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したらばSS作品 恋バナ的な◆r77gGG6uoY 第一話「恋の病」

 第一話「恋の病」 五番町空繰の日常

「てめぇ!ぶっ殺!し…、て? ?」
「あ? なんだ? …よ?」
 外を歩いていたらあまり関わりたくはないような「私は不良です。近づくと怪我をしますよ」と言わんばかりの外見の2人の男が肩がぶつかった程度の些細な事からヒートアップし今まさに白昼堂々、殴り合いに発展するというところで何故か二人は動きを止め、しばらく互いに呆けた顔を見合わせると「ケッ!」とか何とかぶつくさ言いながら別れていった。学生服を着ていたという事は彼らは環凪学園に所属する高校生以下の生徒で特殊能力者ということになる。
 その様子を目立たない近場で野次馬に紛れるように一人の青年が見ていた。半分開けていた口を閉じる。ふぅ、と一息つくと、青年は野次馬は何事かと呆けている野次馬を尻目に一足先に歩き出した。身長は平均的。男性にしては少し線が細い。フレームの細い眼鏡と中性的な顔立ちが印象的な青年。服装は先ほどの不良と同じ制服。一つ違う点があれば、それは胸元につけているバッジ。円形のそのバッジは上から紫・藍・青・緑・黄・橙・赤の7色のラインに彩られ、中央には『羽根を生やした蛇』のエンブレムがあしらわれ、その右斜め上には小さな小さなサファイアが一粒、埋め込まれている。このバッジこそ環凪学園の平和を守る『風紀委員』の証。
 円形は人の輪を表し、七色の色彩は多くの個性を認め、さらに七色の光を合わせると「白」になることから平和を意味し、中央の『羽根を生やした蛇』はアステカ神話に登場するケツァルコアトル(マヤ文明でいうククルカン)という世界的にも珍しい平和の神の姿を表しているという。因みにサファイアは金星の象徴で、これはケツァルコアトルがテスカトリポカにアステカの地を追われた際に金星に姿を変え天に逃げたという逸話がありケツァルコアトルは金星の神ともされる為である。
 元ネタが元ネタなので、その意味を知っている学生は少ない。というか殆ど居ないだろう。過去には一度もっと分かりやすく『鳩とオリーブ』などにしたらどうか、などの改正案も持ち上がったが風紀委員長の「サファイアとかステキやん」の一言で流れてしまった。何気なく付けているバッジにも実はいろいろとあり、こうして今も風紀委員の面々は胸元に(素敵なサファイアの付いた)バッジを付けている。そして『鳩とオリーブ派』はサファイアに負けたのがよほど悔しかったのか後日、自分達で作ったであろう『鳩とオリーブのエンブレムをあしらった腕章』を現風紀委員長に提出したが「なんかダサい」の一言で門前払いを食らっている。まぁ、付けるなとは言われていないので一部の風紀委員は勝手に付けているのが現状だ。風紀を正すはずの風紀委員がこんなことでいいのか、とも思うが、秩序を守るのは生徒会だし特に問題も起きていないので良しとする。

