本項では、ミュルネニヤ・ゼルディアヴェニの国家元首たる クテュヴェザイネゼー (主席、 kutyvesaineser )について解説する。
1550年のミュルゼル完全統一に際して、ミュルネネーレオネ民族解放戦線党首であるターフ・ヴィール・ユーフェイヤ (
tarf virl jurfheija
)は民族解放戦線を国家制度の基盤として同化することを目指した。これによってユーフェイヤは元首として名乗ることになったが、元戦線幹部はいずれも彼女に様々な崇高そうな名前を付けようとした。一方でユーフェイヤは、このような個人崇拝に繋がる動きを嫌っており、クテュヴェザイネゼーという名を提唱した。これは、本来
「お茶会をする者」
の意であり、その他の仰々しい名前を付けるのを彼女が嫌ったことによる。元戦線幹部はこれに同意し、この名称は現代まで受け継がれている。
「ティーパーティー」とは何の関係もない。
対外的には、「主席」と訳される語で翻訳されているが、ミュルゼル国家自体はこれをあまり気に入っていないようである。
名前 | 愛称 | 党 | 在位期間 | 概要 | |
---|---|---|---|---|---|
ターフ・ヴィール・ユーフェイヤ tarf virl jurfheija |
ユフィア yfi'a 「英雄」 サーシャ carxa 「革命の姉」 |
ミュルネネーレオネ民族解放戦線 | 1550-1559 | 「民族解放の母」と後に語られる一代目主席。 | |
誇りの民族自決党 | 1560-1580 | 民族解放戦線解党再編。 | |||
中央民族自決党 | 1581-1586 | 民族自立党分裂。病死により、職務完遂による名誉解任とされた。 | |||
ハルトシェアフィス・ヴェントターディリアウスタフ haltxeafis venthtardili'austaf |
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ハルトヴェント haltvent 「処刑人」 |
中央民族自決党 | 1586-1606 | ハルトヴェントの名前で知られる二代目主席。ユーフェイヤ時代における主席補佐官を務めていた。 |
ファフス・ファリーア・ヴュヌトゥーデャ fafs falira vynuturdia |
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ヴィン vin 「賢良」 |
統一民族解放党 | 1606-1639 | ヴィンの愛称で知られる。解放党による第一政権の主席を務める。死去まで素顔は決して公にしなかったという。 |
フィシャ・セシヤ fixa.cecija |
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ルーフラネー lurflaner 「白きお方」 |
国民防衛党 | 1639-1673 | 軍事政権時代のトップ。軍事政権らしく特殊部隊の拡充など軍拡を押し広げたが、一方で外交では国際連帯税の導入と利用、アウメア経済安定化パネル、フォルゲ・アーバイト等の同盟国に対する経済支援によって世界恐慌の影響を軽減するために奔走した。 |