高等部が利用する学園の武道場が破壊されたらしいと聞いて、瓦煉 隆盛(がれん りゅうせい)は笑った。
彼は生粋の戦闘狂であり、言わずもがなこの学園では第二級くらいの指定危険物扱い。しかし本人はもっと危険だと言い張るという、二重の意味で危険な人物である。
「これは粛清しなければならんな!」
獣が牙を立てて暴れ回ったかのように破損した道場を歩いて回りながら、隆盛は叫んだ。特に誰かが居たわけでもないが、とにかく気合の入った一言であった。
すぐに彼は道場をこんな姿にした人物を探そうと思った。風紀委員がこの処理にあたったという話は聞いていたので、高等部校舎内の風紀委員室へと駆けていった。
「うわっ、なんで俺の部屋に居んの?」
環凪学園高等部、三年なんとか組の水瀬秋は、寮の自室のドアを開けると同時に素っ頓狂な声をあげた。
「雫が私を呼んだので」
部屋のテーブルについて座っていたのは、彼の寮室には少々場違いな雰囲気の金髪少女、ユスティーナ=フォン=シュナイダー。つい先日にちょっとした関わりがあって、秋の友人である霞沢雫と、牧原咲との親交を深めていたところだったのだが。
「お前が雫に呼ばれた? おう、じゃあなんでここに居るんだ。つーか部屋勝手に入るな、なにより拳が怒るから」
言いながら、ドアの向こうの廊下から顔を出してルームメイトの帰宅を警戒してみる秋。しかしそれほど遅い時間でもなかったため、廊下には誰も居らず、足音一つしなかった。
「監視です」
「いや監視はないだろ」
ふん、と言いたげに頬杖をついて、ティナは意味ありげに秋から目を逸らした。
彼女はドイツ軍事保安局、略称MADに所属し、環凪島へなんらかの目的を持って潜入しているとかしていないとかいうヒミツな話を秋にした。それはちょっとした勘違いのせいでのことだったのだが、この秘密はあまり公言されると困るらしく、以来彼女はたまに秋の様子を見に来るようになっていた。
「それにさ、別に誰にも言わないってマジで。俺もなんだかはっきり覚えてないから」
「それが嘘でも困りますので」
ぴしゃりと言う。秋は心底嫌な顔をして、とりあえず彼女の正面に座った。一体何が気に食わないのか。
「はぁ……で、雫はいつ来んの?」
ティナは首を横に振った。
「わかりません。そもそも、メールには『来て』としか」
「どこに」
「さあ。だからあなたのところに来たんですよ。雫と咲の溜まり場でしょう?」
「やーべぇ超めんどくせえ……そもそも溜まり場じゃねえし……」
雫がここに来るとは限らないということは、もしかすれば再度ティナに雫の連絡が行くまで二人で過ごさなくてはならないかもしれない。
しかしこの無愛想な日本語ペラペラ外人は、なかなかどうしてコミュニケーション能力というものが十分でなく、特に秋に至ってははねつけるような話し方しかしてくれない。
「あーもう俺から雫に電話するわ、どうせ連絡待ちだろ?」
携帯を取り出して、雫の名前を選択した。
「こちらから不要な行動は取りたくないので」
「そうかい」
ここでただ座って待つことは彼女にとって明らかな不要ではないのか、と秋は思ったが、どうせ適当に返されるのは目に見えていたのでスルーした。
コールが一回、ぷるるる二回、とぅるるる三回。
『もしよしー、秋ー?』
「もしよしじゃねえよ雫、お前ティナ放置すんな。半べそで俺の部屋に座って待ってるだろうが」
「泣いてません」
『あ、ごめん連絡忘れてた。さっき窓割っちゃったからさ、三か所の罰掃除をだらだら満喫してたんだよねー』
俺の部屋に、という部分を気にしていないところ、本気で秋の部屋で待ち合わせる気でいたらしい。
「え? じゃあこいつどうすんだよ、俺苦手なんだけど」
「本人を前にして言わないでください」
『咲は? メール送ったんだけどなあ』
「居ねえ」
『そっか、やっぱり二文字じゃ通じなかったかぁ』
「こいつには通じてると解釈していいのかな、俺の真正面でうねうねしながらぐずってるんだけど」
