第二話 「恋の迷路」 五番町空繰の転機
今日も朝から蒸し暑く、窓を開けると温い空気が部屋を占拠しようと一気に雪崩れ込んできた。エアコンによって快適な温度まで冷やされていた室内の空気が逃げ惑い霧散していく。その圧倒的火力による一方的な暴虐を肌で感じながら空繰は曇天を見上げた。梅雨が明けたというのに季節が戻ったような天気だ。昨日の夜までは星光が見えるくらいの快晴だったのだが、今日は一転、どんよりとした白鼠色の雲が空一面に広がっている。もしかしたら雨も降るかもしれない、空繰は胃の辺りを擦りながら傘を持っていこうか悩む。
最近、何だか食傷気味だ。実際の食べ物ではなく感情食の。
食べた感情は胃で消化するわけではないので意味は無いと思うが、何となく胃を擦って労わってみる。形の無いもので不調を来しているのなら、その治し方も気分が大切なのだ。しばらく、そうしていると何となく楽になってくる。そう、この感じが大切。あとはもう大丈夫だと思いこめばいい。要は、気の持ちようだということ。さて、感情を食べるのもいいが普通の食事も取らなければ。感情をいくら食べても身体の栄養にはならないのだ。
空繰は欠伸を一つすると朝食の準備のため部屋の中へと戻っていった。
この学園都市における高等部の授業カリキュラムは、その他の学校のそれとは多少、異なる。
午前中の半分は特殊能力に関する授業となる。特殊な能力を扱う能力者ではあるが、その強大な力に振り回されてしまう者も少なくない。自らの能力を理解し、それをコントロールする。これが能力者としての一歩目となる。次に能力の理解。アクターなどは強くなることを目標に日々、努力しているものも多いが、学園としては能力強化は推奨していない。教えるのは能力の在り方と使い方。そして、能力者としての生き方。
能力者というのは、自分が周りと違う力を持っているからかどうかは分からないが「自分が最も強い」とか「自分こそ至高の存在」とか過信した上で、歪んだ思想を持っている者もいる。そういった残念な能力者にさせない為に、この学園は造られたともいえる。能力者は全世界人口の0,001%にも満たない貴重な存在。世界の宝とも呼ばれている。だからこそ、その能力は有意義に使う義務があるのだ。
残りは興味学習といって、各々、好きな分野の勉強を高いレベルで深く行う。これは現在の日本の教育要綱にも記されており、全国の学校で広く行われている授業方法だ。
人口減少が顕著になりつつあった21世紀中頃から終期にかけて、日本の教育体系は崩壊した。学校に意味が無くなり、教育の効果は薄れて消えた。その時点で学校という場所は、ただ通過するのを待つだけの刑務所に変わり果てた。ならば、そこに収容される子供達の無限の可能性を秘めた貴重な刑期が少しでも有意義であるようにしなければならない。そこで、当時の大人達があれやこれやと悩んだ結果、生み出されたのが興味学習である。
結局のところ子供(というか人間)は自分の興味のあることにしか、やる気が出ない。それなのに全体を薄く撫でるような教育をしていても意味が無いのだ。時間の無駄である。その子が全く関心を抱かない分野の知識をいくら詰め込んでも将来、役に立つ確率は低い。過去の教育では、自分で考えることが出来ない、応用が効かない、自己判断が出来ない、上っ面の知識だけが豊富で賢く見えるだけの馬鹿が量産されるだけだった。それならば、好きなことをとことんやらせるのだ。教師が教えるのではなく、生徒が自ら学んでいく。これでようやく「学習」というものに意味が生まれる。世は何にでも応用の効くマルチタイプの人間を必要とはしなくなった。多くの才能を持って生まれてくる人間はいるが、多くの才能を開花させる人間は殆どいない。それに人は気付いただけでもある。その授業法も8割はディベートやディスカッションを主体としており、自ら考え意見できないものは生き残る事ができないだろう。
時計の針は12時を回り、12時20分。午前のカリキュラムを消化し、環凪島もお昼休みとなる。
がやがやと騒がしくなる教室の一角で、空繰は鞄から弁当を取り出す。空繰は食事は一人で済ませる派である。というか食事中に喋る事が出来ないのだ。別に、口にモノを入れたまま喋るんじゃない。とか言うつもりはないし、友達同士、楽しく話しながら昼食を取る、というのも学生らしくていいと思うが、空繰的には食事は黙って済ませるものなのだ。友達との談笑は食事後でも十分である。
空繰が弁当を半分ほど食べたところで、教室の開け放たれたままのドアから真っ黒の謎の物体が侵入してきた。
それは黒。
黒というより漆黒である。頭から墨汁を被ったように、まるで影が実体化したかのように真っ黒な何か。そして、その上に誰かが乗っていた。真っ黒の何かとその上に乗っている誰かは教室で平和な日常を謳歌していた生徒の視線を集めながらも気にする様子は無くゆっくりと進む。そして、黙々と食事を続ける空繰の前で止まった。
空繰と親しい友人は空繰が食事中は話さないというスタイルを知っているので基本的には話しかけてこない。つまり、普段はあまり接点の無い人物ということになる。
空繰の前まで来ると「ちょっといいかな?」と声がかかる。静まりかえった教室に女性特有の高いソプラノが響いた。
少女は真っ黒な何かから降りると空席になっている空繰の前に座る。肩まで伸ばした黒髪、色白で背は女子にしては少し高く、空繰と大差ない。あまり生気が無いというか生活感の無い部屋のような、人形みたいな雰囲気の美少女。キチンと整えられた真っ白なYシャツの襟には空繰と同じバッジが付いている。空繰はしばらくモグモグと口を動かしていたが咀嚼が完了すると飲み込み、箸を置くと「なに?」と簡潔に返した。
「今日の放課後、付きあってほしいの」
教室に激震、走る。
要点だけを伝えたその言葉に、教室中が度肝を抜かれた。空繰は相変わらずの仏頂面で、しばらく止まっていたが「構わない」と静かに伝えた。美少女は「そう」と少しだけ微笑み「じゃあ、放課後にまた来るから」と言い残すと、来た時と同じ様に真っ黒な何かに乗り教室を出て行った。その後姿を見送ると「さぁ、空繰君。どういうことか説明してもらおうか」と友人たちが詰め寄る前に、空繰は箸を取った。駆け出そうとしていた男子生徒は腰を浮かせたまま、つんのめる。箸を取ったという事は食事再開の合図。こうなると食べ終えるまでは空繰に話しかけても無駄だ。
体よく窮地を切り抜けた空繰は、この後、津波の様に押し寄せる質問をどう、かわしていこうかと考えながら卵焼きを口に運ぶ。うむ、我ながら美味い。彼女がつけていたバッジは『風紀委員』のもの。となれば、十中八九『仕事』だろう。それも普段とは違うものだ。なんせAランクのアクターが伝令として借り出されるくらいなのだから。委員長直々の特命か、五賢帝の勅令か。どちらにせよ面倒事には変わりないだろう。
今後、自身の身に降りかかるであろう厄介事に一瞬、気が沈むが冷静を取り繕い食い潰す。空繰という能力者にとって「未来を憂う」ということは一番やってはいけないことだ。起こるかどうかも分からない事にまで気持ちを左右される。そんなことをしていたら、いくら他人の感情を食べても追いつかずに空繰の心の天秤は傾き続けてしまう。それにマイナス方向に心が傾くという事は、他人のプラスの感情を食べなければいけないということ。これは人の幸せを奪う事に等しい。幸福感や愛しさといった感情を奪ってしまう事はそのまま人格や人間関係の破綻にも繋がる。だからこそ空繰は自身の心を精密に制御し続ければいけない。それが五番町空繰という特殊能力者に与えられた義務であり運命であり日常。
不幸なことなのか幸せなことなのかは置いといて。
箸は置かずに、目を閉じ自分の心を観察する。大体のマイナスは潰した。空繰の心は今日も深い森の奥に佇む湖畔の様に穏やかである。ただ一つ、いつもと違う部分がある。昨日から海底火山の様にブクブクと沸き続ける感情。勢いは大したことは無いので、問題ないが。好奇心・情景・親近感・愛しさ、この四つが安定しない。原因は分かっている。タイミングから考えても間違いないだろう。雅綺麗煌。この不安定な状態が続くようなら一度会って話してみる必要があるかもしれない。
パックのお茶を飲み、一息ついたところで箸を置く。と同時に背後に気配。取り押さえられる。思考の海に飲まれていたのですっかり忘れていた。まさかの奇襲に空繰の身体は追いつかない。空繰の自由を拘束しようと無数の手が伸びる。と、そこで昼休みの終わりを告げる鐘。「チッ!」っと舌を鳴らし、今世紀最大の大物を取り逃がしたかのような顔で男子生徒が散っていく。
危なかった。久々に冷や汗というものを感じた気がする。空繰は安堵のため息を吐くと午後の基礎学習の準備を始めた。
第二話「恋の迷路」 雅綺麗煌の難題
寝不足だ。テンション上げすぎて全然寝れなかった。
美姫に叩き起こされ、美姫の用意してくれた何かを朝食として食べ、ドアを開けた瞬間の熱気で卒倒しそうになり、曇り空に愚痴を言い、9時開始の1限の応用学習は気が付いたら終わっていた。
時刻は10時50分。2限が始まる。因みに高等部以上の1コマは90分である。
「今日は前回の超能力系の続きから。自然能力系。118ページからになる」
