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したらばSS作品 ◆CPEWI1EVik 4

65 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/04(水) 19:14:15 ID:4iy5GWe2

4


三月十二日、月曜日。
時刻はまだ午前七時前。校門にはすでに、今日が卒業式であることを告げる立て札が掛けられていた。
厳粛な毛筆の縁を、桜を模った造花が囲っている。それらは頭上の門のアーチをも装飾し、まだ色素の薄い朝の空気に華やかな彩りを加えていた。
カヅキは校舎へ入ると、まっすぐ職員室へ向かった。
教員たちは、すでにほとんどが登校している様子で、持ち主たちの個性豊かなデスクが雑然と並ぶ室内では、式典用の正装に身を包んだ大人たちが忙しそうに立ち働いている。
たまたま入り口の近くにいたクラス担任を呼びつけると、カヅキは園芸用具入れの倉庫の鍵を所望した。
担任は、カヅキがこんな時間から登校していることに、まず驚いた様子で訝しげな顔をした。しかし、カヅキが毎日中庭の花壇を世話していることを彼は知っていたので、日頃の生活態度を鑑みての多少の皮肉は言いながらも、渋る様子もなくあっさりとそれを持ってきた。
鍵を受け取り、昇降口へ舞い戻ると、カヅキは靴を外履きに替えて中庭へと向かった。登校する学生たちの姿はほとんどない。職員室でちらほらと制服姿を見かけたが、あれは、卒業式を取り仕切る生徒会の連中だろう。
無人の中庭は、まだ少し薄暗かった。昇り始めたばかりの朝日は、校舎に遮られて窓越しにしか届かない。地面を啄みながら雀が数羽、ちゅんちゅんと鳴き交わしている。それ以外に聞こえるのは、敷石を踏む、硬質な自分の足音だけ。
花壇の前に立つ。しっかりと蕾を開けているものは、まだ半数ほど。もう一週間遅ければ、きっと素晴らしい眺めだったろう。
カヅキは、倉庫から取ってきた鋏を片手に、朝露で葉を湿らす草花の間を分け入った。踏んではいけない場所を、慎重に見きわめながら。もう、慣れっこだ。
しゃがみ込んで、虫を取ったりしながらそれぞれの苗を吟味する。カヅキは思い出していた。昨夜、秋月マリエや小田と話したこと――、
(結局、どいつもこいつも、そう変わらねえんだな)
自分ではどうにもできないどん詰まり。乗り遅れたバスに取り残されるような孤独感。救い上げて、新しい世界を見るきっかけをくれた、大切な人。その人のために、何かをしたいという、想い。
カヅキはつ、と脇に目をやった。表面に光沢のある陶器のブロックで縁取られた花壇の隅、ちょうどその辺りに、彼女はいた。
碧河ミドリと、初めて出会った場所。それが、この中庭だった。

昨年春。そろそろシャツの上にブレザーを着るのが暑苦しく感じられるようになってきた頃。高畑レイジをボッコにしてしまった武闘大会での一件から、まだそう経っていない時分のことだ。
カヅキは例によって罰則として、一週間、中庭の花壇の世話を言いつけられていた。全校生徒、強制参加の校庭の草むしりを、サボって屋上で寝ていたのがバレたのだった。
そこに、碧河ミドリが現れた。たまたま通りかかった彼女は、ぞんざいなカヅキのやり方を黙って見かねたらしく、突然彼に近づくと、自己紹介もそこそこに、花の世話についての解説を始めたのだ。
赤の他人であるカヅキの目を真っ直ぐに見て、言葉も意思も持たない単なる植物について熱を込めて語る彼女を、カヅキはおかしな人だ、としか思えなかった。
その頃の彼は、とにかく無気力、無感動。常に、背にべっとりと、重いアメーバが張り付いているような億劫さを抱えて、どこかへ行こうにも、何をするにでも、気だるい気分を引き摺っていた。
別に、五月だからというわけでも、低血圧だからというわけでもなかった。確かに当時カヅキは、学年内でも有数の劣等性としてその名を馳せてはいたが、何もちっちゃな頃から悪ガキで、15で不良と呼ばれたわけでもなかった。
学校生活へのやる気と活力を奪う、正体不明の見えないアメーバは、中等部を卒業し、高等部へと進学したあたりから彼に取り憑き、徐々にその心身を蝕み始めた。
厄介なのは、原因と呼べる原因がとくに思い当たらないことである。
そのアメーバは、ちょっとしたこと――学食のうどんに見知らぬ誰かの髪の毛が混入していたり、廊下で後ろからスリッパを踏まれ、こちらは危うく転倒しかけたのに踏んだ本人が気づかずに素通りして行ったりと、そうしたこと――をきっかけとして、じゅくじゅくと取り憑いた背からカヅキの体内に侵食していき、腹の底で気持ちの悪い澱となって溜まっていった。

