翌日、昼休みの学食は人でごった返していたが、例によって拳と雫は二人でやってきていた。
昼食を買って群がる生徒の波をかきわけ、小集団が席を立ったところに目ざとく滑り込み、ようやっと腰を落ち着けたところだ。
「おなかすいた」
「暑いな……」
夏服に着替えればよかった。拳はブレザーを着込んだまま、こうこうと煙のあがる真っ赤なスープが溢れそうなどんぶりを見つめた。一方雫は半袖のワイシャツで涼しそうで、昨日の静音のようなエロさはなく健康的である。
「え、じゃあなんで辛口ラーメンなんか頼んだの?」
首元のボタンを外しつつ、
「暑いから、だな……」
「うわぁ……」
精いっぱいの笑顔で答えた。しかし雫は見るからに暑苦しそうにな顔でしっしと手を振る。さらにその手で頬杖をついて、観察するような視線を拳に送り始めた。
「なんかやっぱ拳君、姉さんの弾もらってから微妙にキャラ違うよね……」
「そうか? おれはもともとこういう奴なんだが」
がたがたがた。
「そうよぉ。きっと鉄くんは元々そういう人なの」
「あ、静音さん。今日ははちきれんばかりにハッスルしてますね」
反射的な一言が思わぬ地雷を踏んでしまうことはザラにある。それも過敏な思春期を相手取るなら尚更だ。静音は雫と同様に半袖ワイシャツ一枚という涼やかな姿、だったが、拳に言葉を紡がせるだけのそれであったのだから仕方がないのだ。
今日の地雷はどうやら昨日と違うらしく、静音の背後で金色のロールケーキ的な髪を四本ほど浮つかせている。なにやら軽いフットワークで、拳の元にいつ飛び出してきてもおかしくない。
「もちろん冗談です」
「あらあら。ストレートで私は好きだけど」
拳の隣の椅子に静音は座り、後ろに居た金髪少女はテーブルを回り込んで雫の横に座った。同時に、雫と少女は軽く会釈をしあった。
「姉さん、ちょうど良かった」
「なーに雫ちゃん?」
「姉さんの能力、具体的にどんなの? 拳君見てるとよくわからなくなっちゃった」
雫は窺うような眼を静音に向けたが、静音は怯まず、小首を傾げてあごに手をあてる。その瞬間に、隣に座っている拳へとふわりとした髪の匂いが漂い、手元のラーメンのニンニク臭さすらかき消した。
「うぅん……、弾を受けてみればわかりやすいんだけど……」
「拳君みたいにキャラ変わるのやだ」
「だから、大本は変わってないぞ……」
ずばりと切り捨てられてしまったが、拳自身、その扱いに納得がいかないわけではない。
確かに昨日までとの面持ちは僅かに違うし、自覚もある。だがそれは、自分の性格を土台から全て書き換えたり、考え方を変化させたわけではない。
「面倒に言えば、私の力は『自分の深層心理を客観的に見せる』ものかな」
「……なるほど」
「……? それって、癒し?」
拳は頷いた。が、雫は頷けないようだ。
「さあ。人によってはそうじゃないかもね」
「でも、癒しの力だって」
「それは、私の能力を視る人間が総じて大人だから、だと思ってるわ」
静音は持ってきていた紙パックのストローをじゅるりとすすって、続ける。
「深層心理っていうのは、必ずしも表層的な心理、いわゆる自分の行動を正当化するための建前と通じ合ってるとは限らない。【私は生徒会長で、模範的な生徒にならなければならない】と言って、そう頭で思って、実際に行動に移していても、本当は【一般生徒のままでよかったのに】なんていう考えが心の内にあるかもしれないわ。あからさまなストレスすら感じていない、全く無自覚なレベルでも、ね」
今度は拳のラーメンを勝手に一口じゅるりとすすって、続ける。
「そういうのって、知らず知らずのうちに蓄積されていくの。あの時ああしていれば、なんて思ったりすることってあるじゃない? そういう時に芽生える、ほんの一瞬レベルで気に留めた引っ掛かりが心の奥に根差して、そのうち表層にも間接的に現れてくる」
「わたしは『あの時ああしていれば』とか滅多に思わないよ? そういうアニメ見たから全力人生だもん」
「確かにお前は例外かもしれない」
さらに今度は向かいの雫に手を伸ばし、そうめんをじゅるりとすすって、静音は続ける。
「間接的にっていうのは、自分がほとんど自覚していない、自分らしからぬ行動を無意識に取っちゃうってことね。きっかけが明確じゃないのに、以前まで抵抗があったことができるようになってたりするのはそのせいかしらね」
「む……」
そういう心当たりは拳にもないわけではない。身近なところでは食べ物の好き嫌いやら、買い物の仕方やら。静音の出した生徒会長の例はマイナス的だが、そういうことだろう。
「それが結局?」
雫が訊いた。確かに今のところでは、それで結局? という話になってしまう。癒しとはどう結び付けるのだ、と。