先生の声に合わせてブックPCの画面を弾く。ページが(画面内で)めくれていく。
このリアルにページがめくれるという機能はいるのだろうか。多分、いらない機能だ。2限は特殊学習。特殊といっても特殊能力のことである。
「えー、自然能力系とはその名の通り自然界に存在する現象を操る能力だ。木火土金水(もっかどこんすい)の五行に基づき無能力者が操る事が出来なかった偉大なる自然界の力の一部を借り、その身に宿し能力とする」
この環凪島で自然能力系といえば、風紀委員の五賢帝だろう。
ぶっちゃけ、アクターとしての戦闘能力の高さならば自警団の十王の面々の方が上だし、当の五賢帝が全員、自然能力系で木火土金水の能力者が一人ずついるわけではない。っていうか、現在の五賢帝で自然能力系の能力者は2人しかいないのだが、とにかく自然能力系といえば風紀委員というのが環凪学園の常識である。何故かは知らないけど。
因みに、超能力系といえば我らが生徒会であり、構成操作系といえば自警団である。とはいえ、そういう風に分かれている訳ではない。生徒会にも自然能力系や構成操作系の能力者はいるし、自警団にだって超能力系も自然能力系もいる。自警団の団長は超能力系だし、十王の半数近くは実は自然能力系なのだ。でも、自警団といえば構成操作系なのである。
結局のところ理由は不明。
だけど、生徒達の間では当たり前の事として認知されている。
誰も理由は答えられないのだけれど。
環凪学園の七不思議の一つと言えるかもしれない。
ホントなんでなんだろう? 各組織の結成当時に秘密が隠されていたりするのだろうか。
「五行思想、及び五行相生・五行相剋に基づいており、木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ずる。また、水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ。という関係も確認されている。まぁ、相剋についてはランクが異なる場合、一概には言えない。強力な炎に水をかけても消えないように、大量の水は植物を枯れさせるように、強固な岩盤には植物の根が広がらないように反剋が起こる。さらにその逆となる相乗も起こりえることが確認されている」
『反剋』とは相剋の逆位置にあるものである。通常の五行相剋であれば、火は水に弱く、水は木に弱い。
だが、弱い立場にあるものでも、それ自体が強烈な力を持っていれば相性の悪さなど吹き飛ばすのだ。
能力者で言えば、ランクが目安となる。基本的に同ランクであれば、優位に立っている者の方が勝つだろう。ランクが1つ違うと反剋が起こる可能性がある。2つ以上の差がある場合は殆どの場面において反剋が起こるだろう。
Sランクにおいては、そもそもが別格であるからして、同じSランク以外の能力者は相手にしないのが得策と言えよう。Aランク以下の能力者がどれだけ足掻こうと無駄に等しい。
「…では、『木』の説明から入ろう」
いいなぁ、手から火やら水やら出たら楽しそう…。
…。
……。
………。
…うへ。
「『木』という性質は気学では、四緑を風、三碧を雷とし、その他の性質も併せ持つ。とはいえ、それらは中間性質に近く、一様に『木』の性質を持つかと言えばそういう訳ではないので戦闘を行う際には注意が必要だ」
誰一人、綺麗煌の脳内異変には気付かない。
「この性質での純粋なSランクはいないが、もし生まれれば間違いなく最強の能力の一つと呼べるだろう。なぜなら『木』の本来の性質は、生命や存在そのものだからだ。火の能力と相性が良く、金の能力と相性が悪い。続いて…、」
…うふふ。……おぉ。…うふふふ。
綺麗煌が脳内で『魔法少女キラキラ』のOPムービーの制作に没頭している間も授業は進む。
そして、そのまま12時20分を向かえ授業は終わった。
脳内OPムービーに関しては改心の出来である。正直、映画化したい。そしてノート用のPCの画面は真っ白である。
「綺麗煌ー、さっきの授業のさー…、…アンタ何してたの?」
授業が終わると美姫が駆け寄ってきたが、真っ白な画面を見るなり、怪訝な表情へ変わった。
「…え?」
「いや、いいや。Sランクの説明のとこ聞こうと思ったんだけど、アンタまた夢の世界へ行ってたみたいね」
「Sランクの…、どこ?」
「ん? あぁ、神代の炎のとこ」
「全部じゃん。えー…っと、ねぇ。神代の炎ってのは、自然能力系Sランク『愛宕 輝彦(あたご てるひこ)』さんって人のこと。
『事象操作能力』『絶対能力』についで最も希少なSランク系統で特殊能力者史上、現在まで彼を含め3人しか確認されていない『神代の能力』を持つ能力者よ。
火を操る能力者の一人なんだけど、地上の火を自由自在に操るのは勿論、彼自身が生み出し身に纏い操るのは『神代の炎』ってやつ。『神代の炎』ってのは即ち、神の火、又は命の炎。これほどの熱量を誇る火は今やこの地上には存在しないし、灯すのも消すのも彼にしか出来ない。
神の火は敵に対しては、その者の存在と命を燃料に変え、その全てを灰燼に帰すまで喰らい尽くす獰猛な化け物として暴れまわるの。身体を、魂を、命を、存在全てを生きながらに燃やされる苦しみはまさに焦熱地獄といえると思うよ。優位に立てる水を扱う能力者だって迂闊に近づいたらダメ。中途半端な水の能力なんて反剋で喰い潰されちゃう。その火は、まだ天と地の境が今よりも曖昧だった時代に神々が魔を滅ぼす際に使っていた武器だから、ね。
因みに神の火は陰陽五行における神道との関係で炎帝(カグツチ)を火行の神として置いてるのが元ね。愛宕さんの能力も火之三神と通じる能力らしいし…、」
愛宕輝彦。火系能力の頂点に立つ能力者。先祖返りの現人神。
彼の名字である『愛宕』とは、火伏せ・防火に霊験のある神である愛宕大権現に由来する。
名前である『輝彦』。輝(てる)は、輝く、という意味。古くは『拡(かか)』という字を書き『迦具(かぐ)』とも同じ意味をもつ。彦(ひこ)は男性であることを示すもの。神と同じこの名を持つ愛宕輝彦が『火之三神(火之夜藝速男神・火之拡皛顛澄Σ佛群犇馘攷)』と通じたのも必然といえば必然なのかもしれない。
名は形を持たない神にとって何物にも変えがたい大切なものである。自らのソレを証明する重要な要素なのだ。だからこそ人が神と通じるには、同じ名を持つ、ということが重要となる。それだけで神と通じられる訳ではないが、同じ名を持っていなければ、その神へと至る最初の一歩を踏み出す為の鍵が無いに等しい。
そして、その先で神にたどり着くことが出来れば、神の力を得ることが可能である。
神の力は須く絶大である。愛宕輝彦個人で言えば、神火状態の彼の得意技『炎天』。「炎天来迎」の一声と共に、空を貫くような巨大な火柱を立て、その炎が空一面に広がり全天を包む技である。まさに神業。空一面、見渡す限りの天空が燃え上がるという、この世の終わりのような光景を見せ付けられた者はその殆どが力の差を思い知り、地に膝を付く。
だが、これは彼曰く、威嚇でしかない、らしい。その状態で戦闘が続いた場合(まぁ、十中八九無いが)、彼が次に起こす神業は『火の雨』である。空一面を覆い尽くす炎が地に降り注ぐのだ。通常の自然現象を超越した神話の再現。ちなみに、神話の再現をすると彼がその能力を貸してもらっている神たちが喜ぶそうだ。
彼の能力は『神代の能力』である。要するに神の力を扱う。そして、世界中に存在する数多の神たち。その神には各々に神話が用意されている。神の特徴は、その神話に由来する。
どういうことかというと、もし、Sランクの能力者、現人神、愛宕輝彦の弱点を知りたければ、日本神話を読み漁るのが最も早いだろう、ということ。神話において彼の神が苦手としたこと、彼の神が嫌ったこと、彼の神が負けた相手や原因、彼の神を殺した方法、などだ。神話の神々は過去の存在であるからして、進化することはあり得ない。昔の弱点を、そのまま持っている。当然、その力も神話のままだ。
ちなみに『火の雨』を防ぐ方法は『岩の家』である。神の力は絶大ではあるが、その力は神話以下にならない代わりに神話以上になることもない。過去にそれを防いだ方法が、そのまま通用するのだ。
「…。…相変わらず意味不明な記憶力と知識量ね…」
「そうかにゃー?」
雅綺麗煌。環凪学園定期試験における学年別総合ランク、第3位。
本人は特に思うところは無いようで、熱心に勉学に励んでいる様は見受けられない。
「学食行こーぜぇ、美姫ぃ」
「あー、ごめん。私ちょっと行くトコあるんだよね」
「えぇえぇぇぇえぇぇぇぇぇえぇぇぇえええぇぇぇえぇええぇぇぇえぇぇぇぇえぇぇぇええ」
「じゃ、そういうことで!」
綺麗煌の必死の抵抗も虚しく、美姫はさっさと教室を出て行ってしまう。
「なんだよー」
一人、ふて腐れるが、空腹には勝てない。ぽてぽてと廊下を歩く。なんかウインナー食べたいなぁ。ウインナーっていうか、お弁当が食べたい。卵焼きとか、そういうの。お弁当だと冷めたご飯が美味しくなる不思議。
その途中、一人だし、ちょっと、あの人の教室でも覗いてみようかと思いつく。あの人のことを考えるだけで、気分が弾む、足も弾む、浮き足立つとは正にこのことか。
方向転換。廊下を歩きつつ、途中、思わずスキップしそうになるが、我慢して歩く。
