アラ・レンヴェア・テュルケイタイ | ||
"Ala" lenvea tjurkeitai | ||
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生没年 | 179X年~189X年 | |
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生誕地 | エレイソネス国パラスドン市 | |
没地 | エレイソネス・ハルテャーフ民主共和国パラスドン市 | |
プロフィール | 目次 | |
所属組織 | エレイス民主共和市民軍エレイス民主共和国陸軍 | |
軍歴 | 180X~186X | |
異名 | テナエの黒い月 | |
最終階級 | 名誉終身特務元帥 |
レンヴェア・テュルケイタイとは、エレイス民主共和市民軍に参加したパラスドンの市民、エレイス民主共和軍の軍属。最終階級は名誉終身特務元帥で、実質的な陸軍元帥である、EHRA打倒後は国防大臣としてエレイソネスの軍需指導を行った。
任務時においての作戦立案は超が就くほどの用意周到かつ慎重であり、堅実の極みともいえる徹底的に用意された防衛線を得意とした。また、作戦遂行のために味方を切り捨てることのできる冷徹さを持つ人物でもあった。 だが、プライベート、特に休暇時や暇な時間は自ら兵卒の宿舎に訪れ、友人の訪問客としてカードゲームや買い出しを楽しみとした。周囲の証言によれば、彼女は常に笑いを絶やさず、かつ兵舎を訪れる際は最も楽しそうにしていたという。 男女、宗教、思想分け隔てなく接し、喜怒哀楽を兵士と共にした彼女は戦場においても支持は根強く。第一市民兵旅団の精鋭である第二歩兵小隊の自爆攻撃後に宿舎から発見された「朝起き、昼に背負い、夕に死ぬ。栄光あれ」という彼女宛ての手紙が発掘されている。 当時、既に隠居済みの彼女はそれを知ると、同日中に名もなき市民兵の墓へ当時の軍服姿で訪れた。その日は雷雨が降り注ぐ大雨天であったが、彼女は傘を差さず、1時間以上かけて全ての墓へ黙とうを捧げていたと記録が残っている。
「栄光あれ」(アル・レンヴェヤ)は本来王国政府の敬礼語であるが、アラ・レンヴェア(一位のレンヴェア)とスペルが似ている故に「レンヴェアを愛する」という意味の隠語であったとされる