66 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/04(水) 19:15:50 ID:4iy5GWe2
きっとその、溜りに溜まったじゅくじゅくの澱をどうにか発散させんとして、自分は高畑に襲いかかったのだろう。何となく、カヅキにはそんな風に感じられた。
しかし、いくら日頃から気に入らなかったモテ系優等生をぶちのめしてみたところで、アメーバは宿主として選んだカヅキを大層気に入ったらしく、彼の身体から離れてはくれなかった。
かといって、こうして愚直に花の世話をし、刑に服していても同じこと。高畑には今でも多少の罪悪感はあるものの、校則を破り、行事をぶち壊したことには、何ら反省の念も沸かなかった。
してしまったことへの償いは、当然すべきである。しかし、それを自分に課しているものの存在が、どうしても、カヅキにははっきりと見えなかった。周囲を取り巻く、輪郭の曖昧な枠。どうして、自分はその内側にいるのだろう。何故、それを守らなければならないのか。
そんなことを考えると、腹の底に溜まった例の澱が、ずくりと蠢いてまた重みを増すような気がする。カヅキはいよいよ何もかもが億劫になって、散らかった頭の中身を一掃しひたすら空虚に努め、黙々と、機械的に作業をこなしていたのだった。
だからその時、ミドリの説教に対しても、カヅキはいかにも面倒くさそうに、顔も合わせずはいはいと適当にあしらっていた。そんな彼とでは、それ以外の会話など試みたとて、弾みようがない。ミドリは一通り言いたいことを言い終えた様子になると、それでも不機嫌そうな素振りも見せず、カヅキに別れを告げて、中庭を後にした。
ようやく開放されたとでもいうようにカヅキが一息ついて、自分もそろそろ帰ろうと片付けに取り掛かったとき、背を向けたはずのミドリが、小走りに戻ってきた。
「ねえっ。これって、あなたの物じゃない? ――落ちていたのを、拾ったのだけれど」
差し出された手には、一枚の紙片。それは、例の押し花だった。
「ああ……どうも」言って受け取ろうとし、カヅキはその手を止めた。
ミドリは、両手に持ったカヅキの押し花に、うっとりしたような視線を落としている。
「これは……スミレね。とても、綺麗な押し花……。――どなたからかの、贈り物?」
「……母が、持たせてくれたんです。この学園に来る前に」
「そう……」
彼女は手元の紙片に目を落とし、翡翠色の眼を愛おしげに細めた。
大切そうに両手で持って、それをカヅキに手渡すと、彼女は言った。
「スミレの花言葉は……、“誠実”」
「えっ」
「きっとお母様は、あなたを、とても愛しておられるわ」
碧河ミドリと会話を交わしたのは、それが最後だった。その他に、彼女とコミュニケーションと呼べるものを交わしたことは、今になるまでない。
しかしカヅキは、その時のミドリの笑顔を見てしまったのだった。彼は、彼女と別れるなり、すぐさま職員室へと取って返した。
そして自分に花壇の世話を命じた担任を呼んで宣言した。今日からあの花壇は、毎日、自分が世話をすると。

カヅキは立ち上がった。腰に手を当て、うんと伸びをする。片手には、切り取った花々。最も綺麗に咲いていたものを厳選したそれらを、用意しておいた包装紙を取り出して、大切に包む。
仰ぎ見た空は、いつの間にかすっかり青みを帯びて、周囲の校舎から、若々しい喧騒が届き始めていた。
「ミドリさん」
花束に目を落とす。それぞれの茎の頂上に、天に向かってしっかり開く、暗闇を照らすランプみたいな、赤と黄色の花弁。てらいのない、まっすぐなその色が、カヅキは一番、好きだった。
「俺は、この花に、誓います」
不感症だった自分に、美しいものを、美しいと、感じるちからを、くれた人――、
「あなたを、必ず、助けると」

67 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/04(水) 19:50:25 ID:4iy5GWe2
 *

