平和な環凪学園。
「ふう……」
その高等部校舎にある男子用トイレで一人鏡と向かい合い溜息をついている彼は、平和な学園の平凡な学生、谷風良である。今日も髪には妙な癖が付いている。
深く気にしても仕方がないと割り切っているつもりなのだが、鏡があるとついつい確認してしまうのだ。
何をしにここへ来たんだ、と彼は暗くなりかけた気分を切り替えた。さっさと用を足して教室に戻らねば。じきに朝のホームルームが始まってしまう。
ズボンのチャックを下ろしながら、便器の前に立とうとしたその時、出入り口で空気の流れがあった。それに伴い人の気配も増えた。誰かが入ってきたらしい。
にしても、ドアの開け閉めがやたら静かだった。お行儀の良い奴がいるもんだ、などと思う。まあ気にする必要などないのだが――
「…………」
何だ、この妙に張り詰めた空気は。
やりづらさを感じた谷風は、事に当たる寸前の姿勢で出入り口の方に顔を向けた。
「…………は?」
疑問符はトイレの壁に反響して、やがて消えた。
およそありえない話だが、出入り口のすぐ前で立ち尽くしていたのは女子だった。長い睫毛に縁取られた大きな目は、凍りついているかのように動かない。
鼻も口も形が良く、小振りだ。綺麗というより可愛いと形容されることの方が圧倒的に多そうな容姿だった。
まるで見てはいけない物でも見たかのような表情だが――そっちから入ってきておいてそれはないだろう。
とりあえず谷風は男子の象徴が見えないよう、便器に身体を押しつけた。そして女子の挙動を見守る。早く出て行ってくれよと念じながら。
こちらの視線に耐えられなくなったのか、女子は顔を背けた。と、入口のすぐ横にある洗面台に気がついたらしく、彼女はその中に映る自分の姿を凝視し始める。
そして乱暴な手つきでセミロングの髪をいじり出した。黒いストレートの髪が純粋に羨ましい。
やがて挙動不審の女子は深呼吸をした後、ぎこちない動きで奥へと向かってくる。彼女は何故か谷風の隣の、男子用小用便器の前に立った。
一連の行動を目の当たりにした谷風は、異常なまでの不安感に見舞われた。まさかこいつ。
彼女は一度屈み、丈の長いスカートを自らたくし上げていく。ほっそりとしたふくらはぎが姿を現し、膝を超え、太股が露わになり――
「おいおいおいおい!」
谷風は絶叫と同時に、男性の証を社会の窓の奥に引っ込め、女子に詰問する。
「何やってんだよお前は!?」
目を丸くした女子は、際どい所まで足を晒したまま、谷風の顔を見た。そして気まずそうな笑みを浮かべて訊き返してくる。
イメージ通りの、幼さの残る声。
「は、はい?」
「……男子トイレだぞここは」
「え……ええ、知ってますよ」
「だろうな、何か立ちションしようとしてるし」
とりあえず怒り(とは違う気もするが)に身を任せた方がペースを握れると判断した谷風は、声を荒げた。
「どこの誰かは知らねえがさっさと出てけよ。尿意の限界も近いんだぞこっちは」
「そんな……一応自分にもこの施設を利用する権利はあるんですけど」
「女子トイレならすぐ隣にあるだろうが」
「あの、自分は男子なので」
と言って、女子にしか見えないその高等部生徒は自らを指した。危険な位置まで上がっていたスカートも、くるぶし近くまで落ちていく。
助かったような惜しいような。
谷風は改めてその人物の全身を眺める。まず突っ込みたいのは――
「そうは言ってもお前、女子の制服着てるじゃん……」
「それがですね……」
闖入者は心底暗い顔で答える。
「事務の人が性別欄を見ないでこの制服を用意してしまったらしいんです。一応手違いだと伝えはしたんですが、
結局初登校の今日には間に合いませんでした……」
「…………ふ~ん」
「あ、もしかして疑ってますか、その目は」
少しだけ不平そうに女子は谷風と見たが、信じろと言う方が無理な話だろう。
「そういえばお前、足に全く毛が生えてなかったけど」
