142 名前: ◆ll4lON6OZk[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 18:23:11 ID:ROXLcOd2
師走も目前に迫ったその日、都市部の中心からやや外れた土地に建設された二階建ての巨大レ
ジャー施設が営業を開始した。
「ねえ、やふうったらいつまで粘ってんのよ」
雑多な音を縫って、隣の台の席から退屈そうな声が飛んでくる。動きの良くなってきたコンピ
ュータの対戦相手が放つコンボをガードでやり過ごしながら、やふうこと谷風良(かぜたにりょ
う)は、気のない返事を返す。一時期単語間違い芸人が人気を博した際、あだ名が『やほお』に
なったりもしたが、彼のニックネームはいつの間にか元に戻っていた。
「心配しなくてもそのうち終わるって」
などと喋っている間に弱キックが相手の攻撃に食われる。先ほどからあれこれ試しているのに、
これも潰された。そこからコンボをワンセット貰う。ごっそり剥がれ落ちた体力ゲージを見て、
連れは歓声が上がる。
「お、頑張れ頑張れ、その調子」
心無いギャラリーは画面を覗き込みながらそんなことを言った。明らかにCOMを応援してい
る。そして視界の右端に、白とも灰色とも呼び難い髪に覆われた後頭部が入ってきた。暖房の充
分に効いている室内にあって、黒い耳当てにマフラーまで巻いているので、暖かいを通り越して
暑苦しそうな見た目である。丈の長い制服から伸びた足も、黒いストッキングを纏っている。
「おいこら邪魔だよ」
「別にいいじゃん。さっきからボコボコなんだし」
不本意ながらそれもまた事実だ。容赦のない壁コンを決められ、コンティニューの文字とカウ
ントダウンの数字が画面中央に現れる。
「ま、こんなもんかね……」
前情報なしにしては良くやったほうだろう。しかしどうなのか昨今の格ゲー業界。コンボレシ
ピの暗記やその入力精度に関してはもはや前提条件に過ぎず、基本技の性能から立ち回り全般、
さらには
キャラクター間の有利不利等の相性や封印推奨技まで頭に叩き込んで臨まなければなら
ない。一見さんお断りの風潮はますます強くなるばかりだ。新規開拓とディープファン層の満足
度を秤にかけた結果なのだろうが、これでは恐ろしくてとても素人には触れない。席に着いたま
ま大きく伸びをしてアーケードゲーム業界の将来を憂えていると、隣の坂峰凛(さかみねりん)
が肩を揺すってくる。
「ねえやふう。早くあっちの二次元プリクラやろうよ」
「ん? 二次元?」
坂峰の指さす方向に視線を向ける。広々とした一階フロアの一角を占領している機械群の周り
には、制服姿の男女や友達同士でやってきたらしい女学生がたむろしていた。ああいう客に狙い
を定めているのはまあ知っていたが、自分もその中に飛び込むのは若干の抵抗がある。
「撮影が終わると、その人に似せたイラストが出てくるんだって。作風指定可」
少し前から近辺の路上で配られていた宣伝のビラを学生鞄から取り出し、谷風に噂の機械のサ
ンプルを見せてくる。標準、少女漫画、劇画、萌え、BL、ケモノ系……。
143 名前: ◆ll4lON6OZk[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 18:23:48 ID:ROXLcOd2
「最近の企業は得体の知れない物作ってんだな」
少し想像してみる。恐らく坂峰なら、十中八九白髪赤眼のアルビノ美女になるだろう。黙って
いれば顔の造作は整っているし、最近のアニメにはよく出てくる属性なので、機械も楽な仕事だ
と喜ぶかもしれない。しかし自分はどうなのか。黒縁眼鏡を掛け、あちこち髪を跳ねさせた冴え
ない癖毛男。とても絵になりそうにない。