いやー、ほら、私って、あれじゃん? こういう風に普通に歩いてるだけでも、なんかモデル歩きみたいになっちゃうんだよねー。いや別に意識とかはしてないんだけどさー。なんて言うのかなー、身体に染み付いてるみたいなー。ははっ。
うわぁ、今の脳内自分ウゼェ。モデル歩きとか出来ないし。ウザ可愛いみたいな感じの自分を妄想しようとしたら、ただウザいだけだった。
そんなこんなで、あの人の教室前に到着。
そのまま歩き続ける。たまたま通りかかっただけです、という雰囲気を装い、さりげなく横目で観察。歩調は変えずに、横目でチラリ。
チラリ……、…!?。チラリーーーーーー…。
「……、え…?」
なんか、あの人が女の子と一緒にお昼食べてた。
「……、えーっと…?」
何が起きたのか説明しよう。
チラリ……(←これは一度目のチラ見)、…!?(←ここで驚愕の事実に遭遇)。チラリーーーーーー…(←思わず二度見&ガン見)。
なんだあれ。っていうか、誰だアレ。数秒の映像を頭の中でリピート。リピート。リピート。
クソッ、顔が出てこない。私の目は節穴か。
断片的な情報を繋ぎ合わせる。黒のショートカット。色は白かったな、ちょっと不健康なくらい。細いし。あと、アレは何だったのかよく分からないけど、黒くてデカいのが、ね。なにアレ? 墨汁魔人? 墨汁の精? じゃあ、なに、あの子は墨汁の能力者? なんだそれ。
「うーー…」
唸る。不透明な現状に。不明瞭な未来に。
「むーー…」
考える。何を考えればいいのかもよく分からないが、何かを考えている振りをしていないと今にも脳内から不安と不満が溢れ出て爆発しそうなのだ。
疑問は限りなく、不安は際限なく、湧き出ては消えていく。不安を見たくないので疑問で蓋をする。
全ての疑問は最終的には「あの子は誰?」という一つの問いに帰結し、その解が得られない事で脳内会議は解散となる。解散と同時に、新たな切り口を模索し、再び会議は再開される。そして、また同じ問いで行き詰まり、終わる。
そんなことを、そんな意味のないことを昼休みいっぱい続けた。空腹は、衝撃の事実があまりにも重すぎて胃袋の中にまで雪崩れ込んできたので消えてしまった。
校舎の中をぐるぐると歩き、同じ事を考え、同じ問題で挫ける。
先に進めなかったのではない。先に進まなかったのだ。
そう、私は、雅綺麗煌は先に進むのが怖かった。意図的に現状を維持しようとした。
答えを求めるのであれば、すぐにあの人に聞きに行けばいい。一緒にお昼を食べていた彼女でもいい。どういう関係なのかと聞けばいい。すぐに答えは提示される。
私は反射的に、その答えを放棄した。答えを見たくなかった。答えを知ってしまうのが怖かった。それが、その答えが、もし、私の思い描く最悪の未来だったらと思うと、私の足は竦み、心は目を背けてしまう。
早計だろう、と頭の片方は言う。最悪の未来を否定する。ただ、話しをしていただけだろうとも言う。
しかし、不安は「なぜ?」と疑問を生み、疑問は「どうして?」と疑惑へ変化し、疑惑は「もしかして」と疑心へ堕ち、私の心は暗鬼に支配される。
疑心暗鬼。暗い闇には鬼が巣くう。暗い心には鬼が巣くう。その暗闇には鬼はいるのだろうか。その深淵にいるかもしれない。その暗黒にいないかもしれない。いたとしたら、という不安。それとも、この闇こそが鬼なのか。
そんな私の凍りついてしまったかのような色の無い昼休みは何かしらの解答を得られることもなく、午後の基礎授業の予鈴によって強制的に解凍された。
◆
綺麗煌を半ば強引に振り切った美姫は、そのまま高等部の校舎を出る。
エレベーターで3階へ、そのまま連絡通路を渡る。エスカレーターのステップをパタパタと鳴らし、全天候グラウンドで思い思いの青春を過ごす学生たちを横目に一路、中等部へ。
高等部と造りは大して変わらない。美姫は目的地へと向かう。
環凪学園中等部、特別棟。委員会や部活動等の活動でのみ使用される教室だけが集まった場所。
放課後以外では、人もまばらなこの場所に人目を避け近づき、堂々正面から進入。特別棟、最上階を目指す。
美姫は特別棟、最上階の一室でとある少女と出会った。その黒髪で長めのポニーテールという髪型の、一言で言えば素朴で可愛らしい少女はどのような理由で呼び出されたのかは分からないが、疑うということを知らないのか、怖いもの知らずなのか、美姫がその類まれなる容姿のせいで多少、有名だったのが幸いしたのか、笑顔で接してきた。
美姫は彼女と目が合った瞬間から、自らの能力を発動させていたという。その後の調査で、正確には、中等部に移動した時点で発動していたそうだ。
美姫が一つのお願いをして、少女が首を縦に振るまでそう時間は掛からなかった。
第二話 「恋の迷路」 五番町空繰の失念
その日の放課後。2人の男女がとある無機質な建物の中を進む。
デートのお誘いのような雰囲気で言われたが、そこに私情を挟むだけの余裕は感じられなかった。言葉でも行動でもなく、空繰は有無を言えずに強制的に連行されている。見えない鎖で引っ張られている気分だった。こういう人、というよりも能力の高いアクターは個人的に付き合いにくい人物だ。
「…、護衛…、か」
空繰は唐突に振られた単語を相変わらずの仏頂面で復唱した。
「そう。護衛。まぁ、詳しい話しはあとで」
そう言いながら空繰を教室から連れてきた、昼休みに真っ黒の謎の物体に乗ってきた美少女『影山 愛(かげやま あい)』は通路を進む。ちなみに現在は普通に歩いている。
環凪学園、風紀委員会本部。
巨大な生徒会本部に比べれば、その規模は小さい。旧、室内演習場を改修して建てられたもので建物としての強度だけなら学園内一を誇る。まぁ、意匠としては下の下。無機質で無骨。故に一部の女子生徒からは、すこぶる評判が悪い。空繰としては無意味にごちゃごちゃとしておらず、わりと好きな方なのだが。
意匠としては低いが、改修済みである為、見てくれは真新しい。白を基調とした色使いは清潔さに溢れる。ただ…、こう、それ以外、何も無いのだ。
そう。丁度、目の前を歩いている、この美少女のように。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
少し視線を送っただけで、これである。僅かな気配の変化を感じ取って振り返った影山愛をやんわりと流し、空繰は心の中で小さなタメ息をついた。
やはりAランク以上で多くの経験を積み洗練されたアクターというのは自分のような一般人には付き合いにくい。そう再認識する。
まるで病院のような廊下の突き当たりで影山愛は歩みを止めた。空繰も、それに倣う。
ここへ入るのも久しぶりだ。
「…? そう」
影山愛は大して気にしていない様子で、目の前の扉を2回ノックし、開けた。
環凪学園、風紀委員会本部、会議室。そこには、錚々たる顔ぶれが集合していた。風紀委員に所属する最高クラスの戦力、と言っていいだろう。
長方形の長机が整然と並べられ、風紀委員の面々が座っている。皆、空繰たちにチラリと視線を向けたが、その視線はすぐに前方へと戻される。その前方には、風紀委員長『夕雁 紅葉(ゆうがり もみじ)』がいつになく厳しい表情で着席している。
影山愛は涼しい顔で近くの席に着席する。空繰もそれに続く。着席し時間を確認すると腕時計の針は午後4時を差していた。
「時間よ。始めましょう」
年に一度、出すか出さないかという真面目な声色で、凛と空気を震わせて夕雁紅葉が号令をかける。
夕雁紅葉の号令に合わせて一人の女子生徒が壇上に立った。
黒髪ロングヘア、メタルフレームの眼鏡に冷ややかな雰囲気の少女は一礼。
「高等部2年『椿 氷無(つばき ひな)』です。それでは、今回の警護任務についての説明を始めさせて頂きます」
放たれた声色は落ち着いていた。慣れているのだろうか。スラスラと言葉を紡ぐ。
「既にご存知かと思われますが、1週間後、英国大使が日本に来日予定です。今回の来日の際、環凪島の視察も行われるとの事です。勿論、非公式に」
やはり。と空繰は心の中で呟いた。言葉や態度には出さないが、他の何人かの風紀委員からも同じような空気を感じる。そして、隣からも。
この環凪島には世界中から能力者を募っている。そして、世界各国も能力者研究の主導を握っている日本に能力者を預けている。それは、勿論、最新の研究設備を誇る日本の環凪島に住まわせることで、世界各国の共通目標である『能力者の謎の解明』に一役買おうということでもあり、能力者自身にとっても、より良い環境で過ごして貰おうということでもある。表向きは。
その裏では、各国の戦略が渦を巻いている。強力な能力者は、高い戦力から強力な兵器ともなる。
能力者を他国に預けるということは、自国の戦力を他国の手中に預けるという意味でもあるのだ。故に各国は常に慎重に、日本の動きを、環凪島の動きをチェックしている。
そして、他の理由で来日しては環凪島に自ら足を運び、自国の能力者が不自由なく暮らしているか、不当な扱いを受けていないか、などを細かくチェックしていく。
そして、それさえも建前に過ぎない。環凪島に入る為の理由だ。日本は環凪島に関しては、その筋にはオープンな姿勢だが、肝心の研究成果や能力者の隠された部分に関しては全くといっていいほど外部に出していない。秘匿事項。他国の狙いは日本が会得している、その秘密。能力者が生まれる秘密。
