『環凪運動会 100m走 決勝』
「第一レーン。極ヶ原強也」
実況がその名を呼び上げる。
少し長い黒髪を風になびかせ、青年が右腕を突き上げると同時に生徒会の面々から歓声が上がった。普段は学生服の下に隠れているその見事に鍛え上げられた肉体が今日はスタジアムに設置された巨大なスクリーンに映し出されている。
学園の一角に国立競技場も顔負けの巨大なスタジアムがある。環凪島の設備は基本的に最新鋭のものが設置されており、それは謎だらけの特殊能力者達の実態の解明という目的で巨大な国家予算の一部を当てられている為だ。だが、一般に公開されている予算案の数百倍近い金額が実際は環凪島に当てられており、これが元となって大事件が起こるのだが、それはまた別の話し。
全員参加の100m走でも極ヶ原は比類なき強さで駆け抜け、他の選手を千切っては投げ千切っては投げこの決勝まで勝ちあがってきた。死のDブロックを通過した極ヶ原に最早、敵はいない。己自身との戦い。自己ベスト更新。因みに、極ヶ原の100m走での自己ベストは片足けんけんで5秒3である。普通に走ったことはないので分からない。
「…、勝つ…!」
拳を握り締め、鷹のような鋭い双眸が見据えるはただ一点。100m先のゴールのみ。今日だけは両足で走るのもいいかもしれない。そんなことを思った極ヶ原が呟いた一言を聞いていたのか、隣の少年が小さく鼻を鳴らした。
「第二レーン。玄清十郎」
身長は極ヶ原強也より30cm近く低い。見た目は中学生、いや小学生のようにも見える。Tシャツ短パンの極ヶ原とは対照的にダボダボのジャージをダルダルに着ている。緩くパーマのかかっている金髪をクルクルと指先で弄び、ヘラヘラと笑いながら小馬鹿にしたような口調でスタートラインで腕を組み仁王立ちしている極ヶ原に話しかけた。
「俺に勝てると思ってんのかぁ? 極ヶ原ぁ」
「無論」
玄の挑発に対し、極ヶ原は視線を動かさず最低限の言葉で返す。既に勝負モードに入っている極ヶ原には何を言っても無駄だろう。それを察したのか玄もつまらなそうに視線を外す。
「相変わらず食えねぇ野郎だ。…フン」
玄清十郎がダルそうに極ヶ原強也と同じく右腕を上げる。またもや歓声。自警団の面々だろう。一部からは「清ちゃーん!」と黄色い歓声が上がった。玄は一度も走ることなくこの決勝まで勝ち上がってきている。スタートと同時に能力を発動し、他の選手が一歩目を踏み出す前にはゴールラインを通過している、という勝負運び。
学園随一の実力者同士の冷戦を横目に長身の男はやれやれといった感じで腰に手を当てた。
「第三レーン。朝比奈大地」
身長は極ヶ原にも並ぶ、しかしその体躯は細い。Tシャツから伸びるその細腕は針金のようだ。静かに左腕を上げると、同じく自警団サイドから歓声が上がる。
極ヶ原弄りに失敗した玄が隠す様子もなく、朝比奈に指示を出す。
「おい大地。スタートのあとに俺と極ヶ原以外に「動」を使え。ゴールから遠ざかるようにな」
「…了解。玄は能力使わないの? まさか今更、真剣勝負?」
「ハッ、使うに決まってんだろ。保険だよ保険。俺達以外、後ろに吹き飛ばす勢いで使え」
「はいはい」
「っつーか、残ったのは『六震想王(ろくしんそうおう)』のお前だけか」
「しょうがないさ。『五月蝿王(ベルゼビュート)』も『赤の女王(スカーレット・クイーン)』も『電磁界王(エレクトロイ)』も他のみんなも、こういう勝負用向きの能力じゃないからね。メディちゃんはいい線いってたんだけど、途中で会長と当たっちゃったからねぇ」
「ふん、『十王』も情けねぇもんだ」
『十王』
学園に通う生徒で知らぬ者はいないであろう自警団の精鋭部隊の別称である。自警団に所属するAランクの能力者の中でも最も強大な能力を持つ10名によって構成され、その名は自警団の力と誇りの象徴とされ十王に所属する者は皆、能力名や通り名に『王』の文字が入るのが通例である。真相は定かではないが生徒会の『十二席』や『七つ道具』、風紀委員の『五賢帝』に対抗する為に生まれたらしい。
