頬を雫が伝う。死の恐怖ではなく、感動の証が月光を反射した。
差し伸べられた手に惹かれたその瞬間から、この終わりは決まっていたのだろう。
だが、彼女の胸に、後悔の念は欠片もない。
「あなたのために……」
誇らしさが今にも砕けそうな胸を満たす。
この偉大な御方に連なれたことが、嬉しくて。
「抱きとめられたくて、ここまで来た……」
だからせめてと、その時だけを夢見て足掻き続けた。
結果は無残なものだとしても。予定調和の駒だとしても。
――これ以外に、彼女の道はないのだから。
「地位も、名誉も、居城も、不要……私の望みは、ただ一つ」
「いま、あの時から変わらず――この瞳に映っている」
嘲笑とは違う、心からの笑みが唇を柔らかく動かした。
ああ、歯痒い。けれど、それでよかったのかもしれない。
手の届かない相手は理想像であるがゆえに、美しい。
足掻くこの手で触れてしまえば、きっと穢れてしまうだろう。
理想は、理想のまま誰にも穢されず在ってほしい。
近づきたいのに、己さえも近づかせたくはない。
――そんな二律背反の想いに、彼女は最期で気づいたから。
だから、お願いします。摘んでください、《伯爵》。
私を始めたあなただから、私を終わらせていいのはあなただけ。
友情も、愛情も、全ての情はその威光へと集約する。
あなただけが、この慕情に幕を下ろせるから。
「御身へ───永久に咲く、薔薇の愛を」
告白と共に、そっと頭を撫でた手が……彼女の身体を砂に変えた。
――求め、足掻き、想い敗れて終わる。
妄執に突き動かされたバイロンの放浪は、悲恋と純情によって、その終焉を迎えたのだった……