学園祭を一週前に控えた朝の食堂で、晴海は持っていた箸を取り落とした。
正面に座っていたルームメイトに「どうした?」と訊かれたが、答える余裕もない。
メガホンを持った鎖々崎結と他数名が食堂の入り口側に陣取り、各自なにやら神妙な顔で構えていたのだ。
『ライブ告知ぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!!!』
鎖々崎は食堂が埋まるのを虎視眈々と狙っていたらしく、晴海が偶然それに気付いたまさに直後、ものすごい音量で叫びだした。
『朝からバカうるさくてほんとにごめんなさい! 知らない人はうるさい連中だって覚えておいてください!』
数百人は居るであろう食堂はざわつきはじめ、時間も時間で文句を言いだす生徒も少なくなかった。それでもちらほらと良さげな反応があるところ、彼女達の知名度はやはり低くないらしい。
『Sound Wabe Burstです! みなさん! 学園祭を控えた今、生活ボルテージあげちゃってますかー!』
鎖々崎が食堂の半分ほどの注目を浴びているが、急すぎる上にアウェー感が強い。
晴海の座っている席から二つ離れたテーブルには、観察するような視線を彼女達に向けている生徒もいる。
これは厳しいな、と晴海が思っていると、
「そうでもないよー!」
入り口の真反対にある席から女生徒の返事が来た。何故だかサクラ臭が尋常じゃない。
『な、なんだってぇー!!』
茶番臭も並大抵のものではない。
『そんな調子じゃあ大変だ! ってことはやっぱり! その踏み台って必要じゃない!?』
「「いるいるー!」」
声を揃えたこの反応。どこからのものかやはりサクラらしい。晴海は聞き耳を立てつつ、焼き魚を解体する。
『そこで! 私たちSWBから! 重大な発表がございます!』
鎖々崎はそれから、ざわつきの隙を探すようにすぅと息を吸った。
『――来週木曜! 学校祭開催直前の夜! 前夜祭ライブをやっちゃいまーす!』
その瞬間、先程話していた生徒たちが立ち上がった。よく見ると制服の胸元にバッジをつけている。
カラフルな七色ラインを見るところ、風紀委員のようだった。
『そういうわけで、詳しいことは私たちのHPか、練習場所まで直接来てきいてね! さよならアディオス! 文句はライブ当日に聞こうじゃない!』
鎖々崎達もそれに気付いたらしく、早口で言ってばたばたと後者の方に逃げていった。サクラはそれぞれ「へえ」とか「楽しみ」とか抜かしつつ、ナチュラルに食事に戻りだした。
「鎖々崎やるなぁ」
ルームメイトは笑いながら呟いた。
「あんまり無茶すんのはどうかと思うな」
「そうかな。鎖々崎らしくていいよ、ああいうの」
「それは、まあ……」
晴海ははっきり頷けないまま、箸で食器を突いた。
◆
結局昼休みになるまで、鎖々崎の姿は見られなかった。
クラス内では早朝から「捕まって説教を喰らっているに違いない」という風説が流れていた。
晴海もそうに違いないと頭の隅で思いながら、売店に昼食を買いにやってきた。
「カレーパンが売り切れなんて!」
「あたしのカレーパン!」
「カリカリの生地!」
「とろとろのルー!」
「カリカリとろのパン!」
「カリオストロの……」
そこそこ人が並んでいる中、やかましい二人組がいた。
「あ」
そのうちの一人が視界の端に異物を見つけたようで、勢いよく振りかえってきた。
「きょうごくん!」
「京極だよ」
鎖々崎だった。
「なにしてるの?」
「こっちのセリフだよさっさと買ってくんないかな」
鎖々崎と晴海の間にはまばらでも数人の生徒がいる。視線が痛い。鎖々崎の連れらしい女生徒も、彼女の急な反応に驚いたような顔をしていた。
「たしかに」
鎖々崎たちは適当なパンを選び、最前列から外れる。
「あんぱんください」
晴海も売店の列から抜けると、鎖々崎ともう一人が待ち構えるように立っていた。
「彼が例の人。例のアレだよ」
鎖々崎が言う。
隣のショートヘアの少女は、ふんふんと片眉をあげた。
「なるほど君が京極晴海かー……。思ったより背筋いいねー」
どんな認識の上でそう言ってきたのかはわからない。
晴海が不審そうに視線を返すと、
「――あー自己紹介。わたしはSWBのドラマー、早矢止奈留(はやしなる)。よろしくするー?」