大地を操る朝比奈もまた、走ることなく、というか一歩も動くことなくこの決勝まで勝ち上がってきていた。彼の扱う能力『六種振動』その一つ、地面を水平方向に動かす「動」を使い、自身は立ったまま地面ごと滑りゴールへ一直線。他の選手が走るレーンは逆方向にスライドさせ、ランニングマシン状態にすることで汗一つ掻くことなくこのスタートラインに立っている。
「この勝負。俺達「自警団」の勝ちだ」
速度を操るSランクと地面を操るAランクのコンビ。玄は完全に個人競技から生徒会VS自警団といった感じで殺る気満々。朝比奈も「しょうがないなぁ、清ちゃんはぁ」といった感じで玄のフォローに回る気のようだ。この二人を崩す事など出来るのだろうか。
「第四レーン。相坂麻衣」
名を呼ばれた黒髪ショートの少女は二、三度瞬きをすると相変わらずの眠たそうな目のまま静かに右腕を上げた。
スクリーンに映し出された彼女の頭部に突如、異変。艶やかな黒髪が盛り上がっていく。直後、ピョコンという擬音でも聞こえてきそうな勢いでネコミミが生えた。皆が頭に気を取られている内に黒のスパッツ、その腰元からはみ出るように尻尾も生えていた。「うおおおおおおお!!」と一部の残念な方々から狂気にも似た歓声が上がる。そのラブコールも聞こえているのかいないのか尻尾をふりふり。特にリアクションはない。ただ静かに前を見ている。
彼女は極ヶ原と同じく純粋な速さでこの舞台に立っている。彼女の能力『闇豹』で黒豹に変化し、その力をいかんなく発揮してきた。ただ一つ腑に落ちないのは彼女は全てのレースを僅差で勝ってきているという事。彼女の能力を持ってすれば普通の人間など追いつけるはずもないのだが、一体なにを考えているのだろう。
「第五レーン。陀鳥拘」
矢印の形をしたピアスが印象的な青年がスクリーンに映る。その顔からは歓喜と若干の困惑が見て取れる。学園のトップがひしめき合う大舞台に緊張しているのだろうか。
彼のレースもまた不可解なものであった。スタートと同時に彼は何かに吸い寄せられるかのごとく、ゴールに向かって空を滑ったのだ。速度は異常に速く、この大会でのベストタイムは4秒76。
この100m走では能力の使用は自由である。ただ禁止事項もある。「一つ、能力使用を問わず他の選手への物理的、又は精神的な明らかな攻撃行為」スポーツマンシップが云々というやつだ。このルールのポイントは妨害行為ではなく、攻撃行為のみが禁止されているという点。玄の速度調整や朝比奈の地面の水平移動は明らかに危害を加える為の攻撃行為とは見なされなかった為セーフである。「一つ、自分のレーンから外に出ること」これは、空中は含めないので注意。「一つ、飛行」空を飛ぶことは禁止されている。『100m‘走’』だからね。まぁ、走ってないやつけっこういるけどさ。ま、地面に足着いてるし。ギリギリセーフ。そして、問題となったのは陀鳥である。飛行ではないのか、という疑惑が上がったのだ。当然、陀鳥は否定。審議となり、結果、飛行ではない、という結論に至った。そう。彼は飛んでいた訳ではない。落ちていたのだ。ゴールに向かって。水平に。彼の能力『超自由落下』により重力のベクトルを水平方向へと変えることで落下していたのだ。因みに100mを水平落下する陀鳥の水平落下速度は時速150kmを越える。
「第六レーン。不動銀次」
銀髪の青年がスクリーンに映し出されると、スタジアム内はザワザワとざわつく。「誰?」という声も少なくない。彼のレースは不可解の一言に尽きる。スタートと同時に彼が一歩踏み出した時点でゴールしていたのだから。タイムで表すなら1秒もかかっていない。その無名の強敵を他の選手達も見据える。幾千の視線を浴びながらも、青年はだらしなく穿いたジャージのポケットに手を突っ込んだまま、へらへらと受け流した。
「何なんだろうね。彼」
最初に口を開いたのは朝比奈。隣の玄に問いかける。見た目だけで言えば親子のようだが、彼らは同級生である。