「つうかそもそも高いんだよな、あれって一回数百円からだろ」
「何よ~。このゲーム終わったら今度は私に付き合ってくれるってさっき言ってたのに~」
「あー分かった分かった」
前を行く坂峰に腕を引っ張られながら、谷風は問題の機械の前に足を進める。アーケードゲー
ムコーナーから離れ、メダルコーナーを通過する。ごった返す人ごみで、二、三度他人とぶつか
りそうになる。ニット帽をかぶった女と腕を絡めてながら歩いていた大学生風の男に肩が軽く引
っかかり、メンチを切られた。どうして女を従えている年頃の男というのは、不必要なまでに好
戦的なのだろう。面倒事は御免なので会釈をすると、青年は舌打ち交じりに遠ざかっていった。
連れの女も優越感に満ちた笑みで谷風を一瞥したが、特に気にしない。腹を立てるという行為も、
相当面倒くさいから。
「しっかし凄い人だね~」
すぐ後ろで相方が喧嘩を売られていたことなど全く知らない坂峰が、腰の辺りまで伸びたスト
レートの髪を揺らしながら能天気な調子で言った。
「退屈な島だからな」
物質的に不自由することはないが、活動範囲の狭さ故の悲しさで、目新しいものにはふらふら
と吸い寄せられてしまう人間が多いのだろう。などと考えている谷風自身もここに来てしまって
いるが、坂峰に誘われなければ今頃寮の私室でごろごろしていたはずだった。
「空いてますかー?」
撮影機の入口のカーテンをくぐりながら、坂峰がボケなのか天然なのか判断できない雰囲気で
そんな呼びかけをした。
「あー良かった、誰もいない」
「そうだな」
一々突っ込みを入れていたら身が持たないのは、幼少期からの付き合いの中で身に染みていた
ので、適当に相槌を打っておく。それぞれ鞄を床に置いて小銭を投入すると、すぐにディスプレ
イが切り替わり、スタート画面に入った。
「どれにする? このギャルゲー風とかどう?」
坂峰が白く細い指で画面をタッチすると、簡単な機能説明と出来上がりの雰囲気が映し出され
た。
「いや、これって野郎は前髪で顔が隠れる仕様じゃん……一体誰が得すんだよ……」
「あ、ホントだ。確かにダレトクだねえ」
謎の単語に気を取られかけたが、標準モードを押してすぐに撮影に入ったので、谷風は質問を
するタイミングを逃してしまった。
144 名前: ◆ll4lON6OZk[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 18:24:40 ID:ROXLcOd2
三度目に撮影に入った頃である。
「ぅぁぁぁぁ――」
「ん?」
ぼんやり突っ立ってカメラに視線を向けていた谷風は、雑音の入ってきたカーテンの外に気を
取られ、何となくそちらに目をやった。
「今、外から何か聞こえてこなかったか?」
「え? 全然」
言下に否定した坂峰は、あれこれオプションをいじっている。空耳だろうか、などとしばらく
考えていたら、ややあって明らかな破壊音がやってくる。物が次々に倒れ、砕ける音が。さらに
客たちの悲鳴
「喧嘩にしても派手すぎないか」
「ぎゃああああああ!」
思いの外近くで始まったその絶叫に、谷風は思わず口を閉じて身を竦める。
「何だよ今のは」
個室から出て行こうとしたその時、坂峰に腕をがっちり掴まれる。
「おい、離せって!」
「もう最後の撮影始まっちゃうから、動いちゃダメ」
「はぁ!? 馬鹿なこと言ってんじゃねえよこのアホ女!」
明らかに表で異常な事態が出来しているはずなのだが、谷風の反抗も空しく、坂峰の見た目に
似合わぬ腕力によってカメラの真正面まで引き戻されてしまう。
『ハイ、チーズ』
「きゃあああああ!」
機械音声の合図で、室内にフラッシュが焚かれようかというその時、耳を塞ぎたくなるような
甲高い悲鳴を上げながら、女が個室内に飛び込んできた。
