東京ディズニーシー
テーマパーク:Tokyo DisneySea
オープン:2001年9月4日
運営:
オリエンタルランド株式会社*
所在地:千葉県浦安市舞浜1-1
概要
東京ディズニーリゾートを構成する2つ目のディズニーテーマパーク。海にまつわる物語や伝説をテーマとしており、世界で唯一の「海」をテーマとしたディズニーテーマパークである。
東京ディズニーランドがディズニー映画や童話の世界を中心に構成されているのに対し、東京ディズニーシーでは海を介した冒険や探険、異国への旅、未来や神秘の世界などを題材としている。園内は「テーマランド」ではなく「テーマポート」と呼ばれる8つのエリアで構成され、それぞれが異なる時代や地域の港を表現している。
東京ディズニーランドよりも幅広い年齢層、とりわけ大人のゲストにも楽しめるパークとして計画され、開園当初からレストランでビールやワインを提供したほか、ショーや飲食施設にも力を入れた。また、既存の海外ディズニーパークをそのまま再現するのではなく、開園時のアトラクションの大部分が東京ディズニーシーのために新たに開発された。
構想・開発
東京ディズニーランドは開園から数年で経営を軌道に乗せ、1986年度には開園以来の累積損失を解消した。その後も入園者数は増加し、開園5周年を迎えた1988年度には当時過去最高となる1,338万人を記録した。こうした成長を背景に、1988年4月15日の開園5周年記者会見で、当時オリエンタルランド社長の
高橋政知*が正式に第2テーマパーク構想を発表した。
当初検討されていたのは、映画スタジオをテーマとした「ディズニー・ハリウッド・スタジオ・テーマパークat東京ディズニーランド」であった。これはフロリダで1989年に開園する
ディズニー・ハリウッド・スタジオの前身「ディズニーMGMスタジオ」をベースとした構想で、映画制作の世界を体験できる第2パークとして計画が進められていた。
しかし、このスタジオ型パークの構想は1991年に見直されることとなった。オリエンタルランドとディズニー社は改めて新しい第2パークについて検討し、「東京ディズニーランドでは味わえないまったく異なる体験を提供できること」と、日本のゲストが繰り返し訪れたくなるパークであることを大きな条件とした。
1992年に提案されたのが、「セブン・シーズ(7つの海)」と呼ばれる新たなコンセプトだった。映画スタジオという特定の題材ではなく、世界中をつなぐ「海」をテーマとすることで、港町、探険、航海、未来、伝説など幅広い題材を一つのパークに共存させる構想で、このアイデアが後の東京ディズニーシーの基礎となった。
その後、オリエンタルランドとディズニー社は第2パークの具体化に向けて長期間の協議を続けた。単にアメリカのディズニーパークを日本へ移植するのではなく、日本のゲストがどのように施設や物語を受け取るかについても検討され、両社の文化的な感覚の違いが設計に影響することもあった。
代表的なのが、パークのシンボルをめぐる議論である。ディズニー社は当初、海をテーマとするパークの象徴として「灯台」を提案していた。アメリカでは灯台は、航海へ出た人々を安全に故郷へ導くものとして、冒険や帰還を想起させる温かなイメージを持っていた。一方、オリエンタルランド側は、日本では灯台から寂しさや哀愁を連想することがあり、ディズニーテーマパークの入口を飾る象徴には適さないと考えた。
両社の議論の末、灯台に代わって採用されたのが
アクアスフィア*である。海だけではなく、海に覆われた「水の惑星」として地球そのものを表現することで、特定の国や港に限定されず、世界の海へ旅立つパークの入口を象徴するものとなった。
施設の規模についても両社の間で議論が重ねられた。
アメリカンウォーターフロントに停泊する
S.S.コロンビア号では、建設費との兼ね合いから船体の大きさが検討されたが、最終的にはディズニーのイマジニアが求めたスケールが尊重され、全長約140mの巨大な客船として建設された。実物に近い規模の建造物を用いて、テーマパークでありながら実在の港町を訪れたような感覚を生み出すという、東京ディズニーシーの景観づくりを象徴する施設となった。
こうした設計思想はアトラクションにも及んだ。東京ディズニーシーでは既存のディズニーパークから施設を集めることよりも、このパーク独自の体験を作ることが重視された。開園時のアトラクションの多くは東京ディズニーシーのために新規開発され、海底、火山内部、未来のマリーナ、アラビアの港、中央アメリカの遺跡など、それぞれのテーマポートに合わせた体験が作られた。
また、東京ディズニーランドとは異なる客層を開拓することも計画上の特徴であった。子供を含む家族層だけでなく、40代以上を中心とした大人を含む幅広いゲストを想定し、落ち着いて食事を楽しめるレストラン、ビールやワインの提供、本格的なショーなどを充実させた。アトラクションだけではなく、景観や食事、エンターテイメントを含めて一日を過ごせるテーマパークとして設計された。
構想発表から約8年を経た1996年4月、オリエンタルランドとディズニー社は「東京ディズニーシー・テーマパークの開発、建設および運営に関する契約」と、パークに隣接するホテルの開発、建設、運営に関する契約を締結した。ホテルは後の
東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ*となり、パークのエントランスと一体となった施設として計画された。
1997年11月に基本設計が完了し、「東京ディズニーシー事業計画(案)」がまとめられた。同年11月26日には事業概要が報道関係者へ発表され、1988年の第2パーク構想発表から約10年を経て、「東京ディズニーシー」という名称と具体的なパークの姿が一般にも明らかとなった。
1998年10月22日に本体工事が着工。同日の記者会見では、東京ディズニーランドと建設中の東京ディズニーシー、ホテルや商業施設などを含む舞浜一帯を「
東京ディズニーリゾート」と呼ぶことも発表された。
総工費は約3,350億円。約2年間にわたる大規模な建設工事を経て、最初の第2パーク検討開始から約18年、第2パーク構想の正式発表から約13年後となる2001年9月4日に東京ディズニーシーは開園した。
テーマポート
最終更新:2026年09月05日 00:35