死なないで……くれ……

発言者:角鹿 彰護
対象者:名も知らぬ少女


架上市市民ホールでの惨劇に、仲間達と共に立ち向かった警察官・角鹿。
こんな悪夢のような光景を認めてなるものかたとえ一人でもここから救い出して見せると――積みあがる仲間の屍を越えて闘い続け……


――数多の屍に埋め尽くされた中、目覚めた彼は何か肉の塊のようなものの傍にいた。
被害者達の命が失われゆく中でそれを、人間だったもの(・・・・・・・)を見つけそれを庇い続けていたのだった。


何も守れない、誰も助けられない。眼前で行われる卑しい獣欲に任せた悪しき蛮行を、信念の力で止められない。
自覚する無力感が絶望を加速させ、決意は錆びて腐食し、欠け落ちる。
故に、角鹿がそれを見つけた時、彼の目には最後の希望のように思えて。
一心不乱にそれを奪い取り、肉の盾となっても護り抜こうと彼の躰は動いていた。

だが、そうして守り抜いた希望さえも今まさに、消えてなくなる寸前だ。
目の前にあるのは、赤黒い空洞と化した眼窩。長い髪は無理やりに剥ぎ取られ歯もほとんど残っていない。
ただ、かろうじて体の大きさや骨格から若い女性である、という事が分る程度だった。

―――守ろうとした。助けようとしたのだ。
無惨に踏み躙られた無辜の命を前に、どうか消えないでほしいと……男の唇から儚い願いが零れ落ちる。


「死なないで……くれ……」


泣き出しそうなその声が届いたのか。
顔面の中で唯一原型をとどめていた唇が震えるように微かに動いた―――



+ 彰護の耳に届いたのは
■■■■■


歯もないためにすきま風のような音しか届きはしなかったものの。
苦痛に塗れたその表情から、角鹿は理解してしまった。
――それは、怨みと呪いの言葉であろうと。
理由も分からず自由を奪われたあげく、女の純潔も人間の尊厳も蹂躙されて。
想像を絶する苦痛を与えられ続け絶命していく者ならば、最後に吐く言葉は呪詛の言葉以外にはありえないだろうと―――

コロシテヨ――そう彼女は認識できた存在である己に告げたのだろう。

瞬間。天地が逆転したにも等しい恐怖が角鹿を震え上がらせる。
――助けた?守った?こんな有様の人間を?
いたずらに苦痛の時間を引き延ばし、楽になりたいという被害者の最後の願いさえ踏み躙った……
己の行いは――ただの自己満足に過ぎなかった。
――そうだ。助けるのなら、護るのなら、信念を貫くのなら。
――最初から、誰一人、こんな姿にしてはならなかったのだ。
それができなかった以上、信じてきた正義と善は、この地獄で何の価値も持ちえない。
その現実を認めたくがないために、己は劣悪な欺瞞を働こうとしただけだ。


「ひ、ぃぃあぁあ――――」


それは魂の火葬だった。生きながらにして人間としてのすべてを否定されて終わっていく。
正義と人道の守護者たる角鹿彰護は、間違いなくその日、死んだ。
積み上げたものが無為な灰燼へと変わる。薄れゆく意識の中で、目覚めた己は空虚な別人へと成っているだろうと……確信していた。





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最終更新:2021年05月14日 23:13