早矢止は顔の横で掌をくるくると振った。
「まあ……よろしく。何故か鎖々崎から聞いてるみたいだけど、俺は確かに京極晴海だよ」
あはは、と早矢止は歯を見せるように笑いながら、晴海が差し出した手を取った。大きくはないが、掌が少し固く、男っぽくもあるような妙な手だ。
「そーだ。せっかくだし一緒にご飯食べようか。わたし以外にもメンバー紹介したほうがいいんじゃないのー?」
早矢止は鎖々崎にそう言うと、鎖々崎は晴海に向けて目をぱちぱちさせた。
「そうする? みんな女の子だけど」
「遠慮しとくよ。別にメンバー紹介も必要ないんじゃないかな」
晴海はあまりトゲのなさそうな言葉を意識したが、二人がどうとるかはわからない。
鎖々崎は「そっか」とあっさり引き下がり、早矢止と共に校舎玄関のほうに歩いていった。
「はぁ」
やはり何がしたいのかわからない。ライブ実施に関しての打ち合わせもしていないし、先日以上の話も鎖々崎からはされていない。
いっそきっちり話をつけてしまうのもいいのかもしれないが、その労力も消費する気にはなれなかった。
「……あ?」
鎖々崎達を見送っていた晴海に変な声がかかった。
「ん?」
「京極か。何だお前、ぼっちか」
「ああ、どうも……」
「よし。ちょっと面貸せ」
背後に数人生徒を連れた、御神本紫鶴だった。
晴海は一階端の多目的ホールに連れていかれ、御神本に言われるがままに丸テーブルについた。
対面には御神本が座り、右手側には先日の縁翠、左手側には顔に見覚えがある男子生徒、テーブルから少し離れた場所でガタイの良い生徒がつまらなそうな顔で腕を組んで立っていた。
「とりあえず、今回SWBのライブに直接手を貸すことになる面子だ。マネージャーだよな、お前」
「まあ……そうなんじゃないですか」
「なんだ、薄いな、反応」
まあいい、と御神本は続ける。
「会場設営関係の人手は鎖々崎のほうで用意しているらしいから、俺たちがやんのは事前に言われてたらしい安全確認役を受け持つことになるんだが」
「俺もそれは聞いてましたけど」
「京極お前、部活とか課外活動とか諸々、最近なんか始めたか?」
突拍子もない質問に晴海は首を捻った。
「え。やってませんけど、なんですか?」
「万が一に備えての話だ」
「……あー、風紀委員とかの関係ですか」
既に自警団でライブを強行するという話に決まっているし、今朝の鎖々崎達の騒ぎで口コミも広がっているに違いない。
単純に考えて、当日に生徒会や風紀委員の妨害に遭うのは目に見えている。
「そう。んで調べたがお前、Bランクアクターだよな」
おい、と、そこで晴海は口走りそうになった。
「……もしかしてとか、そんなくだりも要りませんよね」
「京極、中々お前は理解が早くて助かるな」
御神本は頬杖をつき、見下すような視線になった。
「自警団も人手が余ってるわけじゃない。無所属なら、自警団として仮に扱うこともできるからな。もしも責任問われたら、俺がなんとかしてやれるんで」
「…………」
「ちょっと力貸してくれよ、マネージャー」
周りの人間ばかりが勝手に話を進めているこの状況に、そろそろ本気で文句を言ってもいいのではないか。
このまま流されるがままに居続ければ、マネージャーの次には仮自警団となってしまうのだ。
もう完全に、自分の立ち位置が迷走しまくっている。
「あの、「あんたさぁ」
晴海が手を挙げようとしたところで、縁翠が睨むような目つきをして言った。
「ああ、あたし縁ね。覚えてる?」
「覚えてるよ、髪とか」
今日は巻き髪が六つだった。
「髪って。……とにかくあんたさ、ぶっちゃけ鎖々崎結のマネージャーとかでもなんでもないんでしょ?」
「よくわかったね」
「即答するし……。鎖々崎結に何言われたか知んないけどね、どうせわざわざ付き合ってやんなくてもいい話じゃん。悪いこと言わないからさ、こういうこと、中途半端に関わらないほうがいいわよ。メリットないし、だいたい後悔するし」
縁は吐き捨てるように言って、彼女の対面にいる男子生徒と目を合わせた。
「なんで俺を見る」
「似たようなヤツでしょ?」
「そんないい加減には生きてない」
間接的に明らかに馬鹿にされ、晴海もうんざりした気分になる。
そこで見かねたように、御神本が両手を軽く上げた。
「まあ落ち着けお前ら。まだ京極は何も言ってないだろ?」