 そんな出来事を曖昧に思い出しつつ、風紀委員『五番町 空繰(ごばんまち からくり)』は家路を辿る。先ほどは帰宅しようとしたところケンカに発展しそうな現場を見かけたので風紀委員として、それを未然に防いだのだ。時刻は午後5時前。季節は梅雨明けの初夏。この季節はまだ随分と明るいものだ。むしろ暑いから太陽には早めに眠って頂けるとありがたい。この環凪島でも学生はもうすぐ夏休みとなる。夏休みといっても特殊能力者の学生はこの環凪島から外へ出ることはできないので「長期休暇を利用して南の島までバカンスに」とはいかない。一応、環凪島にも海水浴が可能な海岸もあるが空繰は利用した事は無い。しかも、夏休みも通常授業が無いだけで、学生は平日は普通に学園には登校する。例年通り特別授業を行うそうだ。故にここの生徒には夏休みの宿題というものを知らない。ついでに生徒の一番の憧れは海外旅行だ。空繰にも行ってみたい地はあるが、今のところは夢物語となっている。目を細め眼鏡の隙間から西日を恨めしそうに見る。それだけで全身から汗が噴き出してきそうだ。胸元のバッジに付いているサファイアが太陽光を反射しキラリと輝いた。
 家路を辿るとはいったものの、この学園の隣には学生の為の寮があり基本的に平日は寮と学園との往復になるので通学時間は往復30分にも満たない。むしろ広大な学園敷地内を歩いている時間の方が長いくらいだ。空繰が学園の南門に差し掛かったところで、あることに気付いた。2名の男子生徒が木陰に隠れる様にして身を潜めている。その身体を互いに乗り出すようにして何かを伺っているようだった。
 空繰は素早く思考を風紀委員モードに切り替える。整備された大通りを外れ脇道に入ると木々に身を隠すように男子生徒たちの死角から進んでいく。戦闘能力の無いリフィターである空繰に正面突破という考え方は無い。最悪の事態を想定し、速やかに空繰は進む。やがて1分足らずで男子生徒たちの背後に伏せると気配を殺し、木の陰からそっと身を乗り出した。男子生徒たちのヒソヒソと囁き合う声が聞こえる。そこで空繰のいう最悪の事態は幸いにも砕かれた。男子生徒たちの眼前には2人の女子生徒。男子生徒2人は「今がチャンスだって」「まだ人が来るかもしれない」「そんなこと言って帰っちゃったらどうすんだよ」と押し問答を繰り返している。その甘酸っぱい雰囲気と男子生徒たちから感じられる興奮、焦燥、憧憬、期待、そして強い好奇心で空繰は理解した。告白しようというのだろう。他の学校はどうかは知らないが、ここの風紀委員は生徒の色恋沙汰にまでは口を出さない。当人同士好きにやってもらって構わない。それが元で事件となれば勿論、口を挟むことになるが。
 そのまま立ち去ろうとも思ったが、ふと興味が湧き観察する。これじゃあただの出歯亀だな、と自分にツッコミつつ男子生徒たちの前方を見ると二人の女子生徒がベンチに座って楽しそうに話していた。1人は『東狐 美姫(とうこ みき)』もう1人は『雅 綺麗煌(みやび きらきら)』2人とも生徒会に属しており、2人揃って容姿端麗とはこの人の為にある言葉だろうと思えるくらいの美人である。確か2人ともリフィターで学年は空繰と同じだったはずだ。リフィターの授業で見たことがある。2人ともただそこにいるだけで目立つのでよく覚えている。そっと空繰は顔を戻したあと、急に強い焦燥を感じた。そして消えていく期待感。空繰が改めて覗くと、美人さん2人が南門の向こうへと去っていくところだった。男子生徒2人の顔は確認する事はできないが、その背中から感じられる諦念と後悔から察するに、出て行くタイミングを計っている内に逃してしまったのだろう。彼らはしばらく無言でその後姿を見つめていたが、その後どちらともなく、とぼとぼと歩き出していった。
 時刻は午後5時半。30分も経っていたのか。首筋の汗を手で拭い、とっとと帰ろうと茂みから抜け出す。ふと見ると左腕を蚊に喰われていた。むぅ、と空繰はその仏頂面をしかめる。夏の茂みで30分近くもじっとしていれば仕方ない。同じ様に潜んでいた彼らは大丈夫だっただろうかと、どうでもいい心配をしつつ、家に痒み止めあったっけ、と南門をくぐった所で向こうから小走りで駆けて来る人影があった。先ほど出て行ったはずの雅綺麗煌だ。東狐美姫の姿は無い。忘れ物でもしたのだろうか、どうでもいいけど「雅綺麗煌」って凄い名前だな、なんか名前を書いたらその字が光り輝きそうだ。あと全体的に画数が多い。試験の時とか面倒だろうに。まぁ、書くのが面倒という点では自分も同じだが。と思ったところですれ違う。その刹那、チラリとお互いの視線が交錯する。すると雅綺麗煌は恥ずかしそうに下を向き視線を逸らすと3倍くらいの速度で駆けていった。別に赤くはなっていなかったが。あぁ、アレか。夕日のせいか。人は赤くなると3倍の速度で動けると、どこかの誰かが言っていた。科学的な根拠は一切無いので信じるのはどうかと思うが。なんでも21世紀初頭あたりから語られているそうだ。
 21世紀というと前時代にあった世界規模の戦争が終結し、世界が安定を目指しつつ、さらなる混沌へと陥っていった時代だ。歴史の文献にはそう書いてあった。どれくらいの混沌かというと、世界の片方で戦争をしながら、もう片方ではスポーツの祭典を行っていたそうだ。凄い神経である。隣の家が火事になっているのに自分の家の庭でバーベキューをしているようなものだ。今では考えられない。まだ人類が地球全体を把握することなく、平和というものを勘違いした全と個がそれぞれ暴走をした時代である。今の時代そんな事は無い。地球で起こった問題は地球全体で考えるのだ。問題解決を最優先する代わりに人間の倫理観というか人道とか人情的なものは恐ろしい速さで低下したが。弱者を労わり、人と人が支えあっていく社会システムはあっさりと否定された。その点でいえば昔の人間の方が人間らしいともいえる。近年、懐古主義者が増えているのもそのせいだろうか。まぁ、隣で人が死んでいるのに見ない振りをして楽しくボールを蹴っていた21世紀の人間に倫理観も人情も無いとは思うけど。
 雅綺麗煌が駆けて行った方向を見るとその姿は既に無かった。門はくぐらず、そのまま道の向こうに消えていったが忘れ物ではないのだろうか。ドクン、と何かが空繰の中で立ち上がる。なんだこれは。このモヤモヤとドロドロとした感情は。空繰はすぐに自身の感情を分析する。好奇心?、情景?、親近感?、どれにも当てはまるが、どれにも当てはまらない。空繰は首を傾げつつ、とりあえず寮に向かい歩みを進めた。



