実際に見なくても何が起こったのか予想のつく、派手な物音が繁華街に響き渡った。
周囲のほとんどの通行人がそうしたように、音無舞花(おとなしまいか)もまた、音の発せられた方に顔を向けた。
歩道に不法駐輪されていた無数の自転車が、一つ残らず横転している。そのすぐそばでは赤茶色の髪をした小柄な少女が一人、
バツの悪そうな表情を浮かべていた。自分の物と思われる、銀色の自転車を引き抜いたポーズのままで。
別に同情してやる気にはなれなかった。恐らく彼女も、他人の迷惑も顧みず自分の乗り物を放置するような連中の一人なのだ。手伝ってやる義理はない。
しかし少女がドミノ倒しにされた自転車を無視してこの場を去ろうとする気配を感じ取った瞬間、舞花は彼女に干渉することを決めた。
「あなた」
ホットパンツから伸びた痩せこけた足をペダルに掛けようとしていた少女の背中に、険のある声をぶつける。元来目つきが悪い舞花だが、
怒気を孕ませた自分の声にも迫力があることは十二分に承知している。
「え? 私?」
わざとらしい疑問符を語尾に付けながら、少女が背中越しに舞花を見た。自転車のフレームに、高等部の半分はがれかけたステッカーが
張られている。どうやら年長者らしい。律儀にも名前と連絡先を記したシールまであったので、さりげなくそちらも確認した。
高等部二年。九法代美。読みにくい名前だと自覚しているのだろう。仮名も振られている。
クノリ、ヨミ。
「自分で倒した自転車を直してから行って下さい」
「あら、見られてましたか」
へらへら笑いながら、女が呟いた。直接目撃したわけではないが、自白が取れたのだから問題はないだろう。
「あの~、あなたの自転車はどれですか」
まるでそれだけ直せば許されるとでも確信しているような口ぶりである。それがまた舞花を苛立たせた。
道行く人々が、好奇の視線で自分たちの姿を撫でて行くのもまた気に障る。私だって好きでこの女の所業を咎めているわけではない。
「私はこんな場所に自転車を止めません」
「え、止めてないの?」
きょとんとしながら、名前も知らない年長者は尋ねてくる。
「じゃあ何でそんなに怒ってるんですか」
そんなことも判らないのか。少女から横倒しになっている自転車に視線を移した舞花は、溜息を吐きながら言う。
「私を含めた通行人の迷惑になってるからですよ。それでなくても狭い歩道を、ますます狭くしている自覚はあるんですか?」
「いやあ、はは……」
どこまでも軽薄な態度だ。
「す、すいませんでしたー!」
謝罪の声は、徐々に遠のいていく。顔を向けると、女は人ごみを器用に縫いながら、全力で自転車を走らせて逃走を図っているところだった。
既に十メートル以上の距離を開けられている。
堪忍袋の緒が切れた。
煮えたぎっていた怒りを素早く集中力に変換し、舞花は七つの武器を頭に思い浮かべた。そのイメージと寸分違わぬ七振りの剣、
フェレクラテーオが、間を置かず頭上に出現する。
空中に漂っている七つの武器の一つに、舞花は命じた。
――あの女の自転車を破壊しろ。
一目散に逃げる逃走者の背に易々と剣は、フレームごと自転車を両断した。
「え?」
スピードに乗っていた女は呆けたような呟きと共に体勢を崩すと、一拍置いて石畳の地面に激突しながら壮絶な悲鳴を上げた。
「ぎゃあああ!」
もんどり打っている女に、舞花は背筋を伸ばして近づいていく。六つの剣を引き連れながら。さすがに周囲の者も遠巻きにしているので、
常に人の絶えない歩道もすっかり歩きやすくなっていた。にも関わらず、一度何もない場所で躓いて転びかけてしまったのは自分でも不思議だ。
「いい加減にしなさい」
年長者に対する敬意などもはや欠片も持てず、舞花は声を荒げた。涙目でこちらを見上げながら、女が上半身だけ起こして訊いてきた。
「う~、いった~い……何なのよあなた……もしかしてあなた自警団?」
「あんな無法者集団と一緒にしないで」
「じゃあ風紀委員?」
よく教員や知人に勧められたりもするが。
「ただの剣道部員――」
「っていうか今気づいたけど、あなた中等部の制服着てるじゃない。老け顔だから気がつかなかったわ。年下の癖に生意気ね……」
遮った女の声には、次第に攻撃的な物が混じり始めている。
互いの距離が十メートル程になったところで、舞花は反射的に歩みを止めてしまう。
――何?