表向きには能力者の研究は、何故か能力者の発現が世界の中で桁違いに多く、その信頼に値する日本に一任している。ということになっているので、その凄惨な歴史や本当の目的も含め、各国は大っぴらに環凪島に関与することはない。その全てが非公式に。こっそりと行われる。
日本としても能力者を環凪島に預けている国から視察の申し出があれば無下にすることは出来ない。それを断ってしまうと様々な疑惑と憶測が流れる。事は直ぐに軍事的な国際問題へと発展するだろう。
環凪島へと理由を付けて、やってくる要注意人物。その人物を持て成し、警戒し、表向きの仕事だけをさせて追い返すのが環凪島の役目でもある。
表向きに環凪島に足を運べないのは各国にとっても枷だが、それは日本にとっても枷となっている。事を公にできない以上、派手に軍部を動かすことが出来ないのだ。
環凪島への訪問が非公式に行われる以上、各国も日本も、それについては素知らぬ顔で通す。もし、それが露呈すれば、すぐさま国際特殊能力者教育機関(International special ability educational institution、略称:ISAEI)からの視察を受けることになるだろう。
もし、そうなれば日本は巧妙に秘匿し続けた機密を地球連合に提出せざるを得なくなり、各国も他国に先んじて享受しておきたかった情報を、あるいはISAEIに隠され、同じレベルでしか知ることはなくなる。万が一、能力者に関しての世界的な特権ともいえる日本の立場が弱くなってしまい、管轄が地球連合になどになってしまった場合は全ての国が損をすることになる。
この日本にとって徳があり、世界の国々にも徳があるかもしれないという、奇妙なWIN-WINの成り損ないのような関係は環凪島が発足した頃から続いている。
勿論、上記の説明だけが全てではないだろう。特殊能力の研究結果の横流しによる不正な取引が毎年、数百億ドル規模で行われているという噂も実しやかに囁かれ続けている。
ともかく、金と商売と軍事に関して言えば、特殊能力及び特殊能力者は、今、世界で最もホットな商品にして兵器である、ということ。
椿氷無の説明は流水の如く、澱みなく進行した。
視察日時。各班への振り分けから、警護のポイントまで。
警護と銘打ってはいるが、重要なのは要人の警護ではなく、要人への警戒である。不必要なことをさせない。不用意に出歩かせない。彼らは権威あるスパイなのだ。勿論、軍らが介入出来ない環凪島での要人の身の安全も両国の円満な関係には重要ではあるが、環凪島の機密を持ち帰られるくらいなら暗殺すら辞さないのが日本国政府の見解でもある。死因は事故死となるだろう。要人が環凪島に居ること自体が禁忌(タブー)なのだ。当然、そこでの出来事は有耶無耶にされ、両国の暗黙の了解の下、闇へと葬られる。
元々、この仕事は生徒会が行っていたが風紀委員の独立時から風紀委員の管轄となり、現在では風紀委員会にとっても最も重要な案件の一つとなっている。
1週間後に迫っていた大仕事。その打ち合わせともいえる風紀委員会の特別会議はその後、4時間ほど続き、全体としての最終的な調整が終わった頃には時計の針は午後8時半を差していた。
一段落したところで、結局、デスクの上に置かれていた枕に触れることが無かった風紀委員長、夕雁紅葉が壁に掛けられている時計を視線を向け「概ねの調整は済んだし、今日はここまでにしましょう」と、解散を宣言した。
この人が4時間以上もだらけなかった、それだけでも事の重大さが伝わるというものだ。
だが、ここで帰れると思ったら大間違い。これから振り分けられた各班の調整と当日までの準備期間に入る。失敗は許されないし、過去、失敗したことは無い。今回も失敗することは許されない。だからこそ、準備は怠らない。備えあれば憂いなし。それは、心の準備でもある。機密を盗まれるのも失敗ではあるが、機密を持ち帰られる事こそが失敗なのだ。
そう。場合によっては、人を殺す準備も必要である。
この事実は基本的に一部の生徒会役員と一部の風紀委員以外の生徒たちには知らされない。
全員で身構えることではないし、味方が多すぎるのも問題だ。この案件は何事も無かったかのように終えるのが理想である。普段から環凪島には様々な大人たちが出入りしているから、そこに数人、見知らぬ大人が混じっていても誰も気にしないだろう。
空繰は後方支援に回された。
リフィターである点が一つ。そして、戦力を外部から強制的に殺ぐことが出来る点も一つ。
万が一、戦闘が発生した場合、空繰は戦闘区域外から、その能力を使って敵の戦意を食べる。敵が何を目的に、どんな心情でやって来るか分からないが、空繰ならば、責任も欲望も憎悪も嫌悪も嫉妬も期待も怒りも怨みも、戦闘時の興奮すら含め、戦闘意欲に繋がる全ての感情を喰らうことができる。
そして、後方支援を請け負った人物がもう一人。
「影山さん」
「よろしくね」
そう言って隣に着席した美少女に、やはり空繰は少しの空虚感を感じた。彼女にはそういう雰囲気がある。
影山愛。Aランク(A-1)。アクター。能力名『影戯人形(ドールズインシー)』
空繰は彼女の能力をあまりよく知らない。だが、噂はよく聞いている。影を操る能力者だ。
聞き及んでいる所では、人の影を奪い実体化させる。その影は自分と同じ能力を持って影山愛の支配下に置かれる。複数、時には十数もの影を同時に操る。など。
彼女は一度、戦闘となれば手近な能力者から影を奪い、次々に自分の味方としてしまう。周りに能力者(影)がいればいるほど彼女の戦力は掛け算式に増え続ける。その様から付いた名が『虚人戦隊(シャドウ・ブリゲイド)』や『単独軍隊(スコードロン・ワン)』など。
影山愛は特殊な状況下ではあったが、とあるSランク能力者とも互角以上の戦いを繰り広げた過去をもつなど風紀委員会きっての実力者である。
その強さは、直接的には相手の力を奪う、といったものだが、彼女自身の強みは、その確かな戦局の見極めだろう。盤上の全ての駒を把握し、そこから十五通りの戦局をそれぞれ十手先まで読む棋士のように、彼女は複数の影と複数の敵、さらにはその外側の状況まで読み、そこから考えうる限りの手を予測し全てに対し最善手を打ってくる。何も考えずに彼女と戦えば、一撃で仕留めない限り掌の上で弄ばれ、あれよあれよという間に危機的状況に陥ってしまうだろう。しかも、その時点で逃げ道は確実に潰されている。
その容姿と雰囲気からは、あまり想像できないが、実は好戦的で、わりとSらしい、影山愛。性格的な意味で。
性格はさておき、そんなこんなで風紀委員長、夕雁紅葉からの信頼も厚い。風紀委員会での位置も比例して高く、時期『五賢帝』の座は確実とも称される。
そんな彼女が後方支援として控えているのは前線の者たちにとって心強いものとなる。先に影だけを預けておけば、風紀委員の戦力は単純に2倍。頭の切れる彼女のことだ。2倍どころか4倍、8倍とその力を使いこなすだろう。
午後9時を回り、ちらほらと帰宅組みが現れる。
空繰と影山愛を含めた後方支援組みも簡単な打ち合わせを終え、解散とする。
後方支援組みのリーダーは満場一致で影山愛となった。正直な話し、影山愛が一人居れば後方支援など十分であるのも事実である。万能ではないが、彼女は指令官としての才能がある。そして、その才能を十二分に発揮することが出来る能力も併せ持っている。空繰を含めたその他は、おまけに近い。
彼女は自分の力に対し、尊大な態度も取らなければ謙遜もしなかった。
それは自分という存在を受け入れているようにも見えた。リーダーの話しの時も、それを承諾したときも。
自信が無いようには見えなかった。自信に溢れているようにも見えなかった。
そんな人を、どこかでみたことがあるような気がした。空繰は帰路に就きながら少し思索する。
あぁ、そうだ。思い出した。Sランクだ。Sランクの能力者たちの態度だ。最高ランクという地位に立ちながら、彼らはそれを自慢することは無い。かと言って、その能力を卑下することも無い。
彼らは努力という言葉を知らない。彼らは目標を持たない。
生まれ持った異常は、与えられるべき普通を壊す。それは広義的な意味では全ての能力者に当てはまる。
それの究極がSランクの能力者たちのような、ある意味で達観したかのような態度なのだろう。
そして、それが彼らの心に空虚感を生むのだろう。彼らは自らの能力に、どこか実質的な内容や価値を見出せていないのかもしれない。
もし、自分の能力でそんな彼らの心を癒せたら…。
「無理か…」
自分は食べる(奪う)だけだ。与えることは出来ない。
空虚。その感情には本質が無い。事実上、何も無いに近い。そんなものに名前を付けて呼んでいるだけだ。名前が付いていることで、その感情を抽象的に捕らえられる。だから空繰は、空虚、という感情を食べることが出来る。
空虚に満たされている心を食べれば、その先は本当に何もなくなってしまう。虚空から虚が消えて、空っぽ。0だ。
「何が?」
帰り道。夜空から降る暗闇へ言葉を溶かした瞬間、突然、声をかけられた。
空繰は振り返ってしまう。すっかり忘れていたもう一つの問題へと。
第二話「恋の迷路」 雅綺麗煌の難題