 第一話 「恋の病」 雅綺麗煌の苦悩

 雅綺麗煌はモテる。艶やかで柔らかそうな黒髪、大きな目、整った鼻梁、薄い唇。透き通るような白い肌に、すらっとした細身ながらも胸だけは大きいというグラビアアイドルのような抜群のプロポーションまで兼ね備えている。これは別に綺麗煌が望んで手に入れたものではないが、両親は名前負けしなくて良かったと言っていた。正直、無責任だと思う。
 綺麗煌が告白された数は100や200では止まらない。相手が綺麗煌に送る褒め言葉は綺麗煌の外見だったり内面だったり、その両方だったりする。綺麗煌は特に男性に人気が高い。それを理解できないほど馬鹿でもない。だから言動には人一倍、気を使っている。綺麗煌に思いを寄せる彼らが抱いているのは幻想だ。綺麗煌に恋をしているのではない。綺麗煌という幻想に恋をしているのだ。綺麗煌はそう思う。だから綺麗煌はそんな彼らの幻想を壊さないように、余計な波風を立てないように、完璧を演じる。それが綺麗煌の生き方であり、処世術だった。
 綺麗煌は恋をしたことがなかった。「なかった」というのは現在、綺麗煌は恋をしている。と思う。
 相手は黒髪サラサラ眼鏡男子。背は自分と同じくらい。ちょっと線が細くて頼りない感じ。綺麗煌としてはいろんな表情を見てみたいのだが、いつもブスッとしているので何を考えているのかは分からない。ついでに笑ったところも見たこと無い。わりと中性的な顔立ちで整っているのでお化粧をすれば美人になるのかもしれない。
 なんで好きになったのかは分からない。気がついたら目で追うようになっていたのだ。そして、ある時、突然に理解する。これが恋なのだ、と。
 理解してからは速かった。名前を調べて、所属を調べて、寮の場所を調べ始めた時は流石に何やってるんだろうと思い止めたのだけども。綺麗煌の頭の中はもうその人のことでいっぱいになった。風紀委員だと知った時は自分も風紀委員に転向しようとも思ったが、各組織の体面上それが許されるはずもないので諦めた。
 もっとあの人のことを知りたい。どんな些細な事でもいい。誕生日は? 血液型は? 出身は? 能力は? 好きな色は? 好きな食べ物は? 将来の夢は? デートをするならどこに行きたい? 好きな女の子のタイプは? でも綺麗煌は思う。知りたいって思うことが好きってことなのだろうか。恋と愛は何か違うのだろうか。頭を捻ってみても首を捻ってみても腰を捻ってみても恋愛経験の無い綺麗煌にはよく分からなかった。
「雅さーん。雅綺麗煌さーん」
 受付のお姉さんが名前を呼ぶ。フルネームで名前を呼ばれるとむず痒い。18歳を迎えた今でも慣れないという事は、もう一生慣れることはないのかもしれない。ふと、あの人に名前を呼ばれる様を妄想してみる。……。ウヒョーー!。顔が赤くなるのが自分でも分かった。とりあえず、いま座っている柔らかい椅子をバンバン叩く。恋する乙女的にバンバン叩く。3つの空席を挟んだ先に座っているおばちゃんが怪訝な顔をしてこっちを見ているがどうでもいい。
「雅綺麗煌さーん。いらっしゃいますかー?」
 おおっといけない。ここは病院。無駄に埃を立ててはいけないのだ。何事も無かったかのように平静を取り繕うと綺麗煌は静かに立ち上がった。