「気にしてること言わないで下さいよ……昔から髪の毛以外の体毛が異常に薄いんです」
「しかしねえ」
いくら何でもできすぎではなかろうか。疑いの眼差しに腹を立てたのか、自称男子生徒がまたしてもスカートの裾を握る。
「な、何だったら今ここで証拠をお見せしても――」
「いやそれは結構です勘弁して下さい」
最後まで言わせずに制止した谷風は、代わりに尋ねる。
「ところでお前、今日から登校するって言ってたな。もしかしてあんたが神代刀夜か」
「え? そうですけど……どうして自分の名前を?」
「噂になってたからな。多分俺と同じクラスになるんじゃないか」
「あ、そうなんですか。初めまして。自分は今日からCクラスに編入させていただくことになった、神代刀夜と申します。至らぬところもあるとは思いますが
仲良くしていただけたら幸いです」
よく練習したんだろうなと思わせるような、スムーズな自己紹介だ。ついでに性別も明かした方がいいとは思うが。
「……ところで、個室で用を足そうとは思わないのか」
勧めてみたが、逆に女子に意見を求められてしまう。
「だって……恥ずかしくないですか? 他の人に個室に入るところを見られるの」
「まあそういう奴もいるらしいけど……その格好で立ったままするのは……」
正直この外見の人間に隣を陣取られたら、トイレどころではない。諦めてその場から離れるとセンサーが作動し、使ってもいない便器が洗浄されていった。
「まあいいや……じゃあ、また後で」
「はい。これからよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた神代刀夜に力なく手を振って廊下に出た谷風は思った。また変なのと接点が出来た気がする、と。
「角松」
呼びかけられた角松巧は、ふっと視線を引き剥がした。窓際にある自分の席のすぐそばに、クラスメイトの谷風良が立っている。
お互い積極的に人と交流を深めようとするタイプではないので、特段親しい間柄ではない。なので角松は若干戸惑った。
せっかくの休み時間なのに、どうしてこいつは突然声を掛けてきただろう。普段なら机の上に突っ伏して、うつらうつらとしているはずなのに。
「どうしたんだ、谷風」
真っ当な反応をしたつもりなのに、クラスメイトは深い溜息をついた。そして角松の机に片手を置いて体重を預けると、彼は小さな声で言った。
「何かお前忘れてそうだから念の為に言っておくけど……神代は男子だぞ」
「な……にを、言ってるんだ」
一瞬思考が止まってしまったのは、気がつけばいつも目で追っている転入生の名前を出されたせいだ。
「今も目で追ってただろ」
「だから何を――」
角松の返事などまるで聞かずに、谷風は続ける。
「お前みたいな真面目な奴が傾きだすと一番危なそうだから、一応な」
「話が見えない」
などと言いつつも、角松は眼球が神代を探している。このクラスに来て既に一週間となる神代は、今日も女子用制服に身を包んでいた。
新しい制服なんて永遠にできなければいいのに、と身勝手なことを角松は思ってしまう。
神代刀夜は自分の席に腰かけたまま、思いつめたような顔で教室の前方にある黒板――というか虚空を見つめていた。悩み事だろうか。いきなり環境が変わったのだから無理もない。
今度声でも掛けたいが、どう話しかけてみようか――
意識がシミュレーションを開始しかけたところで、ようやく現在の状況を思い出す。慌てて谷風を見ると、冷ややかながらも憐れむような目をしていた
とりあえず、少しずつでも話を逸らしていくしかない。
「どうしてお前がそんな忠告をしてくる」
「一応あいつとは相部屋だからな。右も左も判らない哀れな転入生の為に、俺が一肌脱いでやったっていいだろう」
相部屋。その事実は以前から知っていたが、一つ気になっていたことがある。
「谷風。お前はその――大丈夫なのか。神代とずっと同じ部屋にいて」