午前十時。窓の向こうに見える体育館の中に、式の開始を告げる司会の声がこもって、わずかに漏れ聞こえてくる。
数ヶ月前に、三年生と代替わりしたばかりの新生徒会長。知り合いの同級生の緊張した声音を聞いて、どうしてだか、少しだけ、自身の緊張が和らぐのを感じる。
秋月マリエは、屈んだ姿勢から上体を伸ばし、外の様子を窺った。
室内に差し込む日は澄んでいて、ぽかぽか暖かい。こうしていると、ともすればうとうとと眠りこけてしまいそうだ。
彼女は、眠気と連日の疲れを振り払うように、強く瞬いた。
自分の出番は、まだ先だ。だが、決して、油断してはいけない。チャンスは一度。失敗は、許されないのだ。
潜んでいる場所。窓際の壁とデスクの間から顔を出し、室内の様子を窺う。
東館二階、職員室の隣、来客用の応接室。
分厚いガラステーブルを中心として、向かい合わせに据えられた革張りのソファー。奥の扉の向こうからは、物音も、人の気配も一切感じられない。
校内の人間は、大半がこぞって体育館に集まっているハズだった。残っていたとしても、ほとんどは能力を持たない、事務員などだろう。
言い方は悪いが、自分にとっては取るに足らない、障害とも呼べぬ連中だ。
全身を耳にして、絶えず周囲に気を配りながら、マリエはもう一度、窓の向こうに意識を傾けた。
今、あそこにいるはずの碧河ミドリは、いったい、どんな気持ちでいるのだろう。目の前に手に入りかけていた夢を唐突に奪われ、国家に身を捧げよと言われるままに、否応なく、これからそれに向かおうとしている彼女。
(……待っててね、先輩)
マリエは固く拳を握り締めた。本当なら、自分も今頃あそこで、胸いっぱいの祝福をもって、彼女を送り出していたハズなのに……。
目を閉じて、浅く息をつく。今、熱くなってはいけない。どの道、怒りを発散させる瞬間は、すぐに訪れるのだから。

68 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/04(水) 19:54:11 ID:4iy5GWe2
作戦は、ごく単純な陽動だった。式が終わりを迎え、退場が始まった瞬間を狙い、マリエは今いる場所から体育館の窓を空気砲でもって一斉射撃。徹底的に打ち破る。
全校生徒がひしめき合いパニックに陥る会場。警備の風紀委員がマリエの方に注意を取られている隙を狙って、普通に出席していたカヅキは能力を用いてミドリを誘導。合流の後、彼女を攫って校外へ脱出するというものだった。
マリエには、まったくわからなかった。きっと、立花カヅキや小田も、同様だろう。果たして、こんな作戦が成功するのか。勝率はいかほど?
ひどく安直で、単純すぎる気もする。が、たしかに、能力者が数百人と集った会場への突然の奇襲なら、いかに強者揃いの風紀委員や自警団といえど、とっさの対応はできかねるのでは、という気もしていた。
(どっちにしろ……)マリエは考えるのを止めた。結果の安否を気にかける必要などない。いずれにせよ、自分たちには選択肢などないのだから。“勝つ”という、選択肢以外には。
ポケットで携帯が震えるのを感じる。開いて見ると、小田からだった。立花カヅキとマリエへの一斉送信でのメール。
『いよいよだなー。ま、安心しろ。俺様のバックアップがあれば、楽勝だぁ』
語尾に添えられたポップなデザインの絵文字――ピースサイン。強張った身体から、余分な力が抜けていくのを感じる。
マリエは同じように、二人に向けて短いメールを打った。送信ボタンを押した直後、新たな着信。立花からだ。
『勝とう』
それだけ。句読点すらない素っ気なさに、それでもなんとなく、彼らしさが窺えて、マリエは苦笑した。
その時だった。彼女が潜んでいたデスクの向こう、応接室の廊下に面する扉が、勢いよく開かれた。

69 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/07(土) 00:59:20 ID:4iy5GWe2
 *

