうだろう。蓬世円の攻撃範囲に入る事は即死を意味する。例え、打ち返したとしても相手の力は無限大にまで膨れ上がっており正面突破は不可能。おそらくその身体は、この世のあらゆるものよりも硬く設定されており、さらにはこちらの抗力すら無視されてしまう。叩き潰されるだけだ。鍛えに鍛え上げた極ヶ原強也の身体も抗力無視の前では指先が掠るだけで粘土のように抵抗無く抉り取られてしまうだろう。もしや、一度に全てを無視することは出来ないのだろうか。だから積み上げていく。だとすれば。
極ヶ原強也は攻略法を模索しつつ、蓬世円の周りを回る。低く跳んだところで、振り向きざまに蓬世円が左腕を振り払う。
あ。この方角は。マズイ。
極ヶ原強也が振り返る。右から左に景色が削られていく。その手は環凪島と本土を繋ぐ橋。唯一の交通手段である黎明大橋の上部を掠めるように薙ぎ払い、その向こう、遥か遠方にそびえる、とある山の山頂部分を消し飛ばした。橋を吊っている太さ1mのケーブルが千切れ、宙を舞う。山は先端が無く、8合目辺りから上が水平に切り取られている。その光景は撮った写真の一部をベタで潰したような、削られた山のさらに向こう、空に浮かんでいた雲ですらその一部が一直線に綺麗に無くなっている。大気圏とかオゾン層とか大丈夫だろうか。多分ダメだろうな。
それよりも。
ウゥーーーーーーーー…。ウゥーーーーーーーー…。
しばしの沈黙の後、響くはサイレン。環凪島における非常事態を告げる合図。さぁ、そろそろ取り返しがつかなくなってきたぞ、っと。極ヶ原強也が動きを止めると蓬世円の動きも止まった。中に浮いたまま、不機嫌そうに目線だけで周囲を見渡し、極ヶ原強也に対し怪訝な表情で「何をしたの?」と呟いた。
お前だよ。お前。そう言いたかったが、言葉を飲み込む。やはり彼女と戦うには環凪島というフィールドは狭すぎたようだ。まぁ、いい。色々と余計な事をしてしまった感は否めないが、これで舞台は整った。
「蓬世君」
極ヶ原強也の呼びかけに蓬世円は首だけで反応する。
「2人でちょっと、…悪いことしよう」
視線がぶつかる。蓬世円を見上げたまま、極ヶ原強也の口元が意味深に吊り上がった。
最終更新:2010年08月19日 02:30