「さぁな。瞬間移動(テレポート)ってのが有力な噂だが、俺は違うと思うぜ」
「時系列の能力者?」
「可能性としては無くもない。が、そんなのは出てこないだろうな」
「まぁ、そうだろうねぇ」
「ま、あとは概念そのものを操る能力者、ってトコかね。なんにせよ面倒だ。なんで今までこんな奴が無名だったのか。聞きゃあ、ランクもSらしいぜ」
「能力ゆえ、だろうな。どうすんのさ。もし、玄の言う能力者だとして、概念で距離を弄られたらどうしようもない」
「知るか。やることは変わんねぇよ。俺が遅くして、お前が飛ばす。早撃ち勝負だ」
そんな二人の意図を知ってか知らずか、不動銀次は相変わらずのにやけ顔。
「第七レーン。神野木飯太」
巨漢が肉を揺らして雄叫びと共に右腕を突き上げる。盛大な拍手と歓声が上がる。生徒会長にも負けていない。一言で言えば人気者。それもこれも彼の純粋な人柄の良さのおかげだろう。そして能力からついたあだ名「風速のデブ」その名は伊達ではない。彼の能力『ウィンドシューズ』は実際に足に風を纏わせた高速移動術である。音速にも匹敵すると謳われるその速さはこの100m走でもいかんなんく発揮され、決勝まで圧勝に圧勝を重ねてきた。
そして、スタジアムは再度、困惑する。最後の第八レーンに誰もいない。この大舞台に欠場なのか。そんな不安を一発で吹き飛ばす名が全体に向けて読み上げられた。
「第八レーン。蓬世円」
スタジアムは静寂に包まれる。名前を呼ばれた瞬間、誰も居なかったはずの第八レーンに蓬世円が現れる。空間にそのまま浮かび上がるように、幻が現実に昇華する様に、『最強』の名を欲しい侭にする小柄な少女は姿を現した。足先と影が繋がっていない。浮いている。別にこれはパフォーマンスではない。
無時間移動&重力無視。
これが彼女のいつも通りの移動方法だ。何の準備も無しに空間の連続性を否定し、地球上の全ての存在が等しくその身に受けている重力を涼しい顔のまま現在進行形でガン無視して浮いている非常識な彼女は、スタートラインについている一同の呆けた顔を一瞥すると、無表情のまま一言も発さずフワフワと浮いたままスタートラインへ。そして、スッと地に足を着けた。
!?。
度肝を抜かれたのは極ヶ原を始めとした蓬世円に普段から関わっている者たち。「走る気なのか!?」そんな心の声が無言のスタジアムに響く。普段の彼女からは想像も出来ないTシャツに短パン姿。腰まである長い黒髪も今は後ろで一つに結われ、ポニーテールとなっている。
彼女の能力に関しては生徒会長極ヶ原と同じく、謎だらけである。彼女は生徒会防衛部代表であると同時に、防衛部の実働部隊『第壱行動部隊』の隊長であり、さらに『七つ道具』の使い手でもある。しかし、実戦はその圧倒的な戦闘能力だけでこなしており能力を行使している様は見受けられない。身体強化が能力であるならば浮いたり消えたりするのは一体何なのか? ということになってしまい、結局「謎」ということになってしまうのだ。分かっていることは、とにかく非常識に強い、ということだけ。
「出やがったな」
玄が忌々しそうにその少女を睨む。普段はあっけらかんとしている玄のこの表情は非常に珍しい。ちっちゃいもの同士お似合いじゃん。とか軽口を滑らせそうになったが、それを飲み込んだ朝比奈が尋ねる。
「結局さ、あの娘の能力って何?」
「データベースにも一切、登録されてねぇ。環凪島住民登録、学生登録、旧防衛省、特殊能力者対策局の特殊能力者課、防衛対策課に環凪島課、能力研究課に調査課。特殊能力技術開発研究機構本部。さらに日本国直轄の国民基本人口研究所も裏から調べさせたが全く出てこなかったぜ。別に仕入れた話しじゃ概念をなんか色々弄るってことくらいだ。何をどうするのかは分からん」
玄が聞こえるか聞こえないかのギリギリの音量で答える。
「特級保持者か」
「あぁ。若しかしたら軍の情報にはあるのかも知れないが、さすがにそこまではいけなかったな」