頬から鼓膜に伝わった乾いた衝撃に、立花カヅキは、薄目を開けた。視界がぼやける。揺すられた脳が、不快に呻く。
「――花っ、立花!」
急き立てるような、聞き覚えのある声。色恋にとんと縁のなかった自分が、ここ数日で急激に耳慣れた、女の声。
「目が覚めたか」
そう言って目の前に立ったのは、脳裏に浮かびかけた人物とは別の、男だった。
「……高……畑…………」
輪郭がぼやけて、焦点が合わず、シルエットと声だけを頼りに呼び起こしたのは、意外な名前だった。
どうにもトロンと、暖かい沼の中に身体が沈んでいくような感覚で、何故だかそれが妙に心地よく、しかし、委ねていたい意識の片隅で、何かがしきりに、訴えていた。シャキッとしろ――、
「シャキっとしれぇっ! このウスノロっ!」
「――あ、秋月っ?」
鼓膜をつんざくような叱咤に、左側に目を落とすと、先ほどまで自分に呼びかけていた相手の顔があった。
その切迫した表情に、カヅキの中の何かがまたもや疼いた。身を起こそうとすると、ピン、と両腕を引っ張られる。彼は自分が、殉教者よろしく磔にされていることに気づいた。
「気分ははっきりしてきたかな? この度、劣等性からテロリストへと見事昇進を果たした、立花カヅキくん」
いまだにゆらゆらと水面のようにゆらめく視界の中で、自分を見下ろす相手を睨みつけながら、カヅキは必死に、状況の把握に努めていた。
(ここは……)
おそらく、特別教室棟のどこかだろう、古めかしい書物や教材がそこかしこに積まれている。かび臭い空気。左側の窓から差し込む光が、舞う埃をちらちらと照らしている。
目の前にいるのは、高畑レイジと、他二人。そいつらも、高畑と同じく、胸元に風紀委員のバッヂを光らせている。
(俺は……)
カヅキは思考を巡らせた。卒業式に出席していたはずの自分。在校生の列の中、席に身を納め、内に秘めた想いをひた隠しにすまし顔で、彼は式が滞りなく進行するのを見届けながら、その時が来るのを待っていた。
証書授与に始まり、送辞、答辞。式辞紹介だの、校歌斉唱やら。一連の流れが、カヅキには、軽率な芝居じみた茶番にしか見えなかった。
国家の政策だか方針だか、そんな得体の知れないもののために、一人の罪なき少女の未来を奪おうとしている。教育などと、聞いて呆れる。そんな学校に、何の教えを請えと? お世話になりました、だ? ふざけるな。
(ぶち壊してやる……)
そして、いよいよ作戦決行のとき。卒業生退場の瞬間がやってきた。晴れやかな曲調のピアノ伴奏をBGMにして、担任教師に先導されて卒業生たちが進んでくるのを見ながら、カヅキは通路側の席で起立し、秋月マリエの“合図”を待った。
しかし、どうしたことか、“合図”はなかなか来ない。カヅキは訝った。自分の前を、3年A組の生徒が通過して行き、退場を終えると、いよいよ碧河ミドリの在籍する、B組の一団が迫ってきた。
どうなっている……? カヅキは焦った。このままでいけば、自分の真横をミドリが通過する瞬間が、おそらく最後のチャンスとなってしまう。
計画に変更があったのだろうか。否、そうは思えない。全校生徒が起立して一所に注目している今では、携帯で連絡を交わすことができない。目立ちすぎてしまう。
このタイミングでの作戦変更など、あり得ないのだ。
何が起こっているのかもわからぬまま、呆然と立ち尽くすカヅキの目の前を、卒業生たちは次々と横切っていく。碧河ミドリが通過したときも、彼は、それを歯噛みしながら見ていることしかできなかった。
いよいよ卒業生は全員が退場を終え、式は、無事に終了してしまった。
館内に立ち込めていた緊張感が解け、喧騒にまみれる。生徒に指示を送る教員の事務的な声が響く。すべてが自分を切り取った別世界での出来事のように感じられる。解散を始める在校生たちに揉まれながら、カヅキは慌てて携帯を取り出した。コールボタンを押し、焦れながら応答を待つ。
電話の向こうに、自分と同じぐらいに狼狽する小田の声が聞こえたと思った瞬間――首筋に鋭い痛みが走った。

70 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/07(土) 01:12:46 ID:4iy5GWe2
 *