晴海は目を細めたまま返事に窮し、改めて物を言うタイミングを失っていた。
「黙るのか?」
すると横の男子生徒が言う。
「まあ、ついでに自己紹介をしておく。俺は富士野颯太(ふじの そうた)だ。一応同学年だし、顔くらいは知ってるよな、お互いに」
正直うろ覚えだったが、晴海は軽く頷いておいた。
「そしてあっちで立ってるのが名取克己(なとり かつみ)。あいつも俺らと同じ二年だな」
富士野は背後に指をさした。その先に立っていた名取という生徒は、ちらりと視線を向けただけで、特にそれらしい挨拶はしなかった。
「京極、一応先に言っておくけどな」
「先に?」
富士野は頷く。
「……俺だって、別に例のバンド自体に何か思い入れがあるわけじゃない。極端な言い方をするなら、どうでもいいんだよ」
ハァ、と、縁が深い溜め息をつくのがわかった。
「だけどな。だからって今回の話、知らぬ存ぜぬで蹴るわけにはいかない」
晴海は目を細める。
「自警団だから?」
「それもあるけど、もっと俯瞰的な視点で」
「…………」
「俺たちが生活してるこの空間、環凪島はイカれちまってる無秩序にあるけど、住んでる人間は最低限の秩序だけは無意識的にでも守ってる部分がある」
「はあ」
「どんなことがあっても、自主的には島から出ようとしない。大半、おおよそ九割九分の生徒は、この小さな世界で無軌道に生活することを受け入れてるんだ」
「それで」
「隔離島だろうがなんだろうが、ここには俺たちのような連中のための施設やらなんやらが全肯定的に置かれてる現状がある。これが俺たちにとっての常識で、現実なんだからな」
晴海は頬づえをつき、話半分に耳を傾ける。
「そのための環境で、そいつのために俺たちがいる。自分達が世間からあぶれちまってるから、あぶれるしかない連中が、周りの顔色伺わなくても過ごしていけるように、バランスとって過ごせるよう働きかける。それって当たり前だよな? 俺たちはここにいるしかない、この環境があまりにも心地いいから。だからこそどこかで折り合いをつけてこそ、関われなかったあぶれもの同士が関係を作っていけるような、そういう場所を持てるんだって」
「富士野さぁ、ハナシ長いのよ。暑苦しい」
縁もうんざりしているらしい。
「だからSWBはな。誰かにとっての偶像みたいな、外れ者だけの共通項みたいな、俺たちがこの島の中に居る中で、より良い環境を作るに十分な価値があるんだ。それに京極、知ってるか?」
「何を」
「あの鼓膜をぶち抜いて魂にまで響くような歌声がたまらない」
晴海は凝視してくる富士野に眉をひそめた。
「あいつらが好きな生徒が言うんだよ。だからあいつらの声は、少なくとも誰かには確実に届いてる。隔離されて、小さい島に追いやられた、俺たちみたいな連中の胸に」
「……」
「それにあいつらだけじゃない。ここに居る奴らがここに居る奴らのために動くことってのは、あるべくしてあることだろ。それを俺たちはサポートして、たまには制御して、上手くやっていけることが一番正しいと俺は思ってる。その手伝いができるなら、いくらだって体を張れんだよ」
そこまで言って、富士野は咳払いをする。
「……まあ俺は、あいつらの曲をまともに聴いたことはないんだけどさ」
黙っていた御神本が、「締まらねえ」と笑った。
◆
明確な答えを出さないまま、晴海は食堂で一人夕食を摂った。混雑ピークには少し早い時間帯で、席もまばらにしか埋まっていない。
ぼんやりしながらフォークでスパゲティを絡め取って、簡単に巻き込まれるもんだ、と口に含む。
そこでふいに、べりべり、という音に気付いた。
食堂の端の方からのもので、晴海はそちらをちらりと見る。
「こーか!」
「ちょっと傾いてる」
等間隔に並んでいる窓際の円柱に、ポスターを貼っている女生徒二人組が居た。
一人は結構な枚数の黒いポスターを抱えていて、もう一人は派手な頭と着崩した制服の上に、太いベルトをゆるく巻いて、そこにガムテープやらセロテープやらビニールテープなどを通してたくさん持っていた。
「うーん……つか紗莉は? あいつこーいうの得意じゃねーの? ぱぱぱーんってやつで」
「さぁ……。なんだか、納得いかないところがあるから練習するって、いってたかな?」