これ以上の接近を第六感が拒否している。あるいは精神に影響を与えるリフィターの能力を喰らったのかもしれない。
「信じられない。この傷、すぐに消えそうにないんだけど。女の子の身体に傷をつけるなんて、許せない」
派手に擦りむき、出血している膝を気にしながら、女が立ち上がる。形容しがたい恐怖に突き動かされ、舞花は自分の目の前で六本の剣を格子状に交差させ、防御姿勢を取った。
その直後には、巨大な火花が剣と激突していた。
轟音に耳を痛めながらも、舞花は大きく後ろに跳躍した。頬を打つ衝撃の度合いから察するに、六本全て防御に回さなければ無事では済まなかっただろう。
周囲の人間の悲鳴の中で、女はよく判らないことを言いながら首を傾げていた。
「あら、あなたもしかして、視える人なの?」
女の傍らの地面に突き刺さったままの、残りの一本をどうするべきか考える。まともにやり合うならさっさとこちらに戻した方がいい。
しかし本当の意味で自分の身を守るためには、あの地点に転がしておいた方が得策だろう。その気になった時に、いつでも相手の首を刎ねられる。
――とは言うけれど。
それもフェレクラテーオの操作可能範囲を、向こうが過小評価していてくれることが大前提になる。
目まぐるしく考えを巡らせた結果、舞花は女の足元の一本も、自らの近くに戻すことにした。
「うわっと」
音もなく持ち上がった剣に気づき、女が小さく驚嘆の声を洩らした。あの様子からすると、最後の一本については何も考えていなかったらしい。
能力の正体が掴めないのは何とも気味悪いが、さほど戦闘慣れしているわけでもなさそうだ、と舞花は判断した。
賭けではあるが、強烈な攻撃を見せて相手の戦意を削ぐのがベストかもしれない。防御を解き、頭上に浮かべたフェレクラテーオの
切っ先を全て相手に向けさせる。誰が見ても判る攻撃態勢。女、九法代美の顔が引きつったのが確認できたが――
「はい、取り込み中失礼しまーす」
突然舞花の横をすり抜けて行ったのは、高等部の制服を着た、泣き黒子をつけた男子だった。九法代美よりも更に明るい赤色を帯びた髪を揺らしながら、てくてくと歩き続ける。
と、代美の横で男は足を止めた。
「あんた怪我してんな。早く手当てした方がいいぞ」
声を掛けられた代美が、おずおずと片手を挙げる。
「あ、あの……」
「ん?」
「私、今凄く困っているんです。ストックもなくて。なので、助けて欲しいんですけど」
「ストックか。俺もしないとな」
などと洩らしながらしばし舞花と代美を見比べた後、男は気のない口調で答えた。
「まあ別にいいけど」
「ほ、本当ですか……?」
「ああ。俺のことはいいから早く病院行けよ」
男子学生は鬱陶しそうに九法代美を手で追い払う動作をすると、ポケットから安っぽいカッターナイフを取り出した。それをその場で数度振って見せる。
あんな物で、フェレクラテーオと事を構える気なのだろうか。半ば以上呆気に取られた頭で、そんなことを考えた。
全く理由が判らないが、男は恐らく初対面であろう九法代美に味方する気らしい。非常識な女に代わって、薄気味の悪い男が舞花の前に立つ。
舞花は七振りの剣を殺到させた。当てる気はない。かすらせるだけだ。
大口を叩いた男子学生の動向を伺う。彼は一度だけ貧相なカッターの刃を振った。
不可解なことに、たったそれだけの動作で、フェレクラテーオが全て軌道を逸らされていた。あるものはビルの外壁に、
あるものは街路樹の幹に突き刺さり、男子学生が弾いた一本は、舞花の顔のすぐ横を掠めていた。
――どういうこと?
舞花はフェレクラテーオを定位置である自らの頭上に改修しながら、動揺を鎮めるための分析を始める。カッターはフェイクで、
本命の能力を隠しているのだろうか。だとしたら不公平な話だ。見たままが能力の全てという自分は、常に手の内を見せながらでないと戦えないというのに。
あの男、A、Sランクだろうか。時間にさえ干渉するような能力なら、納得もできるが。
「やっぱ一本は自分で防がないと駄目か、いや……」
男は面倒くさそう独り言を洩らしながらに、再度素振りを始めている。奇跡的にカッターナイフも破損していないようだ。一、二、三、四、五――
六回。
その動作を見届けるのと同時に、舞花はフェレクラテーオの一つを手に取り、残りの六本を全て男に向けて放った。
男の能力の想像は大体ついた。素振りの回数だけ攻撃を溜めておける能力だろう。最高で六回。
能力を全部使い切らせれば、単なるカッター男と戦うのと何ら変わりない。素振りをする隙も次は与えない。
男に届くことなく弾き飛ばされていく剣を気にもせず、舞花は間合いを詰め切った。
寸止めで許してやる。
しかし男の喉許目がけて突き出した舞花の剣は、他ならぬフェレクラテーオによって受け止められていた。
「なっ……」
男の手に既にカッターナイフはなく、舞花と同じ剣が握られていた。
「一本借りるぞ」
もう借りてるだろう、などと突っ込む余裕もない。どのタイミングでくすねたのか考える余裕もない。見た目に反した圧力を刃に乗せてくる男と
鍔迫り合いを演じながら、舞花は先ほどから気になっていたことだけ尋ねてみる。
「あなた、どうしてさっきの女に肩入れしてるの。多分無関係でしょう」
「人に物を頼まれると断れないタチなんだよ」
「じゃあ私の頼みも聞いて欲しいわ。どいて」
「さすがに直前の依頼を反故にするような内容は、聞き入れられないかな」
男の手の中のフェレクラテーオは言う事を聞かない。怪力で押さえ込まれているのだろう。
「おっと」
周囲の五本を動かすのと同時に、男が飛び退いた。先ほどと比較にならない速度で六度の素振りを終えると、くすねたフェレクラテーオを
道端に投げ捨て、後ろを向く。
「あの女ももう逃げたみたいだし、俺も失礼するよ。これからデートなんで」
軽やかに去っていく男に、剣を飛ばす気にもなれなかった。どうせ六本は弾かれ、最悪残り一本も盗られるだろう。
肩で息をしている自分に気づく。想像以上に消耗していた。
今日は着物の帯を見に行こうと思っていたのだが――
「自主練習でもしましょう……」
あんなよく判らない男に圧倒されては、剣道部員の名が廃る。
おわりです
最終更新:2010年08月18日 21:22