「ふぅん…。ところで。その「概念使い」かもしれない、ってのも知ってちゃ不味いんじゃない?」
「勿論、概念使いってのも口外禁止だ。他のやつには喋るなよ。ついでに『最強』について色々調べてたのもだ」
特級保持とは能力の口外を禁じる決まりごとの中でも、極めてその危険性が高いものに課せられるものである。危険度別に三級から一級、そして規格外のものが特級扱いとなる。特殊能力者は基本的に全員が三級保持者であり、能力名及びその効果の他言は学園及び第一種機関から、この環凪島外へ出すことを禁じられている。その誓約を破る事は学園や環凪島や日本政府、引いては世界そのものに重大な影響を与える恐れがある。悪い事が起こるのではない。ただ、少なからず影響を与えてしまう恐れがある。
バタフライ効果。風が吹けば桶屋が儲かる。影響は静かにこの世界に反映され、その結果が悪い事になる可能性があるのだ。
特級保持者はその他等級とは別格に制約が厳しい。能力名及びその効果を誰にも伝える事ができない。特級保持者の能力を知っているのは、この環凪島においても極々限られた人間のみとなり、一般の島民や生徒は知ることはない。
「セット」
選手達の紹介を済ませ、合図がかかる。選手達は位置に着き、スタジアムは再び静寂に包まれる。
第一レーンの極ヶ原強也は、クラウチングスタートの前姿勢。頭は下に向き、その表情は髪に隠れ窺い知る事はできない。
第二レーンの玄清十郎は足を肩幅に開き、ダボダボのジャージの袖を捲くると両拳を胸の前で合わせる。
第三レーンの朝比奈大地は、肩膝を付き左手を地面に合わせる。
第四レーンの相坂麻衣は、完全に黒豹へと変貌。筋肉の稼動を確認するように二、三度伸び、ロケットスタートに備え縮こまる。
第五レーンの陀鳥拘は膝を曲げ、ジャンプの体制。
第六レーンの不動銀次はポケットに手を突っ込んだまま。
第七レーンの神野木飯太は半身を前方へ。身体を捻りながら片足を浮かせる。
第八レーンの蓬世円はゴールに向かって直立不動。
(…先ずは上)(危険なのは極ヶ原と概念使い、か。どこまで俺の能力が通用するか)(攻撃はダメ、か。壁とか作っちゃダメなのかな…?)(スタートダッシュで突き放す…!)(…ふん、下らない小細工ごと潰してやる)(SランクはSランクで潰し合うはず、それに巻き込まれないように抜ける…!)(昨日より600gも痩せてるし、全力で動けば決勝も勝てる!)(……。)
様々な思いが渦巻くスタートライン。
スターターピストルに連動されている全自動電気計時が起動する。
「レディ」
100m。決勝。
パァン!
スタート。
最も早く能力を発動させたのは、やはり経験の差だろうか。全員の動きがピタリと止まる。いや、止まってはいない。限りなく停止には近いが。
『速度制限(トートリミット)』
ありとあらゆる「動くもの」に対し速度の制限を設け、その制限以上の速度を出せなくさせる能力。
瞬時に展開されたのは第二レーン、玄清十郎の能力空間。自身を中心にトッラク全体を包み込むように発動されている。玄は一つ賭けをしていた。上方への能力空間の展開である。常識的に考えればレーンとその上を走る選手に対し行使できればいいのだから上方へは不要。
「っ!」
能力発動後、玄は隣の極ヶ原を確認する。いない。先ほどまでクラウチングスタートの姿勢のまま固まっていた極ヶ原はそこから消えていた。踏み壊されたであろう地面だけがある。一体どれほどの脚力で地面を蹴ったのか。前方。いない。後方。いない。左右。いない。となれば。
玄は上へと視線を上げる。いた。遠い。その上空、凡そ50m。極ヶ原は空中で静止していた。あの一瞬で玄の能力空間から逃れるため、上へと跳んだのだろう。人間の生理反応限界0、11秒を遥かに凌駕する0、001秒の神速のインパルス。だが、勝った。前方を削ってでも上へと展開して良かった。玄の能力空間は最大500mまで展開可能だ。玄の反応速度も極ヶ原と同じく人間を越えているが、極ヶ原には及ばない。さらに最大に範囲を広げてしまうと精度という点で問題が生じる。特に自分と同じSランクを相手にする時は細心の注意を払わなければならない。