「……なあ、秋月。俺たちは、何でこんなところにいるんだ。どうなってる?」
カヅキは首を捻って、左隣の秋月マリエを見下ろした。両腕が、これでもかというほど左右に開かれていて、体勢がひどく窮屈だ。背後の戸棚の支柱に硬く結び付けられた両の手首は、ロープがきつすぎて指先が痺れている。
その、カヅキの左手が縛られている支柱の真下に、マリエはいた。同じ支柱に両腕を後ろ手に縛られ、床に腰を下ろしている彼女は、頑なにカヅキから顔をそらして、涙声を上げた。
「“どうなってる?”じゃないわよ! この愚図。アホ。トンマ。間抜け。毛虫!」
「何でしりとりだよ……」
彼女の悲嘆ぶりだけでも、かなり状況が悪いということは察せられる。というか、二人とも、作戦開始も前に、見事に捕まっているのだった。一目瞭然である。
「どうしてこんなことに――」
「こうしてだよ」
がっくりと頭を垂れたカヅキの眼前を、正面から差し出された紙片が遮った。
カヅキは目を上げた。正面の高畑が意地悪く笑んで、手に持った紙片に顎をしゃくる。
「……つけてやがったのか」
その写真には、カヅキ、マリエ、小田の三人が、例の裏山の秘密基地で、車座になって談合している様子が、おそらくかなり遠くからだろう、ズームのしすぎでピントがぼやけているものの、たしかに、映っていた。
「いやはや……、一昨日の朝、ばったり出くわしてしまった時は、さすがに肝を冷やしたけどな。
 お前らが馬鹿だったおかげで、こっちは大助かりだよ」
まったくだ、とカヅキは思った。自分は、どこまで馬鹿なのだろう。どう見たって、あの時、高畑は様子がおかしかったではないか。何故、気づけなかったのか。
「卒業式でテロ行為とは……、馬鹿なことをしたもんだな、立花。――さて、どうせ小田も噛んでいるんだろ? 奴の居場所も吐いてもらおうか」
答えず睨みつけるだけのカヅキに、高畑は苛立つ様子も見せず、人差し指と中指で挟んだ写真を気障ったくひらひらと弄ぶ。
「残念ながら、お前の目的ももう、わかっている。いたいけな少女を救う正義のヒーローごっこは、楽しかったか?」
「…………犬が」カヅキは吐き捨てた。
途端、顎を掴まれ、乱暴に顔を上げられる。カヅキは顔を顰めた。上体が引っ張られて、縛られた腕が軋む。
「勘違いするなよ、屑野郎。お前のしていることは、紛れもなく、悪だ」
細い眼鏡の向こうの双眸には、カヅキに対する、隠し切れない憎悪の念が、ありありと窺えた。
「言え! 小田は今、どこにいる!」
「……っ、知るか……ばーか」
絞り出した余裕は、みぞおちに埋まった重い衝撃によって、一瞬にして霧散した。カヅキは蹲ることもできずに、目に涙を一杯に溜めて、喘いだ。
満足に呼吸も整わぬうちに、次なる一撃。内臓がひきつけを起こしたように暴れる。強烈な痛みとともにせり上がってきた胃液を必死に飲み下す。その場にへたり込んでしまいたいのに、身体の自由を一切奪われているカヅキは、咳き込みながら、それでも懸命に、高畑を睨み続けた。
高畑は息もつかずに再びカヅキの首を強く掴むと、挑みかかるように顔を寄せる。
「犬はどっちだ? 吠えているのは、お前じゃねえか」
カヅキは応えない。身動きできぬまま痛みに耐え、じっと、相手の敵意をまっすぐに受け止めていた。

71 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/07(土) 01:19:00 ID:4iy5GWe2
「すこしは状況を見たらどうだ? お前は負け犬で、この学園における法の執行者たる俺が、正義であり、絶対的な勝者だ。法に背けば、それ即ち悪。どこの世界だって同じだろ? どんな事情があろうが関係ない。わかるか、低脳の立花クン?」
カヅキは、高畑の言葉を虚ろに聞いていた。自分の行いが、どう思われようが、知ったことか。正義だとか、悪だとか、くだらない……。そんな言葉が、いったい、何の効力を持つというのか。
「――だったら私は、低脳なる悪の親玉、ってワケね」
口を挟んだのは、秋月マリエだった。高畑は押し黙ってしまい、しかし彼女の方には一瞥もくれず、正面のカヅキを無表情に注視し続けている。
マリエはカヅキと高畑、二人の顔を交互に見て、言った。
「高畑くん、今回の件を仕組んだ張本人は、私よ。そいつは、単なる手下。――尋問するなら、まず私からが、順当だわ」
マリエの視線から逃げるように、高畑は目を閉じ、やれやれという感じでかぶりを振った。
「マリエ。君は、何もわかってないよ」先ほどとは打って変わって、諭すような調子で話す高畑。
「立花も聞け。お前らは、暴れるだけ暴れて、お目当ての碧河ミドリさえ助けられりゃ満足なのかもしれん。……でも、他の者の身になって考えてみたのか?
 卒業生たちは? お前ら数人のくだらん正義感によって、人生一度のイベントをめちゃくちゃにされたら、彼らはどう思う?」
カヅキは反論できずに、相手の顔を睨み返すことしかできない。
「――わかるだろう? お前らのしようとしていることは、いたずらに学園の平和を乱す、単なる破壊行為だ。それとも、自分たちは間違っていないと自信を持って言い切れるか?」
高畑は、今度は屈みこんで、俯くマリエに目線を合わせた。
「マリエ、聡明な君になら、わかるはずだ。今回の暴挙だって、本当は立花に上手く唆されただけだ。なあ、そうなんだろ?」
マリエは答えない。じっと床の一点を注視したまま、彼の言葉を聞いていた。
高畑は続ける。その口調には、徐々に熱がこもり始めていた。
「何も起こっていない今ならまだ間に合う。大人しく非を認めて、投降するんだ。成績優秀な君だったら、学園側の覚えも良い。
 俺が会長に口添えして、全部なかったことにできなくも――」
「そんな気は、ないよ」