「どういう意味合いで心配してんのかは敢えて追及しねえけど……まあ案外平気だぞ。というかあいつ、基本的に部屋にいないんだよ。
夕方からふらふら外に出てっちまうんだよ。散歩とか言って。で、いつまでも帰ってこない。だから実質部屋にいるのは、せいぜい二、三時間だけだ」
「夜間外出か」
まあ大抵の学生がやっていることではあるが。
「あんな顔して神代も良くやるよ。お前ら生徒会の大好きな校則違反者だぜ、あいつ」
「しかし面倒くさいが口癖のお前らしくもないな。たまたま相部屋になっただけのクラスメイトを気遣うなんて」
「言ってくれんね。これでも情には厚いつもり――」
「あの」
角松の声を遮ったのは、神代刀夜だった。いつの間にか、自分と谷風のすぐ近くまでやってきている。距離が近いだけで、角松は狼狽しそうになっていた。
「谷風さん」
「ん、俺かよ」
「……いい加減、スペアの制服を貸していただけませんか」
はあ、と谷風は吐息をついた。
「あのなあ、何十回言ったかもう憶えてもいねえけど、もう一回教えてやる。いかなる理由があろうと制服の貸与は校則違反なんだよ。
お前は俺をこいつらの餌食にする気か」
こいつら、というところで谷風は角松の顔を親指で指した。しかし神代も引かない。
「でも……いつまで待ってもできないじゃないですか、制服」
「そんだけ作るのが面倒だから貸与厳禁なんだよ……材質や製造法なんぞに興味はないが、小規模の爆発程度なら無傷な程頑丈な衣服だからな、これ」
意を決して、角松は神代に向けて言葉を発した。
「何なら、俺のを貸そうか?」
きょとんとした表情で、神代がこちらを見た。それだけで胸の辺りが苦しくなる。すぐそばに、大口を開けているクラスメイトがいるのが目障りだが。
「お気持ちは嬉しいんですけど」
申し訳なさそうに応えた神代が続ける。
「角松さんの制服は、サイズの問題でちょっと……」
自分の名前を知っていてくれた。その事実が大きすぎて、提案を断られたことのダメージがない。
「ああ……そうか。じゃあ貸してやれよ、谷風。二着目なんて基本的に使わないだろ」
「角松、生徒会の名が泣くぞ……」
大体な、と谷風が神代の顔を睨む。自分にはとても出来ない。
「俺の制服だって充分サイズでかいだろ、この寸足らずが」
「谷風さんの制服はちょっとくらい裾が汚れたっていいじゃないですか」
「何で俺って大抵の人間に下に見られんのかなぁ……」
そんな会話を聞いている最中に、教室のドアがノックされる音がした。奇妙なリズムで。誰が来るのか、その時点で角松には予想がついていた。
出入り口の引き戸が動くのと同時に部屋に入室してきたのは、角松の所属する生徒会の副会長、一戸遥だった。
「角松君」
入ってくるなり名を呼ばれた。容姿端麗にしてどこか近寄りがたい印象を与える彼女は、周囲の視線を一身に集めながらこちらに歩み寄ってくる。
谷風などは既に逃げ腰になっている。何かやましいことでもあるのだろうか、こいつは。
「はいこれ。来月市街地で行われる夏祭りの巡回ルートと、シフト表。不都合があれば早めに申告してね」
机の上に音もなく置かれたプリントに視線を落としながら、角松は応える。
「ああ、やっと出来たんですか。結構前から議題に出てたのに、結構かかりましたね」
「一人で作業したんだから、このくらい時間を食うわよ」
と言いながら、副会長は整った容姿を苦しげに歪ませ、長い黒髪を右手で掻き毟った。あらゆる仕草が優雅に見えるというのも得な話だ。
「早くあなたにもこういう事務処理を教えなきゃね。無能なリーダーを持つと補佐が苦労して仕方ないわ」
あの会長をここまで罵倒できるのは、恐らく彼女だけだろう。
「あ、そうだ」
じりじりと距離を置き始めていた谷風が、何かを思い出したような声を出す。
「聞いてくれよ副会長。そこの角松君が、俺に校則違反を要求してくるんだよ」
「あら。もし本当だったら聞き捨てならない話ね」