「ぐずってません」
『通じてるんじゃない? まあいいや、後で行くからティナちゃん怒らせないでね』
ぷつっ。
「後で行くから怒んなってよ」
テーブルの反対側から睨んでくる視線をなるたけ気にしないように、冷静な声をつくろって秋は言った。
ついでに携帯をぽちぽちといじくり、咲の名前を探す。
「怒ってません」
「おう。今のやりとりでそれだけは嘘だってことは俺でもわかる」
再度携帯を耳にあて、通話タイム。
「………………」
「…………」
秋が咲の電話を取るまでの間、二人の間には奇妙な静寂が訪れた。ティナは何故かテーブルの前に座りなおし、正座で秋の様子をうかがってくる。あまり気持ちがよくなかったので、空いている片手で視線をブロックしたりしていると、
『水ひぇ! 助けてくれ! 暴漢に追われている!』
出たと思えばこの言葉。その切羽詰まった剣幕に、思わず通話口からのけぞった。
「暴漢か、珍しいな」
咲が取り乱しているのもかなり面白く、秋は敢えて平坦なトーンで。
あちら側の音はあまり聞こえず、先の短い呼吸が断続的に繰り返されるのみ。妙な笑い声が聞こえている気がしないでもないが、この学園なら変態的笑い声をあげる奴なんて幾らでもいる。
『ちょ! おま! 助けに来い!』
「……すげえ。おいティナ聞いたか? あの咲が『ちょwwwwwおまwwwwww』って! やべえええ!」
「なんで嬉しそうに笑ってるんですか……咲が心配じゃないんですか?」
ティナはテーブルを叩いて笑う秋の顔を仏頂面で見返した。秋はそれでも笑った。
「だってそりゃ、あいつがそう簡単に――」
『フぅハハハハぁ! 牧原咲ぃ! 先日の道場破壊の件で、自警団として貴様を粛清に参ったぁ!』
「――変態がいるぞ! 大丈夫か咲!」
「呆れるほど切り替え早いですね」
先日の道場破壊の件と言われては秋も黙っていられない。仕方がなく罪をかぶってやったというのに、何故ばれているのか。というか、あの時絡んでいなかった自警団の名前が何故出てくるのか。
『だから助けに来いと言っているだろう! 私もさすがに、この男は嫌だ!』
「その発言ちょっと意味がわかりかねるけども助けてやる! どこだ! 俺は寮だ!」
『ええと、学園出て降りて右行って……わからん! 繁華街ではないが!』
「じゃあ学園に戻ってくる方向で! 俺もすぐ行く!」
返事を待たずにすぐに携帯を切った。慌てているとはいえ、咲が今の言葉を聞き逃し、その場で右往左往するとは思えない。一応秋の現在地は伝えたので、少なくともそこから離れるルートには逃げないはずだ。
なにより、咲が通話に集中して歩が遅くなってしまっては大変だ。相手は生粋の変態クラスだろう。あいにく、秋はそれを放っておけるような暮らしはしていないがため、すぐに動きたい。
「行くぞティナ!」
「雫はどうするんですか? 待った方が」
「ほっとけ!」
秋の様子にティナは口を若干への字に曲げつつも、ゆっくり立ち上がった。秋はそれを見ながら、脇に置いていた鞄からルーズリーフとボールペンを取り出した。
「何してるんです」
「書き置き」
「カキオキ?」
「雫が来たら、拳と遊んでろってことで。放置」
「はぁ」
殴り書きをしたボールペンは床に落ち、ティナが反射的に拾った。のだが、秋はそれから鞄をそこら辺に投げ、ささっと寮室から飛び出した。ティナもボールペンを持ったまま、申し訳程度に駆け足でついてきた。
寮を走るとなると存外目立つ。たまに窓から凄まじい勢いで飛び出していくものもいるが、それはごく少数だ。
「死ね!」
「水瀬さんパねえっす!」
「ついに英語圏に到達したんですか爆発しろ!」
だからこうなる。寮内の太い廊下だったが、何故か待っていたかのように寮室から顔を出し、汚い言葉を浴びせる生徒たち。
ティナはその中の一人をぎらりと見て、高い声で吠えた。
「くーげるしゅらいばぁっ!」
「うわぁっ!」