72 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/07(土) 01:25:05 ID:4iy5GWe2
はっきりとした口調に、遮られた高畑はまたも口を噤んだ。顔を上げたマリエの口元には、うっすらと笑みが浮かんでいる。
ミドリとの思い出を反芻する――ずっと、暗闇の中にいた自分に光を見せ、現実とたたかう勇気を与えてくれた、彼女の面影。
(なかったことになんて、できるわけ、ない)
マリエは顔を上げた。
「高畑くんは、いつだって、正論なんだね。ずっとそうだった。いつだって、正しかった」
中三の頃から、ずっと同じクラス。高畑はいつだって、親しみを込めて彼女を“マリエ”と呼び捨てにした。しかし、マリエが彼を“レイジ”と呼んでくれたことは、一度だって、なかった。
高畑は諦念を振り払った。
「ああそうさ! だから――」
「――でも」
「え……」
「正しいことで、すべての人が納得できるわけじゃ、ないんだよ」
ピンと張ったような、意思の込められた澄んだ声音。高畑は言葉を失って、めちゃくちゃに顔を歪めた。その隣で、それまで彫像のように無言で佇んでいた小柄な風紀委員の女子生徒が、ぽつりと口を開く。
「レイジ、時間」
鈴の音に似た声。セミロングの金髪は、前髪が定規で引いたように横一直線。その頭は、カヅキの胸辺りまでしかなかった。
「わかってる!」
乱暴に言うと、高畑はもう一度、カヅキに恨めしげな一瞥を投げ、背を向けた。金髪の少女を伴って、部屋を出て行く。
「――河合、後は頼んだぞ。奴らが何か吐いたら、すぐに報告しろ」
「は、はいっ」
扉の前に立っていた少年が、呼ばれて弾かれたように敬礼をする。高畑と少女が出て行った後も、河合と呼ばれたその少年は、そのままの姿勢で硬直。しばらくの間、閉じた扉に張り詰めた視線を送っていた。
「…………つけられた、ですってぇ……?」
妙に高い、しかし押し込められたように震えるマリエの声が、静寂の戻った室内の空気を揺らす。少年はビクリとこちらを振り返った。
「……の、ようです」
カヅキはさすがに後ろめたく、顔を逸らして、自然と丁寧語になった。
マリエは変わらず座り込んだまま、こちらを見ない。しかし、わなわなと震える細い肩が、彼女の怒りの深さを如実に表していた。風紀委員の少年が「ひっ」と息を呑み、扉に背をぶつける。
「~~~っんの……、阿保ぉーーーーーーーーっ!」

96 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/14(土) 01:22:18 ID:4iy5GWe2
 *

三階の廊下を早足に抜ける。窓の外、校門の方角から届くわずかな喧騒が、二人の足音と重なって、無人の屋内にこだまする。
今頃、校門では最後のイベントが繰り広げられているはずだった。三年間過ごした学び舎を後にする卒業生たちと、それを見送る在校生たち。
別れを惜しみ涙する者。未来への希望を胸に、晴れやかに巣立っていく者。またそれを送る者ら。彼らとは違い、廊下を抜ける高畑レイジの表情は、険しかった。
「レイジ……、レイジ」
はっとして、立ち止まる。振り返ると、相棒の宵闇マヒロが小走りに寄ってきて、彼の前に立った。
「歩くの、速い」
言葉とは裏腹に、責める色は微塵も感じさせない平坦な口調。か細い身体に纏った制服は、サイズが大きすぎるのだろう、ふわふわと浮いて見える。高畑を見上げる両の瞳は、眉の上で切りそろえられた金髪と同じく、色素が薄い。
「あ、ああ。すまない……」
「事件は未然に防いだハズ。何をそんなに、苛立っているの」
質問するときでも、一切アクセントは置かない。その、彼女の話し方に、高畑はもう慣れていた。
「別に、苛立っているワケじゃない」
対抗するわけではないが、努めて冷静に言う。高畑はマヒロと見交わし、前方へ顎をしゃくった。
「……だが、急ごう」
言って、再び歩き出す。黙って頷き、彼に付き従うマヒロ。
彼ら二人の任務は、卒業式の会場警備及び、本土へ送られる碧河ミドリをエージェントたちへ引き渡すことだった。
現在はおそらく、風紀委員長が碧河ミドリを伴い、校門へ向かっているところだ。学校を出てから少し離れた人気のない路地で、エージェントたちの用意した車が待っている手筈だった。
高畑とマヒロの二人もその場に立ち会うはずだったのが、数日前になって立花カヅキらの企みが発覚したため、プランに若干の変更を余儀なくされた。
しかし、いまのところすべては順調。マヒロの言うように、立花らの計画は未然に防いだし、残った小田はリフィターだ。一人でできることなど、限られている。他の委員によって捕らえられるのは、時間の問題だろう。
二人は当初の段取り通り、これから委員長と合流すべく、引き渡しに向かえば良い。今からなら、そう焦らずとも充分に間に合うだろう。
それなのに、と、階段の踊り場を回りながら、高畑は思った。
(それなのに、俺はどうしてこうも、イライラしているんだ……!)
ああは言ったものの、マヒロに指摘された通りだった。自分はたしかに、イラついている。
階段の手すりに置いた自身の右手に目をやる。指の関節がまだ少し、ほんのりと赤い。先ほど、立花カヅキの腹に打ち込んだそこには、まだ、鈍い肉の感触が残っていた。
立花らに向けて放った言葉は、正しかったと信じている。風紀委員である高畑レイジにとって、学園の秩序と平和を守ることは、最優先されるべき義務であり、彼の固く信じてきた正義だった。
しかし、立花に向けて振るった拳に、その“正義”はあったのか。それが、高畑を苦しめていた。