聞き耳を立てるのも趣味が悪い。晴海はスパゲティをさっさと食べ終え、カウンターで食器を下げる。
と、
「――はァ!?」
食堂に大声が響いた。さらにばさばさとポスターが撒かれ、晴海は思わず二人組に振り返った。
「今回はそういうのじゃねーって散々話してただろ! アホかあいつは! そもそも開催できるかって瀬戸際でやってんのによ! ちょっと連れてくるわ! ポスター貼りやがれっての!」
ベルトの生徒は血相を変えて校舎側の廊下へ早足で去って行き、もう一人を残して居なくなってしまった。
残った生徒は無言でその場にしゃがみこみ、ポスターを拾い始める。晴海はさりげなく彼女に近づき、少し離れた位置からポスターを覗いた。内容はSWBのライブ開催告知だ。黒ベースの紙の上部に大きなロゴが入っていた。そしてイラストと、右下には赤い判が捺してある。
やっぱり、と思いながら、晴海も女生徒の前でしゃがむ。
「手伝う?」
すると女生徒はびくついたように顔をあげた。
掛けている丸眼鏡が特徴的で、他には取り立てて挙げる部分もない、はっきり言えば地味な生徒だった。髪ももたっとしていて、重たく見える。
彼女が何も言わないので、晴海は弁解するように両手を小さく挙げた。
「あのー、別に変なアレとかじゃないよ。なんか俺と状況似てるっぽくて」
晴海は彼女の返答を待たず、ポスターを拾い集める。
「……似てる?」
訊き返されるが、晴海はとりあえず頷いて返した。
はっきり言うと鎖々崎に変な話が通りそうで、無意味に警戒をしてしまっていた。
おそらく君もSWBに手伝いを要求された一人で、嫌々かは置いておくにしても、現在はある種被害を受けている仲間なのだ、と……。
さすがに、言うに言えない。
「なんていうのかな。周りの人、すげー、みたいな?」
晴海は苦笑しながら集めたポスターを差し出した。口調にカドが立たないように意識したが、どこか馬鹿にしたようなものになってしまっていた。
女生徒はポスターを受け取って、「ありがとうございます」と頭を下げる。
「……確かに、すごいですよね」
それから彼女はポスターに目を落としながら呟くように言った。
こういうタイプの生徒にもバンドの影響力があると思うと、富士野の話にも説得力が出るような気がした。エネルギッシュな鎖々崎と彼女のような静かな生徒の間には、薄い壁のような境界が少なからずありそうなものだが、歌を通してしまえばそんなものは関係がなくなるのではないか。
もっとも、晴海が実際にどうするかは別だ。
「私ももっと、みんなみたいにハジけたいとは、思ってるんですけど……」
「ハジけ……って、そうなの? 無理しなくてもいいと思うけど」
「いえ、無理じゃないんですけど……」
晴海はなんとなく、じっと彼女の言葉を待った。
「……やっぱり、」
「おいコラァ!」
またも食堂におたけびのような声が響く。
晴海と女生徒は肩を跳ねさせるように驚き、食堂に出口方面に素早く向いた。
頭が花火のように炸裂した、先程のテープを大量に持った生徒。さらにその後ろにはひどく目つきの悪いロングヘアのが居て、二人は大股で晴海の方に接近してきていた。
「なんだてめえ、めんどくせえ系の野郎か?」
晴海の目の前までやってきてから、派手な頭の方が下から持ちあげるように顔を近づけ睨んだ。
「俺は別に何も……」
と、ちらりと眼鏡の生徒を見るが、刃のように鋭い視線のロングヘア女が立ちふさがり、視線を阻まれてしまう。助け船が出ない。
「島守、こいつは痴漢なのか」
ロングへアが言う。
「痴漢だろ、知里狙いって大体ほぼ痴漢だからな」
派手頭が晴海を睨んだまま応える。
「……痴漢じゃないよ。ポスター拾ってくれただけ」
眼鏡の生徒は小声でフォローする。
「だけどそれだけか? なんかこいつ、知里ガン見してたよな?」
「そうかもしれないけど……」
「どーせアレだよ、知里見てムラっと来てたんだよこいつはよ! なぜならアタシも来るからな!」
色々言いたいことが増えてきたが、晴海はまだ耐える。
「え……そうなのかな……」
「そうだな。私も知里はマズい。抱き心地がたまらん」
ロングヘアまで妙な事を……。
派手頭はたたみかけるように晴海の鼻先に指をさし、目をかっと開いた。
「ほらこいつ今! わかるぅ~、って顔してたぞおい! この野郎! アタシと同じ趣味とは良い度胸だなコラァ! 誰がくれてやるか畜生が!」