「うん。経過は良好ね。特に問題は見当たらなかったけど、今まで通り油ものは控えてね」
 レントゲンやらMRIやらCTやら、何やら様々な医療機器で撮影された綺麗煌の胴体の輪切り画像と映像を見ながら、綺麗煌の担当医である女医さんはにっこり微笑みながら言った。
「はい。ありがとうございました」
 綺麗煌も安堵から笑顔で頭を下げると、診察室を出る。
 綺麗煌は先天性の内臓疾患を抱えて生まれてきた。生まれた直後、両親は医者から1年も生きられないと言われたそうだ。度重なる手術。やがて1年が過ぎる。あっちを切り、こっちを繋ぎ、続く手術。そして2年、3年と季節を繰り返した。その間も何とか綺麗煌を生かそうと繰り返される手術と投薬。その結果、綺麗煌は奇跡的に回復する。今も通院は欠かすことが出来ないが、学園にも通えているし普通の生活を手に入れたといってもいいだろう。だが、その美しい容姿からは想像も出来ない、いくつもの生々しい手術跡が今も腹部には残っている。手術跡を消す事も可能なのだが費用がかさむし、完璧に消すことはできない。何より極めて虚弱な綺麗煌の身体が耐えられるかが分からない。それに綺麗煌としてはもうこれ以上、手術なんてものはしたくなかった。正直、病院自体も苦手だ。ここは担当の女医さんがすごく丁寧で優しいので平気だけど。
 綺麗煌はお腹を労わるように擦りながら受付に戻る。実は、ここに来る前に激しい運動をしてしまったので影響が無いかちょっと不安だったのだ。激しい運動というのは、病院に行くことを忘れていて急いで向かっている途中で、あの人と目が合った時に反射的に全力ダッシュで逃げてしまったこと。綺麗煌の持久力は壊滅的なので角を曲がった辺り、距離にして凡そ50mほどで力尽きた。100mなんて走ったら死んでしまうだろう。走ったことはないけど。
「160円になります」
 受付で診察代を払い病院を後にする。環凪島の公共施設は国から莫大な援助金が出ているそうなので、びっくりするほど安い。島外では高額になる医療費もここでは500円もあればお釣りがくる。因みに、学費は無料(タダ)だ。綺麗煌の実家は一般中流家庭より少し貧しい。これは綺麗煌が生まれた直後からの医療費に全ての貯蓄を使ってしまった為だ。綺麗煌の両親は「元々お前の為に用意していたお金だったから。それがちょっと早くなっただけ」と笑っていたけど。正直、辛い期間だっただろう、と子供心ながらに思う。だから殆どお金の掛からないこの環凪島に関しては、綺麗煌は自分が特殊能力者で良かったといつも思うのだ。
 時刻は午後6時半を回った。太陽の名残が空を鮮やかなオレンジ色に染め上げており、ようやく薄暗くなってきたところ。東の空は3分の1ほどを藍色に塗りつぶされており、夜を待ちきれなかった月が低い位置に浮かんでいた。日が沈んでも下がることを知らない夏の外気温は冷房で冷えた綺麗煌の体表面をじっとりと包み込む。肺の中に溜めていた冷たかった空気を、むはっと吐き出すと綺麗煌は長い髪をゴムで括り一つに結い上げ、歩き出す。冷たい空気を肺に溜めて少しずつ身体に吹きかけながら帰れば快適だと思ったのだが、肺活量とか呼吸器的な問題で無理だった。っていうかその考え自体が無理だけど。あー、熱で頭がやられてるなぁ。

 綺麗煌は一つ失敗していた。それは、あの人と目を合わせてしまったこと。綺麗煌はモテる。非常によくモテる。それは昔からそうだったのだが、特殊能力に目覚めてからは異常なほどにモテるようになった。その後、それは全て自身の能力のせいだったことを綺麗煌は知ることになる。

 雅綺麗煌。Cランク(C-1)。リフィター。能力名『誘惑する視線(チャームポイント)』
 その能力効果は、恋愛感情を主体とした無意識下での洗脳。自分自身に対する興味や好奇心を恋心や愛情へと変化させることができる能力。能力効果は相手と目を合わせることで発動する。すれ違い様に一瞬、目が合うだけでも能力は十分に効果を発揮する。一度で恋心へと変化はせず、日常的に少しずつ染めていく事で気付いた時には綺羅煌に恋している、という有様。能力効果を解除する事はできず、通常は垂れ流し的に能力を使っている。綺羅煌に一切、興味が無ければ効果は発揮しない。因みに人間の他にも、犬などの動物に使うとよく懐く。