97 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/14(土) 01:22:37 ID:4iy5GWe2
秋月マリエの様子がおかしいことには、数週間前、三月に入った頃には、すでに気づいていた。
高畑は折に触れて、それとなく、彼女に持ちかけたのだ。最近、学校生活はどうだ。悩んでいることはないか、と。
しかしマリエはいつも、貼り付けたような微笑を湛え、控えめに引いた顎を左右に振るだけだった。高畑はじれったかった。どれだけ自分が懸命に縮めようとしても、彼女はその度に退いて同じだけ遠ざかってゆく、その距離が。
中三の頃に初めて出会ってから、現在の高二に至るまで、ずっと同じクラス。自然と、気兼ねなく声を掛け合えるような関係にはなれた。
成績優秀、能力も高く、加えて容姿端麗。同じような資質を持った高畑とマリエは、自然、周囲の者から、特別な関係にあると噂されるようになった。
高畑はそれを承知していたし、笑い混じりにやんわりと否定はしても、内心、嬉しかった。こうしたことがきっかけとなって、マリエが、自分に振り向いてくれれば良いと思っていた。
それでも、当のマリエはそんな噂を気にする素振りすら見せずに、高畑に対しては相変わらずの友達としての距離を、一向に縮めようとはしてくれなかった。
卒業式が近づくにつれて、どんどん元気がなくなっていくように見えるマリエに、高畑は気づいていた。他の者にはおそらくわからなかっただろう。だが、高畑は、それだけずっと傍で、彼女を見てきていたのだ。
だから、彼の知る限り毎年皆勤賞を貰っていたマリエが、突然体調不良を訴え、早退すると言い出したときには、ひどく狼狽した。つい最近、先週の金曜日のことだ。
根が正直なマリエは、芝居がひどく下手だった。苦痛に顔を歪め、必死に腹痛を訴える彼女の姿は、おそらく、誰の目にも仮病であることが看破できたであろう。
やはり彼女は、自分には心を開いてくれない……。その時、思い知らされた。マリエが心の中身を打ち明ける相手は、自分ではない。しかし――、
(……どうしてっ、立花なんだ……っ!)
土日の早朝、後をつけて裏山に入った高畑は、わけ知ったる同士よろしく密談を交わす三人を見て、愕然とした。

昇降口へ下り、外履きを取り出して乱暴にロッカーを閉める。背中に、自分を見つめる宵闇マヒロの、温度のない視線を感じる。
捕らえられ、無抵抗となった立花カヅキにぶつけた自分の感情に、高畑は気づいていた。それは、正義などとはかけ離れた、醜い、嫉妬だった。

98 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/14(土) 01:43:59 ID:4iy5GWe2
 *

