53 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/10/30(金) 21:03:56 ID:4iy5GWe2
3
『遅れたら、死刑だからっ!』
どこかで聞いたような秋月マリエの宣告どおり、翌日カヅキと小田は、まだようやく地平線が白み始めたばかりという頃に、寮の門を出た。
絶え間なく出てくる欠伸をかみ殺しながら、低血圧のカヅキは隣でご機嫌の小田を恨めしげに見やる。
(鼻歌なんぞ歌いやがって……)
わずか四時間の睡眠から起こされたばかりとは思えぬほどに、小田の歩みは快調だ。
始終だらしなかった身なりはこのところすっかり改善されて、あろうことか今朝は朝シャンまでしていた。
歩みに合わせて元気良く振る腕の指先にまで、生気が漲って感じられる。カヅキはジャケットの襟をかき寄せた。
春先とはいえ、まだ三月。薄暗い路地に二人の吐く息は白い。カヅキは小田を呼び止めた。
「――ちょっと待って。俺、コーヒーでも買ってくらぁ」
「んー。じゃあ俺、コーンポタージュ」
硬貨を受け取り、道の脇、街灯の下に白く浮かび上がる自販機へ小走りで寄る。
昨日、マジで死刑にされかけたカヅキも遅刻は避けたかったが、如何せん、今はカフェインの力がないとしんどい。
何より、血糖値を上げる必要があった。
「――ん? ……お前、何やってんだ?」
小銭を挿入口に差し込みかけたところでカヅキは、自販機の側面に凭れて寒さに震えている人影を捉えた。
「えっ? ――あ……、おわぁっ!」
カヅキが声をかけると、彼は弾かれたように道に飛び出した。何故か微妙に距離を取ってカヅキの前に立つと、聞かれてもいないことを一気にべらべらとまくし立てる。
「っや、やあ! これはこれは立花カヅキ、こんなところで会うなんて奇遇だねえ!
は? 俺? ……俺はあれだよ、あれ、……早朝トレーニング! そう、トレーニング、トレーニング……!
いやぁ、早起きは三文の得だって言うしね、俺はこうして毎朝校区を一周、走って回っているんだよ」
「……?」カヅキは怪訝な顔をして聞いていた。
確かに、目の前の男――高畑レイジは、オフにも関わらず、学園指定のジャージを上下、着込んでいる。
スニーカーに吸い込まれる足下を見ると、長身のためか、いささか丈の足りていない裾から出たゴムが、しっかりと靴の中まで伸びていた。
典型的“私服を見てガッカリ”なタイプだと見当をつける。しかし、そこはそれ、『※ただし……』の法則が発動。
ダサいなりにも、彼の立ち姿はそこはかとなく様になっていて、カヅキを苛立たせた。
54 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/10/30(金) 21:08:30 ID:4iy5GWe2
「カヅキーっ、どうしたん――って、げぇっ! お前は高畑レイジ!」
なかなか戻らないカヅキの様子を見に、小田が駆け寄ってきて、声を上げた。
早朝の散歩の一服を楽しんでいたらしく、咥えていた自家製紙巻をとっさに後ろ手で揉み消す。
「あわわ……っ、お、小田っ……!」
小田が加わると、何故か高畑レイジはこれまで以上に、目に見えて狼狽し出した。
挙動不審に目を泳がせて、聞こえよがしに二度ほど咳払いすると、貼り付けたような作り笑いを浮かべる。
「や、やあやあ、お二方! こんな朝早くから、一体どうしたね?
お前らのような自堕落な人間は、てっきり夜行性だとばかり思っていたが。今日はどちらかへ、お出かけかい?」
「お前に何か関係があんのかよっ」小田はいきなり喧嘩腰である。テンション高いことこの上ない。
「おお怖い。血の気が多いことだ。――にしても、お前らはよく飽きもせずに毎日毎日、変わり映えのしない阿保面を並べているね。
ひょっとしてあれかい? お前らはゲイかね? 実は、二人で朝帰りだったりするのか?」
高畑は、ようやくいつもの調子を取り戻しつつあった。鋭角的な顎のライン。鼻筋の通った美しい面の上で、レンズの向こうに輝く切れ長の両目を意地悪く細める。
今度はカヅキが応えた。
「嫉妬は嬉しいけどさ。あいにくだけど高畑、お前の求愛に応えるワケにはいかないんだよ。
俺たち二人は残念ながら、お前と違ってまったくのノーマルなもんでね。女の子が好きなんだ」
「な――っ! ……お、俺だってっ、マリエが好きだっ!」
「ええっ!?」
突然の曝露に、カヅキと小田はたじろいだ。二人がその言葉の意味を反芻する間もなく、眼前の高畑はまた元の木阿弥。
耳までを真っ赤にし、すっかり我を忘れて挙動不審男に立ち返る。
「――あっ! い、今のは……違うっ! いや、違わないけどそうじゃないっ!