「助けて下さい!」
反応する暇もなく、女がすがりついてくる。そんな突然の闖入者などお構いなしに、一瞬の白
光は室内を駆け抜けた。
「あ!? ……ああ~!」
迫力には欠けるが、明らかに気分を害された感じの声を坂峰が張り上げた。
「ちょっとあなた!? 最後の一回だったのに、どうしてくれんのよ~!」
ややあってから足元の取り出し口に落ちてきた完成品を拾い上げた坂峰は、今度は悄然とした
様子で続ける。
「あぁ……やっぱり滅茶苦茶になってる……」
谷風は写真ではなく、実物を凝視していた。
145 名前: ◆ll4lON6OZk[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 18:26:25 ID:ROXLcOd2
あれこれ罵声を浴びせ始めた坂峰には目もくれず、女は恐怖に染まった瞳でひたすら外を凝視
している。さして特徴のない、いかにも大人しそうな顔は白くなっており、肩口まで伸びた髪は、
恐怖で震える体に合わせて踊っていた。今時前髪をピンで止める女子高生などいるのだなと、こ
の状況に実に似つかわしくない呑気な感想を抱いた。クラスと学年までは分からないが谷風自身
も体育の時間にお世話になっている、高等部のジャージを着用している。
「アヤメ様! 工藤様はこの中に!」
「二階担当の鷺ノ宮班、室内遊戯フロア、カラオケフロアの制圧を無事に終えたようです」
「一階ゲームフロアもほぼ完了しました! 残るはあの機械内の者だけです!」
間もなく外では、野太い男たちの声が飛び交い始めた。このジャージ女を追いかけてきたのだ
ろう。会話の流れから察するに、じきに誰か踏み込んでくるだろう。とりあえず――
仕切りが乱暴に押し開かれた。
「貴様ら、校則によって定められた外出可能時間をとっくに過ぎて――ぐあっ!?」
半身を入れてきた制服姿の巨漢を、言葉の途中で弾き飛ばす。同時に、外の仲間らしき連中が
狼狽し始めるのも分かったが、学園内の序列から考えると、強くもなく弱くもないという微妙な
位置につけるこのポルターガイストで、どこまで時間を稼げるものやら。恐らく今の男も、せい
ぜい背中を強打した程度のダメージだろう。
「大体ねえ、プリクラ機の個室に入る時は中に人がいるかどうかきちんと確かめるのが常識って
もんでしょ!」
「坂峰、少し静かにしてくれ」
「むうう……」
脹れっ面で押し黙る坂峰から、ジャージ女に視線を移す。
「おいあんた。あいつら何者なんだよ。もしかして最近あちこちで揉め事起こしてる、胡散臭い
自称平和思想主義者の団体か? 口調とかがいかにもそれっぽかったが」
だとしたら凄まじくかったるいことになってくる。勢力を広げて暴走しかけている能力者集団
に、思想団体特有のねちっこさと組織力、おまけにトップに対する固い忠誠心が絶妙な比率で付
加されているのである。目をつけられでもしたら、本気で街を歩けなくなるかもしれない。
「あ……あの」
「貴様ら、こんな真似をしてただで済むと思っているのか! 即刻出て来い!」
女が口をぱくつかせている間に、この狭い個室に向けて怒声が起こり始めた。谷風は女に続き
を促す。
「おい、早く答えてくれ」
最悪この女を見殺しにして、面が割れる前に自分たちだけ逃げることも選択肢に入れた方がい
いかもしれない。人目を引く見た目の坂峰は一瞬でも目に留まってしまえば、遅かれ早かれ素性
がばれるだろうが……。
「あの……まずは、せっかくの撮影を邪魔したことを、謝らせて下さい。すいませんでした」
146 名前: ◆ll4lON6OZk[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 18:28:13 ID:ROXLcOd2
「今その話かよ……」