玄の顔から緊張が消え、変わりに出てきたのは勝利を確信した笑み。
「玄!!」
横から驚愕と焦りの入り混じった声で名を呼ぶのは、自分と同じく制限空間から除外されている朝比奈の声。声に脊髄反射で振り向くと、そこにはこの世とは思えない異様な光景が広がっていた。
第四レーンの相坂麻衣は黒豹と化し、飛び出す瞬間で固まっている。第五レーンの陀鳥拘も同じく能力を発動させたのだろう彼の髪の毛がミリ単位でゆっくりと水平方向に引っ張られていく。しかし身体が動き出すにはまだ遠い。そして、その先、第六レーンで大異変が起きていた。
第六レーン走者。不動銀次。能力名『狭間使い(スカルタメント)』。
概念の上での距離を操る能力者である。彼にとっては物理的な距離は意味を成さない。概念としての距離だけが彼には通用する。そして、この100mという距離も彼は概念ごと弄った。「一歩」で「ゴール」に辿り着けるように。そして、彼はスタートと同時に能力を発動し、その「一歩」を踏み出し、それと同時に玄の能力空間に飲み込まれた。
玄の能力空間外にいる観客達から「ひぃ!」とか「うわっ!」とかいうガチで引いているリアクション。
銀次の身体は‘伸びていた’。撮った写真の画像を無理矢理、横に引き伸ばしたように。その身体はブレにブレて、遠近がおかしなことになっていた。スタートラインに着いている左足だけがそのままに、身体全体が伸び、振り出した右足はゴールの十数m手前まで伸びている。顔とか20mくらい横に引き伸ばされており、どこがどのパーツなのかもよく分からない。
玄はその光景を見て絶句し、朝比奈も完全に思考が停止している。そのまましばらく二人して固まり、朝比奈が口を開いた。
「どういう…、こと…?」
「…おそらくヤツは概念使いだ。ゴールまでの距離の概念を弄る瞬間に俺の空間に飲まれたんだろう」
「で、何でこんな事に…?」
「知らん」
銀次は能力を使い一歩でゴールしようとした。普段ならば、その過程は現実から省略される。しかし、玄の能力によって能力の発動の過程すら制限された銀次の身体は一歩でゴールに辿り着くという過程を作らざるを得ず、それを無理矢理、現実空間に描写した結果、このような事態になっていた。
「ま、なんにせよ俺の能力が効いている。このままゴールするぞ」
「あぁ…、忘れてたけど「動」使う?」
「いや、いい。このままゴールする」
これ以上アイツが伸びたら嫌だしな。そう言うと、玄と朝比奈は地面ごとゆっくりと滑りだす。
このまま自警団コンビの勝ちかと思われた。だが2人が70mを過ぎた辺り、ゴール目前で異変は起こる。
ピシッ、と音が響いた。何かがひび割れるような音。
「?」
玄がその音に反応した瞬間。バキィ!という音と共に空間に大きな亀裂が走ったのが玄にだけはしっかりと見えていた。それを皮切りにバキバキと、木を折る音とガラスを踏み砕く音を混ぜたような不協和音と共に空間は傷だらけになる。
「何だ!?」
「玄!リミットが崩れる!」
空間内の選手達の動きが僅かに加速する。
忘れていた。概念使いはもう一人いた。振り返った玄の視線の先、足を振り上げたまま固まっている神野木飯太の影、その両眼は制限空間において尚、確かに玄を捕らえていた。深海のような深い藍色の瞳が躍動する。
「ク…、ソがぁぁああ!!」
玄が吼え、蓬世円を制限しようと能力を爆発させる。
蓬世円を拘束することは出来ない。
因果や遠近や物質の弾性や質量保存や重力などの法則から、法律や校則といった暮らしの中での決まりごと、決まりごとではないが我々が社会生活の中で自覚していく常識と非常識、そして善悪や平等や感情や記憶などといった形の無いもの、そしてこの世に存在する特殊能力まで、蓬世円は全てに、あらゆるものに拘束されず、縛られない。