じゃなくてっ……、く……っ、お、覚えてろっ!」
カヅキらに反応する隙も与えぬほど、機敏な動きで高畑は踵を返すと、朝焼けに彩られ始めた東の空へ向けて猛ダッシュ。一目散に駆け抜けて行った。
「……何だったんだ、あれは?」カヅキは呆然と遠ざかる背中を眺めた。
「わからんか、カヅキ? ――あれが、青春だよ。今回ばかりは、アイツに一本、取られたぜ」
小田は訳知り顔で、しみじみと言う。カヅキはあほくさくなって、何気なくポケットから携帯を取り出し、目を剥いた。
「小田っ! やべえ! 死刑になるっ!」
二人は慌てて駆け出した。高畑とは逆方向、学校の裏山にある秘密基地へ向けて。糖分を補給し損ねたカヅキの息は、すぐに切れた。
55 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/10/30(金) 21:21:14 ID:4iy5GWe2
*
高等部の敷地の外を、フェンスに沿って回りこみ、裏山へ分け入る。太陽がようやく空に顔を出した頃、約束の時間ギリギリになって、二人は秘密基地へと辿り着いた。
カヅキらは息も切れ切れ、肩には脱いだジャケットがだらりとぶら下がり、空き地へ足を踏み入れるなりその場にへたり込んだ。
早朝の時間制限付き登山マラソン。昨日、三人で歩いたときには一時間かかった道のりを二人はなんと、二十分で走破したのだった。
しかし――、
「……っ、……はぁっ、…………んのやろぉ」
秋月マリエの姿は、そこにはなかった。彼女は、遅刻していた。
怒り狂うカヅキ。必死に宥める小田。秋月マリエが姿を現したのは、約束の時間から、四十分が経過した後のことだった。
「ごめんっ! 本っっっ当に、ごめんなさいっ!」
彼女は単なる寝坊だった。その言い分によると、昨夜はこれから自分が成そうとしていることに関して、あれこれと考えてしまい、よく眠れなかったのだとのこと。
ゴキブリとカナブンの次に早起きが苦手なカヅキは憤慨した。そんなことが、理由になるか、と。俺の睡眠時間を返せ、と。
もちろんそれは、彼女が煽りに乗って反発してくることを想定してのものだったが、意外にも、秋月マリエは本当に申し訳なく思っている様子で、カヅキがどれだけ嫌味を言っても、控えめに顎を引き、聞こえないふりをしていた。
しおらしくなった彼女を見て、カヅキは思う存分、昨日のぱんつの一件によって受けた屈辱を晴らしたのだった。
しかし、彼の栄華はそう長くは続かなかった。相変わらずイマイチ内容の薄い会議を中断しての昼休みの後、秋月マリエは唐突に立ち上がり、言った。
「よし、今から、特訓をするわよ!」
卒業式当日までの土日二日間で、少しでもレベルを上げ、実戦に備えておく必要があると言うのである。
確かにそれは、至極真っ当な提案だった。この頃には彼女をいたぶることにも飽きていたカヅキは、腰を上げた。
これが、地獄の始まりだった。
この特訓でカヅキは、Aランクの秋月マリエとCランクの自分との差を、嫌というほど思い知らされた。
彼女の能力“エアコン”は、翳した手の平から先に漂う大気を、任意の範囲で、気温と気圧の両面においてコントロールすることができるというものだった。
足下に超小型の上昇気流を発生させて、宙高く舞い上がると、彼女は獲物を狩る猛禽のようにカヅキめがけて急降下した。
カヅキが慌てて飛び退き、振り返ると、そこにもう相手の姿はない。その時彼女はすでに上空で、次の襲撃体勢に入っているからだ。
「ぎゃああああああぁぁっ!」
それはさながら爆撃のような光景であった。カヅキは自身の能力を使うことはおろか、反撃すらできず、ほとんど相手の姿を捉えるのが精一杯で、山の中を縦横無尽に逃げ惑った。
太い枝などの下に身を隠そうものなら、カヅキの本気のストレートほどの威力のある空気砲が、容赦なしに打ち込まれる。
ほうほうの体で広場に出ると、今度はまた空襲。以下、ひたすらそのループである。
小田はリフィターであるため、戦闘はできない。彼は二人が織り成す地獄絵図には見向きもせずに、木陰で携帯を開きネット世界へダイブ。
作戦のために必要な情報収集と、プログラム作成に専念していた。
カヅキと秋月マリエの特訓相手はお互いしかいない。恐怖のマンツーマンレッスンは、夕焼けの空が赤みを失い始める頃まで続いた。