横ぶりに投げられたクーゲルシュライバーは英語圏云々とか言っていた生徒の人差し指の爪の間に偶然刺さり、その生徒はわざとらしく驚いて仰向けに転倒した。
「錬が刺されたぞー!」
「土食わせろ土! あっ、くそ、ここは室内かっ! ホコリを集めて錬に食わせるんだ!」
「水瀬さんパねえっす!」
その間秋は完全に男らをスルーして走っていた。ティナがその背後から声をかける。
「ファンが多いですね」
「おいボールペンかえせ」
ティナは返事をしなかった。
手ぶらだとものすごく情けない牧原咲は、振り返ることがトラウマになりそうだった。
なにより能力を使えないし、槍術以外で体をつかうのは得意ではない、というか億劫でしょうがないのだ。
「待てぇ!」
突然高等部の校舎にやってきた大柄の男は、なんでも「貴様を粛清するッふぇ!」だそうで、突然大きな一本の槍をどこからか持ち出したと思えば、迷う様子もなく咲に突進してきた。
唯一の救いは咲がぼっち体質だったことで、突撃してきた男を間一髪避けても、その被害を受けるものがいなかったことくらいだ。
咲は逃げた。とりあえず逃げた。あまり襲われる心当たりがないが、明らかな危険人物とおとなしく話し合うのは不可能だと踏んだ。
「待てぇ!」
しかし鎮圧しようにも武器がない。手製の木槍は自室、道場は立ち入り禁止で、ぱっと思いつくところに槍がなかった。
初めての危機に弱気になりつつ、ふと携帯を取り出してみると、雫からメッセージが来ていた。
『来て』
「……」
明らかにいろいろと無茶な内容だったのでスルーし、とにかく逃げ道を考える。
木を隠すなら森の中、女を隠すなら姦しい。
「違うな、私は何を考えているんがっ」
走りながら呟いて舌噛んだ。
姦しい、姦しい、なるほど女らしさを隠すのなら姦しく振る舞うと男にドン引きされる。雫と、ティナと、自分でちょうど三人。なんと姦しいことか。
ぷるるる、ぷるるる、
制服の内ポケットに入れていた薄い携帯が鳴った。水瀬秋からだ。これをなんという幸運かと思い、すかさず携帯の通話ボタンを押した。
『水ひぇ! 助けてくれ! 暴漢に追われている!』
舌を噛んでいたので情けない声になってしまったが、そもそも現状が実に情けない。周囲の生徒たちも茫然として、咲が追われる様子を眺めていた。情けない。
校門を飛び出して一心不乱に駆け、坂道をくだる。背後で詰めてくる男は一向に諦める気配がなかった。
「フぅハハハハぁ! 牧原咲ぃ! 先日の道場破壊の件で、自警団として貴様を粛清に参ったぁ!」
それでも秋となんとか会話をして、通話を切った。
「むー……」
しかしながら、先日の道場破壊の件は秋や瀬古が適当に処理することになり、表向きは咲は関係ないつもりでいたのだが。
そんな情報が漏れているということ、さらに暴漢に追われることなどは全く想像だにしていないイレギュラーで、咲はうんざりする。
「くそぅ、責任者を出せ!」
そして叫んだ。坂は既に降りきって、平坦な道に変わっていた。秋が来る方向に帰らなければいけなかったが、かなり迂回していかなければ話にならない。
「ここらは人が居ないな……フハハッハハハハッハ! 喰らえ!」
何を叫んだかと思えば、またも奇妙な笑い声がびんびんと響く。
現在地は道なりに走っていけば海に到達するところで、舗装された平坦な歩道が海岸に向けて伸びた、開けた道。夏にはまだ遠いため、海への道は人通りがなかった。
そこで、咲は振り向かずに走っていたのにも関わらず、すぐ後ろで何か強烈な違和感を覚えた。
「ぬっ!」
背後。まさにすぐ後ろ。
重心を右にずらして、体勢を低くしつつ振り向くと、ちょうどつい先ほどまで後頭部があった場所の少し上あたりの空間を、突撃槍が突き抜けた。
「殺す気か」
咲は走りながら、前方地面にどすりと突き刺さった槍を飛びつくように抜いて、すぐに男に向かって身を翻す。同時に咲の白髪の三つ編みがくるりと回った。
