CpT-41 "ショールト" | ||
CpT-41 "Шohrt" | ||
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車輌情報 | ||
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車種 | 主力戦車 | |
運用者 | 運用国を参照 | |
製造者 | ![]() |
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製造期間 | 1678年 - 1693年 | |
運用期間 | 1679年 - 年 | |
製造数 | 約56,000輌 | |
車体諸元 | 目次 | |
全長 | 【全長】m | |
車体長 | 【車体長】m | |
全幅 | 【全幅】m | |
全高 | 【全高】m | |
乗員 | 5名 | |
空虚重量 | 28,335kg | |
戦闘重量 | 31,010kg | |
懸架方式 | HVSS方式 | |
装甲諸元 | ||
装甲材質 | 均質圧延装甲 | |
砲塔装甲厚 |
上面22.8mm 展望塔22.8mm 前面77mm 防盾91.5mm 側面45.7mm 背面45.7mm |
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車体装甲厚 |
上面22.8mm 前面63mm 側面45.7mm 背面45.7mm 底面11.4mm |
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機関諸元 | ||
エンジン | ヴルニト・ノグトヒルダーBB-5 V12ディーゼル1基 | |
エンジン出力 | 410馬力×1基 | |
整地速度 | 40.5km/h | |
不整地速度 | 19.8km/h | |
燃料 | ディーゼル燃料 | |
航続距離 | 200km | |
増槽航続距離 | 350km |
主戦力車両第41
(CahrpattTerahle-41)は、世界大戦中にファタ・モルガナ帝国にて開発、製造された中戦車、主力戦車である。
本車が登場する以前のファタ・モルガナ帝国では重装甲鈍足のFyT-25や軽量快速のCT-24の平行運用に代表されるような二車種運用方式が取られていたもののその運用思想はAW直後程度の時期からほとんど進化しておらず、またその総数も他国の陸軍に比して全く少ない儘であった。
世界大戦が勃発して西零地域で大規模な陸上戦が展開されるようになると同地域への間接、及び直接介入が始まり、それに伴い陸上部隊の大幅拡充や同盟各国への戦車の大量供給が急務とされた。しかし当時ファタ・モルガナにあったFyT-25などは西零で使用するには専ら性能が足りておらず、また製造工程も複雑で大量生産に向いていなかった為新型戦車の開発が開始された。
開戦当初はシャノワールを戦略爆撃する為の爆撃機の製造が優先され、新型戦車の開発は若干の遅延を見せたが1677年中には設計が完了し、翌78年から量産が開始された。量産最優先とされたレンツィア戦略爆撃機やシェストール戦闘機の配備数がある程度の水準に達するとCpT-41の量産も加速したが、80年からはレッテナーツマ戦略爆撃機が量産開始されたことで再び失速。それでも大闊歩作戦時の配備は最低限数までにはなっていた。
量産開始から程なくしてグランダに最初の対外輸出及びライセンス交付が行われ、グランダ軍にて「ショールト」の愛称が付けられた。この愛称はファ帝軍に逆輸入された結果型番の後に続く正式な名となり、CpT-41は数字以外の名前が制式名称となった最初のファ帝戦車となった。
ファタ・モルガナ帝国は世界大戦においてただ一種の戦車を只管大量生産した上でその任務は飽くまでも歩兵支援に特化させ、敵の有力な戦車は圧倒的な航空支援を以てして陸上部隊の接触を待たず上空からの攻撃で片っ端から破壊する手法を取っていた為、まともな戦車戦という戦車戦をほぼ全く経験しないまま勝利を収めた。
これは少なくともシャノワール軍相手であれば最適解であったものの、空軍の有力な相手には通用しない手法であった。しかしながらこの成功体験がファタ・モルガナ帝国の新型戦車開発を大幅に遅延させることとなった。
世界大戦終了後に本車の大規模量産は一度終了したものの、その直後に突然オリエンス大戦が勃発した為に再生産が始まり晋迅本土などの対リベント戦前線へ送られることとなった。しかし当時の最先端兵器であるジェット航空機を大々的に使用するリベント空軍に対してファタ・モルガナ皇立空中戦闘隊は初動での制空権奪取に失敗。陸戦隊戦車部隊は晋迅島で満足な航空支援を受けられない儘戦うこととなった。
オリエンスに投入されたCpT-41は対戦車火力を向上させた77.22mm/54口径戦車砲HP-38を搭載したHL型(CpT-41HL)が主であったものの、その長砲身砲の威力を以てしてもリベント戦車の防御力には全く対抗出来ず、逆に敵の高火力砲に一方的に撃破される事態が発生した。ファ帝軍戦車部隊の死傷者は急増し、この頃からCpT-41は「陸の棺桶(*1)」などと揶揄されるようになった。
事態を重く見たファ帝軍はようやく後継戦車の設計及び量産を始めたが、強力なリベント戦車に対抗できる戦闘力を目指した後継車はCpT-41より遥かに高コストで量産性の低い車両となった。結局後継車両であるCpT-50やCpT-53などが本車に代わる数的主力になることはオリエンス大戦全期間を通してなかった。
バランス良く纏まった性能と極めて優れた量産性、整備性を有していたため開発国であるファタ・モルガナ帝国の皇立陸上戦闘隊で大量に使用された他、有志連合各国にも輸出されたり量産ライセンスが交付された結果全バリエーション合計で56,000輌以上が生産された。
またサスペンション強度など設計上の余裕も大いにあったことから発展性も高く、車体を流用して様々な派生車両が製作された。またグランダ軍などでもCpT-41MAXリュテルショールトのような独自の改良型が設計された。
固定兵装 | |
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名称 | 基数 |
P-31 40口径77.22mm戦車砲 | 1基 |
Ko-30B-13 13mm重機関銃 | 1基 |
IP-30A 7.8mm機銃 | 2基 |
補助兵装 |
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名称 |
情報処理 |
OSRRk 無線機 |
補助装備 |
PV-5 ペリスコープ |