テニエ・リィエ・"オリガ"・ポルツィナ | ||
Tenie liè "Origa" Porthina | ||
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生没年 | IU598?〜IU638 | |
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生誕地 | オリガ川沿岸集落(詳細不明) | |
没地 | 統一トリア王国オレグベーリャ | |
プロフィール | 目次 | |
異名 |
東の聖女 繁栄(豊穣)の使徒 最後の六使徒 |
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概念 |
繁栄(豊穣) 無知(停滞) |
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業績 |
トリア地域におけるハルテャーフの布教活動 トリア地域の統一 |
ハルテャーフにおいて予言された六使徒最後の1人とされる使徒。彼女は貧乏農家出身故に教育を全く受けておらず、生涯文盲であったと伝えられているものの、彼女の性格や志に惹かれた多くの人々が彼女に協力し、彼女の言葉は文字にされ、後の東方教会の教義となった。
彼女は穏やかで非常に深い慈しみの心を持ち、争いを好まない女性であったとされており、彼女の死の際には時のトリア王は嘆き悲しみ、激しく慟哭したという。トリア王は彼女への敬意として、自らの氏族の姓である"オリガ"を彼女に与えた。
死後に成立した東方教会によって彼女は統一トリア王国内で神格化され、使徒として扱われ始めた。しかし、その事が他の宗派の反発を買い、数度に及ぶ大規模なランザルメーア(聖戦)が勃発し、敵味方共に多くの血が流れる事となった。
その後、宗教会議においてテニエは事実上空位となっていたハルテャーフ大教会における六使徒の最後の1人として認定され、正当性を付与されて現代に至ることとなる。
貧しい農民の身分でありながら慈愛と理想に満ちた彼女は積極的に布教活動を行ったとされており、自らの脚でトリアの各氏族国家を渡り歩き、教えを説いていった。