56 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/01(日) 15:01:25 ID:4iy5GWe2
*
そんなこんなで土日の二日間は、またたく間に過ぎた。カヅキは連日のしごきでへろへろになり、最後の方では、文字通り血反吐まで吐いていた。
しかし特訓の成果あってか、何とか、秋月マリエの猛攻撃の合間を縫って自身の“手”を発動。当たりはしないまでも、反撃に転ずるまでには進歩することができた。
卒業式当日の作戦に関しては、カヅキと小田の二人がほとんど独断で決めた。彼らは主に夜半、マリエのいないわずかな時間を用い、睡眠時間を削って協議を重ねた。
翌日になって、(ほとんど
決定事項の)案をマリエに提出。小田の巧みなおだて文句が功を奏し、彼女の承諾を得ることに、成功した。
「……ねえ、立花」
「んだよ」
満身創痍で土の上、大の字になって寝そべっていたカヅキは、眼前に広がる無数の星々を眺めていた。
砂金を散りばめたような夜空には相変わらず雲一つない。虫の音がかそけく響く山頂の澄んだ空気に、マリエの声はよく似合っていた。
「……いよいよ、明日だね」
「ああ」
「絶対……、やり遂げられるよね、私たちなら。……だって、こんなに、頑張ったんだもの」
「失敗なんか、できるかよ……」
「うん……」
きっと小田なら、もっと気の利いた台詞でもって、彼女をはげますのだろう。マリエは、不安なのだ。
わかっているのに、こうしてぶっきら棒な返事しかできない自分が、カヅキは何だかくやしかった。
小田はといえば、昼間からずっと岩場に背を預けて座り込んだまま、携帯を握った腕もだらりと垂らし、カヅキの知らないあちらの世界から戻って来ない。
マリエは言った。
「……ねえ、聞いていい?」
「何」
「あんた、知ってんだよね、ミドリ先輩のこと?」
「…………うん」
「……どういう関係なのかな、って、ちょっと、――ほんのちょっとだよ? ――気になったんだけど……?」
カヅキは起き上がると、右側にいた彼女に背を向けるようにして、胡坐をかいた。
「別に……、お前が思ってるようなのじゃねえよ」
「そう、なの……」
「そういうお前は、どうなんだよ? あの人のために、命まで懸けようって理由……、何か、あんのか?」
「うん……」返事だけして、しばらく彼女は後を続けなかった。やがて、思い切るようにして、言った。
「やっぱ、話しておくべきだよね……。小田くん、聞いてくれてるかな?」
「さあな」
小田は相変わらず、死んだように頭を垂れたまま、ピクリとも動かない。しかし、決して彼が死んでいるわけではないことを、カヅキは了解していた。
57 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/01(日) 15:04:31 ID:4iy5GWe2
「――私さ、これでも、結構なお嬢様だったんだ」
そう前置きして、マリエは語り始めた。
幼い頃、本土で暮らしていた自分。とある製薬会社の重役を務める父と、母の一人娘として生まれ、箱の中の大切な宝物でも扱うように、大事に大事に育てられた。
父は二ヶ月に一度、なかなか取れない仕事の休みを何とか確保して、マリエの行きたい場所へ、必ず連れて行ってくれた。
メイドはいたが、どれほど遅くなっても食事は必ず、母が作った。デザイナーとして起業していた母はイタリアンが得意で、彼女の作るパスタは、どんな有名店のものよりも美味しかったと、マリエは今でも思っている。
三人が揃う時間はとても少なかったが、マリエは幸せだった。穏やかな父と、優しい母。二人と過ごす家の中が、どんな場所よりも好きだった。
初めてマリエが、常人にない特殊な能力を発現させたのは、小学校の高学年に上がったときのことだ。
彼女の両親は、はじめそれを必死で隠そうとした。もし娘が能力者であることが世間に知れたら、どういうことになるかを知っていたからだ。
ある晩、深夜に水を飲もうと起き出したマリエは、一階の台所に響く父の怒号を聞いて、驚いた。それは今までに聞いたことのないような剣幕だった。
一緒にいたのは、母だった。彼女は涙の混じった金切り声を上げて、絶えず何事かまくし立てている。二人は喧嘩をしていた。