槍をつらりと構え、男の接近に備える、が、彼は咲が槍を構えた時点で、走る意気を別のものに変えてしまっているようだ。
「フッフっ、貸してやろう。まずはオレも一本で戦りあうとする」
戦意になってた。
「まず、というのは?」
「行くぞ!」
疑問の声に返答はない。
大した距離は二人の間にはなかった。男は二歩の踏み込みと槍の突き出しで、その間を一瞬で詰める。
咲は胸元に突き出された切っ先を難なく避け、彼に渡された赤の円錐型である槍を短く両手で持ち、円を描くように回転させて、槍の腹で突きを打ち返した。
「くっ、西洋槍は駄槍だ、重すぎる」
咲は槍の柄を持ちなおして、大儀そうに言う。
「ヌッハッハハ、そうは見えなかったぞ」
男は一瞬驚いた顔をして、すぐに笑みを作った。そうは見えなかったと男は言うが、実際咲はかなり本気で重いと感じた。弾いた槍の反動も逃がせず、手が妙にしびれている。
男はおそらくそれを感触で理解し、そのために笑っているのだ。槍に関しては少なくとも両者は素人ではない。相手の感覚もある程度は掴めてしまう。
「さて? どうする牧原咲!」
どうすると言われても、西洋槍など咲にはろくな取り回しができない。根本的に重心も違えば目的も違う。間違いなく女性が使う武器ではなかった。
だが容赦なく、男は横に槍を振った。咲は後退しながら、体でその衝撃を受けないよう、横ぶりに合わせて槍を受け流す。
これではジリ貧になるのは見えているが、慣れない武器での迂闊な攻めはろくな結果にはならないことが目に見えていた。
とにかく秋の存在を信じて、ひたすらに打ち払う。
「遅い、遅いぞ! その程度でいいのか!」
しかし男は楽しそうに、咲が横ぶりに合わせて打ち払おうとする動きへ、さらに被せるように合わせてきた。
「……腹の立つ男め……」
呟きが口に出たものか内心の思いで済んだかは、咲自身にはわからなかった。
槍の先端は男に翻弄され、力配分もままならない。右にずれればさらに右に弾かれ、左に振ればさらに左に弾かれる。
これにより重たい槍を元の位置に戻す負担が増え、腰と腕が瞬く間に重くなる。
「楽しめんぞ牧原咲! しかし道場で暴れ立てた貴様には、まだまだ罰が足りんがなぁ!」
「そっ……!」
がごん、がごん、と次々打ち飛ばされ、腕を戻す力もいつしか失われてしまってくる。
「さあ沈め!」
次の一合、戻す手が間に合わない。弾き弾かれ左右に泳いだ槍を地面に投げ、咲はとにかく避けることを意識した。
「今更逃げるには、遅いわっ!」
しかし男はさらに踏み込み、詰めてくる。さすがに刺殺体になるのは御免こうむるものだったが、その一撃を避ける余裕は咲には存在しなかった。
べきん、と鈍い音。
「フッハッハッハハ! よもやこの場所で邪魔に入る者がいるか!」
しかしその音が鳴ったのは、咲の体に槍が直撃したからではなかった。男は高笑いともバカ笑いともつかない大声で。
「自主練習の最中だけど、さすがにこれを無視するわけにはいかないわね」
咲の目前では透明色の六本の剣が交差して突撃槍の進行を阻み、その背後からは少女の声。この想定外の事態に唖然とした咲は一瞬、その場から動くことができなかった。
「遅ればせ!」
掃除の終わった雫は威勢よくドアを開け、水瀬秋の寮室に飛び込んだ。
「書き置きはお前に宛てられたものだったか……」
中に居たのは一人、秋のルームメイトである鉄拳だけ。男は白い紙を手に持ちテーブルの前に立って、しかめた顔で雫を見やった。
「拳君だけ? 秋は?」
「俺の知るところではないな。あのアホ、これだけ残して何処かに行ったようだ」
拳の持つ紙を受け取った雫は、そこに書かれた殴り書きの文字を眺める。
「『拳と遊んでろ』、かぁ。拳君ひま?」
「暇というわけでもないんだが……」
「なんで?」
首を捻った雫。
「今朝自警団が高等部の道場破壊の件でうちに来たんだが、聞いてきた男がどうやら変質者の類いだそうで……」
拳は肩をがっくり落とした。