今のように能力者が統制される前の段階ではもっといた可能性は否定できないが、日本国政府及び特殊能力対策局においては特殊能力者が世界で始めて発現してから現在までで『神代の能力』を持つ能力者は3人、確認されている。
一人は現代に生きる現人神(あらひとがみ)、愛宕大権現の正統直系、神炎三帝こと『愛宕 輝彦(あたご てるひこ)』
一人は大戦後に生まれた禍神(まがつがみ)、まつろわぬ蝦夷の神人、大夜凶神こと『波羽木 客人(ははき まれびと)』
そして。
一人は大戦時に生きた戦神(いくさがみ)、創造神にして黄泉津大神、死海鉄神こと『波羽木 誘那(ははき ゆうな)』
過去、世界的に隠蔽され続けた特殊能力者の人間としての権利を求め、僅か13人の軍勢で世界に対し攻撃を仕掛けた者達『13人組(パラディン)』の一人。
ただ、波羽木誘那自身が世界的に隠蔽され続けた特殊能力者の人間としての権利を求めていたかは不明である。その所業からは、人を救うという意思が希薄だった。むしろ、人を滅ぼすような勢いで暴れていたという。
資料によれば、その能力は『創造』。詳細は不明である。
だが、創造神としての、さらに、太陽神をも上回る、強大すぎるほどに強大な神格を兼ね備えたその能力は人を、国を、世界を滅ぼすに値する力だったことは確かである。器が人間でなければ、あの大戦で、日本どころか世界ごと滅ぼされていただろう。
その神格の名は、伊邪那美命(いざなみのみこと)。
伊邪那美命。天地開闢において神世七代の最後に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)とともに生まれた。国産み・神産みにおいて伊邪那岐との間に日本国土を形づくる多数の子をもうけ、八百万の神々を生んだ神。日本列島の母にして、森羅万象の母でもある。日本という国、そのものの母と言っていいだろう。
そして、そんな創造神である伊邪那美のもう一つの顔は、日本最強の死神。
一日で地上から千の命を奪う、死神にして祟り神もまた、伊邪那美である。
そんな神が人知れず、科学の力をもって、――再降臨していた。
環凪島。研究所。第十五科直属地下研究棟特S級実験生物管理室。
環凪島の中心部に学園は大学部と一部を併設した施設。研究所。世界中から各部門トップの研究者が集められ、日夜、能力者の謎の解明に勤しんでいる。
そこは存在自体が秘匿された場所。
表向きには研究所には第九科までしか存在しない。
表向きには研究所の地下、地下1階から地下3階までは資材置き場となっている。
地下566階。地上から1700mほど掘り下げた場所に、その場所は存在する。
そこは地上のどんな生物よりも危険な能力を扱う場所。
そこは地上のどんな物質よりも危険な能力を扱う場所。
そこは地上のどんな能力よりも危険な能力を扱う場所。
存在自体が禁忌であり、一度でも表に出ようものなら、そのまま世界を滅ぼしかねない、奇跡であり呪いのような能力を扱う場所。
「あぁ、完成したよ」
そんな外界とは完全に断絶され、展望すれば小さな都市のような真っ白な空間。いくつものドーム状の建物が並ぶ巨大な空間。そこには地下都市空間(ジオフロント)が広がっていた。
ドーム状の建物の一つ『SSS-1』と番号が振られた建物の中に一人の男がいた。
何やら通信機器を用いて、どこぞの誰かと会話をしている。
男の外見は、一言で言えば、どこにでもいそうである。誰もが来ていそうな服装に、白衣と肩口まで伸ばした長髪。
極力、人目に付かないことを考慮し〝創られた〟どこにでもいそうな外見の男の名は『月居 龍彦(つきおり たつひこ)』。
この研究所の所長である。
まぁ、所長という肩書きだけを持つだけで、所長らしい仕事は殆どしていない。事務作業など気紛れに判を押すくらいである。自分もまた研究者なのだ。寝食を忘れ研究に没頭し、他のどんな欲求よりも知的好奇心を優先させる研究者なのだ。事務作業などに割ける時間は無いに等しい。ただ、研究所の最高権限でもって好き勝手に資源と金、時間を使えているので、この役職に不満は無い。
寝食を忘れ、と言ったが、事実、月居龍彦は3週間ほど眠っていない。眠らなくても大丈夫なように創り変えたからだ。食事は身体を維持するための必要最低限のものだけを取っている。自由に身体を弄れるといっても、無から有は産み出せない。煩わしいことこの上ないが必要なものは必要である。
無から有を産み出せるのは、この世でただ一人。
環凪島、引いては世界最強、完全無敵の能力者。前代未聞にして、解明不可。この世の理を無視する能力者。質量無視の彼女だけだろう。本気を出せば天地創造すら可能なのではないだろうか。アレも十分すぎるほどに禁忌のレベルだ。本来ならば『ナビゲーター』のように封印の対処をするべきだが、能力自体が強すぎて、存在自体が反則すぎて対処のしようがないのが現状である。無限を無限のまま扱う彼女の能力は、科学者からしてみれば宇宙そのものに等しい。この全宇宙を解明でもしない限り彼女の能力の説明はつかないだろう。
まぁ、あそこまでぶっ飛んで桁違いならば、悪用したい方も、そもそも悪用の仕方が分からないので問題ないと言えば問題ない。
「しかし、どうやって手に入れたんだい? 戦犯、波羽木誘那の脳など。しかも完璧な状態で」
口元を歪めながら月居龍彦は問う。しかし、期待した答えは無い。というか、返事が無い。無言。ノーコメント。
無用な会話はしないということか。お互いがお互いの真意を謀る時間。わずかに数秒。
仕切り直したのは月居龍彦だった。
「完成度は72%から81%というところだね。十分にSランク相当は有している。100%の復元は何故か出来なかったよ。その辺はまだまだ研究の余地があるかな」
誰かと会話をする月居龍彦の背後には、小柄な女性が立っていた。
身長は150cmにも届かない。その姿は、有り体に、一言で言ってしまえば、不気味。血色の悪い色の継ぎ接ぎだらけの皮膚。比喩ではなく、死んだ魚のような目。今、墓から死体を持ってきて繋ぎ合わせた、と言えば誰もが信じるであろう、かのフランケンシュタインの怪物のような外見。フランケンシュタインの怪物とは違い見た目や顔立ちが整っている分、その美しさが怪物とは違う不気味さを引き立てている。美しい人形に呪いをかけて、腐らせたような雰囲気。
そして、異様なのは、その装備にもある。いや、装備と言っていいのかも分からない。短刀が刺さっているのだ。刃長10cmほどの小さな短刀が背中から両肩、両腕にかけて、和装の上から。首と頭にも刺さっている。頭に刺さっている短刀は、さながら王冠の様にも見えた。実に100本を越える短刀が彼女の身体に所狭しと刺さりまくっている。
服装は何故か白無垢。短刀による傷口から血がポタリと滴り、純白をどす黒く汚していた。さらに血で汚れた部分は不自然に溶けていく、否、腐っていく。彼女に用意された一張羅は、着てからの数時間で、もう襤褸切れのようになっていた。
「クローンとしては完成体と言っていいだろう。…。あぁ、支払いの方は確認しているよ。3000億ドル、確かにね」
ここで相手が口を開いた。無機質な機会音声のような声が響く。
「クローン・ノカン・セイガモク・テキデ・ハ・ナイ」
抑揚がおかしく、まともには聞き取りにくい。
「あぁ、勿論分かっているとも。手筈通りに。…では」
簡単な挨拶で通信を切る。
くるりと反転し、眼前の光景を再確認。死神の視線を受けて尚、その余裕は消えない。
「しかし、どこの国かは知らないが環凪島、いや、日本を壊滅させるつもりかな? ユウナ・ハハキのクローンなど…」
真っ白な和装、白無垢姿の波羽木誘那は、静かに死を瞳に湛える。
「元より、死を創造する能力者。指の一本、髪の毛一本でもあれば復活は可能か」
そう言うと、月居龍彦は恭しく一礼し、ガラス細工に触れるように波羽木誘那の顎のラインを右手の人差指で、すぅ、と撫でた。
ザラリ、と朽ちた人間の肌触りを一瞬だけ体験する。一瞬で十分だった。能力的にも、個人的にも。
波羽木誘那の顎のラインを撫でた月居龍彦の人差指は速やかに腐食を開始する。腐っていく。これが波羽木誘那が現在、垂れ流し的に使っている〝死〟の能力。その一片。彼女に触れれば腐り死ぬ。この腐るという能力は、彼女の身体も例外ではない。自身の防衛という部分で耐性は非常に高いが、彼女の身体もゆっくりと朽ちていく。彼女の余命は、せいぜい一ヶ月と言ったところか。まぁ、余命とはいっても既に死んでいることに変わりは無い。
この状態は、どうやら死後から始まったらしい。
大戦時、即ち生前は周囲を無差別に腐らせることも、彼女自身が腐ることも無かった様だ。
何故、彼女の死後から、このような状態になってしまったのか、未だに分かっていない。
そもそも彼女の能力自体が謎だらけであるし、本人に聞こうにも、今のところコミュニケーション能力は皆無に等しい。何度か会話を試みたが、明確なリアクションは返ってきていない。目の前のソレが何やら動いている、くらいの顔だ。しかし、こちらの言葉の意味は多少なりとも理解しているようでもある。その理由もまた謎である。
生前の脳を、そのまま使っているわけだから、その能力が復活してもいい筈だが…。
脳の蘇生と身体のクローンは完璧に近い。事実、波羽木誘那はこうして生き返った。