その時、マリエは階段の踊り場からクマのぬいぐるみを落としてしまった。去年の誕生日、父にプレゼントされたものだ。
マリエに見られていたことを知った両親はひどく狼狽した。母は涙に濡れる顔でマリエに近づくと、彼女をかき抱いた。痛いほどの力でもって。
それから数日後、秋月家を役人が訪れた。泣き喚く母。哀しげな瞳で自分を見つめる父。
二人に見送られ、役人に連れられてマリエは自宅を出た。それが、二人と過ごすことのできる、最後の時間だったとも知らずに。
「初めは、捨てられたと思ったんだ……。私が良い子にしてなかったから。きっとあの夜の喧嘩も、そのせいなんだ、って……」
「…………」
当時の自分に呆れてでもいるかのように、笑いを漏らすマリエ。カヅキは振り返ることができなかった。
彼女は続けた。
学園に編入した後、マリエは猛勉強をした。これまでの学校とは内容の異なる授業。理由もわからずにさせられる戦闘訓練。
それでも彼女は懸命にそれらをこなし、学年で上位の成績をキープし続けた。
(いつかきっと、お父さんとお母さんが迎えに来てくれる……)そう信じて、ひたすら良い子を演じ続けた。
しかし、一年、二年と月日が経ち、中学に上がっても、彼女の周囲は何一つ、変化しなかった。
両親は姿を見せない。過ぎていくだけの日々。変わらない、学校生活……。
マリエは、荒れた。心を閉ざし、誰にでもつんけんと、噛み付くような態度を取るようになった。
自然、周囲の人間は彼女を避けるようになり、マリエは、ひとりぼっちになっていった。
「……そんな頃、ミドリ先輩に会ったの」
美しい思い出を噛み締めるように、彼女は言った。
58 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/01(日) 15:08:57 ID:4iy5GWe2
*
中二の六月。昼休み、いつものごとくマリエは自身の能力を使って、立ち入り禁止となっていた屋上へと侵入。
じりじりと照りつける日差しの下、何者にも煩わされることのない、ひとりの時間を過ごしていた。
苦痛ではなかった。顔も知らぬ、本国の偉い大人たちの決め事によって、無理矢理に集められ、毎日顔を突き合せねばならないクラスメイトたち。
マリエには、彼らと協調して、共に楽しく過ごしていかなければいけない理由が、見つけられなかった。
「――こんにちは」
錆びた鉄が湿った空気を軋ませる重い音に、マリエは振り返った。自分と同じ制服に身を包んだ一人の女性が、閉まる扉を背に屋上へと出てきたところだった。
マリエは彼女の姿を見て、身を硬くした。
「……気持ちの良い所ね。ひょっとして、秘密の隠れ家だったかしら? だとしたら、お邪魔しちゃったかな」
フェンスを前に腰を下ろしていたマリエの隣まで来ると、彼女はそう言って、笑いかけた。
マリエは答えず、フェンスの真下、初夏の日差しを照り返して真っ白な無人のグラウンドを、じっと注視していた。
悟られぬよう、ちらりと目線だけを向ける。よりにもよって、厄介な相手に見つかってしまった。
三年A組、碧河ミドリ。この頃では、すっかり他人に無関心となっていたマリエでも、一目で見分けがついた。
中等部生徒会の書記を務める彼女。その有能さと知性溢れる柔らかな物腰は、一部の男子学生の間でも憧れの的となっていた。
何度か耳にした、クラスの連中が彼女について語っていたのを思い出す。その、思春期の下半身に滾る熱き血潮が溢れんばかりの内容は、マリエの表情を自然と嫌悪に歪ませた。
「……何か、用ですか」
決まっている。立ち入り禁止の場所に出入りしている自分を、捕まえに来たのだろう。
だからといって、別にどうということもない。マリエは思った。自分がどういう人間であろうと、ここに、顧みてくれる者など、いはしないのだから。
「んーん。実は、私も単なる息抜き」
そう言って、傍らのミドリは、薄桃色の頬にえくぼを作り、悪戯っぽく笑う。手を身体の前に組んで、ぐっ、と伸びをする彼女は、この上なくリラックスして見えた。
「ここは良い場所だね。――うん、立ち入り禁止にしとくには、もったいない。そう思わない?」
マリエはその様子を見て訝った。あえて友好的に振舞うことで、自分を篭絡させようとでも言うのだろうか……?