「いえ、でも、お二人とも楽しそうでしたし……」
この女も、坂峰に負けず劣らす思考のピントずれを起こしやすいようだ。どう贔屓目に見ても
頭の回転の速いタイプではないだろう。
「そうそう。最初からそうやって素直に謝ってくれれば、私だって別にここまで怒ったりしない
んだから。誰にだって間違いはあるんだし」
「お前らなあ――」
「――無様」
ひどく冷たい呟きが、表から聞こえてきた。女のものだ。それと同時に、男たちが息を潜め、
身じろぎする気配も伝わってくる。女の声はまだわずかに幼さが残っていたが、続く言葉は辛辣
極まりないものだった。
「私の前から姿を消すことが、あなたが私にできる唯一の奉仕だという事実にまだ気づいていな
いの?」
先ほど追い返した男のものだろう。裏返った声が早口で謝罪の言葉を述べている。その間に、
ジャージ娘が彼らの正体を明かしてくれた。
「あの人たちは……自警団と名乗っていました」
「自警団? なんだ自警団かよ」
それを耳にした途端、ふっと谷風の緊張が解けた。相対的な評価になるが、得体の知れない思
想を振りかざすエセ平和主義者に比べれば可愛いものである。正義感や体力の有り余った学生が、
粋がって徒党を組んでいるに過ぎない。
「六時ぴったりに出入り口を封鎖して、店内の学生と思われる客を次々捕縛していったんです。
帰宅時間に関する校則違反の疑いがあると言って」
開店初日にこの騒動では、店側も辛いだろう。まあクラスの男子の間では、半ば予想されてい
たことでもあったが。
「ま、さっきは結構な立ち回りがあったらしいけど、聞いた話じゃあ自警団にも話の分かる奴が
いるらしいからな。こっちが下手に出れば案外丸く収まるかも――」
谷風が言いかけた時である。
「このゴミ――クズ――お前のような無能がいるからこの班は――お前たちのようなカスどもを
従えている私が、どれだけ班長会議で肩身の狭い思いを――」
断片的に聞こえてきた班長らしき人物の言葉に愕然としていると、ジャージ女が谷風と坂峰に
向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「あ、申し遅れました。私、高等部一年Eクラスの、工藤真緒(くどうまお)と言う者です。ご
挨拶が遅れてすいません」
「私はね。高等部一年のAクラス、坂峰凛。勿論AとEじゃあ天と地の差だけど、Eだからって
遠慮しないでね。私Aだけど。――さあ、次はやふうの番よ」
147 名前: ◆ll4lON6OZk[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 18:30:42 ID:ROXLcOd2
踏ん反り返っている坂峰に指差された谷風は、投げやりな気分で口を開いた。
「谷風良。高等部一年Cクラス。あだ名は結構前からやふうで固定。一時期マイナーチェンジも
あったりしたけどな」
「はい。――やふうさんと坂峰さんって、どういう経緯でお付き合いするようになったですか?」
「え、付き合ってるように見えちゃう? やだなあ。私たちまだ単なる友達なんだけどなー。ま
あいいわ、教えてあげる。 私初等部までCクラスにいたのよ。やふうとはその時に知り合っ
たの。その後なんやかんやあって中等部でB、高等部でAってランクが上がっていっちゃった
せいで、クラスはもうだいぶ離れてるけどね」
「アヤメ様! どうかお許しを!」
突如上がった、哀願を乞うような、しかし微妙に快感に震えているようにも思える絶叫が、徐々
に遠ざかっていく。
「向こうも盛り上がってんな」
外に静寂が戻った後、女の猫撫で声が飛んできた。
「さあて。我が班一の恥晒しも消し去ったことですし、そろそろ出てきて頂けないかしら? 工
藤さん」