死神が生き返るなど、笑えぬ冗談だが。
さて、と月居龍彦は腐り始めた人差指を切り落とした。見れば、いつの間にやら左手の指が鋭利な刃物のように形状を変えている。
「後で補肉剤を摂取しておかなければね」
その行動を目の前で見ていた波羽木誘那に説明するかのような独り言と共に、ゴキ、メキと耳障りな音と共に月居龍彦の身体が変化し始める。骨格、血液、筋肉、脂肪。身体を構成する全ての成分を細胞レベルで変質させる。色が、形が、質が変わる。
表れたのは2人目の波羽木誘那。白衣を翻し、波羽木誘那の姿をして、波羽木誘那の気配を纏い、波羽木誘那と同じ瞳で、波羽木誘那の声で月居龍彦は言う。
「――さぁ、行こう」
◆
「ふぅ…」
心ここにあらず、といった表情で、何度目か分からない雅綺麗煌のタメ息。
午後の授業はいつの間にか終わっていた。なんか今日は大体の時間があっという間に過ぎている気がするのは気のせいだろうか。
いつもと違う綺麗煌の雰囲気にクラスメイト達は、なんだろう、と首を傾げるが、深くは追求してこない。その原因は、綺麗煌の親友にしてルームメイトの東狐美姫の様子もいつもと違うからだ。
彼女は思い詰めたような表情で沈んでいたかと思えば、ニヤニヤと笑ったりと、何やら傍目には情緒不安定な状態が続いている。美少女であってもその姿はけっこう気持ち悪く、誰も近づけない。美姫は美姫で存在など忘れてしまったかのように綺麗煌には近づこうともしない。
二人揃って昼休み以降の様子がおかしいので、どうせ昼休みにどこかでケンカでもしたのだろうと回りは高をくくっていた。喧嘩するほど仲がいい、の言葉を体現するかのように二人のケンカはよくあることなのだ。
もやもやと過ぎる午後3時。
教室を出た綺麗煌は、その足で屋上へと向かった。
美姫はHR終了と同時に逃げるように教室を出て行ってしまったので、どこに行ったのかは分からない。
ドアを空けた瞬間、吹き込む風に髪が遊ばれる。左手で暴れる前髪を押さえつけながら、屋上に設置されているベンチへ。
暑いな。場所を間違えたか。でも今日は日差しもないし、風が強くて気持ちいいから良しとしよう。
真夏に屋上に上がる物好きもいないのか、誰もいない屋上を占領する。
ベンチに座って、見上げた空は一面が雲。締まらないなぁ。
まぁ、それが私っぽくていいのだけど。
んー、と伸びをした瞬間に突き上げるような突風。
思いっきりスカートがめくれる。スカート逆立ち状態。なんと貧弱な防御壁だろうか。
「げ」
純白のそれを慌てて隠す。屋上には自分一人。一人のはずだ。キョロキョロと見回して、ぼっち再確認。
ヤバかった。見られていたら、あまりの羞恥心にそのまま屋上から飛び降りていたかもしれない。気分が落ち込んでいるときほど咄嗟の行動力が増すのは何故なんだろう。逆に心に余裕さえあれば、身体よりも頭が先に動くのに。
なんだか、不毛な事を鬱々と考えながら、立ち上がりフェンスへと歩く。
フェンスに体重を預けて見下ろす。眼下には、学生、学生、学生。当然だ。ここは人口の8割が学生で構成される環凪島は環凪学園。学生の島。
環凪島。所属国、日本。面積、122.3平方キロメートルの半人工島。元々は小さな無人島だったものを、海底や本土から持ってきた土砂やらで盛り、人工フロートで固めて広げたのが、現在の環凪島である。そんな島に現在では1万人程の人間が暮らしている。
実のところ環凪島は、既に『環凪島』という半特別自治区状態であるという話しを綺麗煌は前に聞いた。
基本的な法律、貨幣、公用語においては、日本のものが、そのまま適用される。
ただし警察はいない。『環凪総合警備保障』と呼ばれるものが警察の代わりをする。一言で言えば、能力者による警察、である。環凪総合警備保障は警察としての役割の他にも、消防や救急医療も兼ねており、110番と119番が一緒になったような感じだ。警察の代わりとは言っているが、学生能力者同士の小競り合いや問題を解決するのは環凪学園、生徒会や風紀委員会、自警団であることが多い。そこが学生が主体の環凪島の普通である。問題解決後の手続きなどは環凪総合警備保障が一括で請け負っている。
環凪総合警備保障は基本的には学園3組織と共に学外を中心とした島全域の治安維持に尽力している。環凪島内においては逮捕権すら持っており、拳銃の所持も許可されている公的な組織だ。
人類を越えた能力者にとっても未だに近代兵器や銃火器は脅威だ。Sランクくらいになると関係なくなりもするが、音速を超える速度で撃ち出される鉛玉に対抗できる能力となると数えるほどだろう。多くの能力者は拳銃を突きつけられて「手を上げろ!」と言われれば、黙って従うしかない。そんな科学の力で生み出された脅威が、今日も世界の平和を守り、今日も世界の平和を脅かし続けている。それは人類がどれほど進化しても変わらないのかもしれない。
その環凪総合警備保障を雇い、環凪島の自治を行っているのが『GM7』と呼ばれる7人だ。GMはゼネラルマネージャー(総支配人)ではなく、グレートマネージャー(偉大な支配人)の略らしい。『GM7』という言葉には二つの意味がある。一つ目は、過去に環凪島を一から作り上げた7人の能力者の事を指す言葉。二つ目は、現在の自治を担当している7人を指す言葉。現在の『GM7』の権限は極めて高く、時には日本政府と交渉すらしたりする。環凪島は日本から独立などはしていないが、環凪島外からしてみれば、一国の政府機関にも相当する組織が『GM7』である。
因みに、過去に環凪島を一から作り上げた7人の能力者の名は50音順で
『五百雀 朱雀(いおじゃく すざく)』
『勘解由小路 左衛門三郎 秀義(かでのこうじ さえもんざぶろう ひでよし)』
『京 清水(かなどめ きよみず)』
『雲春 立花(くもはる りっか)』
『獅子吼 王子(ししく おうじ)』
『南十字座 狂瑠璃(みなみじゅうじざ くるり)』
『月見里 万理(やまなし ばんり)』
の7人だ。テストに出るから覚えておくように。なんつって。
『GM7』の名は『13人組(パラディン)』に次いで有名だ。『13人組(パラディン)』と違うのは、特殊能力者からも、無能力者からも賞賛を勝ち得ている点だろう。特殊能力者の楽園、箱庭を造り、無能力者からしてみれば人災の隔離に尽力した7人の名は、環凪島の歴史に、日本の、世界の歴史に刻まれている。
現『GM7』による環凪自治組合は環凪島の自治だけではなく、新たな取り組みとして、環凪ブランドの作成に余念がない。環凪島を売り出そう、と言うのだ。特殊能力者だから出来ること、特殊能力者だから作れるもの、というのは少なくない。そういったもので、社会貢献などを行い、未だに特殊能力者を恐れている無能力者たちとの心の溝を埋めようとしている。人気がないので発行部数は極めて少ないが、環凪島を紹介したパンフレットを配ったり、環凪島はこんな島、みたいな雑誌を作ったりもしている。ゆくゆくはメディアを招いての取材なども視野に入れているとか何とか。流石にそこまでいくとなると環凪島最大にして唯一のスポンサーである日本政府にお伺いを立てる必要が出てくるが。
日本政府が環凪島に対して行っている巨額の投資、現在の日本は不景気ではないが、好景気でもない。それでも、毎年、国家予算の8分の1程の金額を環凪島に次ぎ込んでいる。そのような予算は割けないはずなのだが…。そのカラクリについては、またの機会にでも。
ぼーっと校舎を眺める綺麗煌の、空繰レーダーが突然、反応した。
無数にある窓のうち、一つの窓を注視する。そこを過ぎった姿は間違いなく、というか見間違える筈もない、五番町空繰の姿。一瞬の歓喜。だが、その隣には件の墨汁能力者。墨汁らしきものは見えなかったが。
流れていく二つの影を見ながら、綺麗煌の足は既に動いていた。滑るように階段を降り、流れるように二人の背後を取る。
スニーキングミッション。こっそりと後をつけ、何処に行くのか確認後、可能であれば潜入する。スニーキングミッション、という名のストーキングミッションである。
そして、そのミッションは風紀委員会本部という壁に阻まれて、あえなく、あっけなく終了した。
何故か、今日の風紀委員会本部は立ち入りが制限されており、風紀委員でもなければ入る理由も無い綺麗煌は門番のように立ちはだかる風紀委員に取りつく島もなく追い返された。
「中で一体、何が…?」
呟きながら本部裏手へ、速やかに移動。別に特殊部隊の本拠地でもなければ要塞でもない風紀委員会本部の敷地内への侵入は容易いものだった。景観用に設えられた木に身を隠し、窓から本部内を覗く。
空繰と件の少女がやってきて、2、3言葉を交わしながら歩いていく。お互い楽しそうな雰囲気ではなさそうだ。と、なると風紀委員の仕事だろうか。っていうか今、気づいたけど中にいるってことは、あの子も風紀委員会のメンバーだったのか。
足りない頭をフル稼働させて現状把握。あれ。私、ストーカーっぽい。ヤバイ。今の時点では恋する乙女では弁明できない気がする。相手に一切、非が無い。脳内選択肢は速やかに退却せよ、と警鐘を鳴らしている。
それでも視線は歩いていく2人から離せずにいた。少しでも見ていようと死角から身を乗り出そうした瞬間、件の墨汁少女が振り返った。呼吸が止まる。ばれたか?