そう考えた彼女は、ミドリの語りかけに無視を貫いた。仏頂面を引っさげて、目の前に広がる街並みを睨みつけるように眺める。
――計算しつくされた、システマチックな景観。自分たちをかり集め、閉じ込めておくために作られた、都市とは名ばかりの、監獄の街。
だんまりを決め込むマリエを気にする様子もなく、ミドリは彼女に語りかけ続けた。
多忙な生徒会の仕事に対する愚痴。テストの結果が悪くて落ち込んだこと。育てていた向日葵の花壇が綺麗に咲いて嬉しかった、など――。
滔々と、何気ない世間話を続ける彼女の横顔は、打算や謀略などとはあまりに縁遠く見える。マリエは困惑した。
「――それじゃ、そろそろ行くわ。またね、秋月マリエさん」
結局、ミドリは校則違反には一切触れぬまま、屋上を去っていった。
相手に名前を知られていたことで、やはり自分の推測が正しかったのだと、マリエはより警戒を強めるよう自身に言い聞かせた。が、ミドリの放ったある一つの言葉が、彼女の思考をそこで引き留めた。
「“またね”、か……」
59 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/01(日) 15:19:21 ID:4iy5GWe2
それからミドリは、毎日、昼休みになると屋上へ来て、マリエの元を訪れた。
マリエは相変わらず頑なな態度を崩さなかったが、それでも、ひとりだったはずの時間を彼女と共有することを、拒まなかった。
「……別に、あなたを待ってるワケじゃないから」
毎度ミドリが隣に座って笑いかける度に、そう呟く。それが、彼女に対してのものなのか、はたまた自身に言い聞かせているだけなのか、マリエには次第にわからなくなっていった。
雨天で屋上に上がれない日などは、やきもきしながら窓の外を眺めている自分に気づき、混乱した。
そんな風にして一月余りが経ち、終業式の日。
昼前。屋上から見下ろす、校門に向けてまばらに歩みを進める学生たちの足取りは軽い。入道雲が悠々と空を行き、頭上から強く照りつける日差しは、彼らの気分をそのまま反映しているかのよう。明日から、夏休みだ。
にもかかわらず、長期休暇を前にしたマリエの胸中は複雑だった。そして、その理由にすでに思い至っている自分が、余計に彼女を憂鬱にさせた。
帰宅する学生の数が次第に減ってきて、そろそろ自分も帰ろうかと腰を上げかけたとき、背後で耳慣れた、扉の開く音がした。
「――あっ、よかったぁ。今日も来てくれてたんだっ」
息を弾ませてこちらへ向かって来るミドリの姿を、マリエは呆然と眺めていた。
「……どう、して……?」
「え? 何が?」
両手を後ろ手に近づいて来た彼女は、きょとんとした顔で、真正面から当惑するマリエを見る。その、何のてらいもない、深い翡翠の瞳。
「――えっとね、実は…………、じゃーん!」
言葉を継げられずにいたマリエの目の前に差し出されたミドリの両手には、手の平サイズの鉢植えが乗っていた。
「これ……?」
おろおろしているうちに手渡されてしまったそれに目を落とす。細い茎が方々に枝分かれするその先に、白い、小ぶりの花々が、いくつも天に向けて首を伸ばすように咲いている。
「綺麗でしょう? カスミソウっていうの」
鉢の影から顔を出すようにして、こちらを覗き込んでくるミドリ。その満面の笑みを、マリエはただ口を開けて見返すことしかできない。
「――繊細で、だけどどことなく力強くて……、あなたに、ぴったりだと思ったの」
「……どうして、……これを……私に?」
「どうして、って……、贈り物よ」ミドリは当たり前のような顔をして言う。
「だから何でっ!」
マリエが思わず大きな声を出すと、ミドリは少し困ったように眉根を寄せて、言った。
「だって私たち、もう、友達でしょう? 友達に贈り物をするのに、理由が必要?」
「……っ」
マリエは再び鉢に目を落とした。ミドリの顔を、それ以上見ていられなかった――ずっと、孤独だった自分。両手の鉢の上、粉雪のような花弁で、一粒の水滴が跳ねる。彼女は、自分が、泣いていることに気づいた。
涙で揺れる視界の中、土の覗く根元に、一枚の紙片を見つける。手に取って裏返したそのカードには、11桁の数字が記されていた。
「それ、私の携帯だから。いつでも連絡してねっ」
はっとして、マリエは顔を上げた。この人に、何かを言わなければいけない。そう思った。言いたいはずのことがとめどなく喉元に押し寄せて、そのはずなのに、口から出てくるのは、言葉にならない嗚咽ばかりだった。