室内に転がりこんで呑気に雑談をしていた女も、さすがに体を硬くした。
「坂峰。時間稼ぎ頼む。俺はこの女連れて逃げるから」
「え~! 何で私が置いてきぼりなのよ!」
「さっき散々強調してたじゃん。お前Aクラスなんだから少しくらいなら暴れても問題ないって。
同じ規則違反にしたって、AかCかで学校側の処遇がすげえ変わってくるのは知ってんだろ。
少しくらい泥被ってくれても罰は当たんねえぞ」
何よりこの女は逃げても風貌ですぐに正体がばれる。
谷風は工藤に意見を求めようとして、すぐに止めた。彼女がどんな能力持ちなのか知らないが、
恐怖で体が動かなくなっているらしい。地面に腰を下ろしたまま微動だにしない。とても役には
立ちそうにない。
「んじゃあしょうがねえから公平に三人で出頭して――」
言葉を中断したのは、いつの間にか工藤の腰に、何重にも巻き付いていたためだ。
「……え?」
呟きを残して、工藤の姿が高速で室外に飛んでいく。
そして次の瞬間、何本かの鋼線が室内を通過していた。そのうちの一本が谷風のすぐ頭上の空
気を切り裂く。
「んな!?」
反射的に外に体を投げ出す。
148 名前: ◆ll4lON6OZk[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 18:37:24 ID:ROXLcOd2
周囲を取り囲んでいたのは、二十人近い男たちだった。年齢はまちまちのようだが、誰もが屈
強そうな体つきをしている。そして丁度真正面に立っている頭目らしき人物は、中等部の制服に
身を包んだ小柄な女だった。一見柔和そうで、かつ魅力的な容姿だった。若干垂れさがった黒目
がちな目など、特に男の保護欲をかきたてそうだが、その顔にはひどく酷薄そうな微笑を浮かべ
ていた。マイクロミニと呼べそうな程に短いスカートからは、細く美しい足が伸びている。
右手の五本の指から伸びた得体の知れない物体は、女の傍らに倒れている工藤の体を拘束して
いた。そしてこちらに向けられた左手から伸びた五本の線は、今まで自分たちがいた撮影機を串
刺しにしている。
「まだお一人、中に残ってらっしゃるみたいですね」
誰にともなくそう言うと、女が左腕を無造作に振った。鉄の塊のはずの撮影機が、豆腐のよう
に横一文字に切断される。屋根がバランスを崩し地面に激突すると、内部の坂峰がその姿を現す。
灰色の髪をした幼馴染は、身じろぎ一つせず悠然と自警団の班長らしき人物に視線を注いでいた。
先に問いを発したのは、女の方だった。
「あら。確か貴方は高等部Aクラスの……」
「坂峰凛よ」
何ご丁寧に名乗ってんだよ。
「ああ、音に聞こえる竜血でしたか」
「ところでさ、人に名前を尋ねる時はまず自分から名乗るのが常識じゃない?」
いかにもぶりっ子らしい仕草で、女が左手で自分の頭を小突く。そこで気付いたが、いつの間
にか女の指先から伸びていたはずの物体が消失していた。
「あら私ったら。ごめんなさい先輩方。中等部三年Aクラス、神宮司彩愛(ジングウジアヤメ)
と申します。現在は自警団に籍を置いております恥ずかしながら、これでも班長です」
「……やりすぎだろ……」
ようやく出てきた谷風の言葉はそれだった。
「どうかお気になさらずに。この店を出店した会社は、父の会社の系列企業ですから、何とでも
なります。――ところで」
足元の工藤に視線を落とし、神宮司は言った。
「せっかくの俊足も、それを動かす頭がお粗末では宝の持ち腐れですね。よりにもよってあんな
狭い個室に逃げ込むなんて、正気の沙汰とは思えません」
谷風は動けずにいた。年少とはいえ、Aクラス、それも一見して戦闘向きと分かる能力者を出
し抜いてこの場を逃げ切る自身など、全くなかったのだ。
「そういえば工藤先輩。こちらの再三の要求も無視して競技会では手を抜いてますよね? ゆく
