トシローの胸に秘められた
呪い。それによって遠からずして彼は
死ぬ……
『ノーマ・ジーン』を訪れていたシェリルは、その変わらない事実を前に、愛する男へ何を伝えるべきなのか、言葉に出来ず惑うしかなかった。
そんな苦悩する彼女が思い浮かべたのは、アイザックの幻影。
―――もう時間がない今。自分が何をなすべきか。ずっと“相棒”という言葉に甘えて、何も知ろうとはしてこなかった臆病な自分が……
「あんたが大切な存在なのだ」という想いをどんな言葉で告げればいいのか―――でも、何を言っても嘘に感じられてしまう……
だが、幻影はそれは違うのではないかと、違う回答を返してくる。
“おまえさん、言葉ってものに縛られ過ぎなんじゃないのか?”
“言葉は決して万能じゃない……人間同士の言葉を通じ合えなくさせたのは、そもそも神様の仕業だしな。
同じ言葉を使っていても、嘘しか話さない奴だっている”
“だから人間は、言葉以外の方法を生み出す必要があったのさ……真実を伝える方法を”
“言葉を話す代わりに絵筆を持つ奴。本を書く奴。リングに上がって殴り合う奴。
おまえさんにも、何かあったろう? その、胸ん中の熱い奴を形にする何かがさ───”
瞬間、彼女の中で何かが開けたような感覚があった。
そこから、彼女は踏み出し始めた―――
「ルーシー、ステージの用意をしてよ。今夜は凄く歌いたい気分でさ」
「……は、はい! 皆さーん、今は亡きカサノヴァの歌姫が降臨致しましたよー!」
……うん、大丈夫。今なら、歌える。
バックバンドの音が滑り出す。それに合わせて、あたしはマイクを握った。
全てを歌に乗せればいい。歌の本質は表現技術じゃない。
例えるなら、それは器だ───人の胸にある、狂おしいまでの想いの丈を乗せる為の。
───もっと、もっと遠くへ届かせなきゃ……
観客の向こう。カウンターへ腰を下ろしたトシローの横顔が見える。
目を閉じたまま、あたしの歌を聴いていた。
───あんたがどんなに遠くへ行こうと……
たとえ、言葉では届かなくとも。
───どんな過去を抱えていようとも……
たとえ、自分自身の悪夢を思い出すことになろうとも。
……あたしの歌を何度も聞いてきたはずのギャラリーが、どうやら驚いてるみたいだった。
……歌って伝えようなんて思ったの、気まぐれで教会に通ってたとき以来かもしれない。
そう、人間だったとき、たしかそんな風に考えてたりしてたはずなんだ。
“飽きるほど時間があるから、いつか伝えられればいいや”って………
いつの間にか、あきらめてたのかもしれなかった。
でも、本当は今しかないんだ。そう信じて、あたしは歌う。
「………トシロー様?」
「…………」
あたしは歌う。歌い続ける。この想いを……あたしの真実を、あの男まで届ける為に。
最終更新:2021年07月12日 15:31