「拘束不可(アンチェイン)」
凍りついた世界でその口が形だけでそう告げる。瞬間、空間は砕け散った。
「オーバーリミットォ!!」
「スカルタメント…!」
「起震!」
「空駆!」
「闇豹失走!」
「フリーフォール!」
「ウィンドシューズ!!」
勝負は一瞬。
玄清十郎がさらに制限空間をゴール前に限定し展開。
不動銀次の身体が消える。
朝比奈大地は失格覚悟だろう、大地を隆起させ他選手の進路妨害に打って出た。
極ヶ原強也が重力加速を利用し、一気に空を駆ける。
黒豹が爆発的な加速で一瞬で距離を詰める。
陀鳥拘の身体が即座にゴールに向けて動き出す。
神野木飯太が風に包まれる。
ゴール前数十cmの玄の制限空間に先ず捕まったのは、またしても不動銀次。腕を伸ばしたのが仇となったか。銀次の能力は概念で距離を弄るため移動中は空間を超える。しかし、目的地があるならばその目的地においては銀次の身体は空間に出てしまう。つまり、銀次が能力によって移動を始める瞬間と目的地に着く瞬間ならば、玄の能力は銀次に対しても効力を発揮するのだ。
身体は幸いにも伸びていない。ただその場から、ほぼ動けなくなっている。
玄の強さは能力効果もさることながら、その能力展開の速さと正確さにある。特に反射反応とほぼ同時に展開される能力空間はこの環凪島に住まう全能力者の中で最も速いと謳われる。
どんなに強大な他の力であっても、動くのならば問答無用で押さえ込んでしまう強さ。人を蝕む病などにも応用が効く有用性の高さ。そして、目に見えない特殊能力を完璧と言っていいほどに使いこなす玄清十郎自身の能力の高さ。それが、彼が栄誉あるSランクに名を連ねる理由だろう。そして、玄に共にいる自警団の面々も常日頃から、玄の様に速く正確に能力を扱うことを目標にして鍛錬を行っている。
その後方に巨大な壁が立ち上がっている。各レーンを遮断するように。高さは裕に30mを越える巨大な壁。あまりに突出速度が速すぎて、一般観客達にはいきなりその場に壁が出現したように見えたはずだ。直後、ドッゴオオオン!!という、まさに激突音そのままの轟音が響く。第一レーンの極ヶ原強也が臆する事も無く壁に突撃したのだ。当然、ただ土と岩で造られた巨大な壁が極ヶ原にとっての障害となるわけも無く、第一レーンから第二レーンまでの壁の下部が無残に破壊されている。
「馬鹿な…!厚さ50cmだぞ…!」
肩で息をしながら朝比奈が信じられないという顔で土煙を見る。不動銀次の捕獲に成功した玄も轟音に振り返る、その顔に焦りは無い。やはりお前か、そう言いたそうな表情だ。しかしながら玄にも余裕はあまり無かった。ほぼ最大の力でもって展開した空間ごと破壊されるという前代未聞の経験に全力で抗った結果、その力の大半を消費したのだ。さらにそこからの限界突破ともいえる二回目の能力発動。常時発動型のリフィターならまだしも、任意で発動するような能力は運動と同じで使えば使うほど消耗するものだ。たった2回。たった2回使っただけで玄の体力は尽きかけていた。
土煙から極ヶ原が現れる。かすり傷一つ無い。
額に汗が滲み、足元はふらつき不安定。そんな状態でも玄は3回目の発動を選んだ。
玄と朝比奈から見て壁の向こう側では、神野木飯太、陀鳥拘、相坂麻衣の3名が途方に暮れていた。極ヶ原のように壁を破壊できればいいのだが、この3人にそのような力は無い。
「…。…馬鹿か俺は!」
陀鳥が突然、閃いたのか大声で自分にツッコミをいれると壁に背を向け宙返り、壁に沿うように垂直に空中を上り始めた。
直後、何が起きたのかはその場にいる誰にも分からなかった。
ただ、一つ言えることは、陀鳥がもう少し上に上がっていたら、死んでいただろうということ。
壁は4~5mから上が音も無く綺麗サッパリ無くなっていた。切られたというにはあまりに杜撰。潰されたというにはあまりに精緻。突如、消え失せた壁があったはずの空中を速度制限されている不動銀次以外の全員がただ見上げていた。