 綺麗煌はそれを知って愕然とした。能力が発現する前から親しくしていた友人や両親はまだいいとして、発現後に親しくなった人たちは綺麗煌自身ではなく、綺麗煌の能力によって幻想を見ているだけだったのだ。綺麗煌は悩んだ末、それらの想いを否定した。人の心は移ろうものだ。放って近づかなければ、その想いはいずれ霧散する。綺麗煌は一時期、人というものが分からなくなっていた。申し訳ない、という気持ちも大きかった。勝手に人を洗脳し、勝手に否定する。友達の彼氏を洗脳してしまった時は大変だった。勿論、狙ってしたことではないが。結局、その友達とは縁を切られてしまった。それ以来、なるべく男性と目を合わせないようにしている。女性は大体平気なのだが、稀にそっち方面の人もいるので気は抜けない。
 そんな綺麗煌も18歳にして、ようやく好きな人ができた。能力を使えば恋仲になるのは雑作もないこと。盲目的に綺麗煌を好きになってくれる。しかし、綺麗煌はそれを良しとしない。自分の好きな人には幻想ではなく、ちゃんと自分自身を見てほしいのだ。綺麗煌は今日、あの人と目を合わせてしまった。もし、あの人が綺麗煌に少しでも興味を持っていたとしたらこの忌々しい能力は確実にあの人の心を蝕む。綺麗煌のことを好きになるように囁いてしまう。それは、とても悲しいことだ。
 綺麗煌は陰鬱な気持ちのまま、ぽてぽて歩く。気付けば空は8割を黒に潰されていた。まるで今の自分の心のようだ、と思う。その漆黒の夜空に輝く星の様に、一筋の光明が自分にも降り注ぐことを祈るばかりだった。



 第一話 「恋の病」 五番町空繰の食事

 空繰は家に着くと、すぐさま書斎として使っている片方の寝室へ向かい座卓にきちっと正座をすると書道具を広げた。そのまま墨を磨り始める。空繰は幼少の頃から書道を嗜んでいる。その腕前は毛筆書写検定で最上位の1級を取得しており、日本教育書道連盟検定においては仮八段である。十分に磨ると写経を始める。写経は空繰の趣味であると同時に、心を落ち着けたり精神を統一をする方法でもあった。
 学生寮は基本的に2人~3人で1部屋であるが、空繰は1人だった。それは空繰の特殊能力にある。その性質上、空繰が気を抜いてしまう家の中に他人がいることは好ましくない。

 五番町空繰。Aランク(A-1)。リフィター。能力名『感情喰い(ハートイーター)』
 その能力効果は、名前の通り他人の感情を食べる(奪う)能力である。
 食べることのできる感情は、安心、不安、感謝、驚愕、興奮、冷静、焦燥、困惑、幸福、緊張、名誉、責任、尊敬、憧憬、後悔、不満、無念、嫌悪、軽蔑、嫉妬、諦念、絶望、期待、憎悪、恐怖、勇気、快感、空虚、欲望、恥、親近感、優越感、劣等感、好奇心、怒り、怨み、苦しみ、悲しみ、愛しさ、シャーデンフロイデ(負け惜しみ)の40種類にもなる。食べ方は能力を発動し口を開けるだけ。それだけで身近な者から順に目当ての感情を喰っていく。感情を喰われた対象はその瞬間一時的に喰われた感情が消えるが、無くなる訳ではない。だが、大量に喰われると一時的に廃人のようになってしまう。食い尽くされればその感情を取り戻すにも時間がかかる。能力ゆえ他人に注意を向けると、その人が抱いている感情を知覚することが出来る。

 感情の無い人間はいない。というのが空繰の持論だ。未だに感情を感じる事ができない人間に出会ったことが無い。心が空っぽの人間には会ったことがあるが、大抵は強い無念や諦念、絶望に支配されているだけだ。極稀に「空虚」という感情に心が染まっていることもあるが、それも空繰から言わせれば感情が無いとは言わない。実際、食べられるし。空繰が思うに本当に感情の無い人間というのは死者以外にはいないのだろう。
 冒頭の不良2人の不可解な現象も空繰の能力によるものである。2人の膨れ上がった「怒り」と「興奮」を空繰が食べてしまったのだ。
 空繰の能力は強力だが、非常に危険な一面も持ち合わせている。それは感情の空腹。
 自分の心の持ち様で欲する感情が表れてしまうのだ。食べたくなる感情は空繰の心とは反対側にある感情となる。空繰の心が「不安」に駆られていれば他人の「安心」を食べたくなり、「恐怖」に怯えているのなら他人の「勇気」が食べたくなる。これは数十種類もの感情を操る能力者である空繰自身の心を出来るだけ穏やかに保とうとする一種の生理反応のようなものであるとの見解を研究所は示した。感情の空腹は通常の空腹感同様ある程度までなら耐える事が出来る。しかし、限界を超えた場合は別だ。限界を超えると空繰の能力は暴走する。空繰の心が落ち着きを取り戻すまで、無差別に片っ端から根こそぎ他人の感情を喰らい尽くしていく。
 空繰はこの環凪島に来る前、一度、暴走を起こした事がある。空繰の壊れた心は7日間に亘って、かつてこの世界の全てを無に帰したとされる洪水の様に無差別に他人の感情を喰って喰って喰いまくった。その時の被害者の数は特殊能力者対策局が把握しているだけで2811人。未曾有の感情喪失事件となり、特殊能力者対策局開設以来の最大級の特殊能力者による災害となった。付いた呼び名は『貪食の心(ノア・ハート)』。空繰が能力を発現して間もなかった上に目に見えない心理的な能力故、特殊能力者対策局がその実体を把握できていなかったことも事を大きくした原因である。
 特殊能力法第24条及び第29条で定められた指定地域外、又は同法第32条、第35条から37条によって能力使用を認められている者以外の特殊能力者による能力開放は刑法第349条、又は特殊能力法第13条により処罰される。空繰についての論争は縺れに縺れ、最終的には司法の場で決着を迎えることとなった。
 その事件から3年後。最高法廷は、能力を発現して間もなかったこと、当時、空繰はまだ12才であったこと、既に当時の被害者の全員が回復していること、能力の暴走に至った原因や背景も考慮し刑事責任には問わず、特殊能力法第66条ではなく同法第65条を適用するとした。既に環凪島での生活を送っていたが、ここでようやく空繰は正式名称「特殊能力者専門教育島」。通称「環凪島」に所属することになる。