「くく、やめておけ島守、知里は私のものだから、お前にもやらん」
「じゃあアタシたちのもんな! こいつはそれを奪おうとした不届き者だ! 痴漢窃盗余罪何件!?」
ロングヘアの陰から晴海を伺っていた眼鏡の生徒も、だんだんむっとした顔になり、
「……じ、じゃあ……この人、痴漢で」
「いやいやいやいや!! ちょっと君、情報操作喰らってるって! 俺はどう見ても無実だよ!」
「だって……なんか、僕は君と同じだよ、ってにやにやしてたし……」
「そんなふうに取ってたの!? 違うよね、そうじゃなくてさ!」
狼狽する晴海。一歩下がった空間には、派手頭はさらに踏み込んできた。
「じゃあなんだよ! お前舐めてえんすかコラァ! 同じとかもうどんな趣味してんだよパねえな!」
「個人的には、そうだな。私もシンクロ的な感覚は良い……いや性的な意味ではなくな……。ああ、やるじゃないか」
ロングヘアは派手頭の横にまで接近し、同じく晴海に詰め寄る形になっていた。
晴海は両手を高く上げ、無罪を必死にアピールする。
「待て! 頼むから落ち着いてくれ……、脱線しすぎて俺無関係だろ、もう」
「でも、変態さんなんですよね?」
確かめるように眼鏡の生徒は言う。
「いつの間にか昇格してるよ……。とにかくさ、違うんだって、聞いてくれ」
少し相手方が収まったので、晴海は軽く息を吸った。
ここではっきりさせておかなければ……。彼女達は非常に面倒くさいタイプの人種らしい、これはもう、全力を出して後退していく形を取らなければならない。
「俺がその子に似てるって言ったのは、SWB関係の雑用のことだよ」
晴海は柱に貼られたポスターを指差して言う。
「ちょっと俺も鎖々崎と色々あって、厄介に巻き込まれただけ。その子もそうだろ? だからだよ、それだけ。本当にそれだけだから。これ以上の意味はないの」
切れ切れにはっきりと言って、三人の顔色を確認した。
だが三人の表情は静止し、晴海をじっと見つめている。
「なに」
少しの沈黙。
「……俺も、って、どういう意味かな?」
眼鏡はロングヘアを見る。
「さあ私は話が読めん。読む気もない」
ロングヘアはじろりと派手頭を見る。
「……なるほど。そーか、お前が京極かぁ……」
腕を組んでいた派手頭がにやにやと笑う。
「つまりこいつが結の言っていた男か? むー、特筆すべき部分も感じないが……」
ロングヘアは顎に拳をあて、観察するような視線を送る。
「なんだろう。怒らない、とか……?」
眼鏡の生徒もフレームを両手で抑えながら首を捻っている。
「なんなんだ……。というか、俺の疑惑は晴れたのかな」
そして彼女達はつまらなそうな表情を揃えて見せたあと、それぞれ別々の形で頷いた。
晴海は眼鏡の少女と二人で歩く。ほとんど派手頭――島守ことりに強制される形だったものの、消灯時間まではまだ時間があるので、素直についていくことにした。
「杉並さん、どこ行くの?」
前を歩く眼鏡の生徒に訊ねる。彼女は杉並知里という名前だという。他の二人の名前も、既に彼女のほうから聞いていた。
「ポスター取りに行くんです。さっきの分は二人に任せちゃったから」
「そっか」
島守とロングヘアの坂堂紗莉は、先程の問答が終わると、食堂でまたポスター張りを再開した。それを見た晴海は自室に戻ろうとしたのだが、何故か杉並への付き添いを島守から言い渡されてしまっていた。
断りきれる相手でもなさそうだったので、これは仕方がない。
「……あのー、鎖々崎は今何してるの?」
無言を嫌って晴海は訊ねる。
「結は……まだ打ち合わせだと思います」
「当日の? 自警団と?」
「そう。でも自警団じゃなくて、機材の搬入のほうです。学校祭の日にも他のもの運ぶ業者さんだから、色々あるみたい」
「へえ」
「こういうこと初めてだから、あんまりはっきりしてないんです」
晴海は首を捻った。
「どういうこと?」
「いつもは同じところで、あの、勝手がわかってる場所で、ライブしてるから」
「ああ、ライブはもっぱら同じとこなんだっけ」
鎖々崎の声やらに対応できるような彼女達専用のライブハウスのことだ。もちろん晴海は知っているだけで、言ったことはない。外観すら知らない。
「だからみんな、浮足立ってる、って言うんですか、そういう状態で。私もなんだか、落ち着かないなあって気分です」