ゆくは我が社の陸上部で活躍してもらう予定だというのに。こんな所で油を売ってもらっては
困りますよ」
「へえ、工藤さんって陸上部だったんだ」
149 名前: ◆ll4lON6OZk[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 18:39:04 ID:ROXLcOd2
緊張感のない声で坂峰が口を挟む。
「先に言っておきますが、あなた程度の走力を持った者ならいくらでもいるんですよ? 何もこ
の島に限らなくてもね。現状有象無象と大差ない記録しか残していないあなたを私たちが援助
しているのも、あなたの異能に価値を見出しているからに他ならないことを、どうかお忘れな
く」
「私は……記録とか、結果には……」
「興味がないと? でもいつまでも実力を披露しないあなたに、周囲はとても苛立っているんで
すよ。もちろん私も」
女の左手が工藤の足を撫でる。たったそれだけの動作が、工藤のか細い悲鳴を呼びこんだ。
「……?」
死角になっているせいで、何が起きたのか分からなかった。しかしすぐに、濃厚な鉄の匂いが
鼻腔に届いてきた。
「お前、まさか……」
問いかける谷風に、神宮司は朗らかな笑顔を向ける。
「鳴かぬなら、殺してしまえ、ホトトギス。精神衛生上よくないですからね。まあ、少し傷を付
けただけですから」
その言葉とは裏腹に、既に工藤の足を中心にした血溜まりがフロアの床を侵食し始めていた。
同時に、神宮司は工藤を拘束していた右手の鋼線を解く。
「ところでお二人は、どういう関係ですか? 先ほどの力を見た限り、そちらの男性がAに在籍
しているようには見えませんが」
答えたのは坂峰だ。谷風の横に立ち、腕を絡ませてくる。
「幼馴染よ。私たち、体の相性が凄くいいんだから」
神宮司の後ろに控えていた取り巻き連中からどよめきが起こった。ただ一人、班長だけが小首
を傾げて尋ねてくる。
「それは、不純異性交遊の自白と取ってもよろしいのですか? 重大な校則違反ですが」
「上等よ!」
そんな関係を持ったことは一度もない。しかしこの女がホラを吹く理由が、谷風には何となく
理解できるような気がした。
「坂峰」
そう囁くのと同時、谷風は彼女の首筋に視線を固定させた。
「あん!」
艶っぽい悲鳴と共に、坂峰の首筋が半ば近くまで切断され、視界が血煙りに染まる。ひそひそ
話していた自警団の下っ端たちが、先ほどとは全く別種の動揺を見せる。
返り血を浴びた箇所から焼けるような凍るような、不思議な感覚が広がっていく。頭からアル
コール消毒液を被ったらこんな感じなんだろうな、などとどうでもいいことを考える。
150 名前: ◆ll4lON6OZk[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 18:41:18 ID:ROXLcOd2
血液の付着した眼鏡が単なる濁りガラスにしか思えなくなり、谷風はそれを外してポケットに
しまった。
「あーあ、マフラー血だらけ」
既に傷口がふさがりかけている坂峰が、元は白かったマフラーを見て不満そうにこぼす。高揚
感のせいで、つい気前のいい口約束をしてしまう。
「今度新しいの買ってやるよ。お前工藤連れて、さっさと病院行って来い」
頷く坂峰から人垣に視線を移した次の瞬間、神宮司を除いた自警団全員の体が宙に舞っていた。
情けない声が次々上がる中、班長が微かに眉を動かすのが、谷風にははっきりと分かった。
坂峰が工藤を抱えて脇を通り過ぎていくのを、神宮司は何をするでもなく見送る。いつでも能力
を発動させられるように神経を尖らせていた谷風は、拍子抜けした。
「ん? 逃がしていいのかよ、班長さん」