「私の力でその蓄積された深層心理を見ることで、自分の成長や考え方の軌跡までが明確に見えてくるの。自分がどう考えて、どう動いて、こんな過程とあんな事実が今を生み出しているんだ、って感じに。これは弾を受けてみないとわからないかなあ」
静音は困ったような笑顔を雫に向けた。雫も完全に納得しきれていないようだが、一応は頷いた。
「要するに、自分をはっきり捉えれるってことでいい? 今があるのはちゃんとした過程と理由があって、漠然とした自分がなんとなくあるだけじゃない」
「そうね。だから大人は、私の力を癒しと捉える。私を視る大人は、歩いてきた過程も確たるものがあって、大半は現在に自分を受け入れ、落ち着けて、ある程度自分自身を既に掴んでる。そこで初めて自分の深層心理と向き合った時に、彼らは過程に納得したり、興味深く思ったり、自分に対して更に理解を深めることができる。新たに知った心で心が埋まる充足感や、意識していなかったわだかまりのようなものが消えて風が通り抜けるような爽快感を得られるのよ」
拳は腕を組んで、雫の方を見る。
「お前がおれにキャラが変わったーだとか言うのも、おそらくおれが、おれ自身の見方を変えたからだろう」
「見方って、具体的に?」
「この島に来て今までとこれからの全てと向き合うつもりでいたのに、これからしか見れていなかったからな。しかもそれは多分、無意識で過去をはねつけていたことから来ていた。おれは静音さんの力のおかげで、過去を無意識に拒絶した自分の姿を捉える事ができたんだ」
「えぇ……? だからキャラ変わったの……?」
「だから見方を変えたんだ。過去と向き合わないように構えていた自分を、どうしたら向き合わせることができるかを考えた、ん……だが……」
拳はその先を言おうと思ったが、隣の静音が母親のような生温かい視線を送ってきていることに気付き、顔を赤くさせて口をつぐんだ。
精神に作用する能力なら、人の心の移りもある程度は読めるに違いないと思った。しかし雫も微妙ににやにやしていて、何か致命的なものが表情から漏れだしてしまっていたのかもしれない。
「んで? 考えた結果を聞きたいなー拳くぅん……」
「ふふふふ、私もすごく興味があるわぁ……ふふふふふふふふふふ」
笑う二人に、ロールケーキヘアの少女だけ静かにオムライスを食べている。どうやら無関心を貫くつもりで、場の空気を変化させる要因にはならないだろう。
「言うのか……」
頷く雫。
拳は歯をくいしばるようにして唸る。
「……中学の頃みたいに、また近しい人間ができれば、と思ったんだ。だから、要するに……お前や秋、咲たちと、正面からぶつかるべきだと考えたんだよ。以前のおれを取り戻す、とは違うんだが、今でも昔でも、お前達のような存在はおれに必要なものであるんだから、真っ直ぐ見つめていかないといけない」
それは風紀委員としてでも、生徒の一人としてでもない。もっといえば、異能力者の鉄拳としてでもない、小さな個人としての言葉だった。
「ふぅん……」
にこにこ。
「へぇぇ…………」
へらへら。
「しかしですよ拳君?」
と、ふとした顔で雫が言う。
「私達って、もう仲良いでしょ?」
こちらは恥ずかしげもなく。だから拳も頷き、その言葉に対しての返答には、気恥ずかしさを覚えなかった。
「ああ。おれはしっかりとそれを受け入れて、そのあり方を自分なりに咀嚼しようとしている。まあ、だからといって基本的な考え方は変えるつもりはない。おれは風紀委員だし、今までの行動原理を曲げるつもりもない」
でもな、と、あえて拳は一息を置いた。
「おれはそれ以前に、お前達とは友達やってるつもりなんだ」
物事の優先順位を換えた、ということでもなかった。もっと単純に、客観視野で捉えた自分にもっとも大きく根差していた今は、すぐ手の届くところにあったのだと気付かされただけだった。
「……ね。秋とか咲、これ聞いたらどんな顔するかな」
雫がまたも、にやにやとした表情を拳にぶつける。
「咲はおれの事が大好きになるかもな」
「もっと好きになると思うけど、大好きにはならないと思うよ」
「ふふふふふふふふふ。鉄くんもけっこう面白いのね。私、好きになったわ」
拳は餓死寸前で食事を見つけた犬のように目を見開いた。同時に金髪ロールの少女が縦巻き髪をびくんと蠢かせたことにも気付いたが、スルーした。
「あ、拳君。姉さんはただ単に人間好きだから下心は必要ないよ」
雫がそうめんをすすった箸を拳に向ける。
「そうか、無駄ってことだな。はぁぁぁあぁあぁ……」
「そんなあからさまにがっかりして……ていうか、拳君と姉さんじゃちょっと合わなそうだし」