「大変だね」
「そうです」
大変らしい。そして話題が尽きた。そのまま彼女の後ろについて、印刷室まで一緒に歩いてきた。
杉並ががらりとドアを開ける。教室の壁に接するよう、大きめのプリンターが数台置いてあった。現在も生徒が何人か利用していて、作動音が忙しない。部屋の中心には作業用のものか長机が並べてあり、周囲にパイプ椅子も置いてある。
机の上には紙の山がどっさりと乗っていた。様々なものがあり、学校祭用のものが大半だろう。その山から一枚ずつ紙を取り、座ったまま次々にハンコを捺し続ける女生徒がいた。
「奈留……も忙しいかな」
杉並は部屋に入る。どこか呼びづらそうに早矢止の顔を見て、早矢止が積んでいく紙の山を静香に手に取った。
すると、
「――はんっ!」
早矢止は目を思い切り見開いて、回りをきょろきょろと見始めた。まるで後ろから脅かされたような反応だったが、杉並の姿を認めるとすぐに息をついた。
「ごめん、邪魔しちゃった?」
「いーや大丈夫。ルーチン崩しとはやるねー知里」
ぬふふ、といったように笑って、早矢止は入り口付近に立っていた晴海に目をやった。
「あれ京極くんじゃん。なんで居るのー?」
「成り行き。早矢止さんはなにしてたの」
面倒な時は相手に話をさせるべきである。晴海はとりあえず近づいて、早矢止の手元の紙を覗いた。
「工作だよ」
早矢止は手に持っていたハンコを掲げ、誇らしげな顔をした。晴海が目を細めると、彼女はポスターの山から一枚を取り出した。
「学校のポスター類も生徒会、というか生徒指導部通してからじゃないと貼っちゃいけないしねー。もちろん企画自体が通ってないわたし達の場合は駄目だし」
ポスターの右下にぽんと判を押しつけた。「生徒指導部」と変形した字が真四角に捺されている、ように見える。
「これで、外から見れば問題は無さそうに見えると」
「でもすぐバレない? ハンコも工作バレたらやばいんじゃ?」
「判はよく見たら違うから大丈夫。それにこれは時間との戦いだし、バレるかどうかは問題じゃないよねー」
早矢止はひらひらとポスターを乾かすように振って、机の上に置いた。晴海はそれを眺める。
「……これ、開催日が学園祭当日になってるみたいだけど」
「撹乱作戦? まー口頭では前夜祭って言ってるしー、実際にやるのも前夜だし」
色々と行き当たりばったりが過ぎるのでは、と晴海は思ったが、口にしないようにした。
杉並はテープ類を探していたようで、ポスターの上にセロテープなどを乗せて突っ立っていた。
「そーだ、そろそろ貼りに行くー?」
早矢止が杉並に訊ねる。すぐに頷いた杉並は、晴海の顔を見つめてきた。
「あの、京極くんも手伝ってくれませんか?」
「え?」
早矢止も不思議そうな顔をして、晴海と共に杉並を見返す。
「せっかく、なので? えっと、なんて言えばいいのかな……」
異様なほど難しげな顔をしてから、意を決したように首を振って、
「……やっぱり、似てるのかもしれない、ので」
思わず晴海が早矢止を見ると、彼女は口を縦に開けたまま、まるで呆けたように目を丸くしていた。
◆
釈晴彦がシスコンであることは風紀委員会での常識である。
「どういうことだよこれ! これは生徒生活の風紀を乱している! 直ちに取り締まるべきじゃないのか!」
委員会室で叫んでいる彼が手にしているのは、学園内で屈指の人気を誇るバンド、SWBのライブ告知ポスターだ。既に風紀委員でも何度か話題として取り上げているバンドで、何よりリーダーの鎖々崎結はここに数回顔を出していた。
その上で「ライブの開催は許可できない」という結論を出している。これを無視して強行すれば停学は確定であるし、ライブ自体の協力者を得られるとも考えにくかった。
だが、どう見てもやる気マンマンで迷惑千万も辞さないというスタンスである。
夕雁紅葉は釈の掲げるポスターを眺めながら、面倒だな、とこぼしそうになった。
「晴彦って当日の仕事なに」
夕雁は訊ねる。
「野外グラウンドの見回り。フットサル大会とか中心で」
「そ」
適当に頷いて、夕雁は椅子にもたれて腕を組んだ。