 ポタリ、と半紙に汗が落ちた。無心で写経を続けていた空繰はようやく我に帰る。暑い。しかも暗い。とっくに日は暮れていた。息苦しいほど蒸し暑い室内。窓を照らすは煌々と照る月明かり。動いてもいないのに動悸が激しい。筆を置き立ち上がるとキッチンへ。冷蔵庫から水の入った容器を取り出すと、コップに移すこともなく飲みこんでいく。喉元を過ぎていく冷たさだけがやけに感じられる。
「…っ!はぁっ、はぁっ…、」
 一気に飲み干し、深呼吸を繰り返すと少し落ち着いてきた。
 昔のことを思い出していた気がする。夢でも見ていたのだろうか。
 昔見た、家族の、友達の、周囲の人々の、あの表情の無い人形のような顔が浮かんでは消えていった。記憶。過去が蘇る。頭を振って思い出を消そうとするも身体がふらつくだけだった。記憶は時に凶器と化す。心を縛り付けて、締め上げ、突き刺す。その苦しみは自分自身しか理解できない。
 額に張り付いた前髪がうっとおしい。
 頬に流れ落ちてきた汗を拭い、とりあえず部屋の明かりを点けるとエアコンを入れ、汗を流すためシャワーでも浴びようと空繰は浴室へ向かった。



 第一話 「恋の病」 雅綺麗煌の決心

 綺麗煌が部屋に着くと、ルームメイトの東狐美姫がテレビを点けたまま、全力でだらけつつアイス片手に携帯端末を弄っていた。
 美女2人が住むこの部屋は一部の男子生徒たちの間で、聖域(サンクチュアリ)だの楽園(エデン)だの呼ばれている事を2人は知らない。
 キャミソールにホットパンツという格好で床に寝転び、ソファに足だけ乗せて天地無用状態の美姫は、帰ってきた綺麗煌に気付くと首だけを動かして「おかえりー。間に合った?」と聞いてきた。
「美姫ちゃんどうしよう目合っちゃった…」
 主語も背景もぶっ飛ばして突然、半泣きで事実だけを告げる綺麗煌の言葉は当然、美姫には伝わらなかった。美姫は静かに何かを考えるかのように目を瞑ると、静かに名前を呼んだ。
「…。綺麗煌」
「…、ん…?」
「とりあえずシャワーでも浴びてきなよ。汗3ガロンくらい出てるからさ」
「うん…」
 グズグズメソメソしながらも素直に回れ右して浴室へと向かう綺麗煌を見送り、美姫は携帯端末の画面に表示された画像を眺め「ニコチアナもいいなぁ」と自分の趣味であるガーデニングの世界へ戻っていった。
 綺麗煌が泣いていたが、大したことはないだろう。綺麗煌は自分よりも弱いが、自分よりも強い。弱いというのは打たれ弱いのだ。自分の気持ちに、周囲の人にすぐ流されてオロオロとして泣いてしまう。だが綺麗煌は強い。芯が強い。どんな難局に立ち尽くそうとも、最終的には自分の中で決着を付けてくる。そこには最初から美姫が介入する余地は無い。だから美姫は綺麗煌にアドバイスはしない。というか出来ない。薄情な気もするが、しなくていいのだ。綺麗煌はちゃんと悩んで悩んで答えを出す。答えを出すことができる人間だ。いつまでもグズグズとどっちつかずでその場に蹲ってしまう臆病者の自分とは違う。だから決着がついた後に「こんな事があったの」と話してくる彼女の言葉に耳を傾けてあげればいいのだ。それがあの娘と私の関係。近いようで遠く、遠いようで近くにいる関係。風呂のお湯を温くしておいたから、それだけで十分だろう。
 最近、あの娘の強さが羨ましいなぁ、と思う。アイスを一口。うん。冷たい。濃厚なバニラの味が舌の上で溶けていく。その不確かな感触は、自分の心の、自分の立場の、自分の未来の不安定さを示しているようだった。