「なあ、少年、……河合、だっけか」
立花カヅキが口を開いたのは、彼の眼前、本棚の上に設えられた掛け時計で、高畑らが去ってから、ちょうど五分が経過した後のことだった。
声をかけられた河合少年は、まだ一年坊らしい。高畑とはまた違った意味で、美しい顔をしていた。カヅキよりも頭ひとつ分小さい、秋月マリエとそう変わらない背丈。サラサラの坊ちゃん刈りの下で、睫毛の異様に長い両目を忙しなく瞬かせ、それでも何とか、毅然とした表情を取り繕う。
「な、何だっ。……仲間の居場所を、吐く気になったか」
声変わりがまだ済んでいないのか、女のような声で言う。無理して強がっているのが、見え見えだった。
「だから、それは知らねえって。さっきも言ったろ?」
それは、事実だった。小田の潜伏場所は、カヅキもマリエも知らされていない。バックアップ兼、連絡係となる彼は、作戦の要だ。実動部隊のカヅキとマリエは、どちらかが倒れてももう一人が目的を完遂できれば良いが、小田には代わりがいない。
「それよりも、これ――」カヅキは気だるそうに顎をしゃくり、自身の戒めを示した。
「解いてくんねえかな? そろそろ痛ぇんだよ。手が壊死しちまう」
「だ、だったらっ、切断でもすればいいだろ。それで悪さができなくなれば、万々歳だ」
河合はどもりながら早口でまくし立て、直後、自分の放った言葉に青ざめる。想像してしまったのだろうか、カヅキから目を背け、口元に手を当ててしまった。
ふと、カヅキは自身の真下で、静かな吐息が漏れるのを聞いた。そこにいたマリエは恨めしげに彼を見上げると、責めるように言う。
「……どうするつもりよ」
「まあ、見てろって」カヅキは余裕に笑んでみせた。
「なあ、少年! ――お前だよ、ショタ野郎っ」
カヅキが声を張ると、勘に触ったのだろうか、河合はきっと彼を睨みつけ、歩み寄ってきた。
「っずず、随分不遜な態度を取るじゃないか。身動きも取れないくせに。お、お前なんか、僕だって簡単にノせるんだぞっ」
「おうおう、剛毅だねえ。やってもらおうじゃねえか。外見と同じく女みてえじゃねえってトコ、見せてみろよ?」
カヅキのわかり易い挑発に、河合は乗った。眉をつり上げてずんずん近づき、カヅキの正面に立つ。傍でその様子を、くだらなそうに見守るマリエ。
「ぶ、ぶぶぶん殴るぞっ!」
「だから、やってみろって」
侮りをたっぷりと込めて言い、カヅキはつ、と視線を下げた。
「ところで、お前……」
「……?」
訝しげに、カヅキの視線を追う河合。
カヅキは言った。
「――全開だぞ? 社会の窓」
「えぇえっ!?」
その瞬間、マリエは見た。焦ってズボンを確認しようと真下を向いた河合の顔が、突如、顎を突かれたように跳ね上がり、仰け反るのを。
「なっ……!」河合は突然の衝撃に足下をふらつかせながらも何とか立ち、目を大きく見開いてカヅキを見る。

99 名前: ◆CPEWI1EVik[] 投稿日:2009/11/14(土) 01:45:40 ID:4iy5GWe2
「おっ、結構、タフじゃねえか」
カヅキが感心したように言うなり、正面の河合は、今度は向かって右に大きくよろめいた。顔を引っ張られるようにして、今度は左。
糸で吊られた操り人形のごとく、河合はあちこちに身体を振られ、その度に、室内に乾いた音が響き渡る。
マリエは、目の前で展開されている不可解なその様子よりも、カヅキを見ていた。すぐ頭上、不敵なる笑みを満面に湛えた、彼の横顔を。
河合は朦朧とした様子で、それでも何とか立っていようと本棚にしがみついていたが、六度目の音で、ついに倒れた。
「……あ、あんたっ」
信じられないという風に自分を見ているマリエを、カヅキは無視して、呟く。
「……先入観、刷り込み、決め付け、思い込み…………」
マリエの頭上で、カヅキを縛り付けていた左手の縄が、しゅるしゅると勝手に解けていく。誰の手にも依らず、自然に。
自由になった左手で、右手の戒めを解くと、カヅキは高らかに、笑った。
「ははははは! 迂闊なり、高畑レイジ! 俺は、頭脳でもお前に勝ったぞ!」
「……え? ちょっとあんた……、手はっ?」
マリエはわけもわからずに、訊いた。カヅキの能力“ハンド”は、たしか……、
「ああ? これのこと?」カヅキは自由になった両手を組み合わせて見せると、こともなげに、言い放った。
「こんなもん、クセだ。単なる、ク・セ!」
「ク……セ……?」
「まあ、学園に入ってからは、意識してやってたケドな。――ていうか、両手を塞がなきゃ発動できない能力って……、何だそりゃ? 不便じゃねえか。あるか、そんなモン」
あっけらかんと言って、マリエの縄を解きにかかるカヅキ。マリエは文字通り、開いた口が塞がらなかった。
呆然とするままのマリエの手を取って立たせてやると、カヅキは自信満面に、言った。
「言わなかったか? 俺は、人を欺くのが、得意なんだ」

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最終更新:2010年01月22日 19:26
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