「壊れた物を修理に出してくれるなら、むしろ好都合です。それはともかく……あなたが残るの?」
神宮司の質問に、今度は谷風が満面の笑みを浮かべて答えた。
「あいつが本気で暴れたら、店をまるごと潰しかねないからな。マフラーだけじゃなくて、衣類
一式駄目になるし。まあ他人に裸見られることに関しては、多分気にしないだろうけど」
あとな、と谷風は言葉を継ぐ。
「ちょっと好き勝手やりすぎだよ、お前。俺のちっぽけな倫理観にさえ引っかかる位だ」
「……私が気に食わないから、こうして対峙していると?」
「そういうこと。――自己紹介まだだったっけ? 高等部一年Cクラス、谷風良。よろしく」
「今度、コンタクトを用意してあげましょうか? 眼鏡を外していた方がずっといい男ですよ?」
直後谷風は真横に跳んで、五つの鋼線をやり過ごす。もう一本の腕から放たれた鞭のようにし
なった鋼線は、ポルターガイストで根元からへし折る。
足に力を込めて踏み出す瞬間、床に巨大な亀裂が入る。普段ならまずやらない強度で自身の体
に負荷をかけているが、坂峰の血で活性化した肉体ならぎりぎり耐えられるはずだった。体の相
性はともかく、坂峰の特性と自分の能力の相性が良いのは間違いのない事実だった。
相手の片手はあらぬ方向に鋼線を伸ばしたまま、もう一方も今無力化した。軽く頭でも殴りつ
けて気絶させれば、それで片が付く。
しかしあと一歩という所で、谷風の体は何かで縫い止められたかのように動かなくなる。
異常に気付き、体の様子を確認した時、思わず目を剥いた。
神宮司の履いた革靴を突き破って出現した計十本の刃が、谷風の四肢と胴体を貫いていた。感
覚が鋭敏になっているせいもあるのだろうが、正気を保っているのが嫌になるほどの激痛が、間
もなくやってきた。
「凄い」
頭を上げ、間近に迫った神宮司の顔を見た。そこには純粋な喜びの表情があった。
「綺麗に臓器や動脈から軌道をずらしてる。これならちょっとくらい意地悪しても平気ですね」
151 名前: ◆ll4lON6OZk[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 18:43:37 ID:ROXLcOd2
そして十本の刃がゆらゆらと蠢き、傷口を抉り始める。声さえ出せない痛みに谷風が体を震わ
せる度に、神宮司の頬は紅潮していった。彼女の唇の間から、子供をあやすような優しい声が洩
れてくる。
「痛いよね、谷風さん」
神宮司が谷風にすり寄り、背中に手を回す。
「でも、ちっぽけな倫理観に負けちゃうから、こんな痛い思いしなきゃいけないのよ」
這っていた指が爪を立てる。あの鋼線はいくらでも生成できるのか、制服を易々と突き破り、
冷たい感触が背中の中に浸透してきた。噴き出した血液と嫌な汗が混じり、背中を伝っていく。
「いい声。耳では聞こえないけど、あなたの体が泣き叫んでるのが、こうしてるだけで私にも感
じられる」
神宮司の胸の膨らみが、制服を通して谷風の体に擦りつけられる。
「こんなに血まみれになってまで、私に歯向かいたかったのね」
首筋に付着していた坂峰の血液が、神宮司の舌で舐め取られた。耳元で囁きは続く。
「ねえ谷風さん。さっき坂峰さんにやったみたいに、私の首は刎ねないの?」
口を開くのも億劫だったが、虚勢を張りたい気持ちがそれに勝った。
「あれ、好きじゃねえんだよ……あと、お前は直接殴りたかったな、と……」
神宮司の喉から、くすりと声が洩れた。
「哀れね。喧嘩するにも女の子の力を借りなきゃならないなんて。こんなに弱い谷風さんがあの
二人を逃がそうなんて考えたのも、今にしてみれば笑えてきちゃう」
刃を伝って流れ出た血が、彼女の足元を真っ赤に染めている。色を失い輪郭のぼやけ始めた視
界に、その赤だけがひどく鮮やかだ。