 綺麗煌は相変わらず泣きべそをかきながら、脱衣室に入る。自分は弱い。心が悲しくなると自然に涙が溢れてくる。泣いていると分かるとさらに悲しくなってまた涙が溢れてくる。その負のスパイラルはどこまでも続いていく。拭っても拭っても涙腺は絶賛大解放中で涙は止まらない。このまま止まらなくなってしまうのではないか、と泣く度にちょっと不安になる。
 リボンを外し、汗で肌に張り付いたYシャツを脱ぐと、お腹の傷跡が目に付いた。縦に横にと走る手術跡。擦ってみるとなんかザラザラする。ふと、あの人の顔が浮かぶ。今よりもっともっと親しくなったらこの傷を見せることにもなるのだろうか。その時、あの人はどんな顔をするのだろう。綺麗煌の妄想の中では「そんなの気にしないよ」と微笑んで優しく抱きしめてくれているのだが、実際のところどうなのだろう。
「…。」
 すん、と鼻をすする。綺麗煌には分からなかった。当然といえば当然だが。最悪の想像は容易にできた。けど綺麗煌はそれを認めたくなかった。今まで幾多の人が綺麗煌に対しそうしてきたように、自分もあの人の幻想に恋をしているのだろうか。そんなのは嫌だ。多少の美化は入っているかもしれないけど…。しかし、よく考えてみれば綺麗煌はあの人のことを何も知らない。名前くらいしか知らない。話したこともない。それは向こうも同じだろう。もしかしたら名前すら知らないのかもしれない。綺麗煌の初恋も数多のそれらと同じ様に、恋という甘い幻想の海に漂ったまま泡沫夢幻のように消えてしまうのだろうか。
「…ぅぅ、」
 ダメだ。また悲しくなってきた。もう涙腺のバルブは壊れているのだろう。次から次に涙が溢れてくる。このままだと干からびて死んでしまうのではないか。こんな気持ちの時に、あの人のことを考えたくない。綺麗煌は残りのスカートと下着をちゃっちゃと脱ぐと、シャワーも浴びずに湯船に飛び込んだ。
 温い。張られたお湯はとても温かった。その曖昧な温度は綺麗煌をなぐさめる様に優しくて、心地が良い。髪を纏めるのを忘れていたことに気付いたが今はどうでもよかった。しばらく水面にゆらゆらと映る自分の泣き顔を眺める。目は充血しているし鼻は赤いし、なんかもうダメダメだ。
 美姫の強さが羨ましかった。いつも自分の下らない悩みや話しをちゃんと聞いてくれる彼女の強さが。美姫の出会ったときからの口癖は「強くなること」だった。それが筋肉的な強さではないことだと気付くのに3ヶ月くらいかかった。それを美姫に話した時は爆笑していたけど。意味も分からずダンベルとかプレゼントしてた過去の自分を正直、張り倒したいと思う。
 私も強くならなくちゃ。そう思う。いつまでも幼子のように泣いている場合ではない。自分も能力者の端くれなのだ。能力に振り回されるようではいけないと学校の先生達はいつも言っている。心を強く。こんな状態では掴めるものも掴めない。勝てる戦いも勝てない。恋は戦いなのだ。戦争なのだ。小さな小さな私の、小さな小さな戦争。軍事兵器も強力なアクターも登場しない、平和で苛烈で孤独な喧嘩。使うは、既に満身創痍の頼りない身体と無限の恋心。攻略するは、憧れのあの人。道のりは、長く険しい。攻略法は無し。ついでに作戦も今のところ無し。これから作る。泣き虫が生き残れる程、この戦場は甘くない。
 よし、と気合いだけは一人前。湧き上がるこのやる気を何かに変換しなければ。このままだと気持ちだけが膨れ上がって爆発してしまう。両手を水面に叩きつけバシャバシャ。もっともっと。バシャバシャバシャバシャ。まだまだ。バシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャ。ふぅ、いい感じの両腕の疲労感。顔も髪もずぶ濡れだが、意味不明の達成感と相まって気持ちが良い。
 いつの間にか涙は止まっていた。涙は女の武器だと誰かが言っていた。ならば、こんなところで無駄に消費している場合ではない。無駄撃ちして、いざという時に弾切れなんて起こしたら大変だ。「軍の支給品は効率的に使うように」「了解であります!綺麗煌中尉!」あれ? ちょっと待て。上司が綺麗煌だとしたら前線で戦う兵士は誰なのだ。あ、違う。いいんだ。全員、綺麗煌だから。そう、この戦いには綺麗煌とあの人の2人しか登場しない。おぉ、なんかそう考えると、なんか運命的なアレを感じずにはいられない。愛し合っているのに敵同士とかロマンだ。別に愛し合ってはいないけど。一方通行だけど。敵同士でもないけど。マズイ。また妄想が暴走してきた。テンション上がってきた。どうでもいいけど、テンション上がるって日本人しか言わないらしいよ。
 勢い良く立ち上がると、走り出したい衝動を抑え大人しく身体を洗う。美しさも女の武器なのだ。ならば最大限利用するしかない。今まで幾人もの男を魅了してきたこの容姿。ついに使うときが来た。本気を出したこの綺麗煌の、いや、綺麗煌様の、長いから略してキラ様の、えーと、何だっけ? …そう!本気を出したキラ様に魅了されるがいい!フフハハハ…!どこの悪役だ。脳内イメージした自分も完全にサキュバスになってたし。サキュバスか。いいかもしれない。エロチックに攻めるのだ。色仕掛けって書くと途端に卑猥に聞こえてくる不思議。性的な意味でメロメロにしてやるぜ。夏だし。解放的な気分で狙い撃ち。海とかもステキ。水着とかね。でも、ビキニはお腹が隠せないからダメだ。むぅ。なかなかに前途多難だ。だが負けない。負けてやる気はさらさら無い。勝ちにいくのだ。そう、これは勝ち戦。ふふふ、今ならSランクにでも勝てそうな気がするぜぇ。