たっぷり10秒ほど呼吸を止め、私は木、私は植物、と頭の中で3回ずつ言ってから、ゆっくりと身を乗り出す。既に2人の姿は無かった。姿勢を低くしながら、こそこそと建物に近づき窓に張り付く。あの2人の姿を探そうとした瞬間「おい」という声と共に、右肩に手が置かれた。
ひっ、と息を飲み、反射的に右側に回る首。視線は下から上へ。健康的な太もも、緑色のプリーツスカート、白いYシャツの胸元は二つの膨らみが控えめに主張している。そして、特徴的な円形のカラフルバッジ。緋色のセミロングの髪が風に揺れる。そんな特徴だらけの少女の顔は、私がよく知る顔だった。
「おぉぅ、なんだクリスか。脅かせないでよー」
「なんだ、じゃねーよ、なんだじゃ。テメェここで何してやがる。あと、その名前で呼ぶなっつってんだろーが!」
小さい子がみたら確実に泣き出すマフィア幹部みたいな凶悪な視線で吼えるクリス。元々の顔立ちが童顔で可愛らしい分、その三白眼気味の鋭い眼光が放つ違和感は強烈だ。
「クリスは可愛いなぁ、小鳥さんみたい」
クリスが喚き散らすときの擬音は、ピーチクパーチクだ。私の中で決まっている。
「ぶっ殺すぞ、綺麗煌!人の話を聞け!」
言葉遣いも粗暴。ホント黙って微笑んでいればお人形さんみたいなのに。ちっちゃい身体で全力で主張してくる、その姿は愛くるしくて、もぅ、たまらんわこれー。
「あ、私、お菓子持ってるの!一緒に食べよ?」
「ぶっ殺す!」
出会って10秒で私がキレさせたのは、クリス。もとい『茨城 野薔薇(いばらき のばら)』という名の同級生。
身長は155cm弱くらい。女子の中では背の高い私から見ると、とても撫でやすい位置に頭があるので、よく撫でる。撫でる度に怒鳴られるけど。あとクリスがむぎゅー、ってなるのが面白いのでよく抱きつく。抱きつく度に殴られるけど。女の子のお腹を殴るのは良くないと思います。どうしてお腹をピンポイントで殴るのか前に聞いたら「顔に届かないから」とか言ってたから、可愛くて再度抱きついたら、振り解かれて背中を蹴られた。背骨が砕けたかと思ったね。ちっちゃいのに力あるんだよ、あの子。
クリスの特徴といえば、ちっちゃくて可愛い、以外にもある。最も特徴的な、緋色の髪。少しオレンジよりの赤い髪。これはクリスの地毛だ。能力者の極一部だけど、特殊能力による身体の変化が見られる。これが人類の進化系と呼ばれる要因。クリスの場合は、髪の毛の色だ。身体にまで影響を受けている能力者は、その殆どがAランク以上の高位能力者。表面上にまで現れてしまう、身体を構成するDNAにまで影響を及ぼしている、というのは、それだけ、その能力が強力であることを示しているみたい。クリスもAランクだしね。
そして、このクリスは風紀委員会に所属しているのだけど、意外や意外。あの名高き『五賢帝』の一人なのだ。『薔薇園の女王(レーヌ・ロザリィ)』と言えば、知ってる人も多いんじゃないかな。まぁ、クリスは女王様ってよりは王女様って感じだけど。
あ、そうそう、大事なこと。なんで『クリス』って呼ばれてるかってことなんだけど。クリ…、野薔薇ちゃんは、とにかく緑色が好きみたいなんだよね。だから持ってる服とか小物も緑色が多いんだよ。去年の冬。12月半ばも過ぎた頃に野薔薇ちゃんは深緑色のコートで学校に来たんだ。そしたら、その時偶然出会った風紀委員長の夕雁紅葉さんが「野薔薇ってクリスマスツリーみたいだな」って教室の真ん中で本人に向かって堂々と言ったんだよね。確かに、赤い髪と緑のコートでクリスマスカラーだった野薔薇ちゃん。その話はあっという間に駆け回って、数時間後には、クリスってあだ名が定着していたんだ。野薔薇ちゃんは怒ってたけど、まぁ、あんまり嫌そうでもなかったかな。人の噂も75日って言うけど一度、定着してしまうと、払拭するのは難しいよね。今では野薔薇ちゃんと特に親しい数人だけが呼ぶ感じかな。その事件以来、野薔薇ちゃんの緑色信仰は少し落ち着いたみたい。本当に少しだけだけどね。
「で、テメェは何してたんだよ」
なんだかんだで私の差し出したポッキーをカリカリポリポリしながら落ち着いたクリスが再度、聞いてくる。
あぁ、リスみたい…。かわゆすかわゆす。抱きしめたいけど、抱きしめたら腹パンだから我慢。差し出された食べ物には弱いところも相まって見事に小動物系女子のクリス。そのうち悪い人に連れて行かれるんじゃなかろうか…。おっと、この話題はダメだ。基本的にうっかり屋な私だとしても、絶対に口には出せない。何故ならクリスは過去に本当に、誘拐され拉致され監禁され暴行され殺されかけたのだから。
クリスの身体にはGPS発信機が埋め込まれている。これは現在の日本で行われている刑罰の一つだ。主に凶悪犯罪者や性犯罪者に対して取られる処置。
クリスは過去に殺人を犯している。人を殺害している。それは不幸な事故等ではなく、明確に過去のクリスが意思を持って行った犯罪行為。クリスが殺したのは、自らの親を殺した上に自身の尊厳を踏みにじった誘拐殺人犯。例え被害者であっても、思春期の女の子なら誰もが死にたくなるような、言葉にするのも憚れる様な酷い事をされたとしても、自分が犯した罪は消えない。クリスは確実に一つの命を奪っている。当然、裁かれた。そして、情状酌量の余地とか何とかいろいろと言われてクリスは殺人犯にしては短い刑期を終えた。
日常に戻る前にクリスの身体には、再度、傷が付けられた。そして、日常に戻ったクリスに居場所は無かった。だけど、クリスは負けなかった。本当に強い子だ。心が強い。ダイヤモンド並の強度だ。私だったら死んでる。誘拐犯に、日本の法律に、日常に殺されてる。殺されなかったとしても自殺してる。クリスの心はダイヤモンド。絶対に砕けない心。だから、その心はキラキラ光って、とても綺麗。私の名前が霞むくらいに。
なんだか、思い出したくない話を思い出した。顔には出ないようにして、私は答える。
「スニーキングミッションだよ」
「ダンボールも持たずにか?」
「ダンボール?」
脊髄反射で聞き返す。
「…なんでもねぇ」
やっぱ通じないか。みたいな顔でクリスがカリポリ。クリスはたまに変なことを言う。話を切り出したのは私。
「ところで、風紀委員って今日何かやってるの?」
「会議だ」
切り伏せるような即答。余計なことは言わないぞ、と口調で釘を刺された。まだ、何も言ってないのにー。
「へぇ…、会議、ねぇ。クリスは出なくていいの? 『五賢帝』なのに」
仕方なく話題を逸らす。
「今日、俺は警備役だからな。テメェみたいなのをとっ捕まえて追い返すのが仕事だ」
「えへへ…」
「褒めてねぇよ」
「クリスに捕まっちゃった…」
「その名前で呼ぶなって…、なんで照れるんだよ!」
気持ち悪い、とクリスが毒づく。
「責任…」
「あ?」
「責任、取ってよね…!」
「なんのだよ!!」
頬を染めて、いやんいやんと恥じらいたっぷりで言う私に、クリスが全力で突っ込んでくる。あぁ、やっぱクリスと話してると楽しい。
「…で、極々原の差し金か?」
仕切り直しとばかりに緋色の少女は胡乱な感情を込めて私を睨めつけた。
「いや、そういうのじゃない」
断言する。やっぱ話は誤魔化せないか。
というわけで、正直に話す。これ以上、変な風に誤魔化し続けると、本当に曲者を思われそうだし、私個人の問題ならまだしも生徒会に容疑が掛かるのは筋違いだ。