理知的な光を帯びた切れ長の目が、こちらに向けられる。大抵の者なら射竦められるだろうが、日常的に彼女と顔を合わせている角松は既に慣れていた。
クラスメイトが続ける。
「角松君、俺が大切にしているスペアの制服を神代君に貸してやれって言うんですよ。立派な違反教唆、いや最早権力を振りかざした恐喝ですよこれは」
ずいぶんなへり下りようだ。それだけ神代の要求がしつこかったのだろうか。
「制服の貸与」
口にした一戸が、角松と谷風、そして神代の顔を意味ありげな視線で撫でた。
そして彼女は言う。
「面白そうな話じゃない。じゃあ模擬戦闘で決めてもらいましょうか」
「は?」
最も早く反応を示したのは谷風だ。
「何言ってんだあんたは。喧嘩は校則違反だぞ。生徒会副会長の言葉とも思えねえ」
「だってお互いの意見が平行線なんでしょ。判りやすいゲームで勝敗を決めた方が、双方後腐れがなくていいわよ」
「あの、自分がやるんでしょうか。その模擬戦闘は。自分、凄く弱いんですけど」
神代の言葉を、副会長は言下に否定した。
「言いだしっぺは角松なんだから、あなたが出る必要はないわ。彼の相手は、うちの新入り君にやってもらいましょう。
私と会長で立ち会います。放課後、二人は必ず屋上に来ること。やる気を出してもらう為、負けた方には、戦闘カリキュラムの補習授業を課しましょうか」
「全く意味が判んねえ……」
角松は、その谷風の独り言とほぼ同じ感想を抱いていた。部屋を出る直前、一戸は角松の耳元に顔を近づけて囁く。
「勝ってあの子にいい所を見せてあげなさい」
あっさり想いのベクトルを見抜かれていた。
放課後、島を一望できる高等部校舎屋上には、五人の生徒が集まった。
「この扉を開けて屋上に上がってきた人間を即座に昏倒させる――それが今日の俺の任務でいいんだな」
快晴の空の下。階段室のすぐそばに立っていた一戸は、隣の生徒会長、極々原強也の確認に短く頷いた。
「ええ」
「ところで副会長、俺の目の前では角松君が妙な髪質の男子と喧嘩を始めそうなんだが。あっちで女子が一人、緊張の面持ちで見守っているぞ」
「ちょっとした戦闘訓練なので、気にしないで下さい」
「あー、成程」
あっさりと会長が納得した――わけではなかった。
「この喧嘩に何の意味がある。先に言っておくが、怪我人が出そうになったら割って入るぞ」
「まあその辺りはあなたの裁量に任せます」
一戸は、口八丁で保管庫から奪い取ってきた屋上の扉の鍵を弄びながら、会長に尋ねた。
「彼の戦闘員としての資質は、どの程度だと思いますか」
視線と角松に移す。普段は温厚そうな新入りも、今はそれなりに険のある目つきをしている。
「何とも言えんな。まだ一年だ。素質がある分、可能性の話ならいくらでもできる」
「しかしどう見ても戦闘向きの気性ではありません。このままではとても荒っぽい仕事を任せられない」
これには会長も同意する。
「それは俺も思う」
「ところで……恋をすると、人は変わるそうですね」
「突然話が飛んだな」
「その辺りは気にしないで下さい」
「了解。――その話なら俺も人づてに聞いたことがある。生憎自ら体験したことはないがな」
「彼……角松君も今、恋をしているようです。戦闘員としての才能を開花させる起爆剤になるかもしれません。
守る物があった方が、彼は強くなりそうなタイプに見えますし」
「どうだろうな」
ところで副会長、と言って極々原は一戸の顔をまじまじと見つめる。
「普段仕事しか頭にない君が恋愛の話をしてる姿は、恐ろしく不気味だぞ」
一戸の拳が会長に難なく避わされた頃、Cクラスの一年生二人は戦闘を始めていた。
参ったな。
クラスメイトの角松と、十メートル近くの距離を置いて対峙していた谷風良は、自らの頭を掻いた。
逃げてもどうせ無駄、というか連中の報復が怖いので来てしまったが――正直勝てる気がしない。
大方相手を張っ倒せば立会人がストップを掛けるのだろうが、生憎谷風には角松を張っ倒す術がないのだ。ドローになれば御の字だ。