 浴室から時より聞こえてくる、元気なバシャバシャという水音と可愛らしい咆哮(?)を聞いて、もう大丈夫だろう、と美姫は一息ついた。相変わらず、落ち込むのが早ければ復活も早い。美姫は意識を携帯端末に戻す。
 ガーデニングのページの裏に、もう一つのページ。
 この環凪島で暮らしている能力者の、基本情報データベース。ここでは法的に特殊能力者と認められ、この環凪島に在籍している全ての人間の個人情報が閲覧可能となっている。当然、あまりにプライベートな情報や一級保持以上の能力の能力名と能力効果は制限がかけられるが、名前や性別、年齢や所属などは原則、公開されている。アクセス出来るのは基本的にここ環凪島からのみ。巨大な学園都市に在籍している、どこかの誰かを探すときには非常に役に立つ。
 ただ誰もが自由に閲覧できるわけではない。なぜ閲覧する必要があるのか。という理由を添えた上で閲覧申請をしなくてはいけない。申請を受け付けているのは学園総務、生徒会本部、風紀委員本部の3つ。美姫は生徒会員という立場を利用して申請をしていた。もちろん、生徒会に。生徒会員が生徒会に申請すれば割と曖昧な理由でも十中八九、受理される。美姫もその場で思いついた適当な理由で申請したが生徒会の総務は疑う事もせず二つ返事で閲覧許可を出してくれた。
 今日一日だけ使用可能な美姫だけに振り分けられたパスワードを入力。審査中。承認。自動的にトップページへ飛ぶ。名前検索を指定。五十音が表示される。ページをスクロールし下へ。目指すは「ヤ行」。矢井田。八色。八重樫。…いた。そうそう被る苗字でもない。この名前で間違いないだろう。『八重木 千穂(やえぎ ちほ)』をクリック。女性で13才。となると中等部だろうか。能力は表示されない。一級保持以上ということになる。リフィター。そして、所属は「生徒会」と表示されている。やった。同じ所属だ。これならば近づいたとしても不思議ではない。美姫の形のいい唇が微かに釣り上がった。さて、規則違反だがフィルターを解除し、より詳細な情報を、と思ったところで脱衣所の扉が開く音が聞こえた。
 一瞬、視線を動かすと美姫は開いていたページを閉じる。綺麗煌にバレたところで特に問題は無いだろうが、これは美姫の問題だ。綺麗煌まで巻き込むつもりはない。こんなことを言ったらあの娘は怒るだろうな、と心の中で苦笑する。
 美姫はだらけた雰囲気をもう一度身に纏うと、崩れる寸前まで溶けたアイスの最後の一口を、口に放り込んだ。

 第一話 「恋の病」 終。


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最終更新:2010年08月19日 02:36
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