「俺はそれを知らずに、事件の詳細までポロッと言ってしまった。俺以外に風紀委員室には誰も居なかったんでな、わざわざ早朝にやったきた男も俺と同じタイプの人間だと思いこんで、心を開いてしまった」
「ふうん。その人どんな変態なの?」
「瓦煉隆盛、能力槍使いの戦闘狂だ。誰であろうが、適当な理由さえあれば襲いかかる」
それを聞くと、雫は口を三日月にぐにゃりと曲げた。
「俺の責任だし、そいつをなんとか止めたいんだが、どうも行動が読めん男で……って、おい。何を笑っているんだ……」
「いやあ、それは大変だよねぇ……ぬふへへぇ……」
戦闘狂と聞いて、それも槍使いと聞いて、同類ともいえる雫が黙っていられるわけがない。
極端な話、雫も彼と同じ理由で襲いかかる理由ができるというものだ。
「じゃあ止めないとね!」
おもむろに握った両拳を突きあげた。
「手伝ってくれるのか」
「うん!」
元気よく頷き、雫は腕をぐるぐると回しはじめた。
「とりあえず槍取ってくるから、後で校門前ね!」
そして素早く部屋を飛び出して、足音はみるみるうちに遠ざかっていく。
「あいつ……まさか場所の特定は全部俺に任せる気でいるのか……」
拳の溜め息はもちろん雫には届いていなかった。拳は携帯を取り出して、風紀委員会のフォルダを選択した。
音無舞花は道場が立ち入り禁止になったと聞いて、誰も居ないところでひたすらに修行を積んでいた。先日出くわした妙な男に圧倒されたことが気に入らなかったのだ。
しかしながら、大柄の男に女性が襲われていることを放っておけるほど自分本位には生きていない。
父の教えは守る刃であり、舞花の力はそれを体現せしめる。
「自主練習の最中だけど、さすがにこれを無視するわけにはいかないわね」
だからこそ飛びこませた。自身の刃、飛天七宝剣を守るために震わせた。
相手の力量は二の次、舞花はそれをしなければならないと思ったのだ。
「どいてください。それから、離れていてくださると安心できます」
棒立ちになった白髪の女性の肩を掴んで、後ろに回るように促した。舞花は手に一本を、前方に六本の刃を巡らせて、笑う男を睨みつけた。
槍使いだ。
大柄なその男の姿に見合った巨大な赤槍は、飛天七宝剣六本で防ぐには少し重かった。
正面から受けるのはあまり得策ではない。
「お前は牧原咲の仲間か!」
男は防がれた事実をものともせず、その槍を舞花に向ける。すぐに跳びこんでくるというわけではなさそうだ。
「違います。女性が襲われていたのですから、助力を惜しむ理由が無かっただけです」
「君は誰なんだ?」
背後の女性がおそるおそるというような口調で聞いた。
「中等部三年、剣道部の音無舞花です」
振り返らずに舞花は言うが、それ以上は言う気にはならなかった。
「中等部……それでオレの前に立つとは、なかなか度胸がある」
確かに男は少なくとも同年代には見えない。どこぞの作業服のようなくすんだ服をまくり、隆々とした腕が覗く。頭にはタオル、顔の輪郭は岩のようにごつごつとして、壮年というのが似つかわしくあるように見える。
「ふむ。オレは大学部二年、瓦煉隆盛だ」
「…………!?」
舞花の表情は予想外の答えによってひしゃげた。
大学部二年ということは、ようやく成人する年齢ではないか。二年となれば留年の可能性も低い。特別な事情がない限り、年齢が二十以上であることは少ないはずなのだ。
「老けてますね」
「老けているな」
舞花の言葉に、背後の女性も同意した。
「老けてはいない、強いのだ」
彼は頷かなかった。
「それよりも……。どうしてこんなことを」
訊くと、男は槍を振った。
「その女が仲間と共謀し、道場を破壊したのだ! これは自警団としてほうってはおけん! 粛清だ! 粛清だ!」
阿呆のように繰り返すその様子に、これだから自警団は、とこぼしそうになる舞花。しかし、その場で振り返る。
「あなた、道場を破壊したのですか」