その後、秋月マリエは後期の生徒会選挙に出馬し、見事当選。生徒会書記の任を碧河ミドリより引継ぎ、後に学園有数の才女とまで謳われる資質を如何なく発揮した。
これは余談であるが、二人の働きによって開放された中等部校舎の屋上は、現在でも、学生たちの憩いの場として人気スポットとなっている。
60 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/01(日) 19:11:21 ID:4iy5GWe2
*
「……うっ、……うぅぅ…………っ」
「…………はぁぁ~」
カヅキはさもめんどくさそうに、わざと聞こえるように溜め息をつくと、隣の小田を見やった。
先ほど、秋月マリエを女子寮区の前まで送り届けて以来、ずっとこの調子である。
「なんて……、なんて良ぇ話なんやぁ……。おじさん……おじさんもう…………っ、うわああぁぁぁぁん!」
「ああぁっ、もうっ! うっぜえな! 何がおじさんだよこの糞眼鏡っ!」
結構本気で後頭部をどつかれた小田は、もんどりうって前方へよろめきながらも何とか体勢を持ち直した。
「何すんだよぅ……」と鼻づまり気味の嗄れ声で、振り返りざまに涙で潤んだ異様に大きな両の眼をぎょろりと夜闇に光らせる。カヅキは思わず身震いした。
門限までにはまだ少し時間があるが、明日からに新しい週の始まりを控えた路地に人気はほとんどなく、左右に立ち並ぶ寮棟も、それぞれの窓に明かりは窺えるものの森閑としていた。
彼らの進む先には、これから帰る男子寮と、学園しかないので、通りかかる車も滅多にない。二人は並んで車道の真ん中を悠々と歩いていた。
「……なあカヅキ、俺は決めたぞ。この作戦、何が何でも成功させる!」
「ああ、それは良いんだけどさ。っていうよりも――」ようやく泣き止んで、しかしまだ微妙に鼻にかかった声音で毅然と夜空を見上げる小田を、カヅキは呆れて眺めていた。
「――お前、聞いてたんならそう言えよ。ったく、趣味悪ぃな……」
「別に、盗み聞きしてたワケじゃねえよ。それに、俺だって聞く権利のある話だったろ? 単に、口挟むタイミングがなかっただけだ」
「そりゃそうかもしんねえけどさ……。っていうか、お前――」
「んだよ?」
アスファルトの路面では、街灯に照らし出された二人の影が、進む度に伸び縮みしながら彼らの周囲を回っている。カヅキは思い直して、かぶりを振った。
「……やっぱ、何でもねえ」
「はぁ? 意味わかんねえ奴だな……」
とは言ったものの、小田はさして気にした様子でもなかった。何を訊こうとしていたのか、実は自分の中でもよくまとまっていなかったカヅキも、それ以上は何も言わず、お互い無言のまま寮までの道を歩いた。
61 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/01(日) 19:14:00 ID:4iy5GWe2
寮に戻り、順番にシャワー浴びて寝支度を整えると、彼らは二人部屋で椅子を向き合わせ、作戦の最終調整に入った。
しかし、数度に亘って繰り広げられた協議により、お互いが必要事項をしっかり網羅していることを、二人はすでに了解済みだったので、それはただの確認にしかならず、ほとんど儀礼的なものとして、さして時間もかからずに終わった。
残る時間を活用すべくは、体力の温存のみ。二段ベッドの上と下に潜り込み、電気を消す。
カヅキは仰向けになったベッドの上で、足元の壁にある、閉じられたブラインドの向こうに存在する景色を思い浮かべていた。――決行は、明日。あの窓の向こうが明るくなる頃には、自分は、この島全体の敵。こうして穏やかな夜を迎えられるのは、これが、最後かもしれない。
髪も乾かさぬまま、ほとんど下着姿で布団もかけずに寝そべっているのに、身体は火照るばかりで一向に眠気が来ない。手の平や足の裏が汗ばんで気持ち悪く、彼は何度も寝返りをうった。心臓の音とは、果してこんなにもはっきりと聞こえるものだったのか。
一人で目を閉じていると、様々な考えが濁流のごとく頭の中を行き交う。本当は、全部嘘だったんじゃないのか。自分たちは単なるデマに踊らされて、妄想を膨らませていただけ。碧河ミドリは明日この学園を卒業し、本土に戻って希望の職に就いて、幸せな生活を送る――全ては取り越し苦労だったのでは……、
