環凪拘置所。
島内で罪を犯した者などが、一時的に収容される場所である。
コンクリートの床と鉄格子で仕切られた施設内の造りは刑務所のそれと遜色が無い。
三階建ての広い建物の中は、いつも何処からか誰かの悲鳴や呻き声が響き、異様な雰囲気に包まれていた。
そんな施設の一室で、ひときわ苦しみをあらわにする青年。
「ちくしょう……どうして俺が……」
名は黎久井 画夢。
ある理由で、見ず知らずの人間に能力で攻撃したため、昨日傷害罪の容疑で逮捕された。
左手首には包帯が巻かれている。これは逮捕される数分前、被害者の連れに報復として斬られた頸動脈を覆っていた。
現在時刻は丑の刻を過ぎた頃。黎久井は小さな四角い窓からぼんやりと月を眺めていた。
「なぜだ……。俺は何も悪くない。悪くないのに……」
だが、その嘆きに応える者はいない。
黎久井が眠れないと分かっていながらも横になろうとした時だった。
「貴様か。半端者は」
「ひっ!?」
突然、鉄格子越しに声をかけてきた謎の影。
消灯時間を過ぎているため顔は見えないが、その声からして男だという事は分かった。
「だ、誰だお前……!」
「半端者に名乗る名は無い」
影はいやに尊大な、例えるならばそう、クラスに一人はいる嫌われ者のような不快な口調で黎久井に問いかけた。
「貴様は、二次元を愛しているか?」
「…………は?」
理解が追い付かなかった。
呆ける黎久井に、影は再び問う。
「二次元を愛しているかと聞いている!」
「しし、知るか!」
「現世(うつしよ)の哀しみを知る者よ……。三次元を捨てるのだ」
何か勝手に喋り始めた。
「貴様が愚かな行為に走ったあの日、手にしていた物は何だ?」
「手にしていた物……?」
どういう事だ?
影に対して警戒は解かないが、とりあえず言われるがまま、黎久井は記憶を遡る。
◇
――リア充は爆発しろ。
あの時、脳に直接届いた誰かのネットスラング混じりの囁き。他人には聞こえない、自分だけが認識できる声。
その声に導かれるまま黎久井は手をかざし、周囲にまだ人が多い夜の往来で能力による爆発を起こした。
攻撃の対象にした女は血を流して倒れたが、連れの男は勘が良かった。間もなく視線が合った黎久井を犯人だと見抜き、報復を開始した。
そこから先は記憶がない。男の反撃で気絶していたからだ。
目が覚めたのは、病院のベッドの上。
起きた時には既に警察、風紀委員、自警団の連中がズラリと並んで自分のベッドを取り囲んでいた。
「まったく、気味の悪い絵だ。こんなのを趣味にしている輩に録な奴はいないな」
そう言って、警察の男性は紙袋から冊子を一つを取り出した。
それは黎久井の所有物。
――思い出した。俺が持っていたのは――
◇
「コミケのカタログ……?」
「思い出したか」
ふんと鼻を鳴らすと、影は一呼吸置いて、
「貴様の事は知っている。貴様ほどの――コミケの度に30冊以上の薄い本を買ってくるような人間がなぜ、三次なぞに未練を残しているのだ?」
「……」
「答えぬか。良いか、黎久井画夢よ。貴様はもっと二次元を愛してこそ、輝きを増す男だ。それは自身が一番よく理解しているだろうに」
「……違うんだ」
「違う、とは?」
ほんの少しの涙を浮かべて、黎久井は言った。
「……そもそもあの時攻撃したのは、本当は自分の意思じゃない。俺の能力――現実世界を謳う愚者を屠る魔弾(エクスプロード・オブ・フール ザ ワールド)は、俺の意思では発動しないんだ。
現実世界を謳う愚者を屠る魔弾(エクスプロード・オブ・フール ザ ワールド)の発動条件は、ある『声』が聞こえた時。他の奴には聞こえない『声』が、俺を勝手に動かすんだ……。
けど研究所は、その声の存在を証明できないと言う」
「……ほう」
「俺は確かに三次元も好きだ。だけど本当は二次元に染まりたいとも思っている。
……もしかしたらあの『声』が、俺を三次元に繋ぎ止めているのかもしれないな……」
「なるほどな」
得心した様子で、影は言った。
「――では貴様に、良い物をやろう」
「えっ」
影はいつの間にやら持っていた紙袋から、土産の菓子程度の大きさの箱を取り出した。それを鉄格子越しに黎久井にそっと手渡す。
「ッ!! こ、これは……!」
受け取った黎久井は驚愕した。
見た目はただのアダルトゲーム。だが知る人が見れば、それは喉から手が出るほど欲しくなるであろう価値のある物だった。
「――『me・されろ』!」
「ほう、知っているか」
「当たり前だろう。数十年前、元々フルプライスで発売する予定だったものを途中変更し、無料でダウンロード配信され、まさに伝説のエロゲー……。
そしてこれは、フィギュア付きで店頭販売された数少ないパッケージ版! なぜこんな所に……!」
「上出来だ。……では、貴様にこいつをくれてやる。三次への未練、これで見事断ち切ってみせよ。そうすれば、能力に悩まされる事もあるまい。さらばだ」
そう言うと背を見せ、歩き出す影。
黎久井は慌てて声をかける。
「ま、待ってくれ。あんたは一体……」
「ふっ」
最後に小さな笑いをひとつ漏らし、影はすうっと気配を消した。
「何だったんだあいつ…………ぐっ!」
突如、激しい頭痛が黎久井を襲う。
「ぐああっ……!」
助ける者はいない。
黎久井はそのまま、ゆっくりと意識を手放した。
◇
「はっ!」
気がつくと、朝を迎えていた。
「夢だったのか……?」
それにしては妙に現実味があった。
ふと、昨夜影に渡されたゲームの存在を思い出す。
探してみると、それはすぐに見つかった。
「あっ……」
箱には、小さな手紙が添えてあった。
『大事に遊べよ(^ω^)』
後に黎久井は「me・されろ」にのめり込み、能力を克服した
かに見えたが、隠しルートまでクリアすると、なぜか例の「声」が再び聞こえるようになりましたとさ。
最終更新:2011年09月26日 23:08