パラスドン戦争 | ||
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期間 | BIU(ユーレリア前588年) | |
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場所 | ティエル・エレイス半島全域 | |
結果 | テナエの勝利 | |
交戦勢力 | 目次 | |
テナエ側 | パラスドン側 | |
指導者・指揮官 | ||
トリトルエ同盟 ・テナエ市民議会 ・トリエッサ共和国 ・クィフエ公国 ・エズリミ王国 シャノワール人傭兵 ワーシイワ人傭兵 |
ランベルダール同盟 ・パラスドン軍事共和国 ・オイセルマダン王国 ・イフィッサ共和国 ・クバル王国 |
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戦力 | ||
テナエ側 ガレー船 150隻 輸送船 100隻 エレイス人重装歩兵 23500 シャノワール人騎兵1500 ワーシイワ人傭兵1200 ワーシイワ戦象 6頭 |
パラスドン側 ペンロイタイ(パラスドン重装歩兵) 1200 エレイス重装歩兵 22400 |
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損害 | ||
ガレー船23隻、輸送船10隻、3400、象3頭 | 15900 |
パラスドン戦争とは、パラスドン率いるランべリダール同盟と、テナエによるトリトルエ同盟による戦争である。
BIU590年、パラスドンは深刻な経済赤字に陥っていた。理由として、パラスドンは多数の銀山や商品作物の農地を抱えるエレイスの強国であったが、港湾都市であり同盟国であるオイセルマダンやクバルに対する交易ルートがテナエに牛耳らており、故に国内の銀を輸出する際の交易価値流出が止まらず、そのほとんどが諸外国を通じテナエに回収されていたことから始まった戦争であった。 BIU589年、パラスドンのキャラバンがテナエの警備兵に刺殺される事件が発生。賠償などは当然のごとく行われず、パラスドン世論は経済不況を背景に沸騰し、テナエとの戦争に備えて軍備増強を推し進めていった。 テナエはパラスドンの報復を恐れていたが、当時の政情不安により対策の方針が分裂し、交戦派閥と融和派閥による抗争すら発生している始末であり、そのままなし崩し的にパラスドンの侵攻を許してしまうこととなった。
序盤はパラスドンが優勢で、屈強な職業軍人や銀鉱山労働者を集めて編成され、フルプレートアーマーで体を覆った重装歩兵隊・ペンロイタイが活躍した。 テナエは会戦で連戦連敗し、テナエ市街地近郊まで押し込められた。 しかしながら、テナエはここまでにテナエ軍司令であるエーダノエによる軍事独裁が確立しており、テナエは市街地に押し寄せるパラスドン軍に対し自爆を含む苛烈な抵抗を以て撃退。また、海側からテナエ沿岸に侵入したパラスドン艦隊をテナエ艦隊が補足撃滅すると、テナエ艦隊は逆にパラスドン同盟国のイフィッサ・クバルに対して強襲を観光。特に沿岸封鎖や海上封鎖は港湾都市だったクバルや島国であったイフィッサに対して致命的であり、2国は早急にテナエに降伏してしまった。 BIU587年、テナエは満を持して初の経済制裁「ランべリダールの飢え殺し」を宣言。パラスドンに対する穀物輸出や銀輸入はテナエ及びトリトルエ同盟に対する敵対であると布告した。 シャノワール諸侯や古ワーシイワ王国がこれに追随し、パラスドンは穀物輸入網の1年半に及ぶ封鎖により飢餓や疫病が発生。紀元前586年には和議(実質的な降伏)を申し入れる結果となった。 つまるところ、テナエは交易で築いた信頼によってパラスドンを孤立させることで、逆転勝利することに成功したのである