「合わない…………。あ、合わないといえば、秋と静音さんの関係ってなんなんですか? おれとしては二人こそ、そんなに絡んでるように見えなかったんですが」
静音はふふふと笑った。
しかしその反応を見るに口を開こうという様子はない。雫にも視線を送ってみるが、首を横にふられてしまった。
「秋はあのあと眠い眠いと取り合ってくれなかったし、静音さんも答えるつもりはない、と。はぁ……雫、これはお前達的にどうなんだ」
「さあ」
「……さあ、か。お前がそう言うなら、特におれからも何も言わんが」
静音がまた「ふふふふふふふ」と笑った気がした。
しかしその声は次の瞬間に食堂の喧騒に飲みこまれてしまう。拳はそんな静音の表情を確認することもせず、伸びているラーメンに手をつけ始めた。
それじゃあね、と静音が席を立ち、オムライスを食べ終わっていた金髪ロールの少女も同様に立ちあがる。昼休みはそろそろ終わってしまう頃で、周りの生徒もまばらになってきており、ラーメンを食ってる奴などいない。
とりあえず急いで食べなくてはならない。正面の雫が完食するまで急かそうとしきりに変な合図送ってきたが、拳がむせるのを加速させるのみであった。
「結局さ」
予鈴の鳴り終えた廊下を歩いていると、後頭部で手を組んで歩いていた雫が何か思い出したように声をあげた。
「どうなったの? 秋」
「どうなってもないだろう。少し話したが、あいつは普段と変わらん。そもそも静音さんの力は他人をどうするというものでもないからな」
「えー…………? そーじゃなくてさあ……」
言い終わると、前を歩いていた雫が立ち止まったので、同じ距離をおいて拳も止まった。雫は振り返ると呆れたように口をあんぐり開け、目を細めて拳を見る。
「……なんだ?」
「拳君、友達とはちゃんと向き合うつもりになったんでしょ? せっかく拳君の中できっかけができたんだから、昨日秋としっかり話したりしなかったの?」
そういえば、元々の雫の主張にはそんなニュアンスが含まれていたのかもしれない。秋が本心をなかなか明かそうとしないことに引っ掛かりを覚えてしまっているのだ、といったような。
「はぁ」
「逆に溜め息つかれた!?」
「お前、さっきのおれの話は聞いてたか?」
「ん? うん」
「じゃあわかっておけ。別に静音さんの力を受けたからといって、おれは自分自身の立ち位置を変えるつもりはない。秋に対しても、お前達に対しても、ただ視野が広くなっただけだって話だ。おれの中で勝手に向き合う余裕が持てたと言えば、納得できるか?」
自分の中での見方が変わったために、捉え方そのものが変わった物事ができた、すなわちその物事に対しての印象等々が変わってしまったものも実際にはあるのだが、拳は言わなかった。
「はぁ」
「あいつがどう思ってるかは知らん。おれと似たようなことを考えているもしれないし、何も変わっていないかもしれない。だがどっちにしても、今は変わる気がないならそれでいいとおれは思ってる。秋と静音さんの話を聞くところでは、秋にも何かしら、いろいろ思うところはあるんだろうしな」
「むぁー」
「口を開けるな」
「それじゃ解決になってないじゃん……」
「解決するような問題なんてそもそも無いと思うぞ。あいつが自分自身の普段の行動に関して、少し気張り過ぎているようだとお前は思ってるようだが、あいつはあいつで色んな人間を頼ってる。おれも頼られたし、お前が頼られるのも一回や二回じゃないだろう?」
「そうだけどさ」
「だからいつか秋自身に、悩みでもなんでもいいが本当に何か問題があったら、その時にまた頼られてやればいい。要するにあれだな、お前もちょっと考え過ぎってことだ」
む、と口を閉じた雫は納得がいかないようだ。
「んー、じゃあ……わたしも不器用ってことで?」
「少なくとも、おれたちの中で器用に立ち回ってるやつは居ないだろう」
どちらかといえば雫は人間関係においては器用なタイプであるに違いないが、今はそういうことにして茶を濁しておく。
じっくり話し合うのはまた今度にして、教室へ歩き出す。進路に雫が居たので、前を向けさせてぐいぐいと、歩き出さない肩を押した。
「くー。むつかしい」
「難しいことは言ってないな。ほら、さっさと自分で歩け」
腕を組んだままの雫の背中は、本当に押されるがままに進んでいった。そんな彼女の肩を押す拳の手には、ほとんど力は入っていない。
「あ、そだ。今から咲んとこ行こうかな。今のうちにちょっと話しておきたいかも」
手をぽんとたたいた雫を見て、拳は苦笑いになる。
「……おれは何も聞いてないし、見てないからな」
「おお! 融通が利く拳君!」
「人を堅物みたいに言うな」
おしまい
最終更新:2011年09月26日 22:34