仮にSWBが当日ゲリラライブを実行するとして、中止のために風紀委員の人員を裂くとするならどれくらい必要だろうか。手が余っている人間があまり思いつかない。学園祭の警備に関しては、トラブルに対して潤滑な対応をできるよう、相補的な助け合いができるような所定の位置をほぼ決めてしまっている。
もしそれを無視してSWBの対応のために人員をまわし、他のイベント会場で事故でも起きてしまえば、風紀委員の責任問題にも少なからず関わるだろう。そこを突かれて生徒会の傘下に置かれてしまう流れまで持ち込まれては、鬱陶しくてかなわない。
だからといってライブを無視するというわけにもいかない。
「じゃあそこは鉄くんに任せるわね。どっちにしろ、そっちのエリアリーダーは彼だし」
ならば信頼のおける人物の負担を増やせばよいのだ。
単純に委員長だけの信頼ではなく、他の委員からも一目置かれている相手に。
そうすれば嫌々だろうがサポートの意識は強まる。少なくとも指示待ちしかしない人間は少ないはずなので、多少首を閉めるくらいでもある程度は動けるだろう。
そして負担の減った、さらに言えば「当日の仕事に期待をできない人間」に、割りを食わせてやればいい。やらない、やれない人間には、やらなければならない状況を乗せる。
「てことは、俺はライブ止める方に入っていいんだな」
「そうね。あとはあんたと仲良い小野くんと、」
「あいつは使えない!」
釈晴彦は最近委員会に入ってきた小野運河とちょくちょく関わりがあるようだが、微妙に違うらしい。
「それに、俺がライブを止めたいのは妹がこれに興味を持ってるからで、公序良俗に反しかねないこいつを辞めさせるにはもっと信頼できる奴を――」
「わーかったわよ、もう。ほんとめんどくさい奴……」
そう言いながら夕雁はポスターを奪いとった。
「とりあえず小野くんは確定……。使えないなら尚更ね……、あとは誰か……」
ポスターを眺めると、生徒会の判が捺してあった。まさか生徒会からの承認を得られたとも思えない。それ以前に副会長の一戸遥から、「大きなイベントは風紀委員と自警団から既に承認を得たものしか通さない」というルールを今年は設定しているのだと聞いていた。
であれば、これは勝手に行っているイベント告知である。
一方、風紀委員は原則としてトラブルを起こした人間に対応する機関であるため、裏が取れるまで生徒に言いがかりをつけるような真似はしない。もちろん不正がほぼ確定的である状況で、今から生徒会に走ればすぐに摘発できる問題ではありそうなものである。
しかしポスターが貼られている現状、下手にSWBを止めてしまってこそ、学園祭前の風紀を乱してしまいかねない。どんな繋がりの上で彼女達はライブを開催しようとしてるのかをはっきりさせなければ、最悪有志の大半がボイコットしてしまう事態にもなってしまうかもしれない。
夕雁は溜め息をついた。どうも、委員長として後手に回ろうとし過ぎてはいないだろうか。
「とりあえず暴徒に対応できる奴を貸してくれ」
「暴徒ってなんなのよ……」
「この件、自警団が絡んでいるとも噂で聞いてる」
「は? なんで?」
「昨日の朝、SWBが食堂で騒いでたの知ってるか?」
「聞いてたような」
「その時奴らを止めようと動いたのは、こっちだけだったんだとよ」
だから? と言いそうになったが、夕雁は少し考えた。
自警団は罪のない生徒に襲いかかるくらいネジが吹っ飛んだ者もいる集団だ。確かにその時、すぐに抑え込みにかかるような生徒がいてもおかしくはない。
さらに手元のポスター。晴彦がもってきたこれを自警団が見ていないわけもなく、そこからSWBを止めないわけもない、ような気がした。もっとも承認を受けていると思っているのなら、そうはならないだろうが。
「……最悪ライブ止めるとなると、自警団とぶつかるってこと?」
「十分な対応を想定するなら、それも度外視はできない」
「そこまでひどくなったらさすがに各所から人員まわすわ」
そこまでひどくならないようにするのが風紀委員の仕事である、ともいえる。
「じゃあそうね――」
「私が出ましょう委員長」
いつから居たのかわからない、少女の声がふいに聞こえた。
「あれ? いたの、経亜」
左手の壁に影がある。一年の蛇迷寺経亜だ。手入れしているのか天然ものなのか、異様なほど真っ黒な髪が目立つ。
彼女は夕雁のほうへすたすたと踏みこんだ。そしてテーブルに両手をつき、ぎっとした目つきを見せる。