立入り禁止で迷惑を被ったのは事実であるため、一応の確認を。
「否定はしないが、道場を壊そうという意思はなかった。不可抗力だ」
「言い訳をするな! 戦え!」
不可抗力というのも言い訳と取れないこともないが、戦え、と抜かすのも筋が通っていないようにしか見えない。
少し考えてみれば、すでに道場は立ち入り禁止になっているところ、話のケリは一応ついているというのが妥当ではないか。
そもそも学園内部の施設利用上の問題で、風紀委員でなく自警団が文句を言いに来るというのもおかしな話だ。
「あなたは誰の命令でこんなことを?」
舞花は男に聞いた。
「個人的な粛清だ」
こいつはもうだめだ、と思った。
「それはさせません」
剣を構える。彼もそれに応じて、腰を落として槍を持った。
「邪魔をするなら同類だ。覚悟はいいか中学生」
「どうぞ」
「ヌッハハハハッハハ!」
がくん。と舞花の右側で音がした。視界の端でその正体を掴もうとしたが、地面に転がっていた槍がごろりと回転したらしい。
槍はそのまま舞花ヘ向かって飛び出したが、宙を舞う三本の刃で弾く。
そしてそれらの結果を気に留めず、舞花は正面に飛びこんだ。
「遅いわ!」
彼の手に持たれていた槍が、右から左に横に振られた。
舞花はそれを宙の二本と両手で掴む一本で防いだが、やはり重い。重すぎる。のけぞりかけるも、なんとか踏ん張る。
(当たる)
その同時に、残りの一本を彼の右脇に向けて飛ばした。この槍の重さならば、振った反対側に戻すのは間に合わない。
がちん。
「……!」
しかし、剣は男に届かずに砕け散った。垂直に男の脇を狙って飛ばされた剣は、真上から真っ直ぐに落ちてきた大槍に貫かれた。
「オレと同じタイプか、フッハハハ、面白い!」
地面には剣の破片が落ち、消滅。そこに突き刺さっていたのはやはり赤の槍だった。
先程右から飛び込んできた槍でなく、男が振った槍でもない。その槍は地面から即座に抜け、男の右肩の辺りで空中静止すると、舞花を捉える。
「自律機動?」
舞花は後退しながら五本の剣を飛ばした。手に持った槍がぶんと払われ、二本は弾け、三本は高速回転する浮遊した槍に阻まれた。
それを見て、先程割れた分の剣を手に精製し、両手に二本構えてさらに距離を取る。
地面に落ちた槍は男の左肩の元で浮遊し、その元には計三本の大槍が構えられる。
能力者の意思では動いていないのだろうか。舞花が飛ばした脇への剣は、男の意識外ではなかったのか。
「攻め手が緩いっ!」
男は叫ぶ。両肩の槍が真っ直ぐに舞花を睨みつけたまま、手に持った槍で突進をかけてきた。
どう動くかの見当がつかない。こちらの飛天七宝剣の能力も見えていない筈なのだが、何故相手は突っ込んで来られる。
それも同じタイプとまで言っている。
経験による自身なのだろうか。
「うっ!」
両手の剣で弾いて流し、宙の五本で男を狙う。上から横から全方向だ。しかし、巨大な二本の浮遊槍はその襲撃をばきりと阻んだ。
これでは攻めにはつながらない。
ならば。
宙の五本は浮遊槍と何度も打ち合わせて、舞花は両手の二本を突撃槍の円錐部分を滑らせながら、彼の懐に飛びこんだ。
槍と剣にはリーチに差がある。踏み込めさえすれば、ましてこの槍の形状ならば、二本の剣には対応できないはずだ。
「緩いと言ったのが聞こえなかったか!」
手に持った槍の両端をすばやく両手で横に持ち直した彼は、舞花が突き進めようとした刃に向けて、ギロチンのように一気に叩き下ろした。
「いっ……!」
叩き落とした剣ごと槍は地面に叩きつけられた。刃はへし折れ、舞花の手はその衝撃でじんじんと震えた。
もう少し踏み込んでいれば、巨大な槍によって腕ごと地面に押し潰されていた。
しかしそれは同時にチャンスでもある。
へし折れた剣を手元に再生し、両側から剣の腹で胴を殴りにかかる。さすがに直撃確定状態で切りつけるわけにもいかないと思った。
「いたっ!」
その瞬間、脛に鈍痛が走った。足を踏ん張れずに、前のめりに倒れてしまうそうになる。