「――おい、阿保眼鏡」脚を上げて上段の裏側を蹴ると、「うぉっ」という声とともに、上方で小田がどすんと跳ねる。
「……何だよ、阿保カヅキ…………。今は眼鏡もかけてねえし……。寝かせてくれよ」
「寝てねえのは、わかってんだよ。いつもは五分も経ちゃ馬鹿でかい鼾が聞こえてくるのに、今日はとんと静かじゃねえか」
「何か用かよ」鬱陶しそうに応じる声。カヅキは真上にいる小田を感じながら、上段ベッドの裏側を睨んでいた。
「…………なあ、小田。これは、俺たちの夢なんじゃないのか……?」
「はぁっ? 何言ってんだお前」
素っ頓狂な声を上げる小田に、カヅキは考えていたことを、そのまま淡々と打ち明けた。
「い、いやいや……。現実逃避したい気持ちもわかるけどさ。――カヅキ、マリエさんの情報を俺に確かめさせたのは、お前だろうよ。
明日俺たち三人が動かなけりゃ、碧河先輩は確実に、本土の連中の実験動物にされちまうんだ。……まさか、今さら怖気づいたなんて、言わねえよな?」
「……そんなんじゃ、ねえよ」小田の問いから逃れるように、カヅキは上段から目を背けて、壁の方を向いた。
わかっている。自分は土壇場になって、目の前の現実にビビっているだけなのだと。誰かに嘘だと言ってもらい、ほんの束の間でも安心させてもらいたかっただけの、甘ったれだ。
62 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/01(日) 19:16:13 ID:4iy5GWe2
「なあ、小田」
「何」
特に、言うべき事があるわけでもなかった。しかし、とにかく今は、まだ一人に戻りたくない。カヅキはしばらく思案して、口を開いた。寮へ帰る途中、小田に訊きかけてやめたこと。
「お前、本当にあの女――秋月マリエが好きなのか?」
「当たり前だろ」
即答だった。カヅキはしばらく面食らっていたが、相手の強い口調に込められた意味を理解してもなお、納得がいかない。
これまでずっと、不思議だった。学園都市全土を敵に回すほどの大事を、小田は二つ返事で快諾し、今になっても文句の一つすら零さない。
それは真実、ひとえに秋月マリエへの想いからなのだろうか。
「でも――」
「俺はな、カヅキ」口を開きかけたカヅキを遮って、小田が言った。
「俺は、お前やマリエさんとは違って、この学園に入れられたとき、……正直嬉しかったんだ」
「え……」
「……俺さ、こっち来たの、中二ん頃だろ? それまでは本土の実家暮らしで、学校も普通の公立通ってたけど、全然楽しくなかったよ。
マリエさん家みたく仲良し家族ってわけでもなかったし――別に、それが不満だったわけでもねえけど――学校行ってたって、毎日毎日同じことの繰り返し。
当たり前で、普通で、俺はそんな大多数の内の一人でしかない。……正直、うんざりしてた」
小田が、こんな風に自分のことを話すのは、初めてだった。カヅキは無言のまま、先を促した。
「なんて言うかな、……アレだよ、いわゆる、何とか病ってやつ? ――周りの連中ぜーんぶ見下してよ、“俺はこんな、くだらない奴らとは違う”とか、思ってたんだ。
“きっと自分には、他の誰にもない、何か、特別なものがあるハズだ”なんて……、根拠なんか、何一つありゃしねえんだけどな。――寝たのか、カヅキ?」
「起きてるよ」
「――だから、自分が超能力者だって知ったときは、そりゃ嬉しかったさ。やっぱり俺は、特別なんだ、そう思った」
63 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/01(日) 19:19:45 ID:4iy5GWe2
カヅキには、小田の気持ちがわからなかった。小学校を入学するかそこらでこの島へ送られた自分。まともに物が考えられるようになった頃には、カヅキはすでに、“普通”の欄外にいたのだ。
とくに反応を見せないカヅキを気にするでもなく、小田は続けた。
「でも、やっぱり違った。こっちに来てみりゃ、特別だと思ってた奴らは俺のほかにもゴマンといてよ。しかもご丁寧に、全員がAからEまでランク付けまでされてた。
その上俺はCランク。Cだぜ、笑っちまうよな。無能の雑魚でもなけりゃ、別段使えるワケでもねえ。何もかもがそれなり、ごくごく普通のCランク様ってことだ。
――結局俺は、どこへ行ったってその他多勢でしかなかった」