「名前で呼ばないでいただけないでしょうか天下の委員長様このっ」
「名字長いからイヤ」
即答すると、こほんと蛇迷寺は咳払いのような素振りをする。
「私、当日は暇になったので」
「いやあなたにも仕事あったわよね」
「大丈夫です」
「何が?」
「私の担当区域はみんなゲリラ辞退するので」
「中止、でいいよね。っていうか、どうしてわかるの?」
「局所的な豪雨が降るので」
「……降らせるの?」
「さぁ……私が担当すると、降るかもしれない」
「…………」
視界の端で晴彦がイライラし始めているようだった。
「そ。とにかくあなたもそっちね」
「よろしくお願いします」
彼女の意図は読めない。が、雨を本当に降らせることができるとしたら、困る。
「それから、誰がいいかなぁ……まだ三人……」
蛇迷寺がそのへんの椅子についたところで、また夕雁は考える。晴彦はそわそわしはじめた。
「当日の個人スケジュールとか持ってないのかよ」
「持ってても悩むし持ってないし。副委員長が管理してるのよ」
「そうか……ならいい、けどさっさと決めてくれねえかな」
「あのねえ、六日前にこんな話もってくるからこうなるのよ?」
「この時期にやっと話がまとまったんだろ。そのせいで雨乃にも近況聞けてないし、友達にライブ誘われたってのも誰からは聞けてない!」
「あ」
近況といえば、最近風紀委員会に所属が決まった生徒が居たことを思い出した。学園祭準備に忙殺されていたこの時期では、あまり印象に残せていなかったが。
少し前までは能力が安定せず、暴走によって世界を妙な方向に持ちこんでしまいそうになった、ある種巨大な存在。
高ランクの生徒はいかなる団体においても重宝されているため、名前だけでの所属でもマイナスにはなりえないのだ。
先日に一度顔を合わせた程度であったが、仕事を与えてみてもいいかもしれない。
「せっかくだし……」
言おうとしたところで、ノックが鳴った。
「入るぞ」
同じ風紀委員、岡崎礼零那の声だ。
まさに丁度のタイミング。彼が担当していた委員会(外部より)の仕事は護衛だったのだ。
返事を待たずにがちゃりとドアが開く。そこに居たのは二人の生徒。
「観察期間が終わったから顔出しに。来てくれ、自己紹介でもさっくりと」
一人は白髪の交じった、声の主である岡崎。身長は高く、髪のせいか微妙に大柄に見える。制服とは妙にマッチしていない風貌で、さりげない威圧感があった。
そして彼のシルエットの脇から、半身程度しか見えていなかったその姿が現れる。
その女生徒は暗藍色の髪をつまみ、どこか所在なさげに視線を落としていた。
まるで自分は何もしていないのに、表彰台にあげられてしまったかのような表情である。
「入って。私は夕雁紅葉、一応、風紀委員長をやってるんだけど」
席を立って声をかけるも、彼女は明確な反応を見せない。やはり、どこか遠慮してしまっているような。
「普通に言えばいい」
岡崎は静かに言う。彼女の扱い方を多少なりともわかっているらしい。
やがて少しの間をおいた後に、その女生徒は口を開いた。
「……高等部三年、小林優です。よろしくお願いします」
島内にも数えるほどしかいないSランク、「無効空間」の保持者であり、生徒として扱われる以前に研究所にて能力の暴走を起こし、島を一時混乱に陥れた彼女。
去る五月四日。『明けない夜』を引き起こした、最大級の改変能力を持つ、風紀委員の肝となりえる存在である。
「よろしくね」
――で、さっそく悪いんだけど……。
あなたとそこの岡崎に、ちょっとした仕事を与えさせてもらうわ。
◆
「ちょっと会長、いいんですかこれ」
一戸遥は狼狽した。なんだこれと。なにしてんのこれ、と。
「俺は生徒会企画で忙しい。なんだ、風紀委員あたりがなんとかするだろ」
生徒玄関にびっしりと貼られたSWBのライブ告知ポスター。もう幕でも被せたように真っ黒である。
演劇の練習から帰ってきただけでこれだ。度が過ぎた連中は毎年出てくるものだが、本番三日前からここまでする輩も、一戸が高校生になってからは初めてのことかもしれない。
しかし頭にライオンの被りものをした生徒会長は、いかにも興味なさげに「百獣のウォー!」と吠えた。
「笑えませんよ、ほんとに……」
最終更新:2011年09月26日 23:17