足元には赤い槍がぶつけられていた。叩き落としたままの槍を、蹴り飛ばしたのだ。
「さあ終わるか! それともまだ遊んでやろうか!」
鈍痛によって宙の五本の動きが一瞬途切れていた。七本の剣の同時操作処理は可能ではあるが、痛みは反射だ。その動きは阻害されてしまっていた。
その隙を突かれ、五本の剣は槍一本で弾き飛ばされ、残りの槍は舞花に向いた。
「まだ――」
足元に一つ、宙に一つ、こちらに向かって動く可能性があるのは一つ。
一つは拾うにしても、舞花の攻めには今度こそ間に合わない。蹴り出すにしても届かない。
宙の一つは剣を弾き、操作意識を戻した五本の処理に追われるはずだ。最後の一本はどう動くか。やはり舞花を狙うのか。
ではこの一瞬、すかさず五本を男の背後に向けて飛ばし、手に持つ二本で切りかかればどうなる。
自律機動なら宙の五本を無視できない。その瞬間に、相手は丸腰になる。
行け。
弾かれていた五本を広角で飛ばし、舞花は痛む脛の痛みを食いしばった。
「――まだ!」
地を踏んだ。落ちた槍を跨いでさらに踏む込むと、男は僅かに後退した。やはり逃げ手に回っている。
機動する槍を遠隔操作の五本で陽動さえすれば、終わり。
「そうか、終わりを選ぶか!」
「?」
ふと、舞花の目には妙なものが映った。
自身の剣は確かに男に向かって飛び、対応しようとその左肩の槍は動いている。
だが右肩の槍は、彼に飛び込む舞花の正面に向かって飛んでいるではないか。
「そんな」
馬鹿な。完全な自律機動ではないのか。たった二本の槍で五本の剣を捌ききる力は、男の地力だというのか。
見誤った、完全に。
ここで私が潰されてしまえば、五本は止まる。
舞花はそこで、力が抜けてしまった。
「……六槍」
ふいに背後から女性の声がした。
途端、赤色の突撃槍は舞花のすぐ真横から飛び出して、舞花の正面に飛んできていた槍の腹を僅かに突きあげるように、撃音を鳴らしながら粉砕させた。
「ヌッハハッハ! 凄まじい突きだな!」
舞花には何が起こったか解らなかった。
腰が抜けてしまっていて、後ろから脇に片腕を回されるその一瞬まで、半ば心身喪失状態になっていた。
「立って、下がれ」
聞こえたのは、しっかりとした女性の声だった。
「あっ……」
ふらついたのも一瞬で、すぐに舞花はそこから後退する。
そして舞花の前には先程まで忘れていた白髪の女性が立って、長い三つ編みのひゅるひゅるとさせていた。
「殺す気だったのか」
そこには静かな怒気がこもっているように感じられる。
「む? 何を言う。オレは人は殺さんぞ。フッハハッハ、もっとも怪我で済めばいい、という程度のものだがな!」
その豪快な笑いはいかにも戦闘狂のそれだ。狂っているという部分があまりに似つかわしい。まっとうな精神をしているとは思えない。
「今のお前の一撃が入っていれば、最低でも頬が飛ぶか、顎が割れていた」
女性の言葉を聞いて、舞花は総毛立った。自分の顔に触れて、未だかたちを保っていたことを確認し、深く息を吸った。
「ヌフッフフフ、何を馬鹿な。それは戦いの代償だろう、力なきものがそれを被ることは避けられん」
笑いを堪えているらしい。その眼光は、随分と淀んで見える。
「ふざけたことを抜かすな、ここは戦場じゃない」
女性は息を強く吸って、手に持った赤槍を、男に向けて高く構えた。
「逃げるぞ、音無」
そして呟くと、槍を男へと強く投げつけ、すぐさま後ろに向けて走りだした。
舞花もそれに従って、念のため背中に飛天七宝剣を並べて後を追いかける。
「待てぇい!」
叫び声。
「どうするんですか、あの人無茶苦茶ですよ、きっと諦めてくれませんよ」
舞花はそれに恐怖した。さすがにとてつもない恐怖を感じた後では、強気な言葉一つ吐くこともできなかった。
「大丈夫だ」
女性は言った。
「一応は、大丈夫、なんだが……」
最終更新:2010年08月19日 12:52