何しろ既に相手は全身を硬化させる能力、リノセロンテを発動している気配があった。こうなるともう、自ら禁じ手にしている首刎ねさえ通じないかもしれない。
実際に試す気はないが。
「くっそ……」
元凶である神代刀夜は、固唾を飲んで成り行きを見守っている。腹の中では角松を応援しているのだろう。憎たらしいことこの上ない。
「馬鹿馬鹿しい」
ストレスが独り言を助長する。大体角松は何を考えているんだ。神代に気に入られたいのは判るが、結果落ち込むのは自分だろうに。
「始めていいのか」
当の角松は平然としている。谷風は自暴自棄になりかけながら答えた。
「いつでもどーぞ」
言葉が終わるのと同時に、生徒会構成員は突進してきた。スピードが鈍いのが唯一の救いだ。突っ立っていた谷風も腰を落とし、身構える。
さてさて。
とりあえず、角松の足を狙ってポルターガイストを発動させた。重りを付けるイメージ。上手くいけば相手はその場ですっ転ぶはず……なのだが、全く意に介さない。
負荷などまるでないかのように、角松は同じ速さで接近していた。
硬度だけじゃなくて重量も上げるんだったか、奴の能力は。
本当に八方ふさがりだな、などと悲観的な思考を抱きながらも、谷風は大きく後退した。縮まりつつあった距離を、難なく元に戻す。
ポルターガイストを自身に掛けることによって強引に機動力を上げることも出来るのだが、身体に優しくないので何度もやりたい芸ではない。何より逃げてばかりでは勝てない。
もう逃げてえ、と出口を盗み見たが、階段室の前には生徒会長とその補佐が立ち塞がっている。死ぬまでやれってか。
至近距離で最大威力のポルターガイストを発動させて、それでも相手が無傷なら降参しよう。
腹を括った谷風は、胴を狙って飛んで来た角松の前蹴りを紙一重で避けた。身体強化さえ持続させていれば、そうそう命中しない。
しかし当たれば身体に穴が開きそうな威力だというのは、空気を通してひしひしと伝わってきた。
相手の横をすれ違いざま、谷風はポルターガイストで強度と速度を上げた手刀で角松の顔面を張った。直撃したが、手応えがない。そもそも相手に避ける気配がなかった。
能力そのものの強度の差が大きすぎる。既に角松は、反撃の為に動き出していた。
駄目だなこりゃ。
ハンズアップする直前――
「角松君!」
神代の声が屋上に響いた。手刀でダメージを負ったものと誤認したらしく、悲鳴のようなトーンだった。
たったそれだけの言葉が、眼前の角松の動きを完全に止めていた。顔だけでなく、耳まで赤くしている。リノセロンテが発動している気配もない。この至近距離で、全くの隙だらけだ。
「このアホは……」
名前を呼ばれただけでなんて様だ。谷風は完全に呆れながらも、こめかみに渾身のフックを叩き込んで角松を昏倒させたのだった。
神代刀夜がクラスにやってきて二週間。彼女――いや彼は未だに女子制服を着ていた。
「明日からだっけか。補習訓練」
例によって神代を眺めていた角松は、谷風の声に力なく答える。
「ああ」
どうしてこんな奴に負けたのだろう。神代の為に本気で勝つつもりでいたのに。
「どんな内容なんだ?」
「さあ。聞いてない」
「余裕だなおい」
にやにやしながら、クラスメイトは言う。
「まあ補習で済めば安いもんだろ。何しろ神代に一番女子制服を着て欲しかったのはお前――」
生まれて初めてのことかもしれない。否定の言葉の前に、手が出ていた。リノセロンテで反射的に重量を増やした拳が、谷風の腹部に容赦なくめり込む。
易々と宙に浮いて吹き飛ばされた谷風の身体が窓硝子を破り、重力に従い落下していく。教室のあちこちで悲鳴が上がったが……
まあ死にはしないだろう。あいつはCクラスナンバーワンの器用貧乏だ。
「殺す気かああ――」
階下からの怒声を聞いてほっと息をつく神代の姿を見て、谷風に対する微かな嫉妬心を覚えてしまう角松なのだった。
おわり
最終更新:2010年08月18日 21:25