黙って真剣に私の恥ずかしい話を聞いてくれたクリスは、ポツリと呟いた。
「――恋、ねぇ…。好きな人…。俺にはそういうの分かんねぇや」
クリスは男性恐怖症だ。まぁ、当然と言えば当然。危害を加えられたのだから。だけど、表には億尾にも出さない。怖くて仕方ないはずなのに。自分の事を「俺」なんて呼ぶのも、男っぽい口調も、そこら辺に原因があるのだろう。
そして、クリスは『心的外傷(トラウマ)』という言葉が嫌いだ。理由を聞いたら「便利だから」と答えられた。私が思うに、クリスは過去を許せていないんだと思う。だから、あの痛みを、苦しみを、怒りを、怨みを、悲しみを『心的外傷(トラウマ)』なんていう一言で片付けてしまう便利な言葉が嫌なんだろう。
「五番町空繰、ねぇ、――そんな奴、ウチにいたっけ?」
「いるよ!超いるよ!」
「俺は人の顔と名前を覚えるのが苦手だからなぁ」
クリスが覚えないのは男だけだ。恐らくクリスの中では、男=害敵、と脳内変換されているはず。だから、男の顔や名前を覚えられない。誰だって敵の名前なんて一々覚えない。
「全くクリスは仕方がないんだから」
「その名前で呼ぶなっつってんだろーが」
お決まりのツッコミを言って、不機嫌そうに口を分かりやすく、への字にするクリス。そして、何か思いついたようにニヤリと笑った。
「でも、その墨汁の女ってのは分かるぜ?」
「ホント!?」
期待の眼差しを向ける私に対して、クリスはまるで自慢するように、その子の事を教えてくれた。。
「あぁ、そいつは墨汁の能力者じゃねぇ。っつーか墨汁ってなんだよ。あいつ名前は影山愛。影を操る能力者で、実力なら三役レベル。ウチの主戦力の一人だ」
◆
その後、クリスは私が墨汁使いと勘違いしていた影山愛さんの事や『五賢帝』の新事実を聞いてもいないことまで一方的に教えてくれて、仕事があるから、とクリスが言ったのでお開きとなった。結局、不法侵入については不問となり私はお咎め無しで開放された。っていうか、クリスが忘れていただけかもしれないけど。
影山愛。相当な実力者だった。
「三役、かぁ」
三役というのは、生徒会十二席、風紀委員五賢帝、自警団十王、の三つの役職の総称。つまりは1組織において幹部レベルの実力者だということ。
「勝ち目が、無いなぁ…」
いや、別に勝負はしていないんだけども。そもそも、あっちは私のことなんて知らないんじゃないか。私も知らないことはたくさんあった。風紀委員に『序列』なんてものがあったことも。
――「でも、影山さんって、時期『五賢帝』は確実なんでしょ?」
――「そうなんだが…、――そもそも、風紀委員会に『五賢帝』なんてものは存在しねぇんだよ」
――「え?」
――「あぁ、すまん。正確には『五賢帝』という名前の役職が無い、ってことになるな。周りが勝手にそう呼んでいるだけだ」
――「そう、だったの」
その後の野薔薇の説明を含め、環凪学園を取り仕切る3組織の概要を説明しよう。
先ずは、生徒会。
生徒会の役員席は、全て投票。選挙という形で決められる。各部署の代表から生徒会長に至るまで全て。各部署の細かい振り分けも基本的には全て選挙方式だ。共和制、と呼べるだろう。いかに実力が高かろうと、本質的な人徳が無ければ役職に付くことはできない。
次に、自警団。
自警団長においては選挙方式が採用されている。その団長の両翼を担う『十王』であるが、自警団長による指名制度が採用されている。
団長の一存で全て決めるのだ。君主の決定は共和制だが、君主が決まると君主制へと変貌する、王家の断絶をきっかけに中世のドイツやポーランドやハンガリーで行われていた選挙王制のような特殊な形態である。
暴君を選べば、それだけで自警団が壊滅しかねない。逆に名君を選べば、それだけで自警団は進化できる。団員の心眼が試されているのだろう。
最後に、風紀委員。
委員長の選定においては他の2組織と同様の選挙方式。副委員長においても選挙方式となる。
そして、ここからが重要なのだが、風紀委員には名目上、役職は、委員長と副委員長の2名分しかないのだ。『五賢帝』などという役職などは存在しない。
ただ、風紀委員には特殊能力に限らず、その人の全ての能力を総合的に見た場合での『序列』が存在する。特殊能力、運動能力、思考能力、学内での定期考査の結果も判断材料に含まれる。さらには人柄や、性格などまでが序列には関係してくる。これは風紀委員内だけで通用するものだ。発足当時から残る伝統、とでも言うべきか。
いつの頃からか、その序列の上位5名のことを、1世紀末から2世紀後期に在位したローマ帝国の5人の皇帝、またその在位した時代に準え『五賢帝』と呼ぶようになった。ローマ帝国始まって以来の平和であった、パックス・ロマーナと呼ばれる時代の一角をなしていたことも、平和を守る風紀委員会には響きの良いものであったのもあるだろう。
ちなみに、序列上位5名の中に委員長、若しくは副委員長がいた場合でも委員長と副委員長は『五賢帝』には含まれない。例えば、委員長が序列1位だった場合は『五賢帝』は序列2位から6位のことを指す言葉となる。3位に委員長、4位に副委員長がいれば、序列1位と2位、そして5位から7位の計5名が『五賢帝』と呼ばれることとなる。
言葉を繰り返すが、風紀委員会に『五賢帝』という役職は無い。皆が勝手にそう呼び、いつの間にやら定着してしまったものだ。
今となっては『五賢帝』は学園の平和の象徴となっている。
ぼーっと、クリスの話を思い出しだしながら、当ても無く学内を放浪するように歩いていた私が、そろそろ暑いからどこかに非難しようかと思ったとき、向こう側から人影。
「美姫ちゃん!」
大きな声に気づいたのか、私に向けて手を振るのは東狐美姫。
あ、なんかいつもの美姫ちゃんっぽい。なんか今日の午後はテンションおかしかったけど、治ったのかな?
2、3言葉を交わした結果、分かったことがあります。
美姫ちゃんがおかしい。
何がどうおかしいかは説明できないんだけど、なんかおかしい。
現実世界と瓜二つのパラレル時空に迷い込んだ感じというか、美姫ちゃんそっくりの偽者が完璧に美姫ちゃんの振りをしているというか。なんだか、よく分からない違和感。
ショックと違和感でグチャグチャになって、言葉少なになった私を気遣ってくれる美姫ちゃん。
「どうしたのよ綺麗煌」
「ううん。なんでもない」
笑って誤魔化す。無理。全然、誤魔化しきれてない。ダメだ。
「そんな事言ったって、アンタ世界の終わりみたいな顔してるわよ? 大丈夫なの?」
大丈夫じゃないよ。美姫ちゃんどうしちゃったの?
「大丈夫だよ」
「…。」
「…。」
にへにへ笑う私の心を見透かすみたいに美姫ちゃんの瞳が私の瞳を覗く。
じーーー。
「一緒に帰る? なんか放っといたら倒れそうだし」
ふるふると首を振るのは私。
「ごめん。このあと生徒会に行かないと…」
「休みなさい」
「行かなきゃ…」
「ダメ」
「行かない、と」
「私の言うことが聞けないの?」
瞬間、美姫ちゃんから、弾けるような威圧感。
「――っ!」
「ん、――ごめん」
「え? 何、今の、美姫ちゃん?」
「ごめん、綺麗煌。先、帰るわ」
「え、美姫ちゃん? ねぇ! ――…。」
振り返ることも無く歩いてく、美姫ちゃんの後姿を眺めていることしか出来ない私は、この時、彼女の身体に一体何が起こっているのか知る由もありませんでした。
最終更新:2012年11月24日 17:40