ドサッ、と陀鳥拘が落ちてきた。立ち上がる気配は無い。頭でも打ったのだろうか。流石に放ってはおけないのか隣のレーンの相坂麻衣が『闇豹』を解除しスタート前のネコミミモードになると一瞬、躊躇ったが陀鳥を抱き起こした。
「あの、…大丈夫…?」
「あ…、あ、」
陀鳥に身体上、問題は無さそうだった。だが、その顔は信じられないものを見たような表情で固まっており、身体が小刻みに震えている。とてもレースを続行できるような状態ではない。陀鳥は壁を越えようと上った瞬間は後方を見ていた。その目に映ったのモノは、一体。後方には目を疑うようなものなど何も無い。はず。他の選手は先を行き、自分達がビリではなかったのか。相坂麻衣は振り返る。
不動銀次は考えていた。何故、ゴールに辿り着けないのかと。自分は確かに能力を発動させているのに。あと本当にもう少し。手を伸ばせば届く距離なのに。玄が即座に展開した空間は体内の信号系統までは調整出来ないお粗末なものだった。そこまで余裕が無かったのだ。
「蓬世君か…」
壁のほぼ真下に居た極ヶ原はチラリと頭上を見上げるとパラパラと降る小石やら砂埃やらを払いのけ、独り言のように呟
いた。
「テメェんとこのアレはどうなってんだよ…!」
玄が苛立ちを隠さずに声を荒げる。
「さぁな」
興味無さ気に返答すると一歩進む。
「通れると思ってんのか…」
玄が極ヶ原を指差し、極ヶ原が右拳を地面に付けた。
「圧し通る…!」
振り返った相坂麻衣が見たものは、未だにスタートラインに突っ立ったままの蓬世円だった。何かを握り締めた左手。そしてその左腕だけが前方に向かって真っ直ぐ伸びている。何かをしたのだろうか。突如、現れた壁。そして突然、消えた壁。ゾクリと背筋に悪寒が走る。何か途方も無い強大な力を感じたのだ。急に自分が場違いな気がしてくる。
蓬世円は伸ばした左腕を引き戻すと、握られた手を開く。パラパラと零れ落ちる土と小石。パンパンと手を払うと、ようやく彼女は一歩を踏み出した。2歩目でトン、と跳ぶ。3歩4歩でトントン、と続く。そして5歩目でドン!と彼女は跳んだ。飛行か。いや、彼女の身体は綺麗な放物線を描いている。ただのジャンプだ。その高さと距離が異常だが。髪を風になびかせつつ観客達の視線を集めながら、まるで走り幅跳びのように上体を反らせ跳び、彼女は60m強を一跳びし、随分と低くなってしまった壁の上に着地する。不思議と音はしなかった。
最初に気付いたのは極ヶ原。続いて朝比奈。
「玄!」
「いけるか?」
玄は視線を極ヶ原が動かすことなく朝比奈に一言。朝比奈は数秒の後、
「無理だと思うけど、やってみるよ。…さて」
朝比奈はくるりと反転し、頭上の蓬世円を見上げる。蓬世円は朝比奈の視線に気付くと、極ヶ原達から視線を外し、ゆっくりと首を朝比奈に向けた。
(さて、と言ったけどどうしよう。まともに闘り合って勝てる相手でも無いし、時間稼ぎ…? それも違うな。っていうか、怖い…)
改めて蓬世円という人物を観察してみる。見た目は小柄で華奢な女の子である。その顔は、なんというか綺麗だった。綺麗なのだが人間味が無い。精巧に作られた人形のような美しさがそこにあった。ぼーっと観察していると、目が合う。深い。吸い込まれそうな深い瞳だった。こちらも同様に人間のそれらしさが無い。無言で見つめ合う2人。ロマンチックさは欠片も無く、どちらかというと肉食動物と草食動物が対峙した状況に近い。捕食者と被食者。SランクとAランクはランクだけで言えば一つ差だが、能力としての差は天と地ほどもある。
(ダブルス…、か)
朝比奈は引きつった笑みのまま一度、視線を外すと自嘲気味に嘆息し、蓬世円に声をかけた。
「生徒会防衛部代表、蓬世円さんだね?」
「…」
リアクションは無い。
「僕は自警団は十王が一人。朝比奈大地。レース中に申し訳ないんだけど、少し遊んでいかないか?」
挑発に対する蓬世円の返答は無し。何なんだろう。喋れるのかな?