「さっき、坂峰さんにマフラー買ってあげるって言ってましたよね。私にも、靴とソックスを買
ってくれませんか? この通り、ダメになっちゃいましたから」
そう言って神宮司は、足の爪を激しく動かす。
「眠らないで。まだ、あなたとこうしていたいの。――ねえ谷風さん、私の召使いになってくれ
ない? 私、あなたともっとお近づきになりたいの。欲しい物があれば何でも用意するし、基
本的な自由も約束する。それに気が向いたら、あなたが気持ち良くなれることだって、私がし
てあげてもいい」
上目づかいの潤んだ瞳が向けられる。
「返事は?」
「……一つ、頼みがあんだけど」
「なあに?」
「今度さあ、この店の鉄拳の難易度下げてくれるように言っといてくんない?」
頭部を後ろに引き、頭突きを見舞ってやろうとしたその時――
「神宮司さーん」
気の抜けるようなその声が耳に入った途端、意識を保つのがひどく面倒になり、谷風は目を閉
じてしまった。
152 名前: ◆ll4lON6OZk[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 18:47:26 ID:ROXLcOd2
二階のカラオケフロアからマイクを握ったまま降りてきた鷺ノ宮泉子(さぎのみやいずみこ)
は、階下の惨状に思わず声を上げる。
「あーあ……」
様子を見に来てみればこれである。あちこちで椅子やゲーム機が倒れている。床や壁にも無数
の黒点が穿たれていた。原因は定かではないが、平団員がそこかしこで伸びているのも気になる。
あの班長がやったのか、それとも別の誰かがやったのか。
「神宮司さーん」
特にひどい有様になっているプリクラコーナーのあたりで、目的の人物を発見する。彼女は誰
かを抱き止めていた。また流血沙汰である。血痕がそこかしこに散っていた。
「……何ですか先輩? せっかくいい雰囲気だったのに」
至高の爪を引っ込めながら、後輩が疲労感漂う返事をした。それまで蜂の巣にされていた男子
は、無抵抗で床に転倒する。
「もう止めてよ本当に。こういうの後で問題になるんだから」
「先輩こそ、仕事中にカラオケに参加する癖を直してくださいよ」
「いや~、こればっかりは、つい」
頭を掻きながら、改めて男子の安否を気遣う。
「怪我人は彼だけなの?」
「はい。命に別状はありません。もう一人出血してましたが、Aクラスだから問題ないでしょう」
血痕は三か所にあるのだから、あと一人被害者がいそうな気もしたが、追及してもはぐらかさ
れるのが分かり切っていたので止めておくことにする。
「ずいぶん抵抗したみたいね、彼」
普段ならまず使わない足の爪まで使っているようだから、それなりに苦戦したのだろう。しか
し班長のルックスと戦闘能力で学内でも知名度の高い神宮司班に歯向かう生徒がまだいたとは。
命知らずとまでは言わないが、なかなか無謀な少年である。
「ええ、少し危ない場面もありました。竜血で能力を底上げしていたとはいえ、かなり手こずら
されました。でもこういう人って凄い好みなんですよね。調教のしがいがありそうで」
少年が顔中血まみれになっているのは、竜血のせいか。確か一年にいた、白髪赤目の大人びた
子だったはずだ。
「そんなこと言うなんて珍しいねえ。一目惚れ?」
「みたいです。彼と抱き合ってる最中、少し下着を濡らしちゃいました」
相当気に入ったらしい。向こうにして見れば災難以外の何物でもないだろうが。
「とりあえず、救急車を呼んでおいてね」
「はい。ついでに店の人間にも事情を説明してきます」
こういう事後承諾ばかりだからどこへ行っても鼻摘み者扱いなんだろうな、と思いつつも、
鷺ノ宮は二階のカラオケコーナーにいそいそと引き返すのだった。
おしまい
最終更新:2010年01月22日 18:58