ほとんど愚痴のようになってきた小田の話を、カヅキはしかし、口を挟まずにじっと聞いていた。目の前の壁を睨みつけながら思う。もしかしたら自分も、同じようなことを感じていたのかもしれないと。
「学園生活だって変わらねえ。それどころか、本土の方がマシだったくらいだ。……島を出るなに始まり、あそこへは行くな、アレはするな、コレをしろ、ってよ。
何から何まで規制規制……。憂さ晴らしと言や、お前とカンニングの算段することぐらいだ」
上段ベッドから身を乗り出し、真下にいたカヅキに向けてひょっこり顔を出す。不敵に笑んだつもりだろうが、伸び放題の髪をばさりと垂らす逆さまの顔は妙に間抜けだ。慣れぬ者にはホラーだろうなと思いながら、カヅキは笑みを漏らした。
「悪かったな、退屈しのぎにもなんなくてよ」
「まったくだ。――よっと」言って、小田は二段ベッドから飛び降りた。すと、と軽やかに着地すると、見慣れた猫背の後姿は、カヅキの視界を横切って窓辺に立つ。
彼がブラインドを上げると、欠け始めたばかりの月明かり入り込み、部屋の中を青白く照らした。
「……だから、あのメールが来て、マリエさんに会ったときは、衝撃だったな……。これぞ天啓、って感じだった。
初めの夜に対面した瞬間、俺にはマジで彼女が女神に見えたね。言っとくが、かなりマジにだぜ?」
言って、カヅキの方を振り返る。逆行で真っ黒にしか見えない彼の姿から、ヤニで黄ばんだ並びの悪い前歯だけが、暗闇にくっきりと浮かび上がる。
中指で返事をしながら、カヅキにも、今なら少しだけ、わかりかけていた。
きっと小田は、イラついていたのだ。自分の周囲に張り巡らされている、上端の見えないひたすら高い壁のような存在に。
はっきりと感じられるのに、姿はぼんやりと曖昧で、にもかかわらずしっかりとした威圧感をもって、自分を狭い場所に閉じ込めているもの。正体不明の、敵の存在。
小田は、戦いたかったのだ。そう思う。そして、きっと自分もそうなのだと。しかしどうすれば良いのかがわからなくて、ずっとイライラしていた。鬱屈は募るばかり。握り締めた拳を、いったいどこに向けて打ち込めば良いというのか。敵はどこだ? その答えを――、
「マリエさんが、教えてくれたんだ……。お前のクソッタレな人生を、一瞬だけでも輝かせるチャンスが、ここにあるぞ、ってな。
そう思ったら――」
「…………ら?」
「結構、懸けても良いかもなって、命」
今度は身体ごとこちらに向き直り、鼻をすんと鳴らして照れくさそうに笑う小田。
そんな彼を見てカヅキは、何てくさい奴なんだ、とは思いながらも、何となくからかう気にはなれずに、一緒になってへへへと笑った。
64 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/01(日) 19:21:25 ID:4iy5GWe2
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閉じられた瞼の向こうが白んできたのを感じて、カヅキは起き上がった。開けっ放しのブラインド。窓の外では鳥の鳴き声が微かに聞こえる。前に立つと、街の景色の向こうのさらに遠方、僅かに覗く水平線が、金色に輝いているのが見えた。
始業には、通常通り学校へ行く手筈だ。二段ベッドの向かい、二人の勉強机が並ぶ真上の壁に設えられた時計を確認すると、まだ一時間ほど余裕がある。
カヅキは構わず洗面所へ行き、歯を磨いて顔を洗った。鏡に映る濡れた自分の顔は、いつも通り。問題なし。
(いよいよ、これからだ)
結局、僅かでも眠れたのか、それとも一睡もできなかったのか、判別がつかないような状態だったが、それでも、気だるさは少しも感じない。カヅキは両の手の平で頬を一度、強く打つと、寝癖を直し顔を拭って着替えを始めた。
破れかけていた靴下をゴミ箱へ放り、買い置きの新品を取り出す。いつもはボタンすらとめるのが面倒なシャツも、きっちりとズボンにしまい、ネクタイも首元までしっかりと締める。今日は、特別な日だ。
玄関前の姿見で最後の身だしなみチェックを済ませると、カヅキは眠る小田を起こさぬよう、静かに扉を開けて、外へ出ていった。
「…………グッドラック、相棒」
閉じた扉を最後として、再び明け方の静寂が戻った二人部屋に、小田の、嗄れ声が残された。
最終更新:2010年01月22日 19:25