「この壁を、あー…、低くしたのは、蓬世さんかな?」
コク、と首が縦に振られる。肯定の意思。というかリアクションが返って来たことに朝比奈は安堵した。
「どうやったの?」
まるで小学生と話してるような感覚に陥りながらも朝比奈は恐る恐る蓬世円とのコミュニケーションを図る。
蓬世円の第一声はジェスチャーも相まってよく分からなかった。蓬世円は左手を伸ばし左側から右側に薙ぎつつ「こうして、こう」と言った。
「あはは、…そうなんだ」
それは、自分の手でこの壁を破壊したということなのだろうか。朝比奈の若干引いたリアクションにカクンと首を傾げると、蓬世円はゴールに目線を移す。そして壁から飛び降りた。最強が動く。朝比奈が崩した表情を引き締めた。
(既に失格になっている可能性はある。ならば、ここで蓬世に攻撃を仕掛け迎撃してくれればお互い失格。後は玄が会長をどうにかしてくれれば、固まってる不動、壁の向こうの3人を無視して玄がゴール。問題は戦闘を行わずに会長を排除できるかどうか。条件は向こうも同じ。なら直接的な攻撃しか出来ない会長の方が不利なはず…。どちらにせよゴール前には玄の空間が広がっているし、仮に無視して向かわれても捕えられる分、楽か)
チラリと後ろを見ると、極ヶ原と玄は未だに睨み合っていた。
(だが、ここで問題となるのは玄の空間を直接、破壊できる蓬世円。この娘だけは、あの空間に近づけちゃ不味い。破壊されれば、不動か蓬世のどちらかがゴールしてしまう。会長に一発かますとして、距離的にも玄の体力的にも4回目の発動は厳しい。…となれば、不安材料は取り除いておくべきか)
朝比奈は右足をトンと踏み鳴らすと「ごめんね」と笑った。瞬間、蓬世円の真下の地面が彼女を持ち上げるように横に隆起し彼女の身体がコース外に向かって飛ぶ。
(自分のレーン外に足が付けば失格、しかして飛行も失格。条件が悪かったね。地に足を付けなければならない以上、僕の優位は揺るがない)
蓬世円の身体は空中で掻き消える。瞬間、現れたのは自分のレーン上。
「読んでたよ」
またしても、地面が隆起する。が、盛り上がった地面は蓬世円を10cm程持ち上げた所でガラガラと崩れてしまう。
(能力!?)
蓬世円をコース外へ送り出そうと噴水の様に湧き続ける地面。しかし、その身体を持ち上げる事は出来ず、湧き出ては崩れていく。
(腐食? 強制的な破壊? 何だ? 既に地面に対し何らかの能力を行使していた?)
「クッ!」
朝比奈はパン!と拍手を打つと、両手を地面に叩きつける。
「六種震動-『吼』!!」
持ち上げられないのならば、落とす。朝比奈の能力により、蓬世円を中心にそのレーンが割れる。地割れは大きく、長さはゴールにかけて数十m、幅は4mにも及んだ。底は深く視認することはできない。足場を失った蓬世円の身体が落ちる。飛べば失格。しかし飛ばなければ助からない。勝った。朝比奈が蓬世円の失格を確信した瞬間。「バカ野郎!」という玄の大声と同時に蓬世円が落下しつつ薄く笑い、共に崩れ落ちる地面の欠片を蹴った。
蓬世円は上には跳ばず、横に跳んだ。自らの片側の地面を大きく蹴る。そのまま忍者のように反対側の壁と化した地面へ向かいさらに蹴り返す。それを繰り返す要領で彼女は目にも止まらぬ速さで、前へと進み、あっさりとゴールラインを通過すると、最後は上に向かい蹴り地上に上ったところで玄の制限空間に飲まれる。全自動電気時計が停止し、ゴールが確認された。スクリーンに『1位 蓬世円』と表示された。歓声は無い。全員が呆気に取られている。
玄はゴールを覆いつくすように自身の空間を展開させていた。唯一、それから逃れていたのは地面の下だけ。朝比奈の地割れは不幸にもゴールへの道を作ってしまったのだ。そして、玄が正確に地上にのみ創り上げた能力空間も、その正確さが仇となった。
ピシッという音が玄に聞こえた。また蓬世円が自分の空間を破壊しようとしているのだろう。そう思ったとき玄の身体はゴールに向かって吹き飛んだ。ゴールを通過し顔から着地する。犯人は朝比奈。自警団の面子の為だろうか。玄は顔を手で覆いながら、目だけで朝比奈に「いつか殺す」と訴える。スクリーンに『2位 玄清十郎』と表示された。「はぁ…」とため息をつくと玄は空間を解除した。同時にゴールしたのは不動銀次。競技前のにやけ顔は一切無く、無限にも思える思考時間を与えられたせいでその顔は疲労に塗れていた。『3位 不動銀次』と表示される。
結果。
1位 蓬世円
2位 玄清十郎
3位 不動銀次
4位 極ヶ原強也
5位 神野木飯太
失格 朝比奈大地(他選手への度を越えた妨害行為及び、攻撃行為)
失格 相坂麻衣(他レーンへの侵入)
棄権 陀鳥拘(競技続行不可能)
その後、相坂麻衣の失格判定にはブーイングが起こり審議の結果、彼女は6位となったそうな。
最終更新:2010年07月09日 03:39