グリニサータ有事 | ||
![]() 僚艦の駆逐艦「メルキーサ」からの誤射を避ける為に回頭した結果グリニサータ島海岸に座礁するファタ・モルガナ帝国海軍一等戦艦「ラヴニーナ」。 |
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期間 | 1662年 | |
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場所 | グリニサータ諸島 | |
結果 | 晋迅共和国のグリニサータ諸島からの撤退 | |
交戦勢力 | 目次 | |
![]() |
晋迅共和国 | |
指導者・指揮官 | ||
![]() エムトゥーレス・グラストニヤ レレミーザ・クレーネ・エリニヤ |
コータロー・トーセン・キジマ ゲンジロー・トーセン・クサカ |
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戦力 | ||
海軍本土艦隊 戦艦5隻 巡洋艦13隻 駆逐艦30隻 |
進発派艦隊 戦艦1隻 巡洋艦5隻 駆逐艦10隻 兵員輸送船2~3隻 |
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損害 | ||
戦艦1隻小破(座礁) 巡洋艦3隻中破 駆逐艦2隻中破 |
巡洋艦2隻大破 1隻中破 駆逐艦1隻沈没 7隻中小破 |
ファタ・モルガナ帝国と晋迅共和国との間で発生した小規模な衝突。
戦地となったグリニサータ諸島はファタ・モルガナと晋迅の係争地であり、紛争勃発時点ではファタ・モルガナ帝国による実効支配が行われていた。晋迅共和国政府自体はグリニサータ諸島への進出を目論んではいたものの、実際に行動を起こすことに関しては及び腰であったが、晋迅艦隊の指揮官が独断でファタ・モルガナ帝国の領海に侵入し、グリニサータ諸島を目指したことで対応に追われる様相となった。
当時の晋迅連立公国は、産業革命の勢いそのままに急速に拡大発展していた。領土においても南は中央オリエンス大陸の一部を支配下に収め、次は以前から領土保有を主張をしているものの、実効支配はファタ・モルガナ帝国であったグリニサータ島(晋迅名)を狙っていた。しかし、ファタ・モルガナは強大な軍備を保有した列強国であり、軍事攻勢では勝てないと判断していた晋迅政府も、交渉によってファタ・モルガナの撤兵及び民間人の引き上げを粘り強く交渉していた。その政府の姿勢と、進展しない領土問題にしびれを切らしたコータロー・トーセン・キジマ少将は、独断で自らが指揮する北洋艦隊第一支隊を用いて、また、当時急速に発言力をつけ、キジマの教え子でもあったゲンジロー・トーセン・クサカ中佐を引き込んでグリニサータ島の奪還計画を企てた。
事変発生当時、ファタ・モルガナ側の艦隊は演習の真っ只中であり、その関係で諸島の主島であるグリニサータ島に極度に接近していた。ファタ・モルガナ艦隊の旗艦「ラヴニーナ」艦橋にてグリニサータ島に接近する不明目標が発見された時には艦隊はグリニサータ島に異常接近とも言える程に近寄っていたが、ラヴニーナ艦長であったレレミーザ・エリニヤ大佐は予期せぬ事態に平静を失い、混乱の余り海面の反射を僚艦の駆逐艦からの魚雷の誤射と見間違え、自身の手で艦をグリニサータ島に座礁させてしまった。
この時点でラヴニーナの継戦能力は無くなったと思われたものの、乱心したエリニヤに代わり副官が冷静に艦隊に対して指示を送ったことで何とか晋迅艦隊に対応している。また、ラヴニーナ自身も座礁した所を追撃する為に接近してきた巡洋艦2